十時間後
<ゾーン・B>。
十六年前に閉ざされた街。誰ももう元の街の名を口にしない。<ゾーン・B>になる前と今とでは、雲泥の差だからだ。
昔は平和で、いつも活気があり、街は賑わっていた。
だが正体不明のウイルスが散布されるというテロが起き、街は一変した。その結果、たくさんの人間が死んだという。
そしてウイルスの広がりを食い止めるため、街は閉ざされ<ゾーン・B>となった。
それから数年が経ち、ウイルスは街からほぼ消滅したとの報道が政府筋で発表された。
だが<ゾーン・B>はそのまま今に至るまで閉ざされている。
もしゲートを開けて微量のウイルスが外に出たら取り返しがつかなくなるのだ。
壁の内側に残された人々は、配給される食糧を頼りに今も細々と生きながらえている。
街には平和も活気も賑わいも消え、希望なんてものは塵ほどもない。
――てことなんだけど……違くない?
小鈴はベッドの上で横になって、そんなことを考えていた。さっきまであれほど気持ち悪くてすぐにでも寝たいと思っていたのに、いざ寝ようとすると気分が変に高揚して眠れないのだ。
ここに来る以前に小鈴は<ゾーン・B>について色々と調べた。だが大した情報は得られなかった。
世間一般でよく知られているようなことばかりが情報として入ってくるだけだった。
こんなに外に向かって堂々と高い壁をさらしているというのに、扱いが極秘。
ウイルスについても同様だ。
あらゆる情報は、壁の内側にあるということなのだ。
そして壁の内側に来た今、小鈴は首をひねらざるおえないでいる。世間でよく知られた<ゾーン・B>と現実の<ゾーン・B>とではまるで異なるからだ。
――だってみんな、楽しそうだし。
大は陽気に歌っていた。
琢磨は暢気に酒を飲んでいた。
ひかりは明るく踊っていた。
街を歩く人だってそうだ。
暗い顔をした人間はいなかった。
そしてそれらの事実は、小鈴にとって嬉しい誤算だった。
――これなら、父さんと母さんを探しやすいしね。赤い壁の家なんて目立つから、きっとすぐに見つかるわ。
安心したら急に眠気がやってきて、小鈴は枕に顔をうずめて眠りについた。
*
――ふにゃ?
眠りについてから約十時間後の午後三時、小鈴は頭にダンベルを乗せたような重みを感じつつ目覚めた。
人生初の二日酔いである。
うぐおおぉぉ……、と死ぬ間際の魔王のようなうめき声を上げつつ、彼女は上半身を起こした。
そのときになって、自分が着替えもせずに普段着のままねむってしまったことに気付いた。同時に昨夜のことをふと回想する。
大たちと大騒ぎした夜。
ふいに、小鈴は心が躍るような感覚を感じるが、それは一瞬だった。だがそれは小鈴にとっては無視できない現象である。
今の自分は空っぽ。
彼女はいつもそう思っているのだから。
けれど、躍れる心があるのなら、わたしは空っぽじゃないのかもしれない。そんな淡い期待を抱くも、すぐにそれを否定する小鈴。
――でも、やっぱり空っぽかなぁ。
携帯を見て時間を確認する。
――ってありゃ、圏外だ。地下だからかな。ま、いいや。
改めて時間を確認する。起きろと言われた時間まであと四時間もあった。けれどさすがに十時間も寝れば、もう十分だった。
――起きてお店の手伝いでもするかー。飲食店って仕込みとかするんだよね、たしか。
なんとなくそんなことを思い、彼女はベッドから起き上がる。
それから持ってきたデイパックの中から適当な服を見繕って、着替えを済ませた。
軽くストレッチをして今日のウォーキングに備える。たぶん、今日はかなり歩くことになるから。