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壁の向こうのB  作者: カカオ
第4章
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空っぽじゃなかった

 小鈴はひとり彷徨っている。

 場所は増山ユニットからほど近い住宅街である。以前、大といっしょに歩いたから道はある程度覚えている。

 けれど彼女は増山ユニットに行こうとしているわけではない。行こうと思ったがやめたのだ。

 増山ユニットの悪行は色々な人から聞いている。女の子を拉致しては酷いことをするという。警察権力が機能していないから、取り締まりのしようがないし、彼らは狡猾だから証拠もない。

 実の娘だからと言って、そんなところに行きたいとは思わないのは当然である。

「はー、どーするかなぁ」

 誰もいないことをいいことに、小鈴は盛大に独り言をつぶやく。

 道は真っ直ぐ続いているのだが、見渡す限り誰もいない。後ろを振り返っても誰もいない。

 もう午前三時半なのだ。夏だから日が昇るのが早い。まだ薄暗いが、四時を過ぎれば明るくなってくる。

 バーサーカー、それに化物バーサーカーが徘徊する魔の昼間が始まるのだ。

 それまでにはどうにか適当な空き家を見つけようとしていた。そのために住宅街を離れずにうろうろしている。

 しかし空き家は見つかっていない。どの家も鍵がかかっていたり板が打ち付けられている。それはつまり人が住んでいるということであり、化物バーサーカー対策が施されているということなのだ。

 ふと空を見上げると、黒い雲が速いスピードで流れているのがわかる。風が強く吹き、小鈴の髪の毛をくしゃくしゃにかきまぜる。

 空を仰いでいたら、雨が頬に当たりそれが伝った。……のではなく、彼女は涙を流していた。

 小鈴は首をかしげる。いったいどうして自分が泣いているのかがわからないのだ。

 だが彼女はすぐに気付く。

 自分が今、大切なものを失くしてしまったことに。

 大たちと歌が歌えなくなり、今井ユニットのメンバーとも別れてしまった。

 なぜかこんなときになって祖母の死さえも悲しく思うことができた。こんな気持ちになったのは初めてだった。

 けれど不思議と、悲しい気持ちでいられることに感謝している小鈴だった。

 ――あたし、色々なもん持ってたんじゃん。空っぽじゃ……ない……。もう自分のルーツなんてどうでもいいや。あたしはあたしだ。うん。

 そして彼女は夜が明けつつある<ゾーン・B>をひとり、あてもなく歩く。


       *


 大はパニックになった脳みそを静めるのに一時間近くも要した。

 李利に言われたことを反芻してみると、たしかに、と納得せざるおえない部分がある。

 増山ユニットの屋敷は赤い壁で、しかも啓造は二代目リーダーだから増山というのは本当の苗字ではない。増山ユニットと小鈴は関係ないだろう、などと根拠もなく高をくくっていた自分が恨めしい。

 ――とにかく、あのリーダーの本当の苗字を知るところからだ。まだ小鈴のオヤジが啓造だって決まったわけじゃねえ! オヤジに聞けばわかるかもしれねえ。

 大はそう思い立つと、部屋を飛び出し店のほうへと駆け出した。直後――

「あれ、大にいちゃん?」

 ひかりが階段から降りてきた。ウェイトレス姿で、今しがたまで働いていたらしい。

「おう、ひかりか。もう寝るのか?」

「うん、李利おねえちゃんに縛ってもらうの」

「そうか。じゃあおやすみな。俺はオヤジにちょっと用があるから」

「うん、おやすみー。あ、そうそう、さっき小鈴おねえちゃんに会ったよ」

「小鈴?」

「うん、荷物持ってでかけちゃった。なんか用事でもあったのかなぁ」

「でかけた!?」

 大は慌てて時間を確かめようと、空き部屋となっている部屋のドアを慌しく開けて時計を見る。既に三時になろうとしている。

「どこ行ったか言ってなかったか!?」

 大の剣幕にひかりはびっくりしながらも、ついさっきの小鈴とのやり取りを思い返す。

「うーんと……なんかよくわかんないんだけど、小鈴おねえちゃん、『さよなら』って言ってた。なんでだろ――」

 ひかりの話を最後まで聞き終えないうちに大は踵を返し走り、小鈴の部屋をノックなしで開け放つ。

 中には誰もいなかった。

 小鈴の唯一の荷物だったデイパックも見当たらない。机の上にノートが一冊、それに鉛筆が一本転がっているのみだ。

 大はそのノートを見やる。丸まった文字で、次のように書かれている。


『お世話になりました 沙仲小鈴』


 ――……たぶん、小鈴は聞いちまったんだ。俺と李利の話を……増山啓造が父親だって……。でなきゃこんな急に外に出たりは……。

 そこで大ははっとする。

 今の外が非常事態であることに気付いたのだ。時計の針は三時十分を指し示している。

「――小鈴!」

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