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壁の向こうのB  作者: カカオ
第4章
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追跡者

 ――なんか学校をさぼってる気分だなぁ。

 などと思いながら、小鈴は大と並んでスラムを歩いている。普段ならライブをしている時間帯なのだが、自粛中なので小鈴の両親探しをすることになったのだ。

 残りはあと三日。残された時間は心許ない。

 スラムは相変わらずで、どこもかしこも末期である。命の灯火がもうあとわずかな街という感じが支配しているエリアだ。

 だが小鈴はその光景に違和感を覚える。

 ――ここまで凄かったっけなぁ。

 小鈴が思う『凄い』というのは、このエリアの荒廃ぶりのことだ。

 以前来たときよりもどことなく崩壊している箇所が多いように思える。この前は外観はともかくとりあえず形を成していた雑居ビルが、今日は壁のほとんどが崩れ内部の鉄骨をさらしている。

 大も同じことを思っていたのか、スラムを見る目がいつもと違う。

「……化物バーサーカーの仕業かもしれないな」

 大が思い出したように呟く。

「マジですか」

「ああ、ほかに考えられねえ。だが……だとするととんでもねえヤツだぞこりゃ…………」

 大が崩れかけた雑居ビルを見上げる。

「みんながビビるわけだぜ」

「本当に凄いですね。ワケワカメパワーですな」

「流行ってるのか? ワケワカメ」

「はい、水面下で」

 ふたりはまだ訪ねていないスラムエリアを探索する。ここは道が瓦礫などでふさがれているところも多いから、思うように先に進めないのだ。そのため両親探しもほかの場所に比べて随分時間がかかっている。

 道行く人やホームレスたちに聞き込むが、欲しい情報は全く手に入らなかった。

 赤い壁の家など誰も知らないという。

 一番ショックだったのは、ここがスラムになる以前からもう五十年以上住んでいる老婆の答だった。

「赤い壁? わたしゃ生まれてこの方そんなもん見たことないね」

 スラムにもないかもしれない。

 小鈴はそう思わずにはいられなかった。

 だがそれはつまり、ここ<ゾーン・B>に自分の両親が住んでいなかったことになる。

 もうほかのエリアは調査済みだからだ。それとも祖母から聞いた話というのがそもそも間違っていたのか。

 自分への疑惑が脳裏をよぎる。

 ――でも、配達屋さんはおばあちゃんの手紙を管理者に渡しているって言ってたし。それとも管理者が手紙を受け取るだけ受け取ってお母さんたちに届けてないのかな。だとすると、お母さんたちはどうなってしまったんだろう。

 思考がマイナス面へと押し流されていく。

 けれど、どういうわけか小鈴は楽観的でいた。

 自分のルーツは今でも気になっているのだが、それ以外の、ルーツを超えた何かが自分の中で大きくなっていることに気付いているのだ。

 ただ、それが何か、その正体がつかめていない。

「ちくしょう……もうあんまし時間がねえってのにっ」

 小鈴とは対照的に、大はかなり焦っているようだ。小鈴が来てからというもの、手がかりらしい手がかりは全く得ていない。

「俺が、ライブばっかやってたせいかも……」

「むむ、それは大さんらしからぬ答えですね」

「だってよぅ……」

「それも大さんらしからぬ弱気な発言ですね」

「……お前、少しは焦りとかないのかよ」

 大が呆れ顔で言った。

 小鈴は即答する。

「ないんですよね、不思議と。それもこれも歌のおかげなのかな、と思ったりしてますよ、わたし」

「歌の……」

「ええ、歌のおかげです。なんというか、自分が空っぽじゃないのかもって思えるんですよね、歌うと。そう思わせてくれたのは大さんです。だから、らしからぬ答えも弱気な発言も無用ですよ」

「……小鈴って、良いヤツなんだな」

「ありゃ、今頃気付いたとは心外ですな」

「ははは。――あ、そういやさ、この前言ってたKYってなんだ? なんか小鈴怒ってたみたいだけど。周りが見えてないとかなんとか」

「ああ、あれは気にしないでください。もう解決しましたし、今の大さんなら周り見えそうですし」

「なんかよくわからんけど、解決したならいっか」

「そうです。それでいーのです」

「よくないぞ」

「ほえ?」

「小鈴も周りが見えてない」

 大の声音に緊張の色が帯び始める。

 小鈴は「もしやわたしこそが真のKYだったのでは」などと的外れなことを考える。

「おい、出てこいよ。誰だか知らねえけど、ずっと後をつけられちゃ気になってしょうがねえ」

 大が振り向く。

 小鈴は大の視線を追う。

 視線の先には、ひっくり返ったワゴン車があるだけでほかにはなにもありそうに――

「気付かれていたとはね」

 ワゴン車のタイヤの影から、ぬっとひとりの男が立ち上がる。しゃがんでタイヤの影に隠れていたようだ。

 長身で細身、この暑さの中スーツと革靴という出で立ちでいる。その割に涼しげな表情を浮かべ、汗ひとつ浮かべていない。 

「増山……啓造」

 大にとっても意外な人物だったらしく、彼の声は震え虫の鳴き声みたいになってしまった。

「えっ」

 小鈴は大の小さな呟きを聞き逃さなかった。

 そして改めて現れた増山啓造を見やる。

 話を聞く限りではろくな人間ではないと思っていたが、実際の増山啓造は紳士のような趣さえ感じさせるほどに誠実さに溢れている、ように見える。

「やあ、今井ユニットの副リーダー君」

「なんで俺らの後をつける」

「挨拶もなしとは。目上の人間に対する礼儀がなってないな君は。君のユニットのリーダーがリーダーだから仕方ないか」

「オヤジのことなんかどうでもいい。質問に答えろよ。なんで俺らの後をつけんだよ」

「君の後なんかつけていない。私がつけているのはあくまでも彼女だ」

 啓造が小鈴のほうに視線を移す。

 ――って、わたし?

「どうして小鈴を狙う。それもあんた自ら出てくるなんて、今まで一度もなかったろうが」

「狙う? 人聞きが悪いな。それに私とてたまには外に出るさ」

「狙う以外に何があるっつうんだよ。特にあんたの場合は」

「君はもう少し想像力豊かになったほうがいい。音楽をやっているのだろう?」

「うるせえ。いいからこっちの質問に答えろ」

 大が声を荒げるが、啓造は全く動じる様子がない。

 カフェで向かい合ってコーヒーでも飲みながら世間話でも喋っているような趣さえ感じる。

「答える義務はない」

「ふん、大体リーダーのあんたがこんなところで尾行なんかしてる暇あんのかよ。化物バーサーカーで今はどこのユニットも大騒ぎだぜ? アジトの警備を固めたほうがいいんじゃないのか?」

「副リーダーの君がこんなところで女とふたりきりで密会している暇があるのか?」

「密会なんかしてねえよ!」

「じゃあ何をしている」

「誰がてめえの質問に答えるか」

「ふむ、これで対等だな。私も君の質問には答えない。君も私の質問には答えない」

「何が対等だ。こっちは一方的に尾行されてんだぞ! ――おいっ」

 大が言い終わるよりも前に、啓造は踵を返し歩き始めていた。

「おいっ、逃げんのか!」

「逃げる?」

 啓造が歩を止め、後姿のままで答える。

「予定があるのだよ。なにせリーダーなものでね。化物バーサーカーとやらの対策も立てねばいけないし。副リーダーくんの言うとおりさ、警備を固めたほうがいい。まあ、君の場合は化物バーサーカー対策以前に、尾行に対する警戒心を養ったほうがいいと思うよ。私は何も今日初めて君たちを尾行しわけじゃないのだから」

「なっ……」

 大が絶句する。

 彼は心の中でいったいいつからだ? と最近小鈴といっしょにいたときのことを思い出そうとするが、思い出されるのはライブの場面ばかりだった。 ここにきて初めて、大は小鈴が言っていた「周りが見えてない」という意味を思い知る。

 小鈴はというと、もしかたら見かけているかもしれないと思い、これまでのライブ風景などを思い出してみるが、観客が多すぎてとてもじゃないがひとりひとりの顔を覚えてなどいなかった。

 ――四年間もストーキングされていたこのわたしにスルーさせるとは。なかなかやりますな。

 ふたりがそれぞれ脳内で過去をダイジェスト再生している間に、啓造はいつの間にかいなくなっていた。

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