八歳児の視線
小鈴と大が両親探しを始めた頃、『BAR無菌室』には緊張が走っていた。
カウンターを挟んで視線を交わす琢磨と、増山ユニットのリーダーこと増山啓造。客たちはすでに逃げるように会計を済ませて出て行った。増山ユニットとは、それだけ危険で粗暴な集団ということなのだろうか。
「まさか啓造さんがご来店とは、このBAR始まって以来の歴史的事件だな」
琢磨が静かに言った。
啓造は無表情にブランデーを口に含む。
「私とてたまには酒を飲みたくなる日ぐらいある」
「そうかい。それじゃあまあ、ごゆっくり」
「そこまでゆっくりするつもりはない。この一杯を飲んだら帰るつもりだ」
「用件はひとつってことか」
「そういうことだ。話が早くて助かる。さすがリーダーを名乗るだけある」
「あんたこそ」
そこでふたりの間に沈黙が降りる。
薄暗い店内に、ふたりの男が無言の戦争を展開する。どちらも負ける気がない。やがて啓造が重々しく口を開く。
「単刀直入に言おう。ここにいる娘を増山ユニットに移籍させたいのだが」
「ここの娘? ここには娘が三人いるんだがね。ひかり、李利、お嬢ちゃん」
「おそらく最後のお嬢ちゃんという娘だ」
「ふん、やはり小鈴お嬢ちゃんか。だがあいにく彼女はうちのバンドにはなくてはならない存在になっている。それに彼女自身も増山ユニットへの参加を拒むだろう。すでに一度拒んでいるそうじゃないか。大から訊いているぞ。また無理やり連れて行こうとしたと」
「それは初耳だな。だがそれがわたしのやり方だ。誰も取り締まることなどできない。この街では」
「いつか報いが来るよ、啓造さん」
「構わない。小鈴という娘が私のユニットに来るのなら、どんな報いでも受けよう」
「なぜそこまでしてお嬢ちゃんを?」
「…………」
啓造は目を瞑り、小さく溜息をついた。それからブランデーに少しだけ口をつけ、カウンターに置く。
「彼女――小鈴は、私の娘だ」
啓造の言葉に、一瞬息を呑む琢磨。けれどすぐに落ち着きを取り戻す。琢磨の中で腑に落ちないことがあるからだ。
「何を根拠にそんなことを言う」
「さあな」
「まさか、あんた自分の娘を捜すために若い娘をさらってたんじゃ……」
「娘ほど離れた女に興味などない」
「……なるほど。だがいまいち納得がいかないな。悪いがお嬢ちゃんは渡せない」
「そうか」
啓造は残りのブランデーを一気にあおった。
琢磨も別にまともな答を期待していたわけじゃないので、気にせず愛用のジッポでタバコに火をつけて盛大に煙を吐き出す。
ブランデーのグラスが空になった。
「どうやら交渉決裂みたいなんで、これで失礼するよ」
「手荒な真似はしてくれるなよ」
「手荒な真似? 失敬な。私はいつだって紳士さ」
そして啓造はスツールから腰を上げ、札を一枚置いて店のドアのほうへ歩き出した。彼の靴が立てるコツコツという音が琢磨の耳に聞こえなくなるまで、随分時間がかかったように感じた。
琢磨は啓造が言ったことを反芻し、首を傾げる。
「娘? それは……ないだろ、啓造さん」
琢磨の独り言はあまりにも小さく、『スタッフオンリー』と書かれたドアの内側に潜む女の子の耳には届かなかった。だが彼女はそれ以外の会話はしっかりと聞いていた。
好奇心旺盛な八歳児を侮ってはいけない。
「啓造おじさんが、小鈴おねえちゃんのパパ?」
ひかりはドアの内側にしゃがみこんで、くるくる回る脳みそをさらにぐるぐると回転させる。ひかりはこれが良いニュースか悪いニュースかを考えようとしたのだ。
小鈴は両親を捜しに来た。
両親のうち、まず父親が見つかった。
ここまではいい。
けれど父親は増山啓造だった。
これはよくない。
いいけど、よくない。
――うにゅにゅにゅ……ムズカシイよぉ。
ひかりはとりあえず、ドアにくっつけたままだった小さな耳を離そうとした。そのとき、目の前のドアが開いた。




