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壁の向こうのB  作者: カカオ
第1章
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縛られた少女

 ――マンホール? 下水道?

 小鈴は地下に向かってのびる梯子を眺めていた。

 部屋の外に出た小鈴は、廊下の先にある階段を上がろうとしたところで、階段のすぐ横に床下収納の扉のようなものが少しずれていることに気付いた。

 元に戻しておこうと思って、扉を床にはめようとすると、床の下が金属製の梯子になって降りられるようになっていた。

 ここは地下二階だからさらに下があることになる。ただのバーにしては、面白い作りをしているなと小鈴は思った。

 覗きこんでみたが、暗くてよくわからない。

 少し湿った空気が流れてくる。

 ただそれが結構深くて床下収納ではないことだけは確かだった。

 別の部屋があるのか、あるいは非常口か何かか。

 少し興味はあるけど、とりあえず大さんや琢磨さんに朝の(もう午後だけど)挨拶をしてからにしよう。

 小鈴はそう考えて扉を閉めようとした。

 そのとき――

「――ぁ――ぁ」

 床下の奥から蚊の鳴くようなか細い声が聞こえてきた。

「え……」

 その声は小鈴の記憶を刺激した。

 一晩中いっしょに話して、笑って、踊って……。

 ――ひかりちゃん?

 気がつくと、小鈴は閉めかけた扉を開けて梯子を降りていた。 

 降りているうちに目が慣れてきて、そこそこ周りが見えてきた。降りたことはないが、マンホールの下はきっとこんなふうになっているだろうと思わせる作りだった。

 夏なのに空気はひんやりとして肌寒く、小鈴の腕には鳥肌が立った。

 やがて梯子は終わり、彼女の足はカタ……と小さな音を鳴らして床を踏む。

 コンクリートの地面を想像していたけど、ほかの階と同じく板の間だった。

 ここも住居なのだろうか。

 細い廊下が一本続き、奥にひとつだけ扉がある。

「――あぁ――がぁぁ――――」

 そしてまた、ひかりの声が聞こえてきた。今度ははっきりと、ひかりが苦しんでいる様がわかる。

 あの奥のドアの向こうに、ひかりはいるようだ。何の音かはわからないが、ガタガタと何かを揺らしている物音も同時に響いてくる。

 それは床を伝い、小鈴の足にまで届く。

 もしかしたら熱を出して苦しんでいるのかもしれない、と小鈴は思い立ち、ドアに向かって駆けて勢いよくそれを開け放った。

 そして彼女は立ち尽くした。

「え――」

 その部屋にはアンティーク調の椅子がひとつだけ置かれているだけだった。

 部屋の真ん中に、ぽつんと。

 それ以外はなにもない。

 椅子は座っている何者かによって揺さぶられガタガタと不吉な音を響かせている。

 電気もつけられていないから、廊下から入る明かりでどうにか椅子の存在が視認できるほどに、そこは濃い闇を形成している。

 だが仮に真っ暗闇だったとしても、そのふたつの発光するものは見えただろう。

 小さな赤い光がふたつ、浮いていた。

 椅子の揺れにあわせてゆらゆらと浮遊している。

 人魂だろうか。

 否、それは目だった。

 ひかりの。

「ひかりちゃ……」

 小鈴はそこまで言って言葉を失う。

 ひかりの状態が常軌を逸しているからだ。

 ひかりは椅子に座っている。

 背もたれに腰を、ひじかけに手首をしめ縄で縛られている。

 それでも彼女はそこから逃れようともがき続けている。もがけばもがくほど縄が腕に食い込み血流を圧迫しているかのようだった。

 椅子の揺れはひかりのもがきの激しさに比例している。表情は険しく、歯を食いしばって痛みに耐えているかのようだった。

 ただ何よりも理解しがたいのは、ひかりの眼球だった。

 赤い。

 赤く光っている。

 それは目が純血しているわけではなく、赤く光って闇から浮いているのだ。

「ひかりちゃんっ」

 小鈴はそう叫ぶと、ひかりに駆け寄ろうとする――だがすぐに立ち止まる。

 ひかりのつぶやきを聞いて。

「……こ……ろす」 

「ひかり……ちゃん?」

 ひかりの声はたしかに『ころす』と発していた。

 ――まっさかー。ひかりちゃんだよ? これはきっと何かの演出、そう、あれだよ。ドッキリだよ。きっと大さんや琢磨さんが新入りのわたしを驚かそうとしてるんだ。うん。

 小鈴はここに至ってなおそんなことを考えていた。

 何もかもが欠如している小鈴。

 それはもちろん危機感も例外ではない。

 だが、ひかりのただならぬ様子は、何もないはずの小鈴の心に一抹の不安を抱かせた。

「ひかりちゃん、その冗談はちょっとつまらないというか笑えないよ。ひかりちゃんのキャラに合ってないっていうかさぁ――」

「ころす」

「……ええと」

「ころす」

「ひかりちゃん、あのね――」

「ころおおおおおおおおおぉぉぉす!」

 ひかりは叫んだ。気が狂ったように縛られている体を無理やりに動かし、首をがむしゃらに振る。

 ちょこんと結んであったポニーテールのリボンがはずれ、髪が広がって乱れる。

「があっ! うあがあぁぁ!」

 身を前へ乗り出すようにもがき、小鈴をその赤い瞳で憎んでいるかのように睨みつけ、かみ殺そうとするかのように歯をむき出しにして吠える。

「あがぁ! がああぁぁ!」 

「ひ、ひかりちゃん」

 小鈴の声は震えていた。

 これはなに?

 これ?

 人間なのに『これ』?

 人間?

 人間なの?

 ひかりちゃんなの?

 ねえ、ひかりちゃんなの?

 生まれてはすぐに消える自問自答の群れに、小鈴は何も答えられない。

 そして自分の中にふと現れた見知らぬ感情に戸惑う。

 これは……恐怖?

 わたし、怖がってるの?

「ころすころすころすころすころすころすころすころすころすころす」

「あ……ぁ……ぁ」

「ころ――――――すっ!」

「うわああああああああああああああああああああああぁぁぁ!」

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