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魔女の塔

  いとしいあの人が来る

  私に逢いにやってくる

  服を整え

  長い髪を梳き

  あなたを迎えるの


 眼下に荒い海を見下ろす崖の上。そこに建つ小さな屋敷から、少女の声は聞こえた。


  いとしいあの人が来る

  私を救いにやってくる

  髪を編み

  紅をさして

  あなたを迎えるの


 館には、彼女と彼女の世話をする女が一人住むだけで、他に人間の姿はない。家は二階建てだったが、遠くから見るとまるで塔のように見えた。その館以外、周囲には建築物がないからだ。

 海と荒野ばかりが広がる土地に、館はひっそりと建っていた。

 館は小さく質素だが、しっかりとした造りになっていた。けれど、不思議なことに二階部分の窓はいずれも高く小さい。少なくとも女では、どんな手を使っても、二階から外の風景を眺めることは、不可能だったろう。

 そんな二階の部屋が、少女の居場所だった。

  いとしいあの人が来る

  私に逢いにやってくる……


 少女は再び同じ歌詞を繰り返した。歌はこれしか知らなかった。誰も教えてくれなかったのだ。そしてこれすらも誰に教わったということはなく、ただ遠い記憶の中にぼんやり残っているものを、口にしているだけだった。


  服を整え

  長い髪を梳き

  あなたを迎えるの


「困ったわ」

 少女はぽつりと呟いた。傍らには誰もいなかった。この館にはもう一人いるはずだったが、彼女は一人でいることが当たり前だった。

「服を整え、髪を梳き、そして髪を編んで、紅をさして……あの人がやってくる。それで、どうしたのかしら……?」

 彼女はこの歌の続きを知らなかった。だから、彼女は、これに続きを自分でつけようとしたのだ。けれど、困ったことに、これがどんな場面をさしていっているのかも、知らなかった。

「私を救いにって、どういうことかしら? 彼女は悪い人に捕まってでもいたのかしら?だけど、迎えるって、それではそこに住んでいたのかしら……?」

 いくら考えても、判らない。

 少女はため息をついた。

「駄目ね。……想像つかないわ」

 そして、それきり続きを考えるのを止めにした。また気が向いた時に作ればいいのだ。 少女は腰を降ろしているソファから立ち上がった。ダーナから貰った本を取るためだった。彼女はいつも沢山の本を持ってきてくれる。それが彼女の唯一の楽しみだった。


  いとしいあの人が来る

  私を救いにやってくる


 歌いながら部屋から部屋から移動する彼女はその時、カタンという音を聞いた。それは階段から二階の彼女の部屋へ続く扉の鍵を開ける音だった。

 やがて一人の女が入ってきた。

 歳は少女より十才ほど上だろうか。にこりとも笑わず、無表情のまま、少女が今いたソファの前にあるテーブルに食器の乗ったお盆を置いた。そして、何も言わずにさっさと出ていくはずだった。けれど今日は下がらず、少女がソファから落としたクッションや、散らかしたままの本などを片づけていく。

「まぁ、ではダーナが来るのね?」

 顔を輝かせた少女に、女はこくりと頷いた。彼女は女の声を聞いたことがない。何を言っても、尋ねても、女は答えたことがない。きっと、喋れないのだわ。

 女と初めて会ってのは、もう八・九年も前のことだった。それまで彼女の世話をしていた中年の女が突然やって来なくなって、そして間を置かずにこの女が代わりに彼女の世話をしてくれるようになったのだ。その時はまだ女も少女だった。そして、彼女が歳をとるごとに、女もまた歳を取っていった。

 彼女は、けれどこの喋らない女が好きだった。何も言わないし、少女の質問には何一つ答えてくれないけれども。少女に服を着せ、髪を梳いてくれる女の仕種はとてもやさしいものだったからだ。女はいつもベッドを整えてもくれる。そして、いつだったか、嵐で眠れぬ夜を過ごしている時に、ずっと彼女を抱きしめてくれもした。

 人の温もりを感じたのは、その時が初めてだった。いや、確か、遠い憶えてもいない昔に、誰かに抱きしめてもらっていたような気もする。しかし、物心ついてからは、これが初めてだった。それまで、女は彼女に触れはしたけれど、抱きしめてまではくれなかった。「ダーナはまた新しい本を持ってきてくれるかしら?」

 答えはないと判っていつつも、彼女は女に尋ねた。けれど本当は答えなどなくていいのだ。少女は嬉しく、何か言わずにはいられなかっただけなのだから。案の定、女は答えない。うつむいて、少女の散らかした本を拾い上げているだけだった。

「楽しみね」

 そう言って、少女も自分が散らかしてしまったものを片付け始めた。他のことではこんなことはないのだが、本に夢中になると、どうも片付けがおろそかになってしまうのだ。

 女はせっせと片付けしていく少女を見て、手を止めてふっと微笑んだ。それは優しい笑みだったが、下を向いている彼女は、それには気付かなかった。そして、その笑みも彼女が顔を上げた時におさまっていて、そこにはいつもの無表情さがあるだけだった。


 少女には名前が無かった。

 そして、この屋敷の二階から、一歩も外に出たことがなかった。

 言い換えれば、この屋敷の自分が住んでいる所だけが、彼女の世界の全てだった。

 けれど、それを不思議に思ったことも、外に出たいと渇望したこともない。少女は生まれた時から――少なくとも、物心ついた時からここにいた。ここの他は何も知らなかった。知らないものを、不思議に思うわけはない。ましてや他を望むわけもない。彼女にとっては全てが当たり前のことなのだ。

 彼女の寝室と居間、そして書斎。それぞれひと続きになっている少女の居場所――この小さな館の全二階部分に当たる――にしか自分は行けないことや、外に出るための扉、女が出入りするための扉には、いつも鍵が掛けられていること。窓は高く、彼女には外も除けないこと。それらの全ては、彼女にとっては日常のことなのだ。

 確かに、いろいろ知りたいことはある。そして外にはまだまだいろいろなものがあるということを、彼女は知識としては知っている。けれど、ここが彼女の世界すべてである以上、そして、ここに不満があるわけでもない以上、なにを望むというのか。それすらも彼女は知らないのに。〈外〉を教えてくれる人間はいなく、外と彼女の接点は、ただ一つだけであるというのに。

「ダーナなら知っているかもしれないわ。あの歌がどういうものなのか。もしかしたら、続きだって教えてくれるかも……」

 再びソファの上に腰掛けながら、少女は落ち着かない時を過ごす。彼女はある人物の訪問を待ちわびていた。それは、彼女にいろいろなことを教えてくれる、唯一の人間。そして、彼女が世話役の女以外唯一知っている、ただ一人の人間でもあった。

 カタ、カタ、カタ。

 部屋の外で音がした。それは階段を上がってくる音だった。世話役の女のものではない。女が吐いている靴はこんな音をたてないのだ。残るは、一つだけだった。

 少女は立ち上がると、いそいで部屋の扉へと駆け寄った。

「ダーナ!」

 扉が開いて、若い女が顔を出した。彼女を認めて、にっこり笑う。

「元気にしていた? 私の幸運の姫君」

 女の名はダーナといった。そして、彼女は少女をいつも『幸運の姫』と呼んでいる。

 ダーナは少女より四・五才ほど年上のようだった。そして、彼女よりももっと豪華な服と宝石を身に着けていて、ここに来るたび彼女にいろいろなものを持ってくる。

「今日は、この間欲しがっていたから、あなたが読めるような本を沢山もってきたわ。どう? この間のものは、全部読んでしまったの?」

「ええ、すっかり読んでしまったわ。ありがとう、ダーナ。楽しみだったの」

「あなたに喜んでもらえて、私も嬉しいわ」

 ダーナと初めて会ったのは、もう六年も前のことだった。その時のことを、彼女はよく覚えている。

 その扉を開けて悠然と入ってきた若い乙女――ダーナは、白く長い着物を身に着け、長い黒髪を首の所でゆったりと編み上げた姿で、少女の前に立った。そしてその青い瞳を少女に向け、にっこり笑って、「あなたが、『幸運の姫』? 私はダーナ・ルーラ。ダーナと呼んでちょうだい」と言った。

 初めの世話役の女と、そして今現在の女。ダーナが三人目の人間で、そして、彼女の質問に答え、笑いかけ、いろいろなことを教えてくれる、初めての人間でもあった。

 少女はダーナから言葉を教わった。そして文字というもの、文字で書き記した書物というもの、そしてこの部屋以外に広がる世界があることも、ダーナから吸収したことだった。

 ダーナがいたから、こうして彼女は本も読めるし、物の名前も、それがどういうものなのかも、知ることが出来たのだ。

「ねぇ、ダーナ。教えて欲しいことがあるの。歌のことよ」

「歌? まぁ、いつの間にそんなものを知ったの、『幸運の姫君』? 本から?」

 並んで椅子に腰掛けながら、ダーナはくすくすと笑った。

「いいわよ。私が知っていることなら、教えてあげるわ」

「本からでは、ないの。どうしてだか、覚えているの、これだけ……」

 少女は歌いだした。けれど、二番目の歌詞を言いおわるか終わらないうちに、彼女はダーナの顔色が変わっていることに気付いた。ダーナは顔を青ざめて、少女を見つめていた。

「ダーナ?」

 彼女の言葉に、ダーナはハッと気付いて、慌てて取り繕った。

「ま、まぁ、幸運の姫は、どこでそんな歌を覚えたのかしら? でも、残念ね、私はその歌、くわしく知らないの」

「そう……。続きを知っていたなら、教えてもらおうって、思っていたのに。だってわたし、これしか覚えていないの。それだけでも、誰が歌って教えてくれたのか、記憶にすらないのよ、変ね?」

「きっと本に出ていたのが、記憶に残っていたのよ。あなた、記憶力いいから。でも、気にする必要はないわ。それに、そんな歌は、淑女が口にするべき歌ではないのよ」

「そうなの……?」

 少女は目を丸くする。あの歌詞のどこがいけないというのだろうか。けれども、ダーナの言うことに間違いはないのだ。彼女は残念そうな顔をしながら、うなずいた。

「……わかったわ。ダーナがそう言うのなら、歌わないようにする……」

「いい子ね。それでいいのよ。あなたにはあんな歌は必要ないのだから」

 ダーナはそう言って、にっこりと満足そうに笑った。

 そうしてしばらくたわいない話しをした後、ダーナは椅子から立ち上がった。

「もう、行ってしまうの?」

 もっと居て欲しいのに。そして、もっといろんなことを教えて欲しいのに。そんな言葉を言外にこめて、彼女はダーナを見上げた。

「ごめんなさいね。けれど、また来るから。その時はもっといっぱい本を持ってくるわ。それに、他に欲しいものは、ある? 服を持ってきましょうか? 私の昔着ていた服は、きっと今のあなたにはぴったりだわ」

「……ええ。ダーナがこれがいいって思ったものでいいわ」

 引き止めても無駄なことは判っている。ダーナは時々こんな風に来ては、少し話しただけで、すぐまたどこかへ行ってしまうのだ。どこへ行くかは、知らない。尋ねたことは何度もあるが、決まってダーナはこう答える。

「あなたが気にする必要はないのよ。外? ええ、そうよ。普段私は外にいるの。でも、外はあなたが興味を持つところではないわ。ここにいるのが、一番なの。それが安全なのよ。いいわね、外のことを考えたりしては、駄目よ?」

 やさしく、けれど逆らうことの出来ない口調でダーナは言うのだ。だから、少女はうなずく。そうなのか、と思って。ダーナの言うことには、間違いはないのだと思って。

「また、来るわ。私の幸運の姫君」

 にこりと笑いながら、ダーナは扉の向こうへ消えていった。そして、カチャリと鍵の閉まる音。扉は閉ざされ、次に再び鍵の開ける音がするまで開くことはない。

 この外に、何があるのかしら?

 ダーナは、どこにいくのかしら?

 何のために、外に出ていくのかしら?

 ダーナが帰った後は、このような疑問符で一杯になる。けれども、少女は無理矢理それを頭から追い出した。

 ダーナは言ったわ。気にする必要はないって。外のことを考えては、駄目だって。だから、そのことを思ったり考えるのはいけないことなのだ。そうダーナが言ったのだから。 自分は〈外〉を思ってはいけないのだ。


  いとしいあの人が来る……


 思わず歌いかけて、ハッとして口をつぐんだ。これも、歌ってはいけないのだ。そうダーナが言ったのだ。淑女の歌う歌ではないからと。けれど……淑女とは何のことだろう。今度ダーナが来た時に、聞いてみなくては。

 少女は上を見上げて、高い窓の向こうを見た。ガラス越しの《向こう側》は、ダーナの目のような青色ではなく、青の混じった灰色に染まっていた。

「あと少し……、あの向こう側が、藍色になったら、彼女が夕食を持ってくるわ」

 つぶやく。そろそろお腹がすいたと、身体も訴え始めていた。けれど、少女はソファの上から立ち上がった。

 もう少し間がある。その間に、ダーナが持ってきてくれた本を読もう。

 そう思ったのだ。その本は、ダーナと彼女が話している間に、世話役の女が書斎の方に入れておいてくれた。そして、彼女が手に取って読むのを待っているのだ。

 居間からひとつづきになっている書斎へと入りかけた時、ふと思い、突然足を止めた。 そしてつぶやく。

「あの歌の 私 。……無事に あの人 に救い出してもらえたのかしら……?」

 と。

昔の作品のデータを発掘したので、恥をしのんで出してみました。

超受身の主人公にイラッとするかもしれません……。

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