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断罪の席と伺いましたが、聖女様との明るい家族計画を起案してまいりました

作者: 月白ふゆ
掲載日:2026/07/30

「アデライード・ド・ヴァランタン。君が聖女リュシーへ行った数々の行為について、今日、この場で説明してもらう」


 王太子ジェラールの声が、王宮の大広間へ響いた。


 国王陛下と王妃陛下。


 王国の重臣たち。


 神殿の高位聖職者。


 そして、王太子の婚約者であるアデライード・ド・ヴァランタン公爵令嬢。


 多くの人々が見守るなか、ジェラールは聖女リュシーを背後に庇うように立っていた。


 リュシーは白い聖女服の胸元で、両手を固く組んでいる。


 俯いた頬は赤い。


 怯えているのだ。


 少なくとも、ジェラールにはそう見えた。


「まず、君はリュシーを夜ごと自室へ呼びつけていた」


「はい」


 アデライードは否定しなかった。


「深夜まで帰さず、何度も朝まで問い詰めたと聞いている」


「ええ。事実ですわ」


「リュシーが声を上げるたび、口を塞いだという証言もある」


「そちらも事実です」


 広間に小さなどよめきが広がった。


 それでもアデライードは、姿勢ひとつ崩さない。


「君の部屋から、リュシーの泣き声が何度も聞こえたそうだな」


「否定いたしません」


「翌朝、リュシーが1人では歩けず、侍女に支えられて部屋へ戻ったこともある」


「ございましたわね」


 非難の囁きが大きくなる。


 聖女を夜ごと呼び出し、朝まで問い詰めた。


 声を上げれば口を塞ぎ、泣かせ、歩けなくなるまで追い詰めた。


 誰が聞いても、悪質な虐待である。


「それだけではない」


 ジェラールは続けた。


「君はリュシーへ高価な寝衣を何着も贈った。王宮医務局を使い、彼女の身体について詳細な照会まで行っている」


「はい」


「私の公務予定を朝から夜まで調べ、王太子宮の寝室と空き部屋を確認した」


「そのとおりですわ」


「まだ婚姻すらしていないというのに、将来生まれる子ども6人分の養育費まで試算したという報告もある」


「乳母、侍女、家庭教師の人件費も含めて算出しております」


 あまりにも平然とした回答だった。


 何を問われても、アデライードは事実だと認める。


 言い逃れひとつしない。


 それがかえって、ジェラールには恐ろしく思えた。


「アデライード」


 彼は、幼い頃から隣にいた婚約者の顔を見つめた。


 王太子妃教育を完璧にこなし、どのような場でも取り乱さない女性だった。


 ジェラールは、今も彼女を愛している。

 だからこそ、信じたかった。


「君にも、何か事情があったのだろう。今ならまだ間に合う。リュシーへ謝罪し、すべてを正直に話してくれ」


「正直に、でございますか?」


「ああ」


「承知いたしました」


 アデライードは、傍らに控えていた侍女へ目を向けた。


 侍女が差し出したのは、雑紙を紐で綴じた分厚い束だった。


 羊皮紙ではない。


 王家の正式な契約書でも、貴族間の誓約書でもない。


 行政手続きや試算、決裁前の起案に用いる雑紙である。


「申し開きではございませんが、ご指摘いただいた件につきまして、実施案を起案してまいりました」


「実施案?」


「はい」


 アデライードは雑紙の束を開き、表紙をジェラールへ向けた。


 端正な文字で、表題が記されている。


 明るい家族計画に関する実施案。


 ジェラールは、意味を理解するまでに時間を要した。


「……何だ、これは」


「ただいま殿下が列挙なさった事案を、正式に取りまとめたものでございます」


「取りまとめた?」


「はい。わたくしを正妻、リュシー様を側室として、殿下を含む3名で共同家庭を形成するための実施案ですわ」


 広間から音が消えた。


 誰かが息を呑んだ。


 ジェラールは表題をもう一度読んだ。


 文字は変わらなかった。


「待ってくれ」


「はい」


「君は、リュシーを排除しようとしていたのではないのか」


「なぜでございます?」


「なぜと言われても、リュシーは私を慕っている」


「存じております」


「君は私の婚約者だ」


「存じておりますわ」


「ならば、普通は嫉妬するものではないのか」


 アデライードは、ほんの少し首を傾げた。


「殿下はリュシー様をお嫌いですの?」


「いや」


「わたくしをお嫌いでいらっしゃる?」


「そのようなはずがない」


「リュシー様は、わたくしを嫌っていらっしゃいません」


 背後にいたリュシーが、勢いよく頷いた。


「大好きです」


「ならば、誰か1人を外す必要がございます?」


「あるだろう」


「どなたを?」


 ジェラールは答えられなかった。


 アデライードは雑紙を1枚めくった。


「第1項。アデライード・ド・ヴァランタンを正妻、聖女リュシーを側室として王家へ迎える」


「もう条文化されているのか」


「起案書ですので」


「まだ何も決まっていないだろう」


「ですから雑紙なのですわ。3名の署名と陛下の裁可を得た後、正式な婚姻契約を羊皮紙へ清書いたします」


 内容は常軌を逸している。


 文書作法だけは正しかった。


「それでは」


 ジェラールは額を押さえた。


「君がリュシーを夜ごと自室へ呼びつけていたのは」


「側室候補ご本人との協議のためです」


「朝まで問い詰めたことは?」


「ええ」


 アデライードは扇を開き、口元を隠した。


「身体に、ですが」


 大広間が再び静まり返った。


「……何を?」


「リュシー様のお身体へ、どこまでなら喜んでいただけるのか、丁寧に問いかけましたの」


「それを問い詰めるとは言わない!」


「ですが、回答を得るまで何度も繰り返しましたので」


「アデライード様は、とても熱心でいらっしゃいました」


 リュシーが頬を染めながら補足した。


「リュシー。君を救うための話をしている」


「わたくしは、毎回とても救われておりました」


「何からだ!」


「アデライード様に、何度も天国へ導いていただきましたので」


 列席者の誰かが咳き込んだ。


 アデライードの頬も赤くなる。


「リュシー様。相性に問題はなかった、とだけご報告くだされば十分ですわ」


「ですが、殿下が正直に話せと」


「表現の程度というものがございますの」


「天国?」


 ジェラールは掠れた声で尋ねた。


「祈祷の話か?」


「いいえ」


「治癒の最中に、臨死体験をしたのか?」


「とても元気でした」


「では、何の天国だ」


「殿下」


 アデライードが扇の向こうから言った。


「これ以上は、皆様の前でお尋ねになることではございませんわ」


「なぜ君が赤くなる」


「まあ、それはお互い様ですけれども」


「お互いなのか!」


 ジェラールの声が裏返った。


 リュシーは嬉しそうに頷いた。


「はい。アデライード様は、いつもはあれほど凛としていらっしゃいますのに、最後にはわたくしの名前しか――」


「リュシー様」


「はい」


「その情報は、共同家庭形成の審議に不要です」


「相性を示す重要な事実では?」


「重要でも、公表してよいとは限りませんの!」


 アデライードが珍しく声を乱した。


 ジェラールは、2人を交互に見た。


「では、口を塞いだという証言は」


「声が外へ漏れますと、侍女たちが心配いたしますので」


「そのたび、口づけで?」


「はい」


「一方的に?」


「いいえ」


 アデライードが答えるより早く、リュシーが口を開いた。


「わたくしも、アデライード様のお声が大きくなったときには、同じようにいたしました」


「お互いなのか!」


「先ほどから、そのように申し上げておりますわ」


「では、泣き声は」


「幸せでしたので」


「幸せで、あれほど泣くのか?」


 リュシーは少し考えた。


「アデライード様がお上手ですから」


「リュシー様。その評価は公表なさらなくて結構です」


「では、書面だけに記載します」


「記載もしなくてよろしいですわ」


「すでに実施記録へ書きました」


 ジェラールがアデライードを見る。


「実施記録があるのか」


「相性確認の結果を起案へ反映する必要がございますので」


「なぜ、そのようなところだけ正確なのだ」


「行政手続きですもの」


「行政手続きではない!」


「共同家庭形成に必要な事前確認です」


「言い換えただけだ!」


 ジェラールは、最後の不穏な証言を思い出した。


「翌朝、リュシーが歩けなかったのは」


「相性確認の結果でございます」


「アデライード様は、とても研究熱心で」


「研究と呼ぶな!」


「条件を変えて、何度も再現性を確認なさいました」


「リュシー様も積極的でしたでしょう?」


「はい。途中から何回目か分からなくなりました」


「数える必要があるとは教わっておりませんでしたので」


「翌朝、記録をご覧になって驚いていらしたでしょう?」


「……何回でした?」


「この場で確認なさるおつもり?」


 国王が片手を上げた。


「そこから先は、王家の会議で扱う内容ではない」


「父上、すでに十分扱っております」


「それ以上は扱いたくないという意味だ」


 ジェラールは目を閉じた。


 彼とリュシーは、これまで清らかな関係を守ってきた。


 庭園を歩き、花を眺め、互いの幸福を祈った。


 手が触れただけで、リュシーは頬を染めた。


 ジェラールには婚約者がいた。


 だから、越えてはならない線を守った。


 リュシーもまた、それを理解してくれているのだと思っていた。


「なぜ、私とは手をつなぐだけだったのだ」


 思わず漏れた問いに、リュシーは不思議そうな顔をした。


「殿下には婚約者がいらっしゃいましたので」


「その婚約者とは、なぜよいと思った」


「ご本人でしたので」


 何ひとつ間違っていないような顔で答えられた。


 アデライードも補足する。


「わたくしの婚約者である殿下と関係を持つには、当然、わたくしと王家の承認が必要です。ですが、わたくし自身と関係を持つことについては、わたくしが承認できますでしょう?」


「理屈としては分かるが」


「では問題ございませんわね」


「感情が追いつかない」


「そちらにつきましては、時間をかけてご理解くださいませ」


 アデライードは起案書を開いた。


「正妻候補および側室候補は、相互の親愛ならびに身体的相性について複数回確認し、双方合意のうえ良好であると判断した」


 ジェラールは、その一文を読み上げた。


「複数回」


「はい」


「確認したのか」


「はい」


「何回だ」


 リュシーが指を折り始めた。


「リュシー様。数えなくて結構ですわ」


「ですが、殿下も今後は当事者になりますので、情報を共有した方が」


「その情報は共有しなくてよい!」


 ジェラールは自分で叫んでから、少し考えた。


「いや、待て。まったく不要とも言い切れない」


「殿下?」


「私も、その家庭へ入るのだろう」


「ええ」


「ならば、既存の関係について知る権利はあるはずだ」


 アデライードとリュシーが顔を見合わせた。


 どちらも嬉しそうだった。


「殿下も、ご加入くださるおつもりなのですね」


「まだ決裁していない!」


「では、続きをご説明いたしますわ」


 アデライードは次の雑紙を広げた。


「第2項。3名は同一宮に居住し、それぞれの私室、共有居間および共同寝室を設ける」


「共同寝室」


「リュシー様からのご提案です」


「家族になるのに、寝室が別々では寂しいと思いまして」


「私の意見は」


「今、伺っております」


「もう寝台まで選んでいるのではないか」


「はい」


「なぜ王太子宮の搬入口まで調査した」


「3名で使用できる寝台が、通常の扉を通らなかったためですわ」


「通らなかった?」


「壁を一部外せば搬入可能との回答でした」


「工事の見積もりまで取ったのか!」


「決裁後、速やかに実施できるよう準備しております」


「私が断った場合は」


「発注いたしません」


「そこは正しいな」


 次の項目は、3名の公務分担だった。


 アデライードは政務、外交、王宮運営。


 リュシーは治癒、神殿折衝、公衆衛生。


 ジェラールは王務全般と3名の職務調整を担う。


「リュシー様は行政文書と礼法を学んでいる途中ですので、当面はわたくしが補佐いたします」


「アデライード様は、とても丁寧に教えてくださいます」


「朝までか?」


「夜は別のことを教わっております」


「聞いた私が悪かった」


 アデライードは別紙を取り出した。


「続いて、第5項。正妻および側室は、可能な限り近い時期に子を授かることを希望する」


「近い時期?」


「できれば同じ月がよろしいですわね」


 リュシーが身を乗り出した。


「同じ日に産めたら、双子のようで素敵です」


「母親が違うので双子ではない」


「ですが、兄弟姉妹でしょう?」


「そこは否定していない」


 リュシーはアデライードへ顔を向けた。


「どうせなら、一緒に産みたくないですか?」


「ええ。わたくしも同じ考えですわ」


 ジェラールは、子ども6人分の試算を思い出した。


「リュシーに6人も産ませるつもりだったのか」


「いいえ」


 アデライードは即座に訂正した。


「わたくしと3人ずつですわ」


「訂正によって安心できると思ったのか?」


「基本案でございます。状況に応じて再協議いたします」


「増える可能性もあるのか」


「減る可能性もございます」


「増える方を先に否定してくれ」


「将来の希望まで否定することはできませんわ」


 アデライードは、さらに別紙を差し出した。


「王家の主要行事、神殿祭祀、わたくしの公務予定を確認した結果、今月から準備を始めるのが最適と判断しております」


「何の準備だ」


「懐妊ですわ」


「広間で言うな!」


「明るい家族計画の審議中ですので、避けては通れません」


「私だけが、今日初めて聞いているのだぞ」


「ですから本日、説明と決裁をお願いしておりますの」


 手続き上は、何ひとつ間違っていない。


 ジェラールの気持ち以外は。


「それで、医務局への照会か」


「はい。同時期の懐妊と出産に対応可能な医療体制を、リュシー様ご本人の同意を得て確認いたしました」


「同日に出産するつもりなのか」


「医務局から、少なくとも2週間はずらすよう助言を受けております」


「医務局は内容に疑問を持たなかったのか」


「照会事項へ正確に回答してくださいましたわ」


「優秀だな」


「はい」


「褒めてはいない」


 ジェラールは、起案書の次の項目へ目を落とした。


「第8項。家族間の親愛を目的とする交流は、懐妊を目的とするものに限定しない」


「こちらは、わたくしの提案です」


 リュシーが手を挙げた。


「なぜだ」


「子を授かったあと、急に仲良くするのをやめられたら寂しいですもの」


「私は君を清らかな聖女だと思っていた」


「清らかではないのですか?」


 リュシーは心底驚いた顔をした。


「いいえ、リュシー様」


 アデライードが優しく説明する。


「殿下は、清らかさと欲望が両立しないとお考えなのですわ」


「両方あってはいけないのですか?」


「いいえ。まったく問題ございません」


「では、わたくしは清らかです」


「そうですわね」


「2人だけで話を完結させるな」


 アデライードは最後の頁を開いた。


「第12項。本案は、王太子殿下、王太子妃候補および聖女の3名が署名した時点をもって施行する」


「即時か」


「はい」


「婚姻式は」


「正式な婚姻契約は、国王陛下の裁可後、羊皮紙へ清書いたします。ですが、3名による私的な共同家庭の形成は先行して開始可能です」


「先行して、何を始める」


「第13項ですわ」


 ジェラールは読み上げた。


「施行当日、3名は共同家庭の成立を確認するため、初夜を執り行う」


 その下にも続きがある。


「第14項。初夜は3名同席とし、施行順は正妻、側室の順とする」


 ジェラールは顔を上げた。


「施行順とは何だ」


「わたくしが先、リュシー様が後でございます」


「意味は分かる。なぜ起案書に書いた」


「最初から順番でもめるのは、家庭円満によくないと思いまして」


 リュシーが真剣に答えた。


「その点だけ、妙に慎重だな」


「大切なことです」


「私は今、断罪をしていたはずなのだが」


「その件でしたら」


 アデライードは国王へ視線を向けた。


「陛下。聖女リュシー様への虐待の事実はございましたか?」


 国王は、長い沈黙のあとでリュシーへ尋ねた。


「聖女。そなたは、アデライード嬢から不当な扱いを受けたか」


「いいえ」


「夜ごと呼び出されたことを、苦痛に感じていたのではないのか」


「毎晩、とても楽しみにしておりました」


「朝まで問い詰められたことも?」


「何度も正直にお答えしました」


「身体で、か」


「はい」


「もうよい」


 国王は額を押さえた。


「口を塞がれ、泣かされ、歩けなくされたことも、すべて双方合意のうえか」


「はい。わたくしもアデライード様を泣かせ、口を塞ぎ、翌朝起き上がれなくしたことがございます」


「お互い様なのだな」


「とても仲良しです」


「そうであろうな」


 国王はジェラールを見た。


「虐待の事実は認められない。断罪は不成立だ」


「父上」


「ただし、この起案については別件である」


「別件として審議を続けるのですか」


「そなたが続けたそうな顔をしている」


 ジェラールは、アデライードとリュシーを見た。


 アデライードは、幼い頃から彼を支えてきた。


 リュシーは、彼に清らかな好意を向けてくれた。


 その好意が偽物だったわけではない。


 ただ、清らかな好意の隣で、アデライードとの爛れた恋も育てていただけである。


「確認したい」


「はい」


 アデライードが答えた。


「私が拒否した場合は」


「本案は廃案ですわ」


「私と君の婚約は」


「殿下が望まれるなら、婚約解消について別途協議いたします」


「リュシーは」


「わたくしは、アデライード様と一緒におります」


 リュシーは即答した。


「私とは?」


「殿下のことも大好きです」


「どちらか選べと言われたら」


「選びません」


 迷いがなかった。


「3人では、いけませんか?」


 ジェラールは息を吐いた。


「ずるい質問だ」


「申し訳ございません」


「謝るな。断りづらくなる」


「では、謝りません」


「そういう素直さではない」


 ジェラールは起案書を最初から読み直した。


 役割分担は合理的だった。


 王宮内の居室も確保できる。


 子どもの養育計画にも無理はない。


 アデライードとリュシーの意思は確認済み。


 問題があるとすれば、第13項以降である。


 別紙には、初夜における相性確認項目まで添付されていた。


 機能発現時の硬度。


 持続率。


 反復能力。


 奥到達率。


「誰が、この別紙を作った」


「わたくしが項目を挙げ、リュシー様と協議して整理いたしました」


「君たち2人には不要な項目が含まれているな」


「殿下を迎えるための確認項目ですので」


「私だけ未確認なのか」


「はい」


 ジェラールは2人を順番に見た。


 完璧な婚約者。


 清らかな聖女。


 どちらも頬を染め、彼の回答を待っている。


「随分と侮られたものだ」


 ジェラールは胸を張った。


「君たち2人を前にして、私が応えられぬとでも思っているのか?」


 言った瞬間、広間が静まった。


 アデライードが扇を閉じる。


「まあ」


 リュシーは頬をさらに赤くして、嬉しそうに微笑んだ。


「では、機能発現については確認済みとしてよろしいでしょうか」


「今の発言だけで決裁するな」


「殿下ご本人による強い肯定ですもの」


 アデライードが雑紙の余白へ書き込む。


 機能発現について、本人より強い肯定あり。初夜に実地確認。


「強い肯定と書くな」


「通常の肯定より強いご発言でしたので」


「消してくれ」


「事実と異なる修正はできませんわ」


 リュシーが続けて尋ねた。


「持続率はいかがでしょう」


「不足はない」


「反復能力は?」


 ジェラールは、ここで黙るべきだった。


 だが、アデライードとリュシーの前で能力を疑われたまま引き下がれるほど、王太子の矜持は柔軟ではない。


「必要なだけ応じる」


 2人の目が輝いた。


「必要なだけ、とおっしゃいましたわね」


「伺いました」


「待て。必要回数を決めるのは誰だ」


「必要とする側の意見を尊重すべきでしょう?」


「3名で協議ではないのか」


「もちろん、殿下がお嫌なら中止いたします」


 アデライードは、まっすぐジェラールを見た。


 逃げ道を塞ぐためではない。


 本当に、彼が嫌ならやめるつもりなのだ。


 リュシーも期待を隠せない顔をしているが、返事を急かさなかった。


 ジェラールは羽根ペンを取った。


「休止条件について、1項追加したい」


「内容を伺いますわ」


「3名のうち誰か1人でも継続困難と判断した場合、直ちに休止する」


「異議ございません」


「わたくしも賛成です」


「それから、翌日の公務に支障を出さない」


「聖女であるわたくしが責任をもって治癒いたします」


「治癒を前提に回数を増やしてはならない」


 リュシーが目を逸らした。


「なぜ目を逸らした」


「まだ何も申し上げておりません」


「考えたな」


「少しだけ」


 修正を書き加えた。


 アデライードが署名した。


 リュシーが署名した。


 最後にジェラールが署名する。


 文書官が3名の署名を確認した。


「本案は、ただいまをもって施行されます」


 広間に安堵の空気が流れた。


 ジェラールも羽根ペンを置いた。


「これで今日の協議は終了だな」


「何をおっしゃっておりますの?」


 アデライードが右腕を取った。


 リュシーが左腕を取った。


「第13項です」


「今はまだ夕刻だ」


「移動、入浴、夕食を終える頃には夜となりますわ」


「そこまで逆算していたのか」


「共同寝室も整えてございます」


「いつの間に」


「本案が決裁された場合に備えた仮準備です」


「寝衣も選びました」


 リュシーが嬉しそうに言った。


「私の分も?」


「はい」


「なぜ寸法を知っている」


「王太子妃教育の資料にございました」


「王家は何を教えているんだ」


 2人に連れられていくジェラールを、貴族たちが呆然と見送った。


 誰かが王妃へ尋ねた。


「殿下は、処罰されるのでしょうか」


「いいえ」


 王妃は悠然と茶を飲んだ。


「本人が署名した本案の施行です」


 共同寝室へ入ってから、ジェラールは改めて理解した。


 彼を迎える前から、アデライードとリュシーの関係は完成している。


 昼のアデライードは、どのような相手を前にしても姿勢を崩さない。


 声を荒らげることもない。


 リュシーが王宮の礼法を間違えても、見下すことなく、理解できるまで何度でも教える。


 そのアデライードが、リュシーに触れられ、次第に余裕を失っていく。


 整った言葉が途切れる。


 扇を持つ指が震える。


 最後には、聖女の名しか呼べなくなる。


 リュシーは、その姿をうっとりと見つめていた。


「とても可愛らしいでしょう?」


「私の婚約者なのだが」


「今は、わたくしの正妻でもあります」


「まだ正式な婚姻契約は羊皮紙になっていない」


「本案は施行済みです」


「その言葉を夜まで持ち込むな」


 やがてアデライードが息を整えた。


 今度は、彼女がリュシーへ手を伸ばす。


 清らかな聖女は、始まると途端に数を数えられなくなった。


「今、何度目ですの?」


「分かりません」


「先ほどまで数えていらしたでしょう?」


「アデライード様のせいで忘れました」


「では、最初から数え直しましょうか」


「はい」


「待て」


 ジェラールは割り込んだ。


「それは数え直しではなく追加だろう」


「殿下は計算がお得意ですのね」


「王太子だからな!」


 アデライードとリュシーは、互いの崩し方を熟知していた。


 その完成済みの2人が、今度は同時にジェラールを見た。


「では、殿下の確認へ移りましょうか」


「随分と待たされたものだ」


「お待ちくださっていたのですね」


「違う。私は施行順を確認しているだけだ」


「正妻、側室の順でございます」


「分かっている」


 治癒を挟まない状態での基礎能力については、正妻2回、側室2回。


 合計4回を確認することになった。


 リュシーが真剣な顔で尋ねる。


「確認ですが、わたくしによる回復を挟むことが前提でしょうか?」


「なぜ、その確認が必要になる」


「自然状態での反復能力と、治癒後の再稼働能力では評価が変わりますので」


「再稼働と言うな」


「では、回復を挟まず、正妻2回、側室2回。合計4回という理解でよろしいですか?」


「それで構わない」


 ジェラールは即答した。


 アデライードが寝台脇の雑紙へ書き込む。


「基礎反復能力について、治癒支援なしで合計4回を申告、と」


「なぜ申告にする」


「殿下ご自身で設定なさいましたので」


「達成する前から記録するな」


「未達の場合は訂正いたします」


「達成する!」


 ジェラールは、自分で退路を塞いだ。


 そして正妻2回、側室2回。


 治癒を一度も受けず、合計4回を完遂した。


「……どうだ」


 寝台へ沈みながらも、王太子の声には誇りが残っていた。


「申告に偽りはなかっただろう」


 アデライードが実施記録を見る。


「ええ。基礎反復能力は十分ですわ」


 リュシーも満足そうに頷いた。


「では、次は治癒後の再稼働能力ですね」


「待て」


 聖女の手が淡い光を帯びた。


「何を治そうとしている」


「疲労です」


「検証は終わったのではないのか」


「治癒支援なしの項目は終了しました」


「支援ありの項目を始めるな!」


「ですが、評価が変わりますので」


 温かな光がジェラールの全身を包んだ。


 重かった身体から疲労が抜け、失われていた活力が戻ってくる。


 ジェラールは、自分の状態を確かめるように視線を下げた。


「……戻ったぞ」


 アデライードも視線を向ける。


 しばらく確認したあと、平然と言った。


「まあまあですわね」


「完全に回復した直後の評価が、それなのか?」


「先ほどよりはよろしいかと」


「先ほどは限界まで働いた後だ!」


 リュシーも真剣な顔で覗き込む。


「硬度は回復しております。ただし、治癒直後ですので、持続率はまだ分かりません」


「分からなくていい。もう寝かせてくれ」


「では、確認いたしましょう」


「なぜそうなる!」


 アデライードが雑紙へ、暫定と書き込んだ。


 ジェラールはその文字を見た。


「まあまあで終わらせるつもりはない」


 2人の顔が輝いた。


「では、再評価を」


「正妻3回、側室3回ですね」


「待て。私は評価を上げると言っただけで、回数には同意していない」


「最終実績を5回ずつに揃えるには、あと3回ずつ必要ですわ」


「なぜ5回ずつに揃える」


「公平性です」


「公平という言葉を、私への負担増に使うな!」


 だが、アデライードの評価を「まあまあ」のまま残しておくこともできなかった。


 ジェラールは再び、自分で退路を塞いだ。


 初夜の最終実績は、正妻5回、側室5回。


 合計10回となった。


 ジェラールは寝台の中央で、天蓋を見つめていた。


「……これで、初夜の施行は完了だな」


 返事がなかった。


 薄く目を開けると、アデライードとリュシーが彼を挟んだまま、互いを見つめている。


「アデライード様」


「リュシー様」


「待て」


 ジェラールは掠れた声を出した。


「何を始めるつもりだ」


 アデライードが彼の髪を撫でる。


「殿下は、もうお休みくださいませ」


「質問に答えてくれ」


 リュシーが掛布をかけた。


「わたくしたちは、まだ5回ずつではございませんので」


「何の回数を揃えるつもりだ」


「公平性ですわ」


「私を基準に公平を考えるな」


 王太子の瞼は、もう半分閉じていた。


 自分を奪い合うはずだった2人が、彼の向こう側で仲睦まじく寄り添っている。


「……私は必要だったのか?」


「もちろんですわ」


 アデライードが振り返った。


「殿下がいらっしゃらなければ、3人家族にはなりませんもの」


「今、私抜きで成立しているように見える」


「殿下は、見守ってくださっていますでしょう?」


「ほぼ寝ている」


「では、安心して眠れるよう、静かにいたしますね」


「そういう意味ではない」


 言い終える前に、瞼が落ちた。


 しばらくして目を覚ますと、まだ2人の夜は続いていた。


「……まだ終わっていないのか」


「起こしてしまいました?」


「夢かと思っただけだ」


「お休みくださいませ、殿下」


「明朝、起きられるのか」


「もちろんですわ」


 2人が同時に答えた。


「化け物が2人」


「妻が2人です」


 リュシーが優しく訂正した。


 アデライードは、ジェラールの頬へ口づけた。


「殿下の、大切な妻ですわ」


「大切ではある」


 ジェラールは眠りへ落ちながら呟いた。


「だからこそ、1人ずつであってほしかった」


 翌朝。


 アデライードとリュシーは、何事もなかったように身支度を整えていた。


 ジェラールだけが、寝台の中央で天蓋を見つめている。


「殿下」


 アデライードが実施記録を読み上げた。


「基礎反復能力。治癒支援なし、正妻2回、側室2回。合計4回」


「声に出して読むな」


「治癒後再稼働能力。正妻3回、側室3回。合計6回」


「再稼働と言うな」


「初夜総実績。正妻5回、側室5回。合計10回」


「合計しなくていい」


「硬度、良好。持続率、後半やや低下。奥到達率、最終的に十分でしたね」


 リュシーが雑紙を覗き込む。


「ええ。総合的には良好ですわ」


「合格にしてくれ」


「まだ初日です」


「経日変化を確認しなければなりませんわ」


「今夜もするつもりか」


「お嫌でしたら中止いたします」


 アデライードが、昨夜と同じようにまっすぐ見つめた。


 リュシーも黙って返事を待つ。


 ジェラールは2人の顔を見た。


「……今夜は、回数を協議する」


「承知いたしました」


「回数を減らすとは言っていないのですね」


「リュシー。余計なところだけ理解が早いな」


 聖女の手が淡い光を帯びた。


 温かな光がジェラールの全身を包む。


 重かった身体から疲労が抜け、枯れ果てていた活力が戻っていく。


「治癒術とは、これほど細かく疲労だけを除けるものだったか」


「昨夜、何度も施術しましたので、少し上達しました」


「実地経験で伸ばすな」


「公務に支障はございません」


「それが一番恐ろしい」


 ジェラールは定刻どおり執務室へ入り、普段どおり決裁を行った。


 アデライードは政務と外交を処理し、リュシーは病人を治し、神殿との折衝を担った。


 誰かの公務が滞ることはなかった。


 昼はアデライードがリュシーへ礼法と行政を教えた。


 夜になると、リュシーは覚えたはずの言葉を忘れたふりをした。


「アデライード様。『反復』とは、何でしたか?」


「同じことを、何度でも繰り返すことですわ」


「殿下で確認すればよいのですね」


「ええ。実例があった方が覚えやすいでしょう」


「なぜ私が教材になる」


 ジェラールが本当に疲れている日は、断ることもできた。


 別室で休むこともできた。


 それでも彼は毎晩、自分の足で共同寝室へ向かった。


 側近に理由を問われたことがある。


「殿下。そこまでお疲れなら、今夜はお休みになっては?」


「アデライードとリュシーに会えなくなる」


「昼間もご一緒でしたが」


「夜は別だ」


「では、救いようがございませんな」


「分かっている」


 共同婚姻の正式な契約書は、その後、羊皮紙へ清書された。


 王太子ジェラール。


 王太子妃アデライード。


 側妃にして聖女リュシー。


 3名の婚姻は、王国史上でも稀に見る円満なものとなった。


 正妻と側室は互いを愛し、王太子を奪い合うことはなかった。


 2人で愛し、2人で可愛がった。


 王太子もまた、2人を等しく愛した。


 毎朝のように枯れてはいたが、聖女の治癒により、政務を一度たりとも滞らせなかった。


 やがて、アデライードとリュシーは希望どおり、近い時期に子を授かった。


 それからも2人は、時期を合わせるようにして子を産み続けた。


 アデライードが5人。


 リュシーも5人。


 合わせて10人の兄弟姉妹である。


 リュシーの5人目の懐妊が判明した日、ジェラールは古い実施記録を取り出した。


「……初夜と同じ数ではないか」


「偶然ですわ」


 アデライードは微笑んだ。


「神の祝福だと思います」


 リュシーも微笑んだ。


「どちらであっても恐ろしい」


 ジェラールは、正妻5回、側室5回と記された雑紙を静かに閉じた。


 母親の違いを理由に争う者は1人もおらず、10人の兄弟姉妹は驚くほど仲が良かった。


 彼らの代で王国の版図が1.5倍に広がったのは、また別の話である。

2夜勤明けでぼんやりしながら、ストックしていた重い話を3本仕上げ、そのあとハイボールを飲みながら作りました。


最近、重いものばかり上げていた気がするので、その反動でひたすらアホくさい話になっております。。


それでも、起案書、決裁、施行、実施記録と、私らしい線は辛うじて残せたのではないかと思います。


お付き合い頂きありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
主要人物三人が全員バカでとてもよかった
3人仲良しで、めでたしめでたし♪
王「息子だけズルい!」 王妃「あらあらあなたの『息子』は私だけでは駄目と?」 王「そんな事は言ってない!」 年の離れた兄弟ができる日も近い! てか出来たよね?
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