断罪の席と伺いましたが、聖女様との明るい家族計画を起案してまいりました
「アデライード・ド・ヴァランタン。君が聖女リュシーへ行った数々の行為について、今日、この場で説明してもらう」
王太子ジェラールの声が、王宮の大広間へ響いた。
国王陛下と王妃陛下。
王国の重臣たち。
神殿の高位聖職者。
そして、王太子の婚約者であるアデライード・ド・ヴァランタン公爵令嬢。
多くの人々が見守るなか、ジェラールは聖女リュシーを背後に庇うように立っていた。
リュシーは白い聖女服の胸元で、両手を固く組んでいる。
俯いた頬は赤い。
怯えているのだ。
少なくとも、ジェラールにはそう見えた。
「まず、君はリュシーを夜ごと自室へ呼びつけていた」
「はい」
アデライードは否定しなかった。
「深夜まで帰さず、何度も朝まで問い詰めたと聞いている」
「ええ。事実ですわ」
「リュシーが声を上げるたび、口を塞いだという証言もある」
「そちらも事実です」
広間に小さなどよめきが広がった。
それでもアデライードは、姿勢ひとつ崩さない。
「君の部屋から、リュシーの泣き声が何度も聞こえたそうだな」
「否定いたしません」
「翌朝、リュシーが1人では歩けず、侍女に支えられて部屋へ戻ったこともある」
「ございましたわね」
非難の囁きが大きくなる。
聖女を夜ごと呼び出し、朝まで問い詰めた。
声を上げれば口を塞ぎ、泣かせ、歩けなくなるまで追い詰めた。
誰が聞いても、悪質な虐待である。
「それだけではない」
ジェラールは続けた。
「君はリュシーへ高価な寝衣を何着も贈った。王宮医務局を使い、彼女の身体について詳細な照会まで行っている」
「はい」
「私の公務予定を朝から夜まで調べ、王太子宮の寝室と空き部屋を確認した」
「そのとおりですわ」
「まだ婚姻すらしていないというのに、将来生まれる子ども6人分の養育費まで試算したという報告もある」
「乳母、侍女、家庭教師の人件費も含めて算出しております」
あまりにも平然とした回答だった。
何を問われても、アデライードは事実だと認める。
言い逃れひとつしない。
それがかえって、ジェラールには恐ろしく思えた。
「アデライード」
彼は、幼い頃から隣にいた婚約者の顔を見つめた。
王太子妃教育を完璧にこなし、どのような場でも取り乱さない女性だった。
ジェラールは、今も彼女を愛している。
だからこそ、信じたかった。
「君にも、何か事情があったのだろう。今ならまだ間に合う。リュシーへ謝罪し、すべてを正直に話してくれ」
「正直に、でございますか?」
「ああ」
「承知いたしました」
アデライードは、傍らに控えていた侍女へ目を向けた。
侍女が差し出したのは、雑紙を紐で綴じた分厚い束だった。
羊皮紙ではない。
王家の正式な契約書でも、貴族間の誓約書でもない。
行政手続きや試算、決裁前の起案に用いる雑紙である。
「申し開きではございませんが、ご指摘いただいた件につきまして、実施案を起案してまいりました」
「実施案?」
「はい」
アデライードは雑紙の束を開き、表紙をジェラールへ向けた。
端正な文字で、表題が記されている。
明るい家族計画に関する実施案。
ジェラールは、意味を理解するまでに時間を要した。
「……何だ、これは」
「ただいま殿下が列挙なさった事案を、正式に取りまとめたものでございます」
「取りまとめた?」
「はい。わたくしを正妻、リュシー様を側室として、殿下を含む3名で共同家庭を形成するための実施案ですわ」
広間から音が消えた。
誰かが息を呑んだ。
ジェラールは表題をもう一度読んだ。
文字は変わらなかった。
「待ってくれ」
「はい」
「君は、リュシーを排除しようとしていたのではないのか」
「なぜでございます?」
「なぜと言われても、リュシーは私を慕っている」
「存じております」
「君は私の婚約者だ」
「存じておりますわ」
「ならば、普通は嫉妬するものではないのか」
アデライードは、ほんの少し首を傾げた。
「殿下はリュシー様をお嫌いですの?」
「いや」
「わたくしをお嫌いでいらっしゃる?」
「そのようなはずがない」
「リュシー様は、わたくしを嫌っていらっしゃいません」
背後にいたリュシーが、勢いよく頷いた。
「大好きです」
「ならば、誰か1人を外す必要がございます?」
「あるだろう」
「どなたを?」
ジェラールは答えられなかった。
アデライードは雑紙を1枚めくった。
「第1項。アデライード・ド・ヴァランタンを正妻、聖女リュシーを側室として王家へ迎える」
「もう条文化されているのか」
「起案書ですので」
「まだ何も決まっていないだろう」
「ですから雑紙なのですわ。3名の署名と陛下の裁可を得た後、正式な婚姻契約を羊皮紙へ清書いたします」
内容は常軌を逸している。
文書作法だけは正しかった。
「それでは」
ジェラールは額を押さえた。
「君がリュシーを夜ごと自室へ呼びつけていたのは」
「側室候補ご本人との協議のためです」
「朝まで問い詰めたことは?」
「ええ」
アデライードは扇を開き、口元を隠した。
「身体に、ですが」
大広間が再び静まり返った。
「……何を?」
「リュシー様のお身体へ、どこまでなら喜んでいただけるのか、丁寧に問いかけましたの」
「それを問い詰めるとは言わない!」
「ですが、回答を得るまで何度も繰り返しましたので」
「アデライード様は、とても熱心でいらっしゃいました」
リュシーが頬を染めながら補足した。
「リュシー。君を救うための話をしている」
「わたくしは、毎回とても救われておりました」
「何からだ!」
「アデライード様に、何度も天国へ導いていただきましたので」
列席者の誰かが咳き込んだ。
アデライードの頬も赤くなる。
「リュシー様。相性に問題はなかった、とだけご報告くだされば十分ですわ」
「ですが、殿下が正直に話せと」
「表現の程度というものがございますの」
「天国?」
ジェラールは掠れた声で尋ねた。
「祈祷の話か?」
「いいえ」
「治癒の最中に、臨死体験をしたのか?」
「とても元気でした」
「では、何の天国だ」
「殿下」
アデライードが扇の向こうから言った。
「これ以上は、皆様の前でお尋ねになることではございませんわ」
「なぜ君が赤くなる」
「まあ、それはお互い様ですけれども」
「お互いなのか!」
ジェラールの声が裏返った。
リュシーは嬉しそうに頷いた。
「はい。アデライード様は、いつもはあれほど凛としていらっしゃいますのに、最後にはわたくしの名前しか――」
「リュシー様」
「はい」
「その情報は、共同家庭形成の審議に不要です」
「相性を示す重要な事実では?」
「重要でも、公表してよいとは限りませんの!」
アデライードが珍しく声を乱した。
ジェラールは、2人を交互に見た。
「では、口を塞いだという証言は」
「声が外へ漏れますと、侍女たちが心配いたしますので」
「そのたび、口づけで?」
「はい」
「一方的に?」
「いいえ」
アデライードが答えるより早く、リュシーが口を開いた。
「わたくしも、アデライード様のお声が大きくなったときには、同じようにいたしました」
「お互いなのか!」
「先ほどから、そのように申し上げておりますわ」
「では、泣き声は」
「幸せでしたので」
「幸せで、あれほど泣くのか?」
リュシーは少し考えた。
「アデライード様がお上手ですから」
「リュシー様。その評価は公表なさらなくて結構です」
「では、書面だけに記載します」
「記載もしなくてよろしいですわ」
「すでに実施記録へ書きました」
ジェラールがアデライードを見る。
「実施記録があるのか」
「相性確認の結果を起案へ反映する必要がございますので」
「なぜ、そのようなところだけ正確なのだ」
「行政手続きですもの」
「行政手続きではない!」
「共同家庭形成に必要な事前確認です」
「言い換えただけだ!」
ジェラールは、最後の不穏な証言を思い出した。
「翌朝、リュシーが歩けなかったのは」
「相性確認の結果でございます」
「アデライード様は、とても研究熱心で」
「研究と呼ぶな!」
「条件を変えて、何度も再現性を確認なさいました」
「リュシー様も積極的でしたでしょう?」
「はい。途中から何回目か分からなくなりました」
「数える必要があるとは教わっておりませんでしたので」
「翌朝、記録をご覧になって驚いていらしたでしょう?」
「……何回でした?」
「この場で確認なさるおつもり?」
国王が片手を上げた。
「そこから先は、王家の会議で扱う内容ではない」
「父上、すでに十分扱っております」
「それ以上は扱いたくないという意味だ」
ジェラールは目を閉じた。
彼とリュシーは、これまで清らかな関係を守ってきた。
庭園を歩き、花を眺め、互いの幸福を祈った。
手が触れただけで、リュシーは頬を染めた。
ジェラールには婚約者がいた。
だから、越えてはならない線を守った。
リュシーもまた、それを理解してくれているのだと思っていた。
「なぜ、私とは手をつなぐだけだったのだ」
思わず漏れた問いに、リュシーは不思議そうな顔をした。
「殿下には婚約者がいらっしゃいましたので」
「その婚約者とは、なぜよいと思った」
「ご本人でしたので」
何ひとつ間違っていないような顔で答えられた。
アデライードも補足する。
「わたくしの婚約者である殿下と関係を持つには、当然、わたくしと王家の承認が必要です。ですが、わたくし自身と関係を持つことについては、わたくしが承認できますでしょう?」
「理屈としては分かるが」
「では問題ございませんわね」
「感情が追いつかない」
「そちらにつきましては、時間をかけてご理解くださいませ」
アデライードは起案書を開いた。
「正妻候補および側室候補は、相互の親愛ならびに身体的相性について複数回確認し、双方合意のうえ良好であると判断した」
ジェラールは、その一文を読み上げた。
「複数回」
「はい」
「確認したのか」
「はい」
「何回だ」
リュシーが指を折り始めた。
「リュシー様。数えなくて結構ですわ」
「ですが、殿下も今後は当事者になりますので、情報を共有した方が」
「その情報は共有しなくてよい!」
ジェラールは自分で叫んでから、少し考えた。
「いや、待て。まったく不要とも言い切れない」
「殿下?」
「私も、その家庭へ入るのだろう」
「ええ」
「ならば、既存の関係について知る権利はあるはずだ」
アデライードとリュシーが顔を見合わせた。
どちらも嬉しそうだった。
「殿下も、ご加入くださるおつもりなのですね」
「まだ決裁していない!」
「では、続きをご説明いたしますわ」
アデライードは次の雑紙を広げた。
「第2項。3名は同一宮に居住し、それぞれの私室、共有居間および共同寝室を設ける」
「共同寝室」
「リュシー様からのご提案です」
「家族になるのに、寝室が別々では寂しいと思いまして」
「私の意見は」
「今、伺っております」
「もう寝台まで選んでいるのではないか」
「はい」
「なぜ王太子宮の搬入口まで調査した」
「3名で使用できる寝台が、通常の扉を通らなかったためですわ」
「通らなかった?」
「壁を一部外せば搬入可能との回答でした」
「工事の見積もりまで取ったのか!」
「決裁後、速やかに実施できるよう準備しております」
「私が断った場合は」
「発注いたしません」
「そこは正しいな」
次の項目は、3名の公務分担だった。
アデライードは政務、外交、王宮運営。
リュシーは治癒、神殿折衝、公衆衛生。
ジェラールは王務全般と3名の職務調整を担う。
「リュシー様は行政文書と礼法を学んでいる途中ですので、当面はわたくしが補佐いたします」
「アデライード様は、とても丁寧に教えてくださいます」
「朝までか?」
「夜は別のことを教わっております」
「聞いた私が悪かった」
アデライードは別紙を取り出した。
「続いて、第5項。正妻および側室は、可能な限り近い時期に子を授かることを希望する」
「近い時期?」
「できれば同じ月がよろしいですわね」
リュシーが身を乗り出した。
「同じ日に産めたら、双子のようで素敵です」
「母親が違うので双子ではない」
「ですが、兄弟姉妹でしょう?」
「そこは否定していない」
リュシーはアデライードへ顔を向けた。
「どうせなら、一緒に産みたくないですか?」
「ええ。わたくしも同じ考えですわ」
ジェラールは、子ども6人分の試算を思い出した。
「リュシーに6人も産ませるつもりだったのか」
「いいえ」
アデライードは即座に訂正した。
「わたくしと3人ずつですわ」
「訂正によって安心できると思ったのか?」
「基本案でございます。状況に応じて再協議いたします」
「増える可能性もあるのか」
「減る可能性もございます」
「増える方を先に否定してくれ」
「将来の希望まで否定することはできませんわ」
アデライードは、さらに別紙を差し出した。
「王家の主要行事、神殿祭祀、わたくしの公務予定を確認した結果、今月から準備を始めるのが最適と判断しております」
「何の準備だ」
「懐妊ですわ」
「広間で言うな!」
「明るい家族計画の審議中ですので、避けては通れません」
「私だけが、今日初めて聞いているのだぞ」
「ですから本日、説明と決裁をお願いしておりますの」
手続き上は、何ひとつ間違っていない。
ジェラールの気持ち以外は。
「それで、医務局への照会か」
「はい。同時期の懐妊と出産に対応可能な医療体制を、リュシー様ご本人の同意を得て確認いたしました」
「同日に出産するつもりなのか」
「医務局から、少なくとも2週間はずらすよう助言を受けております」
「医務局は内容に疑問を持たなかったのか」
「照会事項へ正確に回答してくださいましたわ」
「優秀だな」
「はい」
「褒めてはいない」
ジェラールは、起案書の次の項目へ目を落とした。
「第8項。家族間の親愛を目的とする交流は、懐妊を目的とするものに限定しない」
「こちらは、わたくしの提案です」
リュシーが手を挙げた。
「なぜだ」
「子を授かったあと、急に仲良くするのをやめられたら寂しいですもの」
「私は君を清らかな聖女だと思っていた」
「清らかではないのですか?」
リュシーは心底驚いた顔をした。
「いいえ、リュシー様」
アデライードが優しく説明する。
「殿下は、清らかさと欲望が両立しないとお考えなのですわ」
「両方あってはいけないのですか?」
「いいえ。まったく問題ございません」
「では、わたくしは清らかです」
「そうですわね」
「2人だけで話を完結させるな」
アデライードは最後の頁を開いた。
「第12項。本案は、王太子殿下、王太子妃候補および聖女の3名が署名した時点をもって施行する」
「即時か」
「はい」
「婚姻式は」
「正式な婚姻契約は、国王陛下の裁可後、羊皮紙へ清書いたします。ですが、3名による私的な共同家庭の形成は先行して開始可能です」
「先行して、何を始める」
「第13項ですわ」
ジェラールは読み上げた。
「施行当日、3名は共同家庭の成立を確認するため、初夜を執り行う」
その下にも続きがある。
「第14項。初夜は3名同席とし、施行順は正妻、側室の順とする」
ジェラールは顔を上げた。
「施行順とは何だ」
「わたくしが先、リュシー様が後でございます」
「意味は分かる。なぜ起案書に書いた」
「最初から順番でもめるのは、家庭円満によくないと思いまして」
リュシーが真剣に答えた。
「その点だけ、妙に慎重だな」
「大切なことです」
「私は今、断罪をしていたはずなのだが」
「その件でしたら」
アデライードは国王へ視線を向けた。
「陛下。聖女リュシー様への虐待の事実はございましたか?」
国王は、長い沈黙のあとでリュシーへ尋ねた。
「聖女。そなたは、アデライード嬢から不当な扱いを受けたか」
「いいえ」
「夜ごと呼び出されたことを、苦痛に感じていたのではないのか」
「毎晩、とても楽しみにしておりました」
「朝まで問い詰められたことも?」
「何度も正直にお答えしました」
「身体で、か」
「はい」
「もうよい」
国王は額を押さえた。
「口を塞がれ、泣かされ、歩けなくされたことも、すべて双方合意のうえか」
「はい。わたくしもアデライード様を泣かせ、口を塞ぎ、翌朝起き上がれなくしたことがございます」
「お互い様なのだな」
「とても仲良しです」
「そうであろうな」
国王はジェラールを見た。
「虐待の事実は認められない。断罪は不成立だ」
「父上」
「ただし、この起案については別件である」
「別件として審議を続けるのですか」
「そなたが続けたそうな顔をしている」
ジェラールは、アデライードとリュシーを見た。
アデライードは、幼い頃から彼を支えてきた。
リュシーは、彼に清らかな好意を向けてくれた。
その好意が偽物だったわけではない。
ただ、清らかな好意の隣で、アデライードとの爛れた恋も育てていただけである。
「確認したい」
「はい」
アデライードが答えた。
「私が拒否した場合は」
「本案は廃案ですわ」
「私と君の婚約は」
「殿下が望まれるなら、婚約解消について別途協議いたします」
「リュシーは」
「わたくしは、アデライード様と一緒におります」
リュシーは即答した。
「私とは?」
「殿下のことも大好きです」
「どちらか選べと言われたら」
「選びません」
迷いがなかった。
「3人では、いけませんか?」
ジェラールは息を吐いた。
「ずるい質問だ」
「申し訳ございません」
「謝るな。断りづらくなる」
「では、謝りません」
「そういう素直さではない」
ジェラールは起案書を最初から読み直した。
役割分担は合理的だった。
王宮内の居室も確保できる。
子どもの養育計画にも無理はない。
アデライードとリュシーの意思は確認済み。
問題があるとすれば、第13項以降である。
別紙には、初夜における相性確認項目まで添付されていた。
機能発現時の硬度。
持続率。
反復能力。
奥到達率。
「誰が、この別紙を作った」
「わたくしが項目を挙げ、リュシー様と協議して整理いたしました」
「君たち2人には不要な項目が含まれているな」
「殿下を迎えるための確認項目ですので」
「私だけ未確認なのか」
「はい」
ジェラールは2人を順番に見た。
完璧な婚約者。
清らかな聖女。
どちらも頬を染め、彼の回答を待っている。
「随分と侮られたものだ」
ジェラールは胸を張った。
「君たち2人を前にして、私が応えられぬとでも思っているのか?」
言った瞬間、広間が静まった。
アデライードが扇を閉じる。
「まあ」
リュシーは頬をさらに赤くして、嬉しそうに微笑んだ。
「では、機能発現については確認済みとしてよろしいでしょうか」
「今の発言だけで決裁するな」
「殿下ご本人による強い肯定ですもの」
アデライードが雑紙の余白へ書き込む。
機能発現について、本人より強い肯定あり。初夜に実地確認。
「強い肯定と書くな」
「通常の肯定より強いご発言でしたので」
「消してくれ」
「事実と異なる修正はできませんわ」
リュシーが続けて尋ねた。
「持続率はいかがでしょう」
「不足はない」
「反復能力は?」
ジェラールは、ここで黙るべきだった。
だが、アデライードとリュシーの前で能力を疑われたまま引き下がれるほど、王太子の矜持は柔軟ではない。
「必要なだけ応じる」
2人の目が輝いた。
「必要なだけ、とおっしゃいましたわね」
「伺いました」
「待て。必要回数を決めるのは誰だ」
「必要とする側の意見を尊重すべきでしょう?」
「3名で協議ではないのか」
「もちろん、殿下がお嫌なら中止いたします」
アデライードは、まっすぐジェラールを見た。
逃げ道を塞ぐためではない。
本当に、彼が嫌ならやめるつもりなのだ。
リュシーも期待を隠せない顔をしているが、返事を急かさなかった。
ジェラールは羽根ペンを取った。
「休止条件について、1項追加したい」
「内容を伺いますわ」
「3名のうち誰か1人でも継続困難と判断した場合、直ちに休止する」
「異議ございません」
「わたくしも賛成です」
「それから、翌日の公務に支障を出さない」
「聖女であるわたくしが責任をもって治癒いたします」
「治癒を前提に回数を増やしてはならない」
リュシーが目を逸らした。
「なぜ目を逸らした」
「まだ何も申し上げておりません」
「考えたな」
「少しだけ」
修正を書き加えた。
アデライードが署名した。
リュシーが署名した。
最後にジェラールが署名する。
文書官が3名の署名を確認した。
「本案は、ただいまをもって施行されます」
広間に安堵の空気が流れた。
ジェラールも羽根ペンを置いた。
「これで今日の協議は終了だな」
「何をおっしゃっておりますの?」
アデライードが右腕を取った。
リュシーが左腕を取った。
「第13項です」
「今はまだ夕刻だ」
「移動、入浴、夕食を終える頃には夜となりますわ」
「そこまで逆算していたのか」
「共同寝室も整えてございます」
「いつの間に」
「本案が決裁された場合に備えた仮準備です」
「寝衣も選びました」
リュシーが嬉しそうに言った。
「私の分も?」
「はい」
「なぜ寸法を知っている」
「王太子妃教育の資料にございました」
「王家は何を教えているんだ」
2人に連れられていくジェラールを、貴族たちが呆然と見送った。
誰かが王妃へ尋ねた。
「殿下は、処罰されるのでしょうか」
「いいえ」
王妃は悠然と茶を飲んだ。
「本人が署名した本案の施行です」
共同寝室へ入ってから、ジェラールは改めて理解した。
彼を迎える前から、アデライードとリュシーの関係は完成している。
昼のアデライードは、どのような相手を前にしても姿勢を崩さない。
声を荒らげることもない。
リュシーが王宮の礼法を間違えても、見下すことなく、理解できるまで何度でも教える。
そのアデライードが、リュシーに触れられ、次第に余裕を失っていく。
整った言葉が途切れる。
扇を持つ指が震える。
最後には、聖女の名しか呼べなくなる。
リュシーは、その姿をうっとりと見つめていた。
「とても可愛らしいでしょう?」
「私の婚約者なのだが」
「今は、わたくしの正妻でもあります」
「まだ正式な婚姻契約は羊皮紙になっていない」
「本案は施行済みです」
「その言葉を夜まで持ち込むな」
やがてアデライードが息を整えた。
今度は、彼女がリュシーへ手を伸ばす。
清らかな聖女は、始まると途端に数を数えられなくなった。
「今、何度目ですの?」
「分かりません」
「先ほどまで数えていらしたでしょう?」
「アデライード様のせいで忘れました」
「では、最初から数え直しましょうか」
「はい」
「待て」
ジェラールは割り込んだ。
「それは数え直しではなく追加だろう」
「殿下は計算がお得意ですのね」
「王太子だからな!」
アデライードとリュシーは、互いの崩し方を熟知していた。
その完成済みの2人が、今度は同時にジェラールを見た。
「では、殿下の確認へ移りましょうか」
「随分と待たされたものだ」
「お待ちくださっていたのですね」
「違う。私は施行順を確認しているだけだ」
「正妻、側室の順でございます」
「分かっている」
治癒を挟まない状態での基礎能力については、正妻2回、側室2回。
合計4回を確認することになった。
リュシーが真剣な顔で尋ねる。
「確認ですが、わたくしによる回復を挟むことが前提でしょうか?」
「なぜ、その確認が必要になる」
「自然状態での反復能力と、治癒後の再稼働能力では評価が変わりますので」
「再稼働と言うな」
「では、回復を挟まず、正妻2回、側室2回。合計4回という理解でよろしいですか?」
「それで構わない」
ジェラールは即答した。
アデライードが寝台脇の雑紙へ書き込む。
「基礎反復能力について、治癒支援なしで合計4回を申告、と」
「なぜ申告にする」
「殿下ご自身で設定なさいましたので」
「達成する前から記録するな」
「未達の場合は訂正いたします」
「達成する!」
ジェラールは、自分で退路を塞いだ。
そして正妻2回、側室2回。
治癒を一度も受けず、合計4回を完遂した。
「……どうだ」
寝台へ沈みながらも、王太子の声には誇りが残っていた。
「申告に偽りはなかっただろう」
アデライードが実施記録を見る。
「ええ。基礎反復能力は十分ですわ」
リュシーも満足そうに頷いた。
「では、次は治癒後の再稼働能力ですね」
「待て」
聖女の手が淡い光を帯びた。
「何を治そうとしている」
「疲労です」
「検証は終わったのではないのか」
「治癒支援なしの項目は終了しました」
「支援ありの項目を始めるな!」
「ですが、評価が変わりますので」
温かな光がジェラールの全身を包んだ。
重かった身体から疲労が抜け、失われていた活力が戻ってくる。
ジェラールは、自分の状態を確かめるように視線を下げた。
「……戻ったぞ」
アデライードも視線を向ける。
しばらく確認したあと、平然と言った。
「まあまあですわね」
「完全に回復した直後の評価が、それなのか?」
「先ほどよりはよろしいかと」
「先ほどは限界まで働いた後だ!」
リュシーも真剣な顔で覗き込む。
「硬度は回復しております。ただし、治癒直後ですので、持続率はまだ分かりません」
「分からなくていい。もう寝かせてくれ」
「では、確認いたしましょう」
「なぜそうなる!」
アデライードが雑紙へ、暫定と書き込んだ。
ジェラールはその文字を見た。
「まあまあで終わらせるつもりはない」
2人の顔が輝いた。
「では、再評価を」
「正妻3回、側室3回ですね」
「待て。私は評価を上げると言っただけで、回数には同意していない」
「最終実績を5回ずつに揃えるには、あと3回ずつ必要ですわ」
「なぜ5回ずつに揃える」
「公平性です」
「公平という言葉を、私への負担増に使うな!」
だが、アデライードの評価を「まあまあ」のまま残しておくこともできなかった。
ジェラールは再び、自分で退路を塞いだ。
初夜の最終実績は、正妻5回、側室5回。
合計10回となった。
ジェラールは寝台の中央で、天蓋を見つめていた。
「……これで、初夜の施行は完了だな」
返事がなかった。
薄く目を開けると、アデライードとリュシーが彼を挟んだまま、互いを見つめている。
「アデライード様」
「リュシー様」
「待て」
ジェラールは掠れた声を出した。
「何を始めるつもりだ」
アデライードが彼の髪を撫でる。
「殿下は、もうお休みくださいませ」
「質問に答えてくれ」
リュシーが掛布をかけた。
「わたくしたちは、まだ5回ずつではございませんので」
「何の回数を揃えるつもりだ」
「公平性ですわ」
「私を基準に公平を考えるな」
王太子の瞼は、もう半分閉じていた。
自分を奪い合うはずだった2人が、彼の向こう側で仲睦まじく寄り添っている。
「……私は必要だったのか?」
「もちろんですわ」
アデライードが振り返った。
「殿下がいらっしゃらなければ、3人家族にはなりませんもの」
「今、私抜きで成立しているように見える」
「殿下は、見守ってくださっていますでしょう?」
「ほぼ寝ている」
「では、安心して眠れるよう、静かにいたしますね」
「そういう意味ではない」
言い終える前に、瞼が落ちた。
しばらくして目を覚ますと、まだ2人の夜は続いていた。
「……まだ終わっていないのか」
「起こしてしまいました?」
「夢かと思っただけだ」
「お休みくださいませ、殿下」
「明朝、起きられるのか」
「もちろんですわ」
2人が同時に答えた。
「化け物が2人」
「妻が2人です」
リュシーが優しく訂正した。
アデライードは、ジェラールの頬へ口づけた。
「殿下の、大切な妻ですわ」
「大切ではある」
ジェラールは眠りへ落ちながら呟いた。
「だからこそ、1人ずつであってほしかった」
翌朝。
アデライードとリュシーは、何事もなかったように身支度を整えていた。
ジェラールだけが、寝台の中央で天蓋を見つめている。
「殿下」
アデライードが実施記録を読み上げた。
「基礎反復能力。治癒支援なし、正妻2回、側室2回。合計4回」
「声に出して読むな」
「治癒後再稼働能力。正妻3回、側室3回。合計6回」
「再稼働と言うな」
「初夜総実績。正妻5回、側室5回。合計10回」
「合計しなくていい」
「硬度、良好。持続率、後半やや低下。奥到達率、最終的に十分でしたね」
リュシーが雑紙を覗き込む。
「ええ。総合的には良好ですわ」
「合格にしてくれ」
「まだ初日です」
「経日変化を確認しなければなりませんわ」
「今夜もするつもりか」
「お嫌でしたら中止いたします」
アデライードが、昨夜と同じようにまっすぐ見つめた。
リュシーも黙って返事を待つ。
ジェラールは2人の顔を見た。
「……今夜は、回数を協議する」
「承知いたしました」
「回数を減らすとは言っていないのですね」
「リュシー。余計なところだけ理解が早いな」
聖女の手が淡い光を帯びた。
温かな光がジェラールの全身を包む。
重かった身体から疲労が抜け、枯れ果てていた活力が戻っていく。
「治癒術とは、これほど細かく疲労だけを除けるものだったか」
「昨夜、何度も施術しましたので、少し上達しました」
「実地経験で伸ばすな」
「公務に支障はございません」
「それが一番恐ろしい」
ジェラールは定刻どおり執務室へ入り、普段どおり決裁を行った。
アデライードは政務と外交を処理し、リュシーは病人を治し、神殿との折衝を担った。
誰かの公務が滞ることはなかった。
昼はアデライードがリュシーへ礼法と行政を教えた。
夜になると、リュシーは覚えたはずの言葉を忘れたふりをした。
「アデライード様。『反復』とは、何でしたか?」
「同じことを、何度でも繰り返すことですわ」
「殿下で確認すればよいのですね」
「ええ。実例があった方が覚えやすいでしょう」
「なぜ私が教材になる」
ジェラールが本当に疲れている日は、断ることもできた。
別室で休むこともできた。
それでも彼は毎晩、自分の足で共同寝室へ向かった。
側近に理由を問われたことがある。
「殿下。そこまでお疲れなら、今夜はお休みになっては?」
「アデライードとリュシーに会えなくなる」
「昼間もご一緒でしたが」
「夜は別だ」
「では、救いようがございませんな」
「分かっている」
共同婚姻の正式な契約書は、その後、羊皮紙へ清書された。
王太子ジェラール。
王太子妃アデライード。
側妃にして聖女リュシー。
3名の婚姻は、王国史上でも稀に見る円満なものとなった。
正妻と側室は互いを愛し、王太子を奪い合うことはなかった。
2人で愛し、2人で可愛がった。
王太子もまた、2人を等しく愛した。
毎朝のように枯れてはいたが、聖女の治癒により、政務を一度たりとも滞らせなかった。
やがて、アデライードとリュシーは希望どおり、近い時期に子を授かった。
それからも2人は、時期を合わせるようにして子を産み続けた。
アデライードが5人。
リュシーも5人。
合わせて10人の兄弟姉妹である。
リュシーの5人目の懐妊が判明した日、ジェラールは古い実施記録を取り出した。
「……初夜と同じ数ではないか」
「偶然ですわ」
アデライードは微笑んだ。
「神の祝福だと思います」
リュシーも微笑んだ。
「どちらであっても恐ろしい」
ジェラールは、正妻5回、側室5回と記された雑紙を静かに閉じた。
母親の違いを理由に争う者は1人もおらず、10人の兄弟姉妹は驚くほど仲が良かった。
彼らの代で王国の版図が1.5倍に広がったのは、また別の話である。
2夜勤明けでぼんやりしながら、ストックしていた重い話を3本仕上げ、そのあとハイボールを飲みながら作りました。
最近、重いものばかり上げていた気がするので、その反動でひたすらアホくさい話になっております。。
それでも、起案書、決裁、施行、実施記録と、私らしい線は辛うじて残せたのではないかと思います。
お付き合い頂きありがとうございました。




