清爽のハーブと、小さな騎士の誓
エリオットが雪原の彼方へ消え、ロッジにはようやく本当の平穏が戻ってきた。
けれど、室内にはまだ、彼が放った漆黒の魔法陣の焦げ付いた匂いや、重苦しい「悪意」の残滓が澱みのように残っている。
「……よし、みんなでこの嫌な空気を全部追い出しちゃおう!」
メグミが取り出したのは、秋の間に摘んで乾燥させていた「ホワイトセージ」と「ラベンダー」、そして消臭効果の高い「ミント」の束だった。
「ふくちゃーん、スピカ、ハル。これなら嫌じゃないかな?」
メグミが乾燥ハーブを軽く揉むと、清涼感のある、それでいてどこか甘く懐かしい香りがふわりと広がった。ふくちゃんは興味津々で首をかしげ、スピカもその香りを深く吸い込んで、満足そうに鼻を鳴らした。
メグミは、ハーブを煮出した蒸留水に自らの「浄化の魔力」をそっと乗せ、ロッジの隅々まで霧吹きで吹きかけていく。
水滴が床や壁に触れるたび、エリオットが残していった粘りつくような魔力の淀みが、シュワリと白い煙を上げて消えていった。
「わあぁ……! おねえちゃん、空気がキラキラしてる!」
ハルがパタパタと手を振って、窓から入り込む光の中を舞う粒子を追いかける。
仕上げに、メグミは拭き掃除を終えた床に、清浄な魔力を込めた「ワックス(蜜蝋)」を塗り込んだ。ロッジ全体がハーブの爽やかな香りに包まれ、まるで森そのものが呼吸しているかのような心地よい空間へと生まれ変わった。
「(……これで、ようやく私たちの『おうち』に戻ったね)」
掃除を終え、縁側で一息ついていた時だった。
ハルが、カイルの前に立って深々と頭を下げた。
「……カイルさん。僕に、戦い方を教えてください!」
「おや、ハル坊。急にどうしたのですかな?」
カイルが驚いて目を見開く。ハルは小さな拳をぎゅっと握りしめて答えた。
「昨日、僕は怖くてスピカの後ろに隠れることしかできなかった。……でも、おねえちゃんが怒ったのは、僕たちを守ろうとしたからでしょ? だから、次におねえちゃんが困った時は、僕が一番におねえちゃんを守れるようになりたいんだ!」
その言葉に、メグミの胸が熱くなる。
カイルは、ハルの真剣な眼差しを真っ向から受け止めると、豪快に笑って彼の頭を撫でた。
「いいでしょう! 騎士たるもの、守るべき者のために剣を執るのが誉れ。……では、まずは『逃げ方』と『身の守り方』から、特訓開始ですぞ!」
「ピョイイッ!」
負けじと、ふくちゃんがハルの頭に飛び乗った。どうやら「僕がコーチだよ!」と言いたいらしい。スピカもまた、ハルの横に寄り添い、冷たくて美しい氷の角を小さく光らせた。
ハルとカイルが、雪の積もった庭で木刀(のような枝)を振るい始める。
それを見守りながら、メグミはふと、エリオットの残した「魔導書」を手に取った。
「(……王都が動く、か。……カイルさん、この本に何が書いてあるか、後で詳しく教えてね。……次は、追い返して終わりにはさせないから)」
メグミの瞳には、かつての「流されるままの自分」はもういない。
愛する家族を守るため、彼女は聖女としての「知恵」と、自らの強大な「魔力」を正しく御するための特訓を、心静かに決意するのだった。
その頃、王都へと向かう雪道で、エリオットは脂粉まみれの屈辱を噛み締めていた。
彼の懐には、報告用の魔導水晶が怪しく光っている。
「……あの力は、王都の秩序を根底から覆す。……陛下に伝えねばならぬ。……あの『聖女』を、我が国の兵器として、あるいは……永久に封印すべき存在として確保せよ、とな」
聖域の春を前に、新たな火種が王都で静かに燃え上がろうとしていた。




