石豆と、魂の味噌汁
21話
ツリーハウスの生活にもすっかり馴染んだカイルが、ある日、使い古してボロボロになった荷物袋を整理していた。
「聖女様、申し訳ありません。蓄えていた食料はすべて尽き、残っているのは故郷の村で手に入れた『得体の知れない硬い豆』くらいでして……」
カイルが差し出した革袋の底に溜まっていたのは、彼が「石豆」と呼ぶ代物だった。ひび割れて乾燥しきり、真っ黒でゴツゴツとした無骨な豆の群れ。
「……これ、大豆だわ。……えっ、こっちの赤いのは、小豆じゃない!?」
袋の中を覗き込んだメグミは、思わず声を弾ませた。対照的に、カイルは不思議そうに眉をひそめる。
「大豆、小豆……というのですか? 私の故郷ではそれらをまとめて『石豆』と呼び、せいぜい家畜の餌にするか、よほど飢えた時に泥水で煮て、渋い顔をしながら噛みしめる程度のものでして。聖女様がそれほど喜ぶような代物では……」
「ふふふ、カイルさん。これこそが、私の……いえ、日本人の魂の食材なんだから! ふくちゃん、出番だよ!」
「ピョイイッ!」
ふくちゃんが力強く羽ばたくと、黄金の脂粉がキラキラと畑に降り注いだ。そこへ妖精たちが「芽を出せ、膨らめ!」と楽しげに魔法の呪文を唱える。
――ポポポポポンッ!
まるで魔法の杖で叩いたかのように、土を割って鮮やかな緑の芽が噴き出した。一瞬で茎を伸ばし、瑞々しい鞘をたっぷりとつけた豆の群生ができあがる。聖域の力に当てられたのか、大豆や小豆だけでなく、見たこともないほど立派な黒豆やインゲン豆までもが、競い合うように実っていた。
「す、すごすぎる……。私の村では収穫までに数ヶ月はかかるというのに……!」
「何度見ても現実離れしてるよね。本当、農家さん泣かせだわ。……よし! これで『味噌』が作れる! あ、でも本来なら発酵に時間がかかるのよね。まずは保存食から作ろうか」
すると、楽しそうな様子を見ていた妖精たちがストップをかけた。
「発酵なら任せて! 私たちが『爆速発酵魔法』をかけちゃうわ!」
その言葉を聞いたメグミは先に味噌を作ることに
まずは、茹で上げた大豆を石臼で丁寧に潰し、岩塩と、隠し味のリンゴ酵母を混ぜて樽に仕込んだ。そこへ妖精たちが杖を振ると、魔力の渦が樽を包み込む。本来なら数年を要する熟成が、瞬く間に進んでいった。
やがて、芳醇でどこか心落ち着く、あの「お味噌」の香りが漂い始める。
勢いに乗ったメグミたちは、余った「ロックバイソン」の肉や、収穫しすぎた果物も加工し始めた。
「ハル、イチゴとリンゴは薄く切って。妖精さんに頼んで熱風で一気に乾かそう! 『魔法のドライフルーツ』にするんだよ」
「うん、わかった! これでおいしさがギュッてなるんだね!」
カイルも手伝い、肉を薄く切り分ける。岩塩とペッパー・ベリーを刷り込み、石窯の煙で燻して、「黄金の燻製肉」を作り上げた。
「……おお。これなら腐りませんし、噛めば噛むほど旨味が溢れ出してくる。戦場の糧食とは比べものになりません……!」
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その日の夕食。
食卓に並んだのは、炊き立てで一粒一粒が真珠のように輝く「黄金米」と、菜園の野菜がたっぷり入った、湯気の立つ「お味噌汁」だ。
「……聖女様。この、茶色い汁物は一体?」
カイルはおそるおそる、手作りの木製スプーンで汁を啜った。
「…………っ!!」
カイルの体がガタガタと震え出した。
「な、なんという……身体の芯まで染み渡るような、深く、そして温かい味だ……。この『白い米』の甘みと、『茶色の汁』の塩気が、口の中で完璧な調和を奏でている! 私は、今まで何を食べて生きてきたのだぁぁっ!」
カイルは涙を流し、黄金米とお味噌汁を、まるで聖餐を捧げるかのように一心不乱に完食した。
だが、メグミにはまだ「秘密兵器」が残っている。
「はい、これは食後のデザート。
『アンパン風・米粉パン』だよ!」
差し出されたのは、ふかふかの米粉パンの間に、ハチミツでじっくり煮詰めた真っ黒な「小豆のあんこ」を挟んだものだ。
それを見たカイルは、目を見開いて後ずさった。
「……せ、聖女様、お戯れを。これは……何かの『魔物の返り血』か、あるいは『呪われた泥』では……?」
「おじちゃん、これ泥じゃないよ! すっごくおいしいんだから!」
ハルが先にパクりとかぶりつく。カイルは絶望的な表情を浮かべたが、意を決して、戦場へ赴くような覚悟でその「黒い塊」を齧った。
「…………っ!!」
カイルの動きが止まった。
脳を突き抜けるような、強烈で、けれど優しく包み込むような甘美。
この世界には「甘味」という概念が乏しく、せいぜいが果実の甘さ程度なのだ。
「……あ、あ、甘い……。なんという……暴力的なまでに幸福な甘さだ……。これが豆!? 泥ではなく、豆だというのか!? おお、私は今、天国の門を潜り、甘露の海に溺れております……!」
カイルはあんこの魔力に完全にノックアウトされ、恍惚とした表情で膝をついた。もはや騎士としての威厳など微塵もない。
(お味噌に、あんこ。これでもう、カイルさんも一生ここから離れられないわね……。この大豆があれば豆腐も納豆も夢じゃないわ。ふふふ、スローライフが捗りすぎる)
メグミがホクホク顔でアンパンを頬張っていると、ふと、ハルの肩にいるモモが目に留まった。
「……ねえ、ハル。モモ、やっぱり……また一段と『球体』に近づいてない?」
「……聖女様。ハル殿の肩にいるその生き物ですが……昨日より、確実に『横幅』が増しているかと思われます」
カイルが真顔で同意する。
モモは干し肉を両手でしっかりと抱え、以前の倍ほどになった「まん丸」なフォルムで、ふくちゃんの羽毛に埋まって幸せそうに咀嚼していた。
もはや、ふくちゃんの頭に乗っても安定するほどの「もちもちとした黄金の毛玉」に進化を遂げたモモ。ふくちゃんも「よく食う弟子だ」と言わんばかりに、満足げに鼻を鳴らしている。
聖域の夜は、味噌の香りとあんこの甘さに包まれ、どこまでも穏やかに更けていくのだった。




