夜間帰宅制度
死者が夜だけ帰宅する社会。人々はそれを受け入れ、制度として暮らしている。
だがその制度には、決して公表されない禁則があった。
――死者に、死因を知られてはならない。
静かな再会から始まる、制度社会サスペンス短編。
この街では、夜になると死者が帰宅する。
そして今夜、僕の部屋のドアがノックされた。
三回。規則正しく。
時計を見る。午後九時。
ちょうど「帰宅時刻」だった。
この現象が始まったのは二年前だ。
最初の夜、墓地から人が出てきた。
歩いて。普通に。
腐ってもいなければ、透けてもいない。生前の姿のまま。
彼らはそれぞれ自分の家へ帰った。
家族と話し、食事をし、テレビを見て、夜明け前にまた墓へ戻った。
パニックは三日で終わった。
一週間後にはニュース特集になり、
一か月後には観光資源になり、
半年後には制度になった。
政府発表名称――
夜間帰宅制度
⸻
ノックがまた鳴った。
僕はドアを開けた。
立っていたのは、祖父だった。
三年前に死んだはずの祖父。
「よう」
生きていた頃と同じ声だった。
「久しぶりだな」
僕はうなずいた。
死者と話すのは初めてじゃない。
この街じゃ珍しくもない。
「上がって」
祖父は靴を脱ぎ、居間へ入った。
「便利な世の中になったなあ。死んでも帰宅できるとは」
「期限あるけどね」
「知っとる。夜明けまでだろ」
祖父はちゃぶ台に座り、部屋を見回した。
「変わってないな」
「そりゃ二年だし」
「二年か」
祖父は少し考えた。
「……長いな」
⸻
しばらく昔話をした。
祖父の戦争の話。
僕の就職の話。
近所のスーパーが潰れた話。
不思議だった。
会話は普通なのに、相手は死んでいる。
やがて祖父が言った。
「ところで」
「うん」
「わしは、どうやって死んだんだ?」
箸が止まった。
「覚えてないの」
「死ぬ瞬間の記憶だけ、どうしても思い出せん」
祖父は頭をかいた。
「気づいたら墓の中でな。みんな普通にしてるから聞きそびれた」
僕は味噌汁を飲んだ。
少しぬるかった。
「……事故だよ」
「事故?」
「うん」
嘘だった。
祖父は事故じゃない。
⸻
そのとき、外からサイレンが聞こえた。
夜間パトロール車だ。
制度が始まってから作られた部署。
役目はひとつ。
死者の監視。
祖父が窓の外を見た。
「物々しいな」
「規則だから」
「規則?」
「死者は――」
言いかけてやめた。
祖父が振り向く。
「死者は?」
沈黙。
サイレンが遠ざかる。
僕は言った。
「……問題起こしちゃいけないって」
「ほう」
祖父はうなずいた。
「たとえば?」
僕は答えなかった。
⸻
実は。
制度には公表されていない条項がある。
死者は、生前の死亡原因を知ってはならない。
理由は簡単だ。
知った死者は必ず暴れる。
⸻
祖父は湯のみを置いた。
「なあ」
「なに」
「わしは本当に事故だったのか」
心臓が強く打った。
祖父の目は穏やかだった。
だが視線が逃げない。
「そうだよ」
僕は言った。
祖父は黙った。
そして、ゆっくり聞いた。
「……包丁は、事故で刺さるか?」
喉が凍った。
祖父は続けた。
「腹がな。深く」
呼吸が浅くなる。
「妙だと思ってな」
祖父は立ち上がった。
「どうしてわしの死亡届を書いた筆跡が――」
一歩。
「おまえの字なんだ?」
⸻
その瞬間。
外でブザーが鳴った。
甲高い警報音。
街中に響く声。
警告。記憶接触違反。
該当死者を回収します。
窓の外に、白いライトが集まってきた。
祖父は静かに言った。
「なるほど」
僕を見た。
「そういう制度か」
ドアの外で重い足音。
祖父は笑った。
「安心しろ」
「……え?」
「怒ってない」
足音が止まる。
祖父は最後に言った。
「ただな」
ノック。
外から声。
回収班です。
祖父はささやいた。
「次に帰ってくる夜は――」
扉が開いた。
光。
祖父の輪郭が溶ける。
「次は昼に来るかもしれんな」
⸻
翌朝。
ニュース速報。
昨夜、制度違反死者が1名消失
原因不明
そして小さく追記。
同時刻、市内で生者1名が死亡
名前が表示された。
僕だった。
人は死を恐れる。
だが本当に恐ろしいのは、死そのものではなく、
それを管理し始めた社会なのかもしれない。
もし亡くなった誰かが今夜帰ってきたら、
あなたは何を話すだろう。
そして――
何を隠すだろう。
読んでくださってありがとうございます。




