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解析しか持たない俺が、クラスごと異世界に召喚された結果、魔王討伐がほぼ無理ゲーだと気づいてしまった件  作者: いちじく


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第8話 血の匂いと、閉じた馬車


 街道は、もう“道”じゃなかった。

 轍の溝に溜まった水は泥と血で黒く濁り、踏みしめるたびにぬるりと跳ねる。

 折れた矢柄。砕けた盾の縁。焼け焦げた草の匂い。



 それでも騎士団は進む。

 進まなければ、死ぬ。

 相沢純也は隊列の中央――比較的安全だと言われた位置を歩きながら、喉の奥が乾いていくのを感じていた。

 安全。

 その言葉は王城の石壁の内側なら信じられた。だが街道に出た瞬間、言葉は軽くなった。

 外側では剣戟が止まらない。

 金属同士の乾いた音じゃない。

 金属が骨や肉に当たる、鈍い音だ。

 盾列が押され、槍列が押し返す。

 血が飛び、泥が跳ね、叫びが混ざる。

 誰かの短い悲鳴が、すぐ別の怒号に塗りつぶされて消えた。

(……本当に、戦争なんだ)

 胸の奥が冷たくなる。

 その時、斥候の声が前方から飛んだ。

「――散開! 右から回り込む群れだ!」

 草むらが爆ぜる。

 魔物が飛び出してきた。

 犬に似た体躯。だが脚が六本ある。

 口は裂け、牙が長く、よだれが糸を引く。

 目だけが妙に人間を見ていた。狙いを定める目だ。

「盾列、前! 槍、出せ!」

「後衛、詠唱を急げ! 隊列を崩すな!」

 ゴードン団長の声が戦場を貫いた。

 怒鳴っているのに、混乱がない。声の方向に、部隊が自然と揃う。

 相沢は剣に手をかけた。

 腰の剣――王女セレナが渡したもの。外見は普通の騎士剣。だが握ると重心が手元に寄り、刃の密度が異様に高い。

(落ち着け……)

 そう思った瞬間、《解析》が頭の奥で跳ねた。

 ――右、低い。

 ――二歩、詰める。

 ――噛みつき。

 ――次、尾で払う。

 言葉じゃない。

 “こうなる”という結末が先に浮かび、それが強制的に理解に変わる。

「相沢!」

 ゴードンの怒号。

「前に出るな! 半歩引け!」

「受けるな、避けろ! 受けたら腕が持っていかれる!」

「――はいっ!」

 相沢の脚が先に動いた。剣を振るより早い。

 戦い方として正しいのかは分からない。だが、死にたくなかった。

 魔物が突進する。泥を蹴り、牙を剥き、相沢を狙う。

 盾列と槍列の隙間を縫うように、中央へ入り込もうとしていた。

(来る、来る、来る――)

 半歩引く。さらに半歩。

 牙が頬を掠める距離を通り過ぎた。

 鼻先に腐った肉の匂いが刺さる。

 だが《解析》は止まらない。

 ――止まれば死ぬ。

 ――今、振っても届かない。

 ――今、斜めに入れる。

「相沢! 斜めだ!」

 ゴードンの声が重なる。

 相沢は命令に従って身体を滑らせた。逃げるんじゃない。

 “死ににくい場所”へ移る。

 視界の端で、魔物の脇腹に僅かな継ぎ目が見えた。硬い皮膚の切れ目。薄い部位。

(今……!)

 相沢は剣を押し込んだ。

 ――当たった。

 皮膚が裂け、肉が割れて、刃が中へ入っていく感触。

 熱くて、ぬるくて、湿っている。

 血の匂いが一気に流れ込んだ。

「――っ……!」

 吐き気が胃の底から込み上げる。

 訓練は木剣だった。

 訓練用の魔獣も、相沢には用意されなかった。

 だから、これが初めてだ。生き物の中に刃が入る感覚。

(考えるな……考えるな……)

 相沢が剣を引き抜こうとした瞬間、魔物が振り向いた。

 死んでいない。死にかけだ。

 だからこそ目が狂っている。

 裂けた傷口から黒い血を撒き散らしながら、相沢へ突っ込んでくる。

(終わりだ)

 牙が目前まで迫る。息が止まる。

 ――その時。

 風切り音が一閃、空気を割った。

 リーナが横から滑り込んできた。

 彼女の動きには、余分がない。

 上体はぶれず、足だけが地面を撫でるように運ばれる。

 重心は低く、踏み込みは短いのに、速い。

 剣が振られるというより、刃が“置かれる”。

 その一閃には“怖さ”がなかった。迷いも怒りも焦りもない。

 ただ、「ここに刃を通せば止まる」という確信だけが、形になって走った。

 彼女の手首はしなやかに返り、刃は最小の角度で首の急所を割り、血の噴き上がりさえ計算された“線”として飛んだ。

 相沢はその美しさに見惚れそうになり、同時に背筋が凍った。

 あれは踊りではない。生存のために磨かれた、殺しの技術だ。

 魔物の首が、ずるりと落ちた。

 血が噴き上がり、首のない胴が二歩ほど走って倒れる。

 落ちた頭部が痙攣し、牙が空を噛んだ。

 相沢は立ったまま動けなかった。

 だがリーナは止まらない。

 落ちた頭に半歩寄り、剣先を下げる。

 息を吐くような静かさで、刃が突き立てられた。

 骨を砕く鈍い音。

 痙攣が止まるまで、彼女の手は離れない。

 刃を抜く瞬間も、彼女は“抜かない”。

 ほんの僅かに角度を変え、骨の抵抗を逃がし、刃が自然に抜けるよう導く。

 血が跳ねる位置すら把握しているのか、外套の汚れは最小で、視線だけが次の敵を探している。

 相沢はその背中に、戦場で生き残る者の“静けさ”を見た。

「純也様!」

 声が鋭い。怒鳴り声に近い。

「止めてはいけません!」

「倒したと思ったら、必ず息の根を止める!」

「死にかけの方が危険です!」

 相沢はようやく息を吸った。

 吸った空気は血と汗と土の匂いで、むせる。

「……ごめん」

 絞り出すと、リーナは首を振った。

「謝罪ではなく、次を見てください」

「反省している時間が、命取りです」

 その言葉が胸に刺さった。

 怖かった。魔物より、自分の弱さが怖い。

 相沢は剣を握り直す。指が震える。汗で滑る。

 それでも離さない。

(死なない……)

 《解析》は勝利の道じゃなく、“生存の道”を示した。

 ――今は引け。

 ――今は捨てろ。

 ――今は隠れろ。

 ――今は、刺せ。

 ――そして息の根を止めろ。

 相沢は覚えていく。

 避け方を。剣の出し方を。刺す場所を。刺した後の手順を。

 恐怖が消えるわけじゃない。

 ただ、恐怖に飲まれて動けない時間が短くなる。

 それだけで、生存率は上がる。

 戦いは、途切れなかった。

 街道の曲がり角。小さな水場。倒木の影。

 魔物は「隊列が乱れる瞬間」だけを狙ってくる。

 盾列が角度を変える。

 槍列が二段に組み直される。

 後衛の詠唱が間に合わないと判断した瞬間、前衛が“押し返す”のではなく“捨てる”選択をする。

 ――踏み込まない。追わない。深追いしない。

 ただ、押し込まれないよう削り、進む。

 それが騎士団の戦い方だった。

 相沢がそれを理解し始めた頃、リーナの戦いがさらに近くで見えるようになった。

 彼女は派手に振らない。

 大きく構えて力任せに叩き斬るのではなく、刃を“最短距離”で通す。

 たとえば。

 魔物が槍列の間から滑り込んだ時。

 リーナは前へ出ない。半歩だけ横へ。

 魔物の進路に対して、剣先をほんの少し置く。

 魔物は止まれない。勢いのまま突っ込んでくる。

 ――刃が刺さる。

 刺さった瞬間だけ手首が返り、刃が深く入る角度に変わる。

 次の瞬間、リーナはもう引いている。

 同じ場所にいない。

 血が飛ぶより先に、次の位置へいる。

 美しい、と思った。

 無駄がなく、恐ろしいほど静かで、そして確実だった。

 だがその美しさは、踊りじゃない。

 “生き残るための形”そのものだ。

「純也様、目を逸らさないで」

 戦闘の合間、リーナが短く言う。

「目を逸らすと、次の動きが遅れます」

「怖くても、見て。見るだけで、生存率が上がります」

 冷たい言葉なのに、不思議と責められている感じがしなかった。

 それは彼女が、同じ怖さを知っているからだ。

 しばらく進むと、負傷者が増えた。

「止血!」

「縛れ!」

「魔力回復薬は!? もうないのか!」

「これ以上負傷者を抱えれば本体の行軍に置いて行かれます!」

 治癒隊が叫ぶ。

 だが移動しながらの治療には限界がある。

 歩ける者は歩かせ、歩けない者は担架。

 それでも担架は足りない。荷車も足りない。馬も足りない。

 治癒隊隊長が口を開く。

「……置いていくぞ」

 乾いた声がした。

 相沢の心臓がひくりと跳ねる。

 重傷者がこちらを見た。

 助けてくれと言っていない。言えないのか、諦めたのか、声が出ないのか。

(……置いていくって)

 それは見捨てるという意味だ。

 だが足を止めれば、隊列全体が死ぬ。

 その“正しさ”が、人を削る。

 ゴードンの声が飛ぶ。

「止まるな! 動けないものは見捨てよ!」

「勇者が前線拠点へ到達しなければ王都も戦場になる!」

「勇者の道が塞がれれば、全てが終わりお前たちの家族も死ぬ!」

 正しい。

 正しすぎる。

 相沢は唇を噛んだ。剣を握る手に力が入る。

(強くならなきゃ……)

 強く、じゃない。

 死なないほどに、だ。

 最前線で指揮を執っていたゴードン騎士団副長のダンクが報告に来る。

「前方部隊ほぼ壊滅。残存兵をまとめて中央部隊と合流します」

 ゴードンはその報告を険しい顔で聞く。

 元々ゴードン隊は前衛1000人後衛500人右翼500人左翼500人本陣2500人(うち精鋭部隊200人)だった。そのうちの前衛が壊滅し残存兵数が200人余り、左翼右翼には既に援軍を500人ずつ出しているがそれもどれほど残っているか。

 数字が現実味を帯びた瞬間、隊の空気が一段重くなった。

 前衛千が二百。――八割が消えたということだ。

 しかもこの“消えた”には、戦死だけじゃない。重傷で歩けず置いていかれた者、はぐれた者、隊列の外で噛み殺された者も含まれる。

 相沢は喉が鳴るのを感じた。自分は外側の人間の命の上に守られている。

 ゴードンは悩んだ末に言い放った。

「部隊を再編成する! 中央隊の精鋭半分の100人と新兵500人で前衛部隊を再編成、急げ!」

「相沢はこのまま本体にいろ!」

「本体はダンクに任せる。新しい前衛部隊は私が率いる!」

 命令は矢のように飛び、騎士たちが動き出す。

 精鋭の百は無言で前へ。新兵の五百は顔色を失いながらも列を作る。

 その瞬間、相沢は気づいた。

 “前衛に出る”というのは名誉じゃない。生存確率を捨てるという意味だ。

 それでもゴードンは自ら先頭に立つ。

 団長の背中は大きく、そしてどこか孤独だった。


 一方、その頃。

 王都では、出陣する五人の勇者が見送りを受けていた。

 橘美咲。

 一般勇者四名――大杉大河、佐藤航、本田和人、中村裕子。

 ――その直前。橘は、王城の奥の小さな控えの間へ呼ばれていた。

 そこにいたのは、第二王女セレナだった。

 銀髪の王女は、いつものように穏やかな笑みを浮かべている――はずなのに、目だけが真剣だった。

「橘美咲さん」

「……はい」

 橘が背筋を伸ばすと、セレナは声を潜める。

「あなたに余計な恐怖を与えるつもりはないわ」

「でも、これだけは知っておいて」

 机の上に置かれた地図。

 セレナの指先が、王都から外へ伸びる街道をなぞった。

「相沢純也は、もう先に出ている」

「ゴードン騎士団と一緒に。……あなたたちより前にね」

「え……っ」

 胸が、きゅっと縮む。

「相沢くんが……先に……?」

 セレナは頷く。ただし、それ以上は言わない。

 表情が僅かに硬い。――言える情報が限られている、その顔だ。

「あなたに伝えられるのは、ここまで」

「彼が“盾”になると決めたのか、そうさせられたのか――その判断は、今のあなたには重すぎる」

 橘は唇を噛む。

 何か言おうとして、言葉が出てこない。

 セレナは最後に、静かに言った。

「だからあなたは、あなたの役目を果たして」

「回復は、戦場を繋ぐ。……生き残る人間を増やすために」

「……はい」

 震える声を押し殺すように返事をして、橘は控えの間を出た。

 廊下を歩きながら、胸の奥がずっと痛い。

(相沢くんが先行してる……)

(私より前で、血の匂いの中を……?)

 不安が、現実になった気がした。


 王城門前。

 クラスメイトたちが、妙に明るい声で送り出す。

「行ってこいよ!」

「絶対戻ってこい!」

「英雄になって帰ってこい!」

 笑う者、手を振る者。

 写真を撮ろうとする者すらいる。

 ――まだこの戦争を“物語”の中に置いている。

 通常勇者の四人はやる気満々だった。

「魔王倒して帰ってきたら褒美は独占よ!」

「戦争って言ってもさ、俺ら勇者だろ?」

「功績上げたら王女さまの婚約狙えるんじゃね?」

 声が軽い。

 その軽さが、逆に怖い。

 橘は笑顔を作ろうとした。

 けれど指先が冷たい。胸が落ち着かない。

(相沢くん……)

 呼ばれていない兵舎。

 泥だらけの訓練場。

 自分より先に、血の匂いの方へ歩いて行った背中。

 ――そして、セレナの言葉。

(もう先に行ってる)

「……私、本当に役に立てるかな」

 ぽつりと漏れる。

 近衛兵が表情を変えずに言う。

「前線は、あなたを必要としている」

「前線拠点での回復役は、戦線維持の要です」

 それは励ましの言葉のようで、命令のようでもあった。

 勇者たちは頑丈な馬車に乗せられる。

 窓は小さく、外がほとんど見えない。

「……外、見えねえじゃん」

 誰かが不満げに言う。

 近衛兵が淡々と答える。

「安全のためです」

「道中は揺れます。外を見ない方が酔いません」

 理由は嘘ではない。

 ただ、本当の理由は別にある。

 外の惨状を見せないため。

 逃げ出す心を芽生えさせないため。

 引き返せない地点に到達するまで、馬車から降ろさない。

 それが“配慮”の顔をした監禁だ。

 馬車が動く。

 車輪が回る。鎖が鳴る。蹄の音が重なる。

 随行する護衛は精鋭ばかりだった。

 橘には――大隊(約八百人)+近衛兵十名。

 通常勇者四人には――中隊(約百人)ずつ。

 装備が違う。歩調が違う。

 視線が違う。

 彼らは最初から“戦場の人間”だった。

 そして彼らは、比較的スムーズに進む。

 なぜなら――道はすでに削れているからだ。

 ゴードン騎士団が血を流して切り開いた“露払い”の上を進んでいるからだ。

 橘は馬車の暗がりで膝の上に手を置き、目を閉じた。

(怖い……不安だ……)

 胸の奥が、きゅっと縮む。

 外が見えないことが、逆に想像を膨らませる。

 ――でも、その想像は、形にならない。

 血の匂いも、叫び声も、ここには届かない。

 届くのは、車輪の振動と、護衛の重い足音だけだ。

(相沢くんは……今、どこにいるんだろう)

 先に出ている。

 それだけは分かった。

 けれど「先」がどれくらい先なのかも、どんな場所なのかも、橘には何ひとつ見えない。

 痛いほど静かな馬車の中で、心配だけがぼんやりと膨らんでいく。

 理由ははっきりしない。根拠もない。

 ただ――「無事でいてほしい」という願いだけが、胸の奥に残る。

 橘は膝の上で指を絡め、そっと目を閉じた。

(大丈夫……だよね?)

(相沢くんは、きっと……)

 誰に向けた祈りか、自分でも分からないまま。


 同じ頃。

 同じ街道のどこかで。

 相沢純也は血と泥にまみれ、剣を握っていた。

 勇者の馬車がこの道を通ることを知らないまま。

 《解析》が次の死を教える。

 避けろ。

 踏み込むな。

 焦るな。

 刺せ。

 ――そして息の根を止めろ。

 相沢は怯えながらも覚えていく。

 剣を当てることよりも、まず“生きる位置”を取る。

 勝つことよりも、まず“死なない手”を選ぶ。

 倒した相手の最後の牙に怯えないようにする。

 戦争は英雄を育てる前に、人を削り取っていく。

 削り取られた道の上を、閉じた馬車が静かに進む。

 そして血の道の先で、相沢はまた一つ――

 死なない技術を、身体に刻み込んだ。


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