第6話 王女の謝罪と、切り捨てられる戦線
兵舎の夜は静かだった。
昼間の怒号や剣戟が嘘のように、張りつめた空気のまま眠っている。
相沢純也が剣を手入れしていると、扉を叩く音がした。
――短く、規則正しいノック。
「相沢純也。王城より通達だ」
扉の向こうに立っていたのは近衛兵だった。
装備は控えめだが、姿勢と眼差しだけで分かる。
普通の兵士ではない。
「第二王女殿下がお呼びだ。今すぐ来てほしい」
胸の奥が、静かにざわついた。
案内されたのは、王城の外れにある小さな控えの間だった。
豪奢ではない。
だが、壁の装飾や床の紋様から、王族用の部屋だと一目で分かる。
中にいたのは、セレナただ一人。
「来てくれてありがとう、相沢純也様」
第二王女は立ち上がり、静かに頭を下げた。
王族の謝罪。
それだけで、この場が異常だと理解できる。
そして何より――
近くで見るセレナは、息を呑むほど整った容姿をしていた。
「……殿下?」
「まず、謝らせて」
セレナは顔を上げる。
「あなたを、勇者として扱わなかったこと」
「パーティーに招かなかったこと」
「あなたの立場を、曖昧にしたままにしていること」
淡々とした声だった。
言い訳も、弁明もない。
「理由は――今は話せない」
はっきりと、そう告げられる。
「王女殿下……」
「聞かせるべき情報がないわけではない。でも――」
セレナは一度、言葉を切った。
「知れば、あなたは確実に戦場で迷う」
その一言に、相沢は黙るしかなかった。
代わりに、セレナは視線を横へ向ける。
「リーナ。あなたも、こちらへ」
控えめに立っていたリーナが一歩前へ出る。
セレナは壁際に置かれていた布包みを二つ、机の上に並べた。
「これは……?」
「近衛兵用に鍛えられた剣よ」
包みを解くと、中から現れたのは二振りの剣だった。
外見は、騎士団で支給される剣とほとんど変わらない。
華美な装飾も、宝石もない。
だが――。
(……重心が違う)
相沢は、無意識にそう感じていた。
《解析》が、言葉にならない違和感を拾う。
――素材が違う。
――刃の密度が異常に高い。
――魔力伝導を想定した鍛え方。
「説明はしないわ」
セレナは静かに言った。
「ただの剣だと思ってくれて構わない」
「それでも、あなたたちの命を少しでも繋ぐ」
相沢は、ゆっくりと剣を受け取る。
「……ありがとうございます」
「感謝はいらない」
セレナは、ほんの一瞬だけ視線を伏せた。
「これは“補填”よ。
あなたたちを、ここまで追い込んだことへの」
それ以上、彼女は語らなかった。
その頃、王宮中枢では――。
「前線、第七防衛線が崩壊寸前です!」
伝令の声が、会議室に響き渡る。
「魔王軍の増援を確認。三十日……いえ、十日も持ちません!」
空気が一気に荒れた。
「馬鹿な! あそこは要衝だぞ!」
「援軍は!? 他国は!?」
「間に合いません!」
怒号と焦燥。
机を叩く音が重なる。
王は、重く息を吐いた。
「……派兵する」
一瞬、静まり返る。
「一部の勇者と、騎士団を前線へ送る」
「勇者を!? 正気ですか!」
「全滅すれば、もう後が――」
「分かっておる!」
王の声が、会議室を制した。
「だが、前線が崩れれば王都も危うい」
「“守るために使わぬ戦力”など、もはや存在しない」
沈黙の中で、セレナが一歩前へ出る。
「勇者は、最前線には出しません」
「比較的安全な前線拠点に配置し、回復と士気維持を担当させます」
視線が集まる。
「派兵する特権勇者は、一人だけ」
名が告げられた。
「――橘美咲」
会議室がざわめく。
「《聖なる慈愛》」
「回復、浄化、精神安定」
「彼女以上に、戦線維持に適した者はいません」
王は、ゆっくりと頷いた。
「護衛として、近衛兵を数名付ける」
「絶対に前へは出すな」
続いて、宰相が資料を広げる。
「一般勇者からも、四名を投入します」
名前が読み上げられた。
「大杉大河。《重装防御》」
「佐藤航。《必中投擲》」
「本田和人。《広域結界》」
「中村裕子。《魔力爆縮》」
どれも即戦力ではある。
だが同時に――。
「成長余地は、低い」
誰かが呟いた。
期待できない。
今後を見据える価値がない。
だからこそ、前線へ。
「彼らは実戦向きだ。
だが――戻ってこられる保証はない」
王は、目を閉じた。
「騎士団も派遣する。
ゴードンの部隊だ」
歯車は、もう止まらない。
兵舎へ戻る夜道。
相沢は、剣を腰に下げながら歩いていた。
見た目は、いつもと変わらない。
だが、確かに違う。
「……純也様」
リーナが静かに声をかける。
「この剣……
殿下は、何も言いませんでしたね」
「うん」
相沢は短く答えた。
「でも、多分……」
言葉を探し、やめる。
「いや。考えるのはやめよう」
知らないままの方がいいこともある。
遠く、王城の鐘が鳴った。
派兵を告げる合図だ。
戦争は、待ってくれない。
そして――。
橘美咲が、戦場へ向かうことを。
相沢純也は、まだ知らない。
歯車は、音を立てて回り始めていた。




