第4話 王国の選択と、崩れ始めた歯車
――ゴードン・ヴァルハルト視点――
王城の外れ。
騎士団の訓練場。
朝靄の残る中、私は少し離れた場所から一人の青年を見ていた。
相沢純也。
勇者として召喚された中では、最下位に近い存在。
特別な称号もなく、目立つ加護もない。
今も彼は、木剣を握り、基礎動作を繰り返している。
踏み込み。
素振り。
構え直し。
派手さはない。
光も、魔力の奔流もない。
汗を流し、息を整え、また剣を振る。
ただ、それだけだ。
(……真面目すぎる)
騎士団の若い兵ですら、ここまで愚直にはやらない。
効率も、見栄も、他人の評価も気にしていない。
彼のそばには、従者の女性騎士――リーナが立っていた。
「重心が前に寄りすぎています」
「はい……もう一度、お願いします」
何度も指摘され、何度もやり直す。
苛立ちも、投げやりな態度も見せない。
ただ、必死だ。
(自分が弱いと、分かっている顔だ)
勇者として召喚され、力を与えられ、
それでもなお――自分を過信していない。
それは、あまりにも兵士向きだった。
少し離れた場所では、別の訓練場が見える。
王城第二訓練場――勇者専用区画。
あちらからは、時折、光が上がる。
歓声も、拍手も聞こえてくる。
こちらにはないものだ。
だが――。
(……戦場で生き残るのは、どちらだ)
答えは、まだ分からない。
だが、私は目を逸らさず、相沢純也を見ていた。
やがて、騎士が呼びに来る。
「団長。第二訓練場へ」
「分かった」
私は最後にもう一度だけ、彼を見る。
木剣を握る手は、震えている。
それでも、剣を置こうとはしない。
(……間に合えばいいが)
小さな願いを胸に、私は踵を返した。
――王城第二訓練場へ。
王城第二訓練場。
そこは、騎士団の訓練場とはまるで別世界だった。
魔力で強化された床。
結界に守られた空間。
観覧用のテラスには、貴族や高官たちが並んでいる。
(……これが、勇者たちか)
私は腕を組み、黙ってその様子を見下ろしていた。
神崎隼人は、光を纏う剣を振るっていた。
一振りごとに空気が裂け、訓練用の魔獣が霧散する。
「すげぇ……」
「やっぱ勇者様は違うな」
周囲から感嘆の声が上がる。
隼人自身も、それを当然のように受け止めていた。
自分が特別であることを、疑っていない目だ。
訓練後。
彼ら特権勇者は、王城内の迎賓区画へと戻っていく。
白い石造りの回廊。
柔らかな絨毯。
香を焚いた空間。
専属メイドが三人、四人と付き従い、
汗を拭き、飲み物を差し出し、装備の点検を行う。
「本日の夕食は、北方産の白身魚と香草の煮込みを用意しております」
「湯浴みの準備も整っております」
隼人は笑い、剣也は豪快に笑った。
「まるで貴族だな」
「いや、貴族以上だろ」
それを誰も咎めない。
この待遇を、「当然」として受け入れている。
(……危うい)
隣の訓練区画では、一般勇者たちが訓練を終えていた。
装備は良質だ。
騎士団でも上位に入る品。
だが、扱いは明確に違う。
メイドは一人。
居室は食客用。
食事も、特権勇者ほど豪奢ではない。
「まあ……悪くはないよな」
「元の世界より、よっぽどマシだ」
そんな声が聞こえる。
不満は、少ない。
諦めと満足が、同時に存在している。
――それが、一番危険だ。
自分の立場を受け入れ、
深く考えなくなった者から、戦場では死ぬ。
その中で――。
「……」
橘美咲だけは、どこか浮いていた。
笑顔は作っている。
だが、視線が定まらない。
豪華な部屋にも、
丁寧すぎる世話にも、
どこか居心地の悪さを感じているようだった。
食事の席でも、会話に完全には混ざらない。
(この子は……まだ染まっていない)
それは弱さではない。
むしろ、正常だ。
――だが、戦場では。
正常であることが、命取りになる。
その日の夜。
私は、王への謁見を求めた。
玉座の間。
国王陛下と、その隣には第二王女殿下がいた。
この国で最も美しいと称される女性。
知性と気品を兼ね備えた、稀有な存在。
「申し上げます、陛下」
私は膝をつき、頭を垂れる。
「現状のまま、勇者たちを戦場へ投入するのは危険です」
玉座の間に、静寂が落ちた。
「彼らは力に頼りすぎている。
戦争を理解していない者も多い」
王は、深く息を吐いた。
「……ゴードンよ。分かっておる」
そこで、第二王女が静かに口を開いた。
「私も、同意します」
澄んだ声。
「彼らは“戦力”ではあっても、“兵士”ではありません」
王は、しばし沈黙した後――
重い口を開いた。
「ゴードン。そなたは、どこまで知っている?」
私は、答えなかった。
王は、それを肯定と受け取ったらしい。
「……勇者召喚は、今回で十回目だ」
その言葉は、重かった。
「これまで召喚された勇者たちは、
王国で保護し、育成し、戦場へ送った」
第二王女が、目を伏せる。
「――結果は、全滅」
そして王は、さらに続けた。
「勇者を失った前線は、維持するだけでも途方もない犠牲を強いられている。
今では訓練も満足に受けられていない新兵すら前線に送られ、
戦死率は、ひと月で九八%に達している」
胸が、締め付けられる。
「古参の戦力でかろうじて維持しているが、
もはや一刻の猶予もない」
王は、苦い表情で言葉を続けた。
「他国にも援軍を要請しているが、
正直、どこの国も戦線維持で精一杯だ」
「五カ国のうち、すでに二カ国は滅んだ。
……余力など、どこにもあるまい」
第二王女は、唇を噛みしめていた。
「そして――召喚者の逃亡を防ぐため、
彼らにはこの事実を伏せ、“嘘”を教えている」
王の声には、迷いがあった。
「帰還方法。
勇者の立場。
そして……逃亡を防ぐための、いくつもの偽りを」
それ以上の言葉が語られる前に――。
轟音が、王宮を揺らした。
「何だ!?」
「陛下!」
近衛兵が叫ぶ。
爆発。
地下――召喚陣のある区画。
嫌な予感が、背筋を走った。
現場は、地獄だった。
守備兵は、全員殺されている。
血が、床を黒く染めていた。
そして――。
「……召喚陣が、破壊されています」
完全に、だ。
修復は不可能。
次の勇者を呼ぶ術は、失われた。
王は、拳を強く握りしめる。
「……裏切者がいる」
声が、低く震える。
「これで、終わりだ。
勇者の再召喚は、できぬ」
つまり――
今いる勇者たちが、最後の切り札。
誰もが声を失い、絶望する中。
王は、ゆっくりと顔を上げた。
「方針を変更する」
その声には、覚悟があった。
「勇者の全投入は中止だ。
生き残らせねばならん」
私は、深く頭を下げた。
(……間に合ってくれ)
あの青年――
相沢純也の顔が、ふと脳裏をよぎる。
力は弱い。
だが、戦場を理解しようとしている。
もしかすると――
真に必要なのは、勇者の力ではない。
この狂った戦争を終わらせるには、
真の戦力が必要に違いない。
私は、決意した。
訓練を、より厳しく。
より実戦に近いものへと変える。
王国の歯車は、すでに狂い始めていた。




