第3話 騎士の兵舎と、与えられた日常
第3話 騎士の兵舎と、与えられた日常
騎士の兵舎は、王城の外れにあった。
石造りの二階建て。
堅牢ではあるが、装飾はほとんどない。
華やかさとは無縁――まさに「実戦のための建物」だった。
扉を開けた瞬間、はっきりと空気が変わる。
鉄の匂い。
汗と土が混じった、戦場に近い匂い。
「……ここが、俺の居場所か」
そう呟いた、その時――。
「相沢様ですね?」
澄んだ声が、正面から飛んできた。
顔を上げると、そこに立っていたのは一人の少女だった。
明るい栗色の髪を短くまとめ、動きやすそうな騎士装束に身を包んでいる。
無駄のない体つき。健康的で、どこか太陽の匂いがしそうな雰囲気。
――可愛い。
素直に、そう思った。
「私はリーナと申します。本日より、相沢様の従者を務めさせていただきます」
きびきびとした動作で一礼。
その所作は洗練されており、形式だけのものではないと一目で分かった。
(……騎士、なんだな)
自然と、頭の奥がざわつく。
《解析》。
意識したわけでもないのに、彼女を見た瞬間、ぼんやりと情報が浮かび上がった。
――勤勉。
――誠実。
――努力型。
――仲間思い。
数値や文字ではない。
「雰囲気として分かる」程度の、曖昧な感覚。
(これが……俺のスキルか)
「では、お部屋の案内をしますね」
リーナは淡々と説明を始める。
個室は質素だが清潔だった。
簡易ベッドに机、武具棚。
必要最低限の設備はすべて揃っている。
「食事は兵舎の食堂になります。物資不足のため、基本はスープとパンです。週に一度、干し肉が提供されます」
「……戦時中、って感じだな」
「はい。ですが、騎士として最低限の栄養は確保されています」
「訓練は?」
「次に派兵される予定の騎士団と、合同訓練になります」
さらっと、とんでもないことを言われた。
「それと、私が個人レッスンも担当します」
「……え?」
思わず聞き返すと、リーナは首を傾げる。
「相沢様は一般騎士扱いですので。従者は、戦闘補助と指導も任務に含まれています」
当たり前のように言われたが――。
視線の先で、通りがかった騎士たちがちらちらとこちらを見ている。
男ばかりの中で、女性騎士は珍しい。
しかも、これだけ整った容姿ならなおさらだ。
(……人気あるんだろうな)
解析が、それを裏付けるように囁く。
――信頼が厚い。
――実力もある。
そのまま訓練場へと案内される。
広大な敷地。
剣戟の音と、怒号が飛び交っていた。
「団長!」
リーナが声を張る。
振り向いた男は、熊のように大きかった。
分厚い鎧。
白混じりの短髪。
鋭い眼光。
「……お前が、例の召喚者か」
低く、重い声。
「俺はゴードン。この騎士団の団長だ」
圧が、凄まじい。
だが――威圧だけではない。
《解析》が告げる。
――厳格。
――誠実。
――部下思い。
――強者。
――そして、何に対してか分からない罪悪感。
「相沢 純也です。よろしくお願いします」
頭を下げると、ゴードンは一瞬だけ目を細めた。
「礼儀はあるようだな。……生き残りたければ、ここでは手を抜くな。状況が切迫している。訓練期間は、そう長く取れん」
「はい」
それだけで、十分だった。
訓練は――地獄だった。
走る。
振る。
受ける。
倒れる。
休憩は、ほとんどない。
「まだだ! 戦場で『疲れました』が通ると思うな!」
ゴードンの怒号が飛ぶ。
リーナの指導は厳しいが、的確だった。
「今の振り、無駄が多いです」
「重心が浮いています」
「――ですが、今の判断は良かったです」
《解析》の力も相まって、最適な剣筋が直感的に分かってくる。
それは、確かな成長だった。
リーナも、その変化に目を見張っている。
「純也様は平和な世界から来たと伺っていますが……スキルのおかげでしょうか。他の方よりも、上達が早いように感じます」
「ありがとう、リーナ。でも……俺なんて、他のクラスメイトと比べたら大したことないさ」
褒められた嬉しさと、劣等感が同時に胸を刺す。
リーナは少し考えるように目を伏せ、そして淡々と言った。
「その謙虚さは、戦場で大切な資質です。どうか、忘れないでください」
慰めでも、励ましでもない。
ただの事実としての言葉。
それが、妙に胸に残った。
訓練後。
兵舎の食堂で、二人並んでスープを啜る。
「……質素ですね」
「はい。でも、慣れます」
リーナはパンをちぎり、何でもないことのように言う。
「こちらの世界では、これが日常ですから」
「そっか……」
静かな時間。
だが、不思議と居心地は悪くなかった。
ふと視線をやると、隣の訓練場が見える。
そこでは――勇者たちが、まったく別次元の訓練をしていた。
神崎隼人は光を纏った剣を振るい、
一条玲奈は桁違いの魔力量で魔術を制御し、
早乙女剣也は一撃で訓練用の魔獣を両断する。
まるで、物語の主人公たちだ。
俺の存在なんて、誰も気にしていない。
――ただ一人を除いて。
「相沢くん、大丈夫?」
休憩中、橘が声をかけてくる。
「無理してない?」
「……まあ、なんとか」
それだけで、少し救われた。
だが――。
「おい、橘」
隼人の声が割って入る。
「そんな雑魚に構ってどうすんだよ。時間の無駄だろ」
空気が、凍りつく。
橘は一瞬言葉に詰まり、それでも――
「……相沢くんも、戦ってるんだから」
そう言って、こちらに小さく微笑んだ。
隼人は鼻で笑い、背を向ける。
「勝手にしろ」
その背中を見送りながら、俺は剣を握り直す。
(……いいさ)
派手な力はない。
注目もされない。
でも。
ここで生き残る方法なら――
きっと、見つけられる。
そんな予感だけが、確かにあった。
訓練場の端で、ゴードンはその様子を黙って見つめていた。
「……すまない」
誰にも聞こえない謝罪が、彼の口から零れ落ちた。
その日の訓練が終わった頃には、腕が鉛のように重くなっていた。
兵舎へ戻る途中、足取りが自然と遅くなる。
「……純也様」
前を歩いていたリーナが、ふと立ち止まった。
「大丈夫ですか?」
「いや……大丈夫。たぶん」
そう答えたつもりだったが、声に力はなかったらしい。
リーナは一瞬だけ俺の顔を見つめ、何も言わずに兵舎の裏手へと方向を変えた。
「え、どこに――」
「少し、寄り道を」
案内されたのは、兵舎の裏にある小さな井戸と洗い場だった。
そこには誰もおらず、夕暮れの風が静かに吹いている。
「座ってください」
言われるまま腰を下ろすと、リーナは慣れた手つきで水を汲み、布を浸した。
「……失礼します」
そう言って、俺の前腕にその布を当てる。
冷たい。
だが、火照った筋肉に心地よかった。
「筋を痛めています。今日の負荷は、少し重すぎましたね」
「そう、かな……」
「はい。ですが」
リーナは淡々と続ける。
「逃げずに、最後まで立っていました。あれは簡単なことではありません」
思わず、彼女を見る。
リーナは視線を合わせないまま、手当を続けていた。
「私は……戦えない人が、無理をして戦う姿を何度も見てきました」
ぽつり、と。
今までよりも、少しだけ柔らかい声だった。
「それでも、皆さん同じ顔をしていました。怖くて、不安で……でも、逃げなかった」
布を絞る音が、小さく響く。
「純也様も、同じです」
「……そう見える?」
「はい」
即答だった。
「少なくとも、私はそう思いました」
それ以上、言葉は続かなかった。
だが、その沈黙は不思議と重くない。
「ありがとう、リーナ」
そう言うと、彼女は少しだけ目を丸くした。
「……お礼を言われるようなことは、していません」
「でも、嬉しかった」
正直な気持ちだった。
リーナは一瞬だけ視線を逸らし、そして小さく頷いた。
「……そうでしたら、良かったです」
夕焼けが、兵舎の石壁を赤く染めていく。
この世界に来てから、初めて――
ほんの一瞬だけ、“日常”と呼べる時間が流れた気がした。
その夜。
簡素なベッドに横になり、天井を見つめる。
(今日も、死ななかったな)
当たり前のようで、当たり前じゃない事実。
扉の向こうから、かすかな足音が聞こえた。
「……おやすみなさい、純也様」
小さな声。
たぶん、聞こえなくてもいい独り言。
「おやすみ、リーナ」
そう返すと、足音は一瞬止まり――
それから、少しだけ軽くなった気がした。
派手な力はない。
英雄でもない。
それでも。
ここには、確かに――
俺を見てくれる人がいる。
その事実が、胸の奥で静かに灯っていた。




