第12話 補給拠点と黒い影
補給拠点の門が閉じた瞬間、世界が一枚の鉄板で区切られたように感じた。
外の咆哮と爪音は、まだ壁の向こうで鳴っている。けれど門の内側だけは、一息つける。
――しかし、それ以上休むことは現状できそうになかった。
ゴードン・ヴァルハルトは、壁にもたれて座り込む部下たちを横目に見た。
倒れる者。泣く者。吐く者。鎧を外す余裕すらない者。
数えた結果は残酷だった。
「……六百」
守兵が呟いた数字が、拠点の空気をさらに重くした。
二千で突破を試み、門をくぐれたのは六百。
騎士団五千から始まった行軍が、ここまで削れた。
だが――休息の時間はない。
門の外では、魔物の群れが霧散していなかった。
削られて、散って、また寄る。
まるで潮が引かない海のように、拠点へ圧をかけ続けている。
守兵の怒号が響く。
「矢を! 矢を追加だ!」
「岩を落とせ! 壁際に寄せるな!」
「門前、押し返せ!」
ゴードンは歯を食いしばった。
(……王都付近で、これほどの数?)
前線なら分かる。
最前線の魔物は周到だ。狙い、待ち、崩れる瞬間を選ぶ。
だが王都近くで、しかも“組織だった襲撃”など――戦争が始まって以来、経験も報告もなかった。
(異常だ)
補給拠点は王都と前線を繋ぐ喉だ。
ここが落ちれば、援軍は絶たれる。補給は途絶える。
前線は崩れ、やがて王都も籠城戦になる。
ゴードンの頭をよぎったのは、王宮地下の爆発――召喚陣の破壊だった。
犯人は捕まっていない。
だが、ほぼ確定している。
(サーガ……)
魔法大臣――いや、元魔法大臣サーガ。
召喚陣の所在を知っていたのは、本当に一部だけ。
ゴードンでさえ、襲撃の場で初めて知った。
そして翌日、サーガは忽然と姿をくらませた。
犯人は間違いなくサーガ。
そう考えるほど、線が繋がっていく。
さらに軍部では、前線の組織だった襲撃について一つの可能性が推測されていた。
魔王幹部の存在。
魔王幹部は十年間で数度だけ、その存在が戦場で確認された。
圧倒的な強さで、過去の勇者たちが殺されていったと記録されている。
撃退できたのは、過去に一度のみ。
そして魔王幹部は基本的に前線には出ず、魔物を使役しているのではないかとされている。
なぜ圧倒的な力がありながら前線に出てこないのかは不明だが。
(もし……今回がそれなら)
サーガが幹部の一人だとしたら。
この異常な襲撃の指揮が、王都近くで可能だとしたら。
ゴードンは、自分の考えが外れることを祈った。
当たってしまえば、この拠点は潰される。
勇者五人を含め、全員死亡の可能性が高い。
そして――前線は完全に終わる。
もう一つの可能性として前線が既に突破されていることも考えられるが、前線崩壊時には、魔法回線で一回限りの使い捨て通信魔法具による魔報が届く。
それは団長のみが所有する、最重要魔法具の一つ。
――だが、まだ来ていない。
(前線は落ちていない。なら、これは別の“狙い”だ)
敵は、こちらの急所を狙っている。
王都と前線を繋ぐ喉。
そこを噛み千切るための襲撃。
ゴードンは立ち上がり、拠点の奥へ向かい、団長クラスのみ入れる部屋に入る。
そこにあるのは補給拠点に備え付けられた簡易固定魔法通信魔道具――
拠点と王都を繋ぐ、短距離用の魔法通信装置だ。
魔力を通し、短文を叩き込む。
『ゴードン騎士団、補給拠点到達。損耗甚大。残存六百。』
『王都近傍で組織的魔物襲撃。異常。魔王幹部関与の可能性。』
『当たれば拠点陥落、前線補給断絶、前線崩壊の恐れ。至急対策求む。』
送信が終わると同時に、胸が重くなった。
これで王都は知る。
知ったうえで、決断しなければならない。
ゴードンは次に、目の前の問題へ向き直る。
――補給拠点の防衛。
拠点長、ライヤ司令官の執務室へ向かった。
走る兵がすれ違う。矢束が運ばれる。治癒兵が負傷者を引きずる。
この拠点自体が、今まさに削られている。
扉を開けると、ライヤ司令官が地図の上に手を置いていた。
疲労の色は濃いが、眼は死んでいない。
「ゴードン団長……来たか」
「状況は最悪です」
ゴードンは単刀直入に言った。
「群れが引きません。このままでは拠点が持たない」
ライヤは唇を噛んだ。
「分かっている。守兵はいるが、想定より数が多い。押し返しても、また来る」
ゴードンは地図に指を置き、壁の外側――森の縁を示す。
「敵はここを起点に、波のように圧をかけている。誰かが指揮している可能性が高い」
「……魔王幹部か」
ライヤも、同じ結論に達していた。
ゴードンは頷く。
「確証はない。だが可能性は十分。だから王都に報告を送った」
「決断が遅れれば、ここが落ちる」
「ここが落ちれば、前線が落ちる」
ライヤは拳を握り、短く吐いた。
「――守るしかない。だが、守るための“余力”がない」
その言葉に、ゴードンは目を細めた。
「こうなってしまっては仕方ない」
「後続の勇者預かりのゴラン騎士団を待つ」
ライヤの眼が僅かに光る。
「……そうだな。魔王幹部が出てこなければ、それで何とかなる」
ゴードンは息を吐いた。
この拠点を守るのは、ここからが本番だ。
⸻
◆
王都。
夜の王城に、魔報が届いた。
王と宰相、そして軍のトップ――ハーリー総帥が呼び集められる。
魔法通信の短文は短い。だが、そこに詰まった意味は重すぎた。
「……残存六百」
宰相が呟く。
「五千が、そこまで削れたのか」
王は額に手を当てる。
焦燥が、顔の皺に刻まれていく。
「組織的襲撃……魔王幹部の可能性……」
ハーリー総帥が紙を見つめたまま、低く言った。
「確証はない。だが、あり得る」
「そして、当たれば――補給拠点は落ちる」
王が目を閉じる。
補給拠点が落ちれば、前線は崩壊する。
前線補給都市の“副都”も耐えられない。
残る王都は籠城戦を強いられる。
そしてその結末は……
宰相が静かに言った。
「前線が崩れかけている今、補給拠点を落とせば、この国は滅亡します」
ハーリー総帥は、進言した。
「王都にいる主力騎士団は五つ。そのうち機動力で対応できるのは第三騎士団のみ」
「第三騎士団――騎兵で構成された部隊を派遣すべきです。おそらく補給拠点の防衛でゴードン騎士団およびゴラン騎士団の多くは損耗するでしょう。そうなれば、どちらにせよ前線への援軍として機能しなくなるはずです。さらに補給拠点の防衛に時間が掛かれば、前線の崩壊が先に起こる可能性もあります。補給拠点の防衛と前線への援軍を両方叶えるなら、これしかないでしょう」
「加えて、一部勇者を増援として送るべきでしょう。仮に魔王幹部が現れれば、派遣した騎士団が全滅する可能性があります。最低でも補給拠点の騎士団を前線に派遣するために、時間稼ぎをしなければならない。追加で派遣する勇者は、もし全てうまくいき生き残っていたら、補給拠点の防衛および実戦訓練を積ませましょう」
王が顔を上げた。
「勇者を……追加で?」
「はい」
ハーリーは淡々と続ける。
「補給拠点が落ち、前線が崩れれば国が終わります。守るべきは王都ではなく、前線を維持するための補給線です」
「線が切れれば、戦争が終わります。こちらの負けで」
沈黙。
王は、拳を握った。
「……決断する」
王の声が、部屋の空気を切った。
「第三騎士団を派遣せよ」
「そして――特権勇者、神崎隼人を増援に。あやつなら死にはせんだろう」
「さらに、乗馬系スキルを持つ永田凌、天童茜の一般勇者二名を随行させる」
永田凌《馬術無双》《槍術・極》《身体強化・中》
天童茜《無敵突撃》《馬術・上》《身体強化・中》
宰相の眉が、僅かに動いた。
ハーリーが頷く。
決断は下った。
⸻
やがて、命令が走り、呼び出しがかかる。
神崎隼人は、扉が開いた瞬間から笑っていた。
「来た来た来た! 俺の出番だろ?」
「俺が行けば全部終わるってやつじゃん」
乗馬系スキルを持つ一般勇者二名も、同じように息巻く。
茜は、
「遂に外に出られる!」
凌は、
「俺ら、勝ち確じゃね?」
周囲の勇者たちが羨望の目を向ける。
口では「頑張れよ」と言いながら、目の奥では“自分も行きたかった”が透ける。
隼人は肩を回し、得意げに言った。
「見てろよ。褒美も功績も、全部持って帰ってくる」
「王女? 婚約? その辺も現実になるかもな。橘も前線で待ってるしな!」
笑い声。
無邪気な興奮。
戦争を“物語”のまま捉えたままの熱。
宰相は、その光景を少し離れた場所から眺めていた。
表情は変えない。
だが内心では、ひとつだけ思う。
(無知とは――なんと罪なことか)
彼らは知らない。
補給拠点の外で、何が蠢いているのかを。
王都は動き出す。
第三騎士団が走る。
隼人たちは、息巻く。
そして補給拠点では、ゴードンが“黒い影”の正体を祈るように否定しながら、壁の向こうの咆哮を聞いていた。




