第11話 ゴラン騎士団
鉄の馬車の中は、思ったよりも狭かった。
硬い座席。小さな窓。外の景色は、角度を変えてもほとんど見えない。
「退屈すぎない?」
中村裕子が、指先で窓枠を叩いた。
「勇者様は守られてんだよ。退屈なくらいが丁度いい」
大杉大河が、わざとらしく肩をすくめる。強がりの匂いが濃い。
「でも、外の音はするよな」
佐藤航が耳を澄ます。
車輪の軋み、蹄の音、護衛の号令。時おり、遠くで金属が擦れるような音――たぶん、誰かが槍を立て直しただけ。
今のところ、順調だ。順調すぎるほどに。
「王都を出るまでは警戒だって言ってたけどさ」
本田和人が背伸びをし、笑う。
「ほら、やっぱ俺らって“特別”なんだろ。護衛もこんなに付いてるし」
確かに、護衛は厚い。
橘美咲には大隊規模(約八百)の随行に、さらに近衛兵十名。
通常勇者の四人にも、それぞれ中隊(約百)が付いている。
馬車の外で動く気配は、途切れない。
――なのに。
(……なんで、こんなに窓が小さいんだろう)
橘は膝の上で手を組み、静かに息を吐いた。
外が見えないのは「安全のため」と言われた。揺れに酔うから、とも。
嘘ではない。けれど本当でもない気がする。
思い出す。
第二王女セレナが、誰にも聞かれない距離まで近づいてきて、さらりと言った言葉。
『相沢純也は、もう前に出ているわ。……あなたは、あなたの役目を』
理由も、状況も、教えてはくれなかった。
ただ「先に行っている」という事実だけが、胸の奥に小さな棘みたいに残っている。
(相沢くん……今、どこを歩いてるんだろ)
怖い、とは違う。
むしろ、輪郭のない心配。
見えないからこそ、勝手に膨らんでいく不安。
馬車は進む。
昼のうちは、護衛の足音にも余裕があった。
時おり外で「順調だ」「列を崩すな」といった声が聞こえるだけで、馬車の中の空気も軽かった。
だが、夕方を越えた頃から、変化が出た。
匂いだ。
最初は、土と草。次に、汗。
やがて混じってくる、鉄のような生臭さ。
さらに、焦げた匂い。乾いた肉が焼けるような――嫌な匂い。
「……なあ」
佐藤の声が、少しだけ低くなる。
「なんか、匂わね?」
「気のせいだろ」
大杉が即座に被せる。
けれど、その声はさっきより硬い。
本田も、笑いが減った。
「いや、でも……たしかに。血、みたいな……」
橘は、ぎゅっと指を絡めた。
外が見えないのに、匂いだけが入ってくる。
見えない戦場の気配が、鼻の奥に張り付く。
窓の外で、誰かが短く怒鳴った。
「――隊列、詰めろ!」
「周辺警戒、交代! 油断するな!」
その瞬間、馬車の中の空気が変わった。
四人の通常勇者も、口数が減る。強がりが、少しずつ剥がれていく。
「……まあ、護衛がいるし」
大杉が言う。
言いながら、目が泳いでいる。
「そうだよな。俺らが戦うのは“前線拠点”だし」
本田も同調する。
誰に言っているのか分からない言葉だった。たぶん、自分に。
日が落ち、野営の合図がかかった。
馬車が止まり、護衛の声が飛び交う。
「勇者様は降車! 指定の場所へ!」
「灯りを絞れ! 火は小さく! 匂いを立てるな!」
勇者用のテントが、男女別で用意されていた。
王宮ほど豪奢ではないが、食事は“そこそこ”良い。温かい汁物も、肉の塩焼きも、硬いパンもある。
――普通なら、ありがたいはずの食事。
「風呂は?」
大杉が当然のように聞く。
「ありません」
護衛の騎士が、即答した。
「水も貴重です。飲む分を優先します」
「は? 俺ら勇者だぞ?」
佐藤が声を荒げるが、すぐに萎む。
周囲が慌ただしすぎた。
騎士たちが、異様な速度で陣を作っている。
柵。縄。簡易の見張り台。
火を消す。灯りを隠す。
まるで“何かが来る”前提で動いている。
橘は、食事を咀嚼しながら、喉が渇くのを感じた。
(……何が起きてるの?)
誰も教えてくれない。
聞いても「大丈夫です」としか返ってこない。
やることがなくなり、勇者たちは寝床に入った。
だが、眠気より先に、外の音が気になってくる。
騎士の足音。怒号。鎧の擦れる音。遠くで一度、甲高い悲鳴のような声。
そのまま、どれくらい経ったか。
突然、テントの外がざわつき、声が飛んだ。
「勇者様、至急、馬車へ!」
「すぐに出ます! 荷は置いてください!」
橘は跳ね起きた。
大杉たちも、何か言い返す余裕すらない。
状況が分からない――その分からなさが、恐怖を増幅させる。
馬車に押し込まれ、扉が閉められる。
直後、馬車が動き出した。さっきまでの速度じゃない。明らかに速い。全速力の行軍だ。
「おいおいおい、何だよこれ……!」
佐藤が叫ぶ。
「説明しろよ!」
大杉が壁を叩く。鉄が鈍く鳴る。
返事はない。
外では、護衛の怒号だけが飛び交っていた。
「急げ! 速度を落とすな!」
「間隔を詰めろ! 離れるな!」
橘の胸が、きゅっと縮む。
怖い。
でも、何が怖いのかが分からない。分からないから、余計に怖い。
そんな中、馬車の扉が外から叩かれた。
短い合図。すぐに開く。
現れたのは近衛騎士だった。表情が固い。
「橘美咲殿」
声が低い。
「スキルの発動を要請します。――今すぐ」
「え……い、今?」
橘は喉が詰まる。
戦闘はしない、と言われていた。
前線拠点は比較的安全だ、と。
近衛騎士は言葉を選ばない。
「歩兵の消耗が激しい。回復が必要です。あなたの《エリアヒール》を」
橘は、震える指を胸に当てた。
自分のスキル。
範囲と効果は、スキルレベルに応じて変動する――その詳細は“現時点で開示不可”。
それでも、できることはひとつ。
「……分かりました」
橘は目を閉じ、息を整える。
そして、スキルを発動した。
胸の奥から、静かな熱が広がる。
波紋のように、透明な何かが外へ滲んでいく感覚。
馬車の外へ。護衛へ。走っている兵へ。
同時に、外がさらに慌ただしくなる。
「治癒が入った! ……動ける!」
「踏ん張れ! 列を崩すな!」
「――前へ! 前へえええ!」
その中に混じる、別の音。
金属が肉に当たる鈍い音。
短い呻き声。
何かが倒れる音。
勇者たちは、完全に黙った。
強がりも、文句も、出てこない。
橘は唇を噛み、ただ祈るようにスキルを維持する。
(お願い……誰か、死なないで)
祈りの先が誰なのか、自分でもはっきりしない。
でも、ふと頭に浮かぶのは――前にいる、相沢の背中だった。
鉄の馬車の中で、勇者たちは初めて理解し始める。
自分たちは“守られている”のではなく、“運ばれている”のだ、と。
そしてその運搬は、いつでも壊れるのだ、と。
⸻
◆
同じ夜。
少し前――野営地。
ゴラン団長は、陣の外れで地図を広げていた。
騎士団約一二〇〇。補給部隊約六〇〇。
勇者五名を預かり、前線へ運ぶ“護送”が任務。
近衛騎士は指揮系統から外れ、橘美咲の護衛に専念している。
その分、判断と責任はゴランに集まっていた。
彼は実戦経験が豊富だった。
三度、最前線に出て生き残った。
だからこそ――嫌な予感には慣れている。
そして、その嫌な予感は当たった。
夜闇を裂いて、伝令が飛び込んできた。
肩が裂け、血を垂らし、息が乱れている。
「ゴラン団長ッ! ゴードン騎士団より急報!」
伝令は膝をつき、言葉を吐き出した。
「魔物の群れの急襲……! 騎士団は群れの退治ではなく、全滅を防ぐ行動を選択……! 多数の死傷者! 補給拠点へ向かっていると……!」
ゴランの眉が、わずかに動いた。
退治ではなく、生存優先。
それは、“数が違う”という意味だ。
さらに、伝令は言った。
「群れが――こちらへ向かう可能性も……!」
ゴランは即断した。
「野営解除」
声は低いが、迷いがない。
「今すぐ出る。全隊、出発準備!」
部下が息を呑む。
夜営を解除すれば、兵は休めない。
だが休んでいる間に、群れが来れば終わる。
ゴランは続けた。
「補給拠点が落ちれば、王都と前線の線が切れる」
「ヘタをすれば、王都が戦場になる」
「――なら、補給拠点の手前で群れを押し返す。援軍に向かう」
救援は危険だ。
だが救援しなければ、もっと大きな死が来る。
命令が走り、陣が解体されていく。
火は消され、荷はまとめられ、列が組まれる。
そこで、ゴランは“切り札”を使う決断をした。
「近衛へ伝えろ」
「橘美咲に《エリアヒール》の発動を要請する」
「倒れている兵を拾いながら進む。救護しつつ、前へ出る」
護送任務のはずが、救援行軍になる。
だが状況が変わった以上、役割も変わる。
馬車が呼ばれ、勇者が乗せられる。
外が見えない鉄の馬車。
逃走防止にもなる。――今はそれがむしろありがたい。
行軍が始まると、すぐに“現実”が落ちていた。
道端に倒れた兵。
血まみれの盾。折れた槍。置き去りにされた荷車。
呻き声が、闇に溶けている。
「生存者だ!」
「担げ! 馬に乗せろ!」
「治癒が必要だ、急げ!」
そこで《エリアヒール》が広がった。
橘のスキルは、派手な光ではない。
だが、確実に効いた。
倒れていた兵の指が動く。
浅い呼吸が、少し深くなる。
立てなかった者が、壁に手をついて立ち上がる。
「……動ける」
「うそだろ……身体が……!」
救える数が増える。
その結果、道中で救出できた負傷兵は三〇〇近くに達した。
さらに、置き去りにされた物資も確認できた。
食料。回復薬。包帯。矢。
重要物資だけを素早く回収し、荷を最適化して進む。
当然、それらを“ただ拾っている”わけではない。
魔物の散発的な襲撃はあった。夜の闇は敵の味方だ。
だがゴラン騎士団は、質が違った。
スキル保有者が多い。
索敵、拘束、迎撃、支援――役割が最初から決まっていて、崩れない。
「右、接触」
「矢で落とせ」
「止める、刺すな、止めろ」
「回収班、今!」
戦闘しながら救護し、救護しながら回収し、それでも大きな損失は出さない。
王国が温存していた騎士団のひとつ。
その意味を、ゴラン自身が一番よく分かっていた。
そして、前方が開ける。
補給拠点が見えた。
――だが。
光景に、さすがのゴランの顔色も変わった。
門の外側が、黒い。
魔物が群れ、押し寄せ、壁に貼り付くように蠢いている。
守兵の矢が雨のように降り、火が上がり、叫びが響く。
補給拠点が、すでに戦場だった。
「……間に合え」
ゴランは低く呟き、剣の柄を握り直す。
「全隊、速度を上げろ!」
「突破じゃない――救いに行くぞ!」
鉄の馬車の中で震える勇者たちを乗せたまま、
ゴラン騎士団は、闇の戦場へ突入しようとしていた。




