第1話:雨の路地裏と、高慢ちきな白い猫
王都の片隅に店を構えて三年。
俺、アレン・クロフォードの日常は、ガラクタのような魔道具の修理と、趣味の料理に費やされていた。
前世の記憶――などという厄介な代物を持っていなければ、俺も普通の職人として生涯を終えていただろう。
だが、あいにく俺には記憶があった。
剣を振り回し、国を守るために命を賭け、そして守るべき対象であった「聖女」
に、これ以上ないほど冷酷に振られた、あの忌々しい記憶が。
「……雨か。ついてないな」
買い出しの帰り道、俺は濡れた石畳を急いでいた。
夕暮れを過ぎ、王都の下町には重たい雨が降り注いでいる。
俺が通りかかったのは『黄昏の路地裏』と呼ばれる、治安の悪い一角だ。
普段なら近寄らない場所だが、近道を選んだのが裏目に出たらしい。
薄暗い路地の奥で、泥水に濡れた何かが視界に入った。
「……ん?」
それは、薄汚れた白い毛玉だった。
いや、よく見れば猫だ。
泥にまみれ、痩せ細り、雨に打たれて震えている。
もう長くはないだろう。
通り過ぎようとした、その時だった。
「にゃあ……」
か細い、けれど妙に尊大な響きを含んだ鳴き声。
思わず足を止め、俺はその猫を覗き込んだ。
猫は弱りきっているにもかかわらず、俺を見上げる瞳だけは鋭く光っていた。
サファイアのような、深く澄んだ青い瞳。
俺の心臓が、ドクリと嫌な音を立てた。
その目は、知っている。
俺を見下し、ゴミを見るように冷たく言い放った、あの女の目と同じだ。
『身の程を知りなさい、近衛騎士風情が』
脳裏に蘇る、至高の聖女セシル・フォン・エスティアの声。
俺の純情を踏みにじった、高慢ちきな女。
「……ははっ、まさかな」
俺は苦笑して、傘をその猫に差しかけた。
猫は「何を気安く」とでも言いたげに、シャーッと威嚇の声を漏らす。
だが、体力が限界なのか、すぐにぐったりと崩れ落ちた。
このまま放っておけば死ぬだろう。
かつての聖女と同じ目をした、この生意気な猫は。
俺の中で、どす黒い愉悦と、どうしようもない未練が交錯した。
「いい気味だ。あんなに偉そうだった聖女様みたいな目をして、今は泥まみれで俺に拾われるのを待ってるなんてな」
俺は荷物を持ち替え、その汚れた猫を抱き上げた。
猫は抵抗しようとしたが、俺の腕の温もりに触れた途端、抗う力を失ったように脱力する。
「おい、勘違いするなよ。助けてやるわけじゃない」
俺は猫の耳元で囁いた。
前世の鬱憤を、この小さな獣にぶつけるように。
「お前があまりに惨めだから、俺が飼ってやるんだ。これからは俺の作る飯なしじゃ生きられない体に作り替えてやるから、覚悟しておけよ」
猫は、ふんと鼻を鳴らしたように見えた。
どこまでも態度のデカい猫だ。
俺は魔道具店『歯車と鍋』への帰路を急ぐ。
腕の中の小さな温もりを、今度こそ逃さないように抱え直しながら。
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【登場人物】
- アレン・クロフォード: 主人公。前世の記憶を持つ魔道具技師。
- セシル・フォン・エスティア(猫): ヒロイン。前世でアレンを振った聖女。現在は記憶を持ったまま猫になっている。
【場所】
- 黄昏の路地裏: 王都の下町にある薄暗く治安の悪い路地。アレンが猫を拾った場所。
- 魔道具店『歯車と鍋』: アレンの職場兼自宅。一階が店舗、二階が住居となっている。
【アイテム・用語】
- 前世の記憶: アレンが保持している、聖女の近衛騎士だった頃の記憶。




