無能聖女
アンジェラ・ハイマートは、聖女である。
人々は口を揃えてそう呼ぶのだ。ありがたいことに。
さて、聖女と聞いてどんな姿を思い浮かべるだろうか。
涙ながらに人々を癒す清らかな乙女?
貧者にパンを配り、戦場で傷ついた兵士に祈りを捧げる慈母?
その美しい微笑み一つで世の不幸を洗い流してくれる奇跡の存在?
馬鹿を言っちゃいけない。断じて否である。
聖女とは要するに、他人の尻拭い係だ。
誰かが怪我をすれば治療、飢えれば炊き出し、呪われれば解呪。
あまつさえ、悩み相談まで受け付けている。
清らかなる愛の行為? 否、単なる後始末の連続だ。
「あー……働きたくありません。一生寝ていたいです」
朝というにはすでに遅すぎる時刻。
職場兼寝床である寂れた教会の玄関を開いて、二度寝を終えたアンジェラは今日も今日とて欠伸をする。
「聖女様……あの……治癒を……」
「ん?」
掠れた声に目を向ける。
殺風景な玄関前には、ボロ雑巾のような冒険者が数人転がっていた。
骨は折れ、血は吹き出し、衣服は焦げ、目はうつろ。
毎年春になると湧いて出る新米冒険者たちが、調子に乗って魔物に突撃し、盛大に返り討ちに遭う。
この季節の風物詩だった。
(あ〜あ、もう春ですねぇ。朝から嫌なもの見ちゃいました)
顔をしかめたアンジェラは、郵便ポストにぎっしり詰まった書簡の束を引っこ抜くと、そのまま礼拝堂へと引き返す。
倒れ伏す連中には目もくれない。
背後から血まみれの冒険者がかすれた声で叫ぶ。
「お、おい! ちょっと待て! どこ行くんだよ!」
「あー……今日の礼拝は禁止です。聖霊様がお休みになりたいって言ってましたので」
「は、はぁ?」
馬鹿には意味が理解出来なかったらしい。
ぽかんとした顔の冒険者に、さようならの意味を込めてアンジェラは手を振る。
「治療なら玄関に置いてあるポーションで。お代は献金箱にお願いします。踏み倒したらバチを当てるので、そのつもりで」
魔法による治療行為は、この教会では基本的にNG。
大体の怪我はお手製のポーションで治るので、其方を積極的にアンジェラは推奨している。
業務の効率化というやつだ。
「おい、あんたそれでも聖女か!」
「もちろん聖女様ですよ。それじゃお大事に」
こちらに向けて何かを盛んに罵っている声を、パタンと玄関を閉じて封殺する。
人でなし、という単語だけは聞き取れた。
「なぁにが人でなしですか。バチ当たりめ」
ぶつぶつと呟きながら、アンジェラは椅子に深く腰掛ける。
礼拝堂に響くノックの音を無視しながら、手紙の束を確認して思わずため息を吐く。
「あ〜またこれですか。最近始めた「お悩み相談室」のせいで、郵便が増えて仕方ありませんね」
ウンザリするようなポストの中身は、相方である少女の提案で始めた「お悩み相談」の書簡が殆どだった。
『恋人が浮気しました』『娘が家を飛び出しました』『悪夢を見ます』『家畜が言うことを聞きません』……etc。
「知りません」
燃やしてしまおうかと一瞬思うが、過去に相方にバレてえらい目に遭ったのでやめておく。
仮にも聖女様が、迷える子羊の悩みを束ごと焼くとは何事かということらしい。次は魔具を振り回すだろう。
アンジェラの小間使いは、神経質で遠慮がないのだ。
「おい。今、そこでボロボロの連中とすれ違ったが。あの連中は一体どうしたんだ?」
噂をすれば影。
裏口からそんな言葉と共に、教会唯一の小間使いである少女、ゾンネが入ってくる。
仕事はきっちりこなすが、捻くれていて傲慢な同居人。
箒を手に持っている所を見るに、アンジェラが寝ている間に庭の掃除でもしてきたのだろう。
「どうしたもこうしたもありません。勝手に魔物に突っ込んで、勝手に死にかけて、勝手に転がってただけです」
「ふむ。で、聖女様は何を?」
「聖霊様の御意志に従い、静観を貫きました」
アンジェラが涼しい顔で答えると、ゾンネは呆れたようにため息を吐いて奥へと茶を淹れに引っ込んだ。
やがて湯気の立つ湯呑を二つ手に戻ってくると、アンジェラの向かいに腰を下ろす。
「またポーションを渡して、無理やり献金させたのか?」
「人聞きの悪いことを言わないで下さい。私は労働に対して正当な対価を求めているだけです」
アンジェラは書簡の束を脇に放り投げ、煎れられた茶を片手に大きく伸びをする。
第一、無料でポーションの配布をやっていた先代がおかしいのだ。
お陰で教会にはまったく貯蓄がない。お金のやりくりにも一苦労である。
「あのガキども、血まみれのまま通りに戻っていったぞ。ポーションで間に合うのか?」
「大丈夫ですよ。たぶん」
「おい、多分ってそんな曖昧な。もし死んだらどうするつもりだ?」
「ポーションで治らないような大怪我なら、そもそもここまで来れないと思いますけど……ま、もしもの時は仕方ないですね。私、魔法使えませんし」
そうなのだ。
聖女だというのに、アンジェラは魔法が使えない体質であった。
お陰様で、街の住民からは”無能聖女”なるあだ名を頂戴した。絶対に許さない。
ゾンネは呆れた顔で、籠の中からパンを一つ取り出して噛みちぎった。
「そのために私がいるんだろうが。判断が曖昧な時は呼べ」
「却下です。先月、働き過ぎで魔力が枯渇してましたよね。また今月もぶっ倒れるつもりですか?」
その言葉に、教会唯一の治癒魔法の使い手がヒクッと顔を引きつらせる。
「……ま、まぁ、あれだな。冒険者側にも落ち度があるか。アンジェラの判断も、理解できなくはない。一度くらい痛い目を見なきゃ、学べない奴ってのもいるしな」
ゾンネが茶をすすりながら、気まずそうにそう言った。
アンジェラは横目でちらりと彼女を見て、ふふんと鼻で笑う。
「手のひらを返すのが早いですね。さっきまで“死んだらどうする”とか言ってたくせに」
「う……いや、だからそれはその……万が一ってこともあるだろうが。死なれたら色々と面倒なんだぞ?責任問題とか世間体とか……」
「だからといって、奇跡を安売りするのはいけません。奇跡とは然るべき時に振るわれるからこそ、奇跡足りうるんです。乱用して、わざわざ価値を落とす必要はありません」
ゾンネはむすっと眉を寄せて、口元にカップを押し当てた。
言いたい事は色々とありそうだが、アンジェラの言葉にも一理あると思ったのだろう。
ちなみに、これでもちゃんと怪我人の見極めはしている。
慈悲の心は持ち合わせていないが、アンジェラにも職責は一応あるのだ。
「大体、馬鹿正直に全部魔法で治してたら身体が持ちませんよ。効率も悪いです。この街の住民は頑丈なんですから、これくらいでちょうど良いんです」
「言ってる事はわかるが……人の心がないな」
「馬鹿言わないでください。私は聖女ですよ聖女。今生きている人間の中で、一番人間らしいと聖霊から太鼓判押して貰ってるんです。むしろ良心の塊のような乙女ですよ」
「良心の塊ねぇ?」
何だろうか、その疑うような目は。
馬鹿な冒険者やイカれた街の住民に愛想を尽かさず、こうして教会で聖女をやっているだけでも十分に良心があると自負しているのだが。
茶を一口すすったゾンネが、アンジェラの無造作に積まれた書簡の山に目をやった。
「せめて封筒の一つくらい開けろ。聖霊様が泣いているぞ」
「必要ありません。大体が痴情のもつれか恋愛相談ですから」
「……またか。先週も女関係で懺悔に来た奴がいたよな。恋は盲目って言うが、そこまで何も見えなくなるものなのかね」
机の上の封筒の束をひとつ指でつつくと、恋愛経験皆無のアンジェラは肩をすくめる。
「恋がどういうものかは知りませんが。ここに来て、辛気臭い愚痴と相談を一時間近く吐き出していくのはやめて貰いたいですね」
「そのうち、女に刺された馬鹿が教会に運び込まれるんじゃないか?この街は、冒険者のハーレムパーティもそこそこいるからな」
「考えたくありませんねえ。大体、冒険者の街なのにドロドロした事件が多すぎなんですよ」
アンジェラは、ポストから抜き取ったまま放置していた書簡の山をテーブルの端にどかすと、そこに脚を投げ出した。
脱力の極みといった姿勢で、カップを口元へ運ぶ。
「あー今日はお肉の気分です。お肉を買ってきて下さい」
「肉だと?月末で懐はカツカツだ。本部からの支給はまだ先なんだぞ」
「献金箱から取ってくれば良いでしょう。そこそこ溜まってきてます。まだ教会本部に送金もしていない筈です」
「おい、それでは献金泥棒だ。横領だぞ」
可愛い我が小間使いは、献金を使う事に抵抗がある様子だ。
善意の寄付だから私用に使うのはマズいとでも考えているのだろう。
チッチッとアンジェラは指を振る。
「気にする事はありません。あれは日頃、お世話になっている聖霊様への感謝の気持ちとして納められたものですよ。聖霊様に代わり、彼らを救っている私達が使って何が悪いのですか?」
「はぁ……まったく。じゃあ、ついでに新しいモップも買ってくる。前の奴は、お前が聖水ぶちまけて駄目にしたからな」
ゾンネはゆるく頭を振りながら立ち上がり、玄関の方へ歩き出す。
「お願いしますよ〜。ついでに何か甘いもの買ってきてくれると、聖霊様がきっとお喜びになると思います」
「お前が食いたいだけだろ」
捨て台詞と共に、パタンと玄関が閉まる。
それを見送ってから、アンジェラはふぅっと息を吐いた。
「……さてと。うるさいのもいなくなったし、私も三度寝しますか」
ソファーにごろりと横になると、アンジェラはぼんやりと天井を仰いだ。
そこにはひび割れた天井画と、埃にまみれた聖人像。神々しいどころか、カビ臭い。
誰かが言った。
神に近い者ほど、地に這う羽目になると。
「なんでこんな事になったんでしたっけ……」




