水神様の祟り
夏の夕暮れ、村外れの小さな池は水面を静かに揺らしていた。
誰も近づかなくなったその池には、古くから水神様が祀られていると伝えられていた。
子供の頃から祖母に聞かされていた話では、水神様は怒ると村人を水の底に引きずり込むという。
しかし、都会から来た青年・和也は、そんな話を信じていなかった。
村の祭りで知り合った友人に誘われ、好奇心だけで池のほとりまで足を運ぶ。
沈む夕日が水面に赤く反射する。和也が池を覗き込むと、底は黒く深く、何も見えない。
ふと、水面の揺れに合わせて、どこからか小さな声が聞こえた。
「……こっちにおいで……」
風のせいだろうと笑い飛ばそうとしたが、声は確かに人の形をして近づいてくるように聞こえる。
恐る恐る顔を近づけると、静まり返った水の中に、白い腕がひらりと浮かんだ。
和也は咄嗟に後ろに飛び退いた。心臓が激しく跳ねる。
だが、そこにいたのは友人二人だけで、池は再び静まり返った。
「なんだ、ただの夕日か?」友人が笑う。しかし和也は笑えなかった。
どこか、確実に誰かに見られている気配があった。
その夜、和也は夢を見る。深い黒水の中、白い髪の少女が手を伸ばしてくる。
声はささやきで、耳元で囁く。
「来て……一緒に……」
夢から目覚めても、胸の奥には得体の知れない重みが残った。
翌日、村の老人にその話をすると、彼は青ざめた顔で言った。
「……池には近づくな。水神様は、昔からよそ者に容赦がない」
その警告を聞いた瞬間、和也は背筋が凍った。好奇心の先に何か、
もう戻れない世界があることを、彼は直感した。
それでも和也は、その夜、懐中電灯を手に再び池へ向かう。
好奇心と恐怖が交錯して、足が止まらなかった。
水面に光を落とすと、そこには誰もいない。
しかし、波紋の中心に、人の影が立っていた。いや、影だけでなく、顔もある。
赤く光る瞳がじっと和也を見つめる。
「……こっちに来て」
声は、夢と同じだった。体が硬直する。走ろうとしても、足が地面に吸い付くように動かない。
水面の影は、ゆっくりと岸に向かって伸びてくる。
必死に手を伸ばした瞬間、水底から冷たい手が掴んだ。
和也は悲鳴を上げ、もがく。空気は次第に重く、息ができない。
周囲の景色はすべて黒く濁り、水の中の世界だけが現実になった。
そのまま和也は水の底へ引き込まれ、赤い夕日は遠くに揺れる。
水神様は静かに、しかし確かに、彼を抱き込んだ。
翌朝、村人が池を覗き込むと、水面には何も浮かんでいなかった。
ただ、深く澄んだ水の中に、誰かの影がゆらりと揺れていた――
水神様は、夏の終わりとともに、また静かにその場所で待っている。