夜のクエスト
真面目な優等生だと誰からも思われていた晴樹は、その実、そんな自分を誰よりも疎んでいた。
だから、色々と不穏な噂のある森下ことりから「変わりたいんなら夜のクエストしてみる?」と言われて、頷いてしまったのだ。
「今夜11時に、中央図書館の前に一人で来ること。できる?」
「できるさ」
まさか、夜が怖いと思われてるのか。
中学二年にもなって、そこまでお子様ではない。
「じゃあ待ってるね」
ことりが微笑む。年相応の中学生らしい笑顔。
所詮、噂は噂だと、晴樹は思う。
夜の11時。
首尾よく家を抜け出した晴樹は、夜の街を抜け、図書館の前で待っていたことりに声を掛けた。
「ちゃんと来れたんだね」
「当たり前だろ」
ことりは薄手の、今にも下着が透けて見えそうなきわどい服を着ていた。夜の闇よりも晴樹はそのことの方に動揺した。
「じゃあ、クエストその二」
「え?」
ことりは不意に晴樹の手を掴むと、図書館の植え込みの陰に引き込む。
「な、何だよ、急に」
「しっ」
ことりが唇に指を当てる。その艶めかしい動作に、晴樹は生唾を呑み込む。
「この図書館の裏に、何があるか知ってる?」
「何って……」
思い出すまでもなかった。道の先から答えとなる人物が歩いてくるのが見えたからだ。
「……交番」
「そう。ケーサツ」
ことりは楽しそうに頷く。
「こんな時間に中学生が外でこんなことしてたら、シンヤハイカイとフジュンイセーコーユーでホドーされちゃうんだよ」
「えっ」
ことりがすらすらと並べた単語が、頭の中でとっさに変換できなかった。
「ケーサツから学校と親に連絡が行くよ。優等生も今日でおしまいだね」
暗がりで、ことりの唇がぬらぬらと光っていた。
晴樹は、自分が築いてきた信用が崩れ落ちていく音を聞いた気がした。
こつこつと硬い靴音を響かせながら、制服の警察官が近付いてくる。
「飛び出してみようか」
ことりが囁く。
「きっとびっくりするよ」
晴樹は自分がそうすることを想像する。手に汗が滲むほどの緊張と恐怖の中に、甘美な何かが含まれていた。
けれど、結局晴樹は動けなかった。まるで機械のように一定の歩幅で、警察官の背中は遠ざかっていった。
「行っちゃった」
植え込みから顔を出して、ことりは少し残念そうに言うと、晴樹を振り返り、その青ざめた顔を見て目を細める。
「じゃあ、クエストその三。……やる?」
ことりの唇が街灯の灯を反射して、妖しく光っている。
晴樹は何も答えられず、それを見つめていた。