クリスマス・イルミネーション
この町に住み始めた三十年前、駅前の大型ショッピングモールで行われるイルミネーションはクリスマスの恒例行事だった。
当時は、華やかな電飾のすき間を数多くの若者達が行き交って、うんざりするくらいに賑わっていた。
あれから年月が過ぎ、時代は変わった。
行き交う人の数は年々と減ってゆき、たまに通るのはデマンドバスで買い物に来たお年寄りくらいになった。
それでもイルミネーションは毎年行われていたが、人気のない石畳に映る煌びやかなイルミネーションは寒々しいものだった。
そして十年前、ついにそのショッピングモールが閉店した。
建物は取り壊されることもなく放棄された。
その年のクリスマスに、私は遺された廃墟を電飾で飾り付けた。
質素で不格好なものにはなってしまったが、それでもイルミネーションの伝統だけは守ることができた。
たまに行き交う人が足を止めて見入るのを見て、「来年も続けよう」と決意したことを昨日のことのように思い出す。
その後も人は減り続けた。
三年前には、ついに駅周辺に住む人間が私一人になってしまった。
それでも私はクリスマスの時期になると廃墟を飾り、イルミネーションを灯し続けた。
駅利用者が私だけになったことで、鉄道会社から駅そのものを廃止したい旨の連絡があった。
だが、私にとっては長年親しんできた大切な駅だ。
交渉の末、何とかホームと駅舎の一切を私自身で管理するという条件で存続させてもらえることになった。
管理と言っても、私以外に利用する人がほとんどいない駅なので大したことはない。
ただ、かつて一日二万人ほどの乗降者がある駅だった名残で、設備が過剰なのは事実だった。
自動券売機は、定期券、特急券が販売できる一台を残してすべて撤去し、自動改札機も一台だけにした。
使用できるトイレは多目的トイレのみとし、残りのトイレは立ち入り禁止にした。
エスカレータ、エレベータは、老朽化を理由に鉄道会社によって撤去済みだったので私の方で何かをする必要は無かった。
ホーム上の電光掲示板や看板は落下すると危険なので撤去し、インターネットを通して販売した。
マニア達の間での反響は大きく、あっという間に完売した。
かつて、この町は東京都下のベッドタウンだった。
私が住み始めた当時、市の人口は十万人ほどいたと聞いている。
その当時は、東京一極集中の弊害としての人口急減が各自治体で顕在化し始めてた時期ではあるものの、その後三十年でこれほど衰退が進むことを予見している人はわずかだった。
だが、地方から活力ある若者を吸い尽くした東京で、急速な少子高齢化と人口減少が進むことは、数字を見れば簡単に予見できることだった。
加えて、高齢者向けの福祉サービス付きマンションが流行し、多くの人間がそういった物件に移り住んだことで、各地のベッドタウンでは空洞化が急速に進行した。
また、この町に限った話で言えば、大きな工場が地方に移転したことで一気に若者が減ってしまい、人口減少に拍車を掛けた。
今から二十年ほど前のことだ。
今年もまたクリスマスが迫ってきた。
イルミネーションは今年で最後にするつもりだった。
見る人が誰もいないのは構わない。
だが、私は歳を取ってしまった。
身を切るような寒さの中、連日に渡って外で作業を続けるのは流石に堪える。
最後のイルミネーションではLEDではなくガス灯を使うと決めていた。
若い頃、明治時代にはガス灯を使ったイルミネーションが行われていたと聞いたことがあり、その時からずっとガスのイルミネーションに憧れていたのだ。
本当はもっと早く挑戦してみたかったのだが、今年になるまでお預けにしておいたのは、化石燃料由来のエネルギーの使用がゼロ・エミッション法で禁止されているからだ。
法律の規制があるのでガスは手に入らないが、この時のために昔買っておいたカセットボンベを残してある。
そんなものを使っていることが分かれば即刻お縄だが、警察も人手不足だ、こんな誰もいない場所を巡回するほど暇ではないだろう。
それに、最後にイルミネーションを灯すことさえ叶えばこの身がどうなっても構わない。
準備には、いつもの何倍もの手間が掛かった。
だが、イルミネーションの規模はいつもの数分の一だ。
クリスマスイブの夜、夜の静けさを乱さないように、私はそっとマッチを擦った。
小さな吹き出し穴の並ぶガスパイプが、一斉に光を放った。
炎のゆらめく音さえもはっきり聞こえてくる。
今この世界にいるのは私一人だった。
ガス灯の光を眺めながら、人口十万、東京都下のベッドタウンだった三十年前を思い返した。
当時は、東京一極集中の弊害としての人口急減が各自治体で顕在化し始めた時期ではあるものの、その後三十年でこれほど衰退が進むことを予見している人はわずかだった。
だが、地方から活力ある若者を吸い尽くした東京で、急速な少子高齢化と人口減少が進むことは、数字を見れば簡単に予見できることだった。
加えて、全国的なコンパクトシティ構想の流れの一つとして地方中核都市に高齢者向けの福祉サービス付きマンションが乱立し、多くの人間がそういった物件に移り住んだ。
多聞に漏れずこの町でも転出が相次ぎ、空洞化が急速に進行した。
さらには、二十年ほど前、この町最大の工場が地方に移転したことで一気に若者が減ってしまい、町はあっという間に限界集落の様相と化したのだ……。
永遠に続くとさえ思われた静寂は、しかしあっさりと打ち破られた。
無骨なインバータ音とともに、電車が駅に到着したのだ。
とはいえ、降りてくる者など誰もいないのだろう。
ほんの十秒ほど停車し、電車はすぐに発車して行った。
駅前はすぐに静寂を取り戻すだろうと思った。
しかし、その予想は意外にも裏切られた。
「見てママ!キレイ!」
幼い声が耳に飛び込んでくる。
振り返ると、若い女性が幼い少女の手を引いて駅舎から出てくるところだった。
「あら!でも、ちょっと寂しいメッセージね」
母はそう呼応した。
「そうなの?」
まだ英語が読める年齢ではないのだろう。
少女は首をきょとんと傾げるばかりだ。
「なんて書いてあるの?」
少女は問う。
母は困った表情を浮かべながら、
「そうね、クリスマスにしてはちょっと悲しい言葉ね」
と答えた。
「悲しくなんかないよ、ママ」
「え?」
母は驚いて娘の顔を見つめる。
少女は笑って、
「だって、光が楽しそうにゆらゆら揺れてるもん!」
と言った。
「だからね、メリー・クリスマス、だよ、ママ!」
少女の表情は、ガスの炎なんかよりずっと眩しい笑顔だった。
母もそのその表情につられて、
「そうだね……メリー・クリスマス、だね!」
と笑った。
最後のイルミネーションで誰かを笑顔にできるなんて夢にも思っていなかった。
でも、それは少女がとても無垢だったからだ。
どうしようもなく自分が不甲斐なく、後悔が押し寄せてくる。
もちろん、今更後悔したところで意味など無いことは分かっている。
過ぎ去った時間は決して戻っては来ない。
この町を去って行った人々のように。
私が最後のイルミネーションに込めたのは、そうやって過ぎ去った全ての過去に向けたメッセージだった。
だが、私が本当にメッセージを向けるべき相手は、無限の可能性に満ちた未来ではなかったか。
毎年イルミネーションを灯すことで、私は常に希望を守る側の人間であり続けてきたつもりだった。
だが、そんな私も知らず知らずのうちに老いぼれて、未来を見失っていたのだ。
顔を上げると、もう光は消えかけていた。
間もなくガスが尽きて、完全に消えてしまうだろう。
そうしたら、もう二度とガスは使えない。
もっとクリスマスに相応しい、みんなが楽しくなるようなメッセージを描き出す機会は永遠に巡って来ないのだ。
You turned your town into a past.
その一文は、やがて行き場のないやるせなさだけを残して夜闇に消えた。