長文タイトルを全力で擁護する ~沈黙は金、多弁は銀。でもタイトルなら……?〜
「最近の小説タイトル長すぎ!」「こんなのあらすじじゃん!」
この手の批判とも愚痴ともつかない話って結構なところで目にするよね?
けど、私に言わせればその手の話なんて散々語りつくされた手垢でベタベタなテーマにすぎないと思う
そもそもこの指摘ですら散々手垢まみれなんだから
にも関わらず長文のタイトルについてあーだこーだ言い合う
みんな小説が好きなんだなぁ……
私も小説が好き
最近はあんまり読めてないし、なろうのランキング作品どころか著名なものでも数えるほどしか読んでいないけど
でも私はなろうのことが好き。みんなが思い思いに小説を書き、それを読んでいる
子どもの頃小説を書いても読んでくれる相手なんていなかったし、同好の士にも会えなかった
そんな時代を考えると、好き勝手小説を楽しめるなろうが愛しく思えてしまうんだよね
だからこそ私はなろうでもよくやり玉に挙げられる『長文タイトル』について擁護してみようと思う
なろうで小説を読もう、書こうとしている人の何かしらの励みになれたら嬉しい
※注意※
このエッセイは私個人の思想に過ぎず、長文タイトルが苦手!という人の考えを否定するものではないよ
ただあくまで「長文タイトルそんな嫌いじゃないんだけどな……悪く言われてて悲しい」という人が、「まあ私は好きだからいいか」と思うために役立てたらいいな~程度の駄文なので、気楽に読んでね!
だから批判も肯定もご自由に
目次
1.長文タイトルへの忌避間の推測
2.長文ばかり流行ればなろうや小説文化が衰退しちゃう……?
うるせぇ!行こう!
3.長文アレルギーの人らへの配慮……?しなくてOK!
4.読者を掴み続ける、たったひとつのメソッド
おまけ
知ってた? タイトルが長くなってた人気作品たち
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1.長文タイトルへの忌避間はなんであるの?
なろうのランキングを見ると、とっても長いタイトルの作品が多い
これを見て「おっ! これ読も!」となる人もいれば、「ふーん」と思う人も、「うわっ……」と嫌悪感を感じる人もいることだろう
「おっ!」となる人がいるから長文作品が生まれ続け、「うわっ……」となる人がいるから定期的にこういうタイトルってどうなん議論が起こるわけだね
別段忌避間がない人からしたら何がそんなに受け入れられないかは疑問に思うかもしれない
ぶっちゃけ私もよくわかってはいないものの、その理由を推測することはできる
ただの予想に過ぎないけどね
その理由とは……
ズバリ、『自分が慣れていないものに対する違和感』ではなかろうか
長いタイトルというのはそう長い歴史を持っているわけではない(ここジョーク)
有名な「俺の妹がこんなにかわいいわけがない」ですら2008年スタートだし、小説家になろうの開設だって2004年
長めのタイトルどころか、Web小説もライトノベルも、『小説』全体から見ればかなり短いもの
だとすれば10年20年もしくはもっと長い間『普通の』小説に慣れ親しんできた人からすれば、自分にとってかなり異質なものが『小説』を名乗っていること
もしくはそういったものが流行っていること自体が受け入れ難いのかもしれない
自分にとっての『小説』のイメージがあって、それとかけ離れたものを許容・理解できないんだろう
これ自体は別に何ら問題ない、個人の嗜好の範囲
ただこうした感情を理由になろうや長文タイトルやラノベ自体を批判しだすとアウトなわけだけども
2.長文ばかり流行ればなろうや小説文化が衰退しちゃう……?
うるせえ~!!! 知らねえ~!!! (FF)
長文タイトルだけでなく、なろうの転生やら追放やらとジャンキーな小説たちを批判する時にも用いられる主張
こういったお手軽な小説が流行ることで、より考えこまれた小説、本格的な小説が読まれなくなり衰退してしまうという危惧のことだけど……
この手のこと、気にする必要はないよ
全然心配しなくても大丈夫
文化というものは良かろうと悪かろうと時代に応じて変化していくもの、それは大勢の人の営みによるもので、多少寄与することはできても行く末を心配したところで何もでない
なるようにしかならないんだよ
前章で書いた内容と少し矛盾するけど、ロビンソン・クルーソーの初版(1719年)とか
「自分以外の全員が犠牲になった難破で岸辺に投げ出され、アメリカの浜辺、オルーノクという大河の河口近くの無人島で28年もたった一人で暮らし、最後には奇跡的に海賊船に助けられたヨーク出身の船乗りロビンソン・クルーソーの生涯と不思議で驚きに満ちた冒険についての記述」
だからね
当時も反対はあったかもしれないけど、その結果文学は衰退したかな?という話
そもそも今文化として尊重されている日本文学ですら、五十年百年前ではジャンキーな娯楽物扱いされていたし
漫画の神様と憧れられる手塚治虫先生の作品だってかつては悪書として焼かれていたこともある
だから小説の文化や衰勢なんて気にせず、好きなものを読んで好きなものを書けばいい!
その結果何が流行ろうと廃ろうと何も気にしなくてOK
『そもそも小説とは……』と小説を格式ばった高尚なものにしたがる人はいるけど、元から娯楽
気楽にいこう~
3.長文アレルギーの人らへの配慮……?
しなくてOK!
長文タイトルNG議論なんかを目にした作者志望の方々の中には、「やっぱり長すぎるタイトルはやめた方がいいのかな……?」と悩んでしまう方もいるかもしれない
結論から言うと、『書きたいなら好きにやろう!』の一言に尽きる
そもそも長いタイトルはちょっと~と言ってる人の為に短くしたとしても、十中八九読まない
これに関しては断言できる
タイトルに文句つけてる人は大抵中身まで読まないし、タイトルが短かったとしても文句をつけられず読まれもしないだけ
それを考えれば苦言を呈す人がいたとしても、読んでくれる人が増える可能性があるなら利用しない手はないと思う
長文タイトルが嫌い云々の話で忘れがちなのが、そういったタイトルを好む・気にしない人もいるということ
そういう人はわざわざ「長文タイトル全然良いよ!」とコメントしないだけで確実にいるよね
そうでなければこんなに作品は生まれず、ランキングには上がらないんだし
「こういう展開はNG!」「この要素地雷!」的なコメントばかりでなく
。。。(こういうのホント好き)
。。。(性癖だわ~)
というサイレント賛同者を大事にしよう!
4.読者を掴み続ける、たったひとつのメソッド
最初にもちょっと書いたけど、私はなろうみたいなWeb小説サイトの流行は本当に素敵だと思ってる
これまでは出版社に認められないと本にすることどころか作品を公開することもできなかったけど、今では個人で公開して、更には自分で本にすることもできる!
場合によっては出版社から本にさせて!って頼んでくることもあるしね
だからこれからはより『作者』が注目されると思う
なろうがなくなっても、出版社から本が出せなくても、この人ここで公開してるし読むか~みたいな感じで
今だって小説でもFanboxやFantiaみたいな支援サービスはできるし、DLsiteみたいなとこで電子販売もできる
お金を払ってもらうのは無料で読んでもらうより何百倍も難しいけど、『この人を推そう!』というファンを少しずつ獲得できれば無理なことじゃない
タイトルで釣ってでも何でもないいからまず読んでもらって、そして作品を好きになってもらう
タイトルで掴んだ期待を裏切らないように頑張るのが大事だ
なろうに投稿するのにお金はかからない、まずは気軽にやってみよう!
〇おまけ
知ってた? タイトルが長くなってた人気作品たち
ここからはちょっとおまけ
有名な作品の中には、商業化したり書籍化した時に名前が変わっているものもよくある
時には作者の意図とは全く違う形でね
変更の前後を放して載せておくので、興味があったら見てみてね~
ここまでの閲覧ありがとうございました!
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