第四夜 寝待月
結果的に愁一はしばらく日本で生活することになった。
鏡一狼のおかげで英治の居場所も分かり行動も共にしやすくなったのでそれは良かったのだが本社からの仕事はどうしても間接的になってしまう。
当然それでも構わない、という部下を選んで愁一は側近に置いているので彼らは有能だ。コミュニケーションさえ取れれば国籍は問わず、という社訓で元々は老婦人が片手間によっこらせ、と経営していた会社だ。
当然、若い愁一が社長に抜擢された時は大いに揉めたが彼と一度でも仕事をしたことがある社員は誰も咎めなかった。
社長とは全てをやる仕事ではない。
出来る人材、出来ない人材を見極めて仕事を割り振るのが仕事である。愁一はその能力に優れていた。更に元々厚顔で人柄も良く、偏見も持たず、営業も程良くこなし、歳の割には隙がない。
経歴は確かに不安要素の一つではあった。彼は高卒だ。エリートとは程遠く、有名大学に通っていた訳でも留学していた訳でもない。
しかし同時に彼らがこれから己の人生に役にたつか分からない勉学をしている間に愁一は現地で全てを学んだ。各国の社会情勢、言語、礼儀作法。だから彼は顔が広かったし、その多くは彼を信用していた。
それが今の獅道愁一だ。
ボーダレスに各国を飛び、依頼があればその用心棒をする。
愁一は愁一なりに今の生活を気に入っていた。
今の人生、と言ってもいい。
愁一が勤めていた会社は愁一が社長になった際に大きく変わった。
ただ能動的な派遣会社だったのだが、組織的になり、皆意欲的になった。
愁一はイギリスではちょっとした有名人だ。
どこから来たのか、『若』と呼ばれ、経済雑誌に載っていることもたまにある。
今は日本にある愁一の家、武家屋敷で過ごしていた。夕食の買い物を終え扉を開こうとして手を止める。
ポストに何かが入っていた。
「何だろう。会社からは直接メールで来るんだけど……」
古めかしい木のポストを開き取り出すとそこには真っ黒な封筒が入っていた。
裏、表を見返すと、裏には『space mirage』とある。確か上杉英治を捕獲しようとした怪盗の名前だ。
愁一はその封筒を持って自宅に帰宅する。和風な出で立ちのその家とは不釣り合いなノートパソコンを立ち上げた。
直通で繋がる社員コードを入力する。時差的には問題無いだろう。
数分後、スキンヘッドの受付、フレデリックと繋がる。
『やあ、社長。そっちは……夕方かな?』
「そうだよ、今、大丈夫?」
『OK、OK? どうした?』
「例のspace mirageって組織の調査はどうかな?」
『うん、芳しくはないな。元々は名も有名ではない中小企業、しかもオフィスを構えていなかったのさ』
「例の怪盗事件、何でもプロモーション、ってことで片付けられたらしいね?」
『その通り。如何に警察が無能か、お見せしましょう、ってことで全国配信さ』
「結果的には良くなかったんじゃないの?」
『そうでもないさ。元々、space mirage、っていう企業の宣伝だった訳だから。その宣伝担当が上杉寧斗』
「なるほどね。焦臭い」
『社長の会見は間違いじゃないねぇ。何でも企業コンセプトが血による人類遺伝子の保管だ』
「それはまるっきり、上杉の血統プログラムの模倣だよ」
『そう。こっちの調べじゃ何でも血統を利用したゲームを釣りにして人々の血を根刮ぎ集めているらしい』
「……ゲーム?」
「流行のVRゲーム。それは単なるVRではなく血統プログラムを利用したゲームです」
愁一の問に答えたのは英治だった。彼は最近愁一の家にいることがほとんどだ。その方が効率的かつ、ケイに被害が及ぶ確率は少ない。
「そんなこと、この短期間で可能なの?」
「規模は分かりません。そちらは?」
『こちらの憶測だと主に若者を中心に新たなゲームとしての広報が進んでいる。君が若の相棒かい?』
「……若?」
「何でか向こうじゃ俺、若って呼ばれてるんだよ」
愁一はパソコンの前で両手を広げる。
『『若』ってのは若社長、から来ているんだよ。彼は今やイギリスで一番有名な日本人さ。……本人無自覚だけどね』
「なるほど」
『内部侵入まで調べるとなるともう少し時間がかかるよ』
「分かった。こちらもこちらで何か対策が可能か吟味してみるよ」
『どうやら、そちらには若のように優秀な若者がいるようだね』
それは鏡一狼と月臣のことだ。
何度か彼らに仕事を頼んだことがある。一度でも彼らと仕事をすれば、彼らが如何にして優秀かは分かるだろう。
「もちろん。君達も俺の優秀な部下さ」
『そういえば、今月の教訓はどうする?』
「必要かい? 今、忙しいでしょう?」
『社長不在で忙しいからこそ必要なのさ』
そのフレデリックの言葉に愁一は腕を組んで悩んだ。
「教訓?」
「簡単な事だよ。いつも俺が一筆書いて入り口に張ってたんだ。『整理整頓』とかね。『あいさつ』とか簡単な事だよ。色々な国籍の人が多いから新鮮らしくて」
「へぇ。意外にちゃんと社長やってたんすね」
「そりゃ、そうさ」
「じゃあ、『一蓮托生』で」
「えぇー」
『それ、いいね。カッコいい漢字だ。そうしよう。後でファックスで送ってくれ。全く、エストニア人はみんなファックスを馬鹿にするが中々馬鹿に出来んぞ。いちいちパソコンのデータを印刷する手間が省ける』
「随時、日本かぶれな企業っすねぇ」
「俺が社長になった時にどうしたいかアンケートしたんだ。そしたらみんな『食堂が欲しい』って日本の企業の名前書くから笑っちゃったよ。ITは自分の国の方が優れている、とかね。面白かった」
『愁一は若い。良くも悪くも彼が社長になってウチは旺盛になったよ』
フレデリックとの通信を終えた。
「やっぱり、刀飾の狙いは上杉の血統プログラムの模倣偽造か。と、なると鏡一狼君の言っていたことは概ね間違いないね。今回は実験段階って所かな」
愁一は英治に黒い封筒を手渡す。
「……それは?」
「招待状だよ。こちらの調査通り。そのVRゲームの発表会のね」
英治は封筒を開き顔をしかめる。
中身は封筒と同じ黒いカード一枚だった。
「そっちの調査は?」
「そちらとそう変わりません。泉姉妹の血統の欠損から穴を見つけました」
「……そう」
「そこから情報網を広げた結果、奴らの狙いはゲームを利用した上杉の血統プログラムの模倣。それがこれです。まだ全国民に一度に配布するほどの規模ではありません。限られた数名となっています。主に若者、二十代を中心に五百名が対象です」
「それを一斉にネット配信。今時らしいやり方だ」
「どうします? 警察的なコネを使っても送り込める数は二名が限度。多いと怪しまれます。内、先輩は正式に招待されている」
「もう一人として君が名乗り出るつもりだね?」
英治は頷いた。
「しかし、困りました。枠は後、一人っす。我々にしてもゲームには疎い。しかも俺の中に刀飾が侵入しているという可能性がある」
「……それは任せて。とりあえず、二人でどこまでやれるかやってみよう」
愁一は真っ黒なカードを掲げて微笑んだ。
「少し楽しそうっすねぇ……」
「そりゃあね。君と二人で本格的に一緒に行動するなんて久しぶりだ。こういうのは武者震い、っていうのかな」
「上杉を模倣偽造。どこまでの完成度か。お手並み拝見って所っすね」
「おや、珍しい」
「結局、奴らの狙いは冥界の門の鍵。この指輪であることは変わりません。つまり、このVRは刀飾の望みの一部です。それがどんなものか見てみるのも悪くないでしょう」
英治は首から下げていた、黒い宝石の付いた指輪を懐から取り出しくるくると回す。
「同時に向こうは女王の婚約相手を血眼で探している。完全非公開とは考えたね」
「どっちにしろ、彼が鍵であることは変わりませんから。自己防衛も出来る優秀な人材です。しばらく時間は稼げるでしょう」
愁一と英治は立ち上がる。
カードに記名された時間は夜の八時間きっかり。
「さて。生死をおじゃんにした血の世界。どんなものか見てみましょうか」
「こちらの血統、どうぞよろしく」
偽造プログラムが作動する。
そこは
血統の世界
力
肉
経験
それらが全て削ぎ落とされ、残るのは
血のみ。
ようこそ。