四つ目 校庭の墓場
この七不思議を知った時みさきはスタンダードだなぁ、という心境で放課後、校庭の周辺を模索していた。
しかし何処からが校庭か、という定義は難しい。新校舎には裏庭があって藤堂の名前の由来になった藤棚がある。
もう季節が過ぎてしまったので枯れてしまったが。
校庭に墓石が埋まっている。
裏庭に死体が埋まっている。
藤棚の霊。
どれだろうが誤差であることは誤差だ。
どうしてそんな噂が広まったのか。
それが問題なのだ。
みさきは最近、校内を1周していたことに気が付いた。
というよりは一周しようとしている。
昔から、みさきは色々な普通は見えないし感じないであろうものの存在を感じた。
時に怖く、激しく、見下ろされ、時に理解出来ないような凄まじい念を此方に向けるもの。
そして我関せず、とそうでも良さそうに昼寝をしている大きな存在。大体はそんな存在でみさきは恐怖を感じたことはない。
それは月臣にも言えるのかもしれない。
確かに圧倒的で何か神聖なものを感じるが彼はその力で周囲を屈しようとはしていない。
もちろん迫害しようとして来るものに対しての敵意は凄いが彼自身は最後まで獲物を仕留めることに執着していない。
だからこそ危なっかしく見えるのはきっとみさきだけではない。
この数日で分かった。つまり月臣は優しすぎるのだ。どんなに外見や振る舞いでコーティングしても滲み出る内面は隠せない。
たった一人で夜の校内をペンライト一本で警備しているのだ。
会長だから?
段々とみさきにも矛盾が生じていた。
何故か月臣を見ているとイライラするのだ。
ただの先輩だ。
生徒会長だ。
放っておけばいいのだ。
「何なんだ、一体」
「何だと思う?」
渡り廊下で出会ったのは月臣だった。
みさきは足を止める。
この男から感じる。普通ではない何かを。
「会長? 次の噂は何ですかね?」
みさきはあえてとぼけた風に言った。
「君はもう踏み込んでいる。自覚していないだけだ」
「……は?」
「なるほど。やはり無自覚か」
「……あの」
「……君は校舎を何周した?」
何故そんなことを問うのか。彼の周囲の風は険しい。みさきはこんな天気だったか、と空を見た。雲は流れるように早く動き空気は重い。
「さあ。毎日通っていますし……会長とも色々調べましたから」
みさきはなんとか答える。
「君は集めている。大量の怨念を。悪霊を。集めて、集めて、集めて、集めている。分かるか?」
「……は?」
月臣は腕を組んでみさきを見つめる。
「無限に校舎を歩き周り、生徒から噂を集めて、邪心を集めている」
「……なんで、俺がそんなこと……」
腕から離れた手から風が生まれる。
まるで竜巻のように。空気が渦を巻く。月臣のネクタイが靡き、揺れる。その風は明らかに自然のものではない。
「君はミサキだ。出会った時に言っただろう」
「何を……何を言ってんだよ! 俺は!」
「君はこの学校の七不思議の中心だ。校庭の墓地に現れる足が三つあるカラス。それが誘う無限の世界。これが八つ目の七不思議だ」
「……カラスなら」
「カラスは君だ。俺は生徒会長だ。噂話ぐらい知っている」
「……は? 前と言っていることが……」
「君が何者かを調べる為に行動を共にした」
明らかに月臣はみさきに対して敵意を向けていた。
みさきは何かを言い返したいのに何も言えなかった。
ただ、このままでいいはずがない。
「俺はただの生徒だ!」
みさきは叫ぶ。
「では、学年は?」
「……一年」
「クラスは?」
「……」
「出席番号は?」
「……俺は……」
「君の家は?」
段々と目の前が暗くなる感覚に似ていた。
後ろが本当に校舎なのかさえ、不明だという事実が恐ろしかった。
「少し焦り過ぎだな」
その時、聞こえたのは普段の月臣の声だった。
「先輩! 俺は……」
みさきは彼なら、どうにかしてくれるだろうと思った。信じてくれるだろうと思った。
しかし月臣の表情は無表情だった。
「日が暮れるのを待っていたんだ。俺は夜でないと本当の力は発揮出来ない」
「……何を言って……」
少しの間を置いて月臣は言った。
「……俺も君もヒトではない」
みさきは会話に付いて行けなかった。
何を言っているんだ、と思った。今まで空振りだった七不思議を今さら信じると言うのだろうか。しかも自分が犯人だと言われているようなものだ。
「……いい加減にしろ!!」
みさきは叫ぶ。
「俺はただの高校生だ! 何だよ、悪霊? 怨念? そんなもの知るかよ! 俺は……俺は……普通に……」
「普通に?」
月臣は真正面から、みさきと向き合う。
日が暮れる。
そして月が出る。
「普通の……」
みさきは崩れた。
「……」
校舎には黒い渦が巻いていた。
それは煙のように見えるが、とんでもなく嫌なもので、みさきは思わず噎せる。校舎は暗くなる。それは人工的な闇ではない。人為的な、自然的な闇ではない。
「このままだと君は本当に七不思議と同じように最後は消えるぞ」
「俺は……まだ、消えたくないです」
みさきはカタカタ震える。
このままだと確実に彼に消される。みさきはそう思った。
「……そうか」
月臣は無表情に答えた。
「久しぶりだから力の加減が難しいかもしれない」
彼は胸元のネクタイピンを外した。それは綺麗な銀色で、天まで伸びる。先には輪っか。みさきは呆然と見とれた。
それはとても神々しく美しいものでそれだけで周囲の暗闇が彼を囲って円上に消し飛ぶ。目の前にいるのはただの喪服の青年だった。
「これは的なのさ」
円状の杖を持ち彼は言った。
その杖を槍のように投げる。
遠く、校舎の天辺に突き刺さる。
煙が渦状に杖を包んでいるが、光の輪だけが見えた。
「……的?」
煙がみさきの周囲から去る。それだけで驚くほど体が軽くなった。
「そう。遠い昔。俺はこの地上に来た時、本当は一人ではなかった」
「……え?」
「ここまで付いていく、という使い魔がいたのさ」
「……使い魔」
「その姿、足三つなる烏で、常に俺に太陽からの霊力を届け、邪心、邪気を届ける優秀な使い魔だった」
「……烏」
「そうだよ。何故か途中ではぐれてしまったが」
その時の月臣の表情は辛そうなものだった。
「まだ、思い出さないのか? それとも俺を信じないと? 俺は最初、キミに何と言った」
「たとえ俺が穢れた魂だったとしても浄化する、と……」
「……ミサキ。お喋りで……俺の周りをうろちょろしていた。キミは常にこの国のことを俺に面白おかしく話した。ただの月のもの、色彩さえ無く、無表情、無感情の俺に。そして帰りたいと嘆いた。しかし俺がいるから帰れない、と憂いた。キミは覚えているかな?」
「……すみません何も」
みさきは正直に答える。今この状況が信じられない出来事だし、自分が月臣とそんな関係だったとは到底思えない。
「では、俺はどうすれば良いのだろう。ずっとその答えを探していた」
彼の表情は疲れきっていた。そしてとても悲しそうだった。その原因が自分にあるのかと思うと胸が苦しくなる。
「君は俺の使い魔だ。全く記憶がないにしても俺のためによくここまで悪霊を集めたな」
「……え」
「安心するといい。君の本質は悪ではない。だから浄化する必要はないし、そもそも君はこちら側の人間だ」
「……先輩!」
「本来ならば、君が邪気、悪霊、怨霊を集め、俺が魂送するというスタイルだったのだが。この程度ならば俺の矢で一掃出来る」
そうして、月臣は大きな和弓を構える。矢はない。
しかし美しい光の矢があった。その矢を真っ直ぐ月臣は屋上の小さな輪に向けて構える。
その姿はまるで昔に読んだ戦記の英霊のように神々しく見えた。
周囲には神々しく、清らかな力で満ちていた。
彼を慕う、八百万の神々が騒ぎ、奉る。
その中で静かに月臣はその一閃を放った。
その光は迷わず、混沌を貫き、光の輪を当然のように通る。
その輪に校内全ての人ならざる悪しきものが一斉に吸収される。みさきは圧倒されながら、目を離すことは出来ない。
輪は月臣の元に戻り、ただのネクタイピンに戻って正しい居場所に戻った。
「これで魂送終わり」
月臣は変わらない表情でにっこりと頬笑む。
闇が去ると、月の光にみさきは気が付いた。こんなにも夜は明るいものだったのかと。
さて、みさきは月臣の問いに答えなければならない。
もちろん感情が全て追い付いているとは言い難い。しかし確かなことは一つだけある。
「……一ノ宮先輩」
「なんだ、急に改まって」
「多分、直ぐに……俺の記憶が戻るとは考え難いです」
「そうだな。俺もここまで来てそれは望んでいないよ。寂しいが、仕方ない」
「……寂しい? 先輩が」
それは少し意外な言葉だった。まるで、みさきが大切だったかのように彼は語る。
「……君は俺の人生において最初で最後の友人だった。上下関係のない、純粋な友だった。それを失うのが辛くない者などいない」
「そうですね……」
今のみさきにはそんな記憶はない。
「俺はこれから君の記憶を、正確には人外とした記憶を全て抹消し、君が望んでいた人としての記憶に全て書き換える」
「……え」
「君が無事に生きていて良かった。それだけでも確認したかったから」
「……待って下さい! じゃあ、先輩との記憶は!」
「普通の生徒と生徒会長だった頃に戻る。安心するといい」
そう。そうすれば、戻れる。何も知らなかった頃に。ただの学生に。
けれど、みさきは知ってしまった。
「……嫌です」
「……え?」
「勝手に俺の記憶を先輩の記憶を消さないで下さい!」
「しかし君が中途半端な事実だけ知っても何もないだろう?」
「あります」
「……え?」
「中途半端ですけど先輩の友人になることぐらいなら出来ますよ! 記憶が無くたって!」
「……みさき」
「悔しいけど、多分、俺は先輩が嫌いじゃない。最後まで何者か、疑えなかった。例え俺が犯人でもきっと何とかしてくれると思っていた。結果、してくれました。それで充分っすよ」
みさきは片手で表情を隠しながら言う。
こういう時どういう表情をすればいいのか……みさきには分からない。
「……止めた方がいい。自分で言うのは変だが俺は結構面倒くさいだろう」
「ええ。そうっすね。でもそれでいいです。完璧過ぎる方が嫌です」
そうだ。
ただ人形のように神々しく座っていられる方が嫌だ。
「君には、だらしないし、横暴だし……それに」
だったら叫んで欲しい。文句の一つでも言って欲しい。
「時々、すごーく甘えたくなるんでしょう」
突然、みさきが片手を離し、月臣の言葉を遮る。
月臣は突然のみさきの言葉に顔を赤く染めた。
「は、はぁ!?」
「なんか、断片的に思い出した。っていうか思い出した人と先輩、全然違うんですけど。どんだけ見栄張ってたんすか?」
「……え」
「うん、うん。横暴だし。ワガママだし。甘えん坊だし」
「ちょ、そんなに酷くは……」
「俺は半分、性別がない存在でした。まぁ、それは先輩も同じか。だから随分、可愛がってたんですね」
急に大人しく小さくなった月臣の頭を撫でる。こんな気持ちだったのだろうか。過去の己は。断片的だったから別人かとも思ったが、間違いないだろう。
「俺の記憶、消せます?」
「……それは狡い」
「狡いのは先輩です。大人ぶって俺に文句の一つも言わないから思い出せないんすよ」
「そんな、そんなことは……」
「はい、どうぞ。好きにして下さい」
みさきは無防備に両手を広げる。完全に立場が逆転した。
「……いや、それは、……」
「大丈夫、大丈夫。誰も見てない。っていうか霊力足りてます? 俺は有り余っているんですけど」
もういいから、と月臣を抱き寄せると、やはり随分霊力が枯渇していた。だから悪霊が月臣に対して脅威を感じることなく集まったのだ。
月臣は自身の霊力コントロールは本来ならば上手い。みさきに霊力を分けつつ、必要最低限であの量の悪霊を魂送したのだ。
「こんなにいらないんで、返します」
「いや、それは駄目だ!!」
「何がっすか?」
「違う、……いや、……泣きそう」
「え!? 苛めてないですよね? 俺は!」
「違う。……そういう意味じゃない」
挙動不審でわなわな震える月臣は確かに別人のようだ。それだけ無理をしていたのだ。
「だめだ。……こんな姿、誰にも見せられない」
「そこは同意しますよ」
月臣は素直に泣いた。
号泣というやつだ。
うぇええん、と普段彼を知る人なら信じられない表情で。馬鹿、馬鹿、阿呆、とみさきの懐を数回殴り泣いた。ただ、みさきはそんな月臣の頭を撫でているだけだった。
その日、職員室に鍵を返しに行ったのはみさきだった。
そこには鳩里桂一が変わらずにいる。
「中々、面白いものが見れました」
「なーにが、面白い、っすか。良くも人を気流に乗せてこの高校から遠ざけてくれましたね」
チャリン、と鍵が桂一の手に渡る。
「お陰で、あの烏の絵が無人で発動するまでこの様っすよ。上杉に借りまで出来るし散々」
「まぁ、そう怒らずに。私にもせめてもの希望があった訳です。記憶がないなら、行けるかと」
「嫌っす。交換しません。残念でした」
「ええ。ですから、ちゃんと解放したじゃないですか」
「遅いんすよ!! アンタ絶対面白がってただろ!」
「否定はしません。興味深いものでした」
「ったくよ、ただの傍観者の癖に中途半端にしゃしゃり出やがって」
「ええ。ですから、お詫びにこんなものでいかがでしょう?」
「……え?」
桂一は引き出しから一枚のプリントを取り出す。
それは、生徒会の書類で副会長の欄にみさきの名前があった。
「素直にそうしてりゃ、良いものを」
みさきは不服そうにそのプリントを奪う。
「……君、どこまで記憶を失っていたのですか?」
「……アンタのその野次馬根性は……」
「単なる好奇心です」
桂一は今までにない、いい笑顔で答えた。
「……はぁ。秘密っすよ。その方が面白いでしょ?」
「然り」
桂一の眼鏡が月に反射して光った。
「そしてこの事件犯人。アンタでしょう? 鳩里桂一先生?」
「……それは秘密、にしておいた方が面白いでしょう?」
桂一は何もない綺麗な夜空を見て言った。
Please spend peaceful night.