夜の学校の七不思議
一ノ宮月臣はその年の生徒会長になった。
そこには問題はない。問題はそこではなく元、生徒会のメンバーのほとんどが三年生で卒業し、そして後輩である上杉英治がまるで当てにならないので新たに生徒会メンバーを募集することになるのだ。
それは元々、人との関わりが得意ではない月臣にとっては苦痛でしかない。
もう一人はいつもうろちょろしているストーカーでいいかと勝手に決めていた。
「選挙はしないの?」
時々、人が少なくなった生徒会を手伝いに来る天草千束は書類をホチキスで留めながら言った。
「しても構わないが、会長もしていないのに不公平だろう」
「月臣君らしいね」
「……一応、風紀と書記はあいつらでいいとして同じ学年から副会長を選出しなければならない」
「そうなんだ」
「……因みに君は庶務だが」
「……ぇえええ!?」
聞いてないよ! と千束は叫ぶ。言ってないからな、と何事もないように月臣はお茶を飲んだ。
「そ、そんな……無理!」
「大丈夫。やることは今と変わらない。何なら進学に有利になるぞ」
「……でも」
「朝倉に会う口実が……」
「あー、わー!! やります!」
月臣は千束に書類で口を塞がれた。
これで一人確保。
女子ばかりではこちらの身が持たないので最後の一人は必然的に男性になる。
「男か。年下か同学年の男……地雷だが仕方ないか」
月臣はペンを片手でくるくる回しながら溜息を吐いた。
「どうして、月臣君って年下が苦手なの?」
千束は不思議そうに尋ねる。
「どうしても。俺からすれば今生きる人類ほぼ年下だが」
「……そうだけど……」
「今の……若者と老人の話が合うと思うか? 無理に合わせるのならともかく」
「ほら桜小路さんとは仲良いよね?」
「彼は俺が思うに人類で最も賢い人間だからな。色々な手間がない」
「わ……私じゃ手間がかかるから」
「ああ。しかし相互理解に必要な手間であるから惜しむ必要はない」
月臣はきっぱりと手間がかかるという事実を否定しなかった。
これが一ノ宮月臣である。千束はまだ宗滴と桂一の全てを理解し彼らを服従している訳ではない。雷の神と風の神。それぞれは違って見えるが月臣からすればワンセットであり扱いも難しいものではない。
しかし元々、外面がいい宗滴に千束は寄り気味だ。
それでは駄目だと毎度説くのが月臣の仕事である。
「やっぱり私に二人の狩師の管理なんて荷が重いよ。月臣君が代わってくれればいいのに」
「何度も言うがそれは無理だ。君達の縁は遠い昔に契られている。それを簡単には破棄出来ない」
「……月臣君がこの星の人間じゃなくても?」
「だからこそ。それをすれば俺は完全に侵略者になるが?」
月臣は次の年の予算案をまとめてホチキスで綴じながら言った。
千束は地雷を踏み抜いた自覚があるのだろう。
同じ作業をしているのにホチキスの針が潰れ紙に穴が空いている。
月臣は丁寧に潰れて飛んだホチキスの針を拾い、机の上に置かれた紙のゴミ箱の中に入れた。
「……ごめん」
「だから言っただろう。手間は惜しまない。彼らだって君に対して悪意も呆れも嫌悪もしていない。自分のペースでやればいい」
「ありがとう」
少し気の弱い千束は月臣のフォローで気を取り戻したのか顔を綻ばせる。
彼女は悪くはないが、やはり骨が折れる、と月臣は密かに思った。神経質が過ぎるし被害妄想を悪化させるとそれが現実になる、という持病持ちだ。理解はしているが腫れ物のように扱う訳にも行かないのだ。
日が暮れてからが月臣の真のテリトリーである。日が沈み下校時刻を過ぎた校舎を見回るのは月臣の仕事だった。
ペンライト一本で職員室から一階から三階まで見回り、屋上、食堂、体育館の施錠を確認して最後に鍵を職員室に返す。
今日は間が悪く職員室には桂一がいた。月臣は気にせず鍵を管理している金庫の扉を開く。
「今日ぐらい変わりましょうか?」
「……は?」
「今日は月が出ませんよ。貴方の力も落ちるでしょう」
桂一は空を指差し言った。
見た目は上杉英治に少し似ているが大きな眼鏡とシャツ黒いネクタイの着方が野暮ったい。
実際、彼の故郷は山奥の小民族で鳩里桂一という名も何処までかは偽名である。
「構いませんよ。ただの見回りですので」
「我らが主が世話になっているという恩もあるのですから多少の雑務を押し付けても構わないと思うのですが」
桂一は眼鏡の位置を指で直しながら言った。あくまで視線は穏やかだ。
しかし彼の力を見くびってはいけない。この校舎を覆うぐらい余裕な量の矢を遥か上空に風の力だけで漂わせられるほどの力を持った男だ。
「力のバランスが傾くのは良くないだろう」
「そうですけど貴方も随分、長いこと一人でいる。いくら優れた術者でも供給者と摂取量が均しくなければ力は無限ではありませんよ」
スッと桂一に毛先を触れられ月臣は顔をしかめる。手で触れた部分が小さくなびき、波動の流れを感じたからだ。
「余計なことを」
月臣はその手を掴んだ。
一瞬の事なのに、情景が浮かぶ。
永遠の草原。草が風に揺れる。そこに立っているのは袴を着た桂一だった。青緑色の袴が風に揺れる。
同じように向こうにも情報が流れているのだ。月臣は掴んだ手を遠ざけた。
「また……何もない部屋ですか」
「……」
「そう怒らないで下さい。同じように、貴方も私の中を見た訳ですから」
「見たくて見た訳ではない」
「……そうでしょうけど」
日が完全に落ちて職員室の明かりが点る頃に桂一は茶を持って月臣に差し出した。
仕方なく月臣は隣の誰もいない席に座って茶を飲む。
このやり取りは何度目だろう。
「随分、一人だったのですね」
「ああ。気が遠くなるほど」
「真っ白で何もない部屋」
「今となっては、それが宇宙船だったかも分からんが。近いものだろう」
「私の故郷も随分、辺鄙な所にあり隔離されてはいますが状況は違います。貴方からすれば私があの村の御神木だった時期なんて瞬く間だったのでしょう」
「……」
知名を言おうとすると桂一に人差し指で止められる。
「一応、秘密です」
「時間なんて感じ方によって伸びるし縮む。どんなに長い時間でも虚無なら無駄と同じだ」
桂一のことは嫌いではないが会話していると老人の井戸端会議をしている気分になってしまう。
だからといって宗滴では逆に口うるさ過ぎて面倒なのだ。
「分かりました。私から一定の力を受け取るのなら貴方に任せましょう。我らが主の授業料です」
「今更言うな」
力を渡し終えた後に言われても困る。
「見回りを終えるまで私はいますからね」
「あまり俺に構うな。君らの主に誤解されるぞ」
「そうなりたくなければさっさと貴方の狩師を見付けて下さい」
「……もう気が遠くなるほど探した」
「そう悄気込むのはらしくありません。貴方の大切な従者だったのでしょうが従者の方にも事情があるのではないでしょうか?我らが主しかり」
「うるさいな! 分かっているさ!!」
月臣はバンッと強引に職員室の扉を閉じて部屋から出た。
主に悪霊を狩る事が見回りの目的だ。
月臣の本来の武器は長弓だが使うとなると大事だ。
月臣が魂送師としての力を全解放すればそれは月の都の使者の復活も同じ。封印している使い魔が解放されるレベルまでの騒ぎを起こせばそれ相応の悪霊、怨霊が高校にいるということだ。
日中を担当している桂一に知られてしまえばそれは色々と面倒だった。
それに弱い悪霊ならこのペンライト一本で魂送まですることが出来る。夜に限るが月臣は多少の光を自在に操ることが出来た。
とはいえ矢のように悪霊に向けて聖なる光を小出しに放つ程度なのだが。
桜小路鏡一狼のように星を降らせるまでの力はない。それぞれには相応の領域がある。
その日の夜もそんな風にして目に付く悪霊を退治していた。
確かに、いつもより暗いし悪霊の数は多いがそれほど厄介なものはなく暗闇が怖い訳でもないので順調に見回りは進んだ。
だが負の連鎖とは繋がるものだ。月臣が最後に一階の美術室前の廊下を歩いていた時に、それは起こる。
突然、悲鳴と共に何かに抱きしめられて月臣は転倒した。
ペンライトが廊下を滑り視界が悪くなる。
「なっ……」
「うぎゃああああああ!! 動いた!!!!」
重さに顔をしかめ襟首を掴む。
男子生徒だ。
まだ冬服の学ランの男子生徒だった。その男子生徒に向かって叫ぶ。
「重い邪魔だ!!」
「動いた、本当に動いたんだ!!」
「……はぁ?」
男子生徒は平凡な黒髪の眼鏡を掛けた男子生徒だった。
月臣は内心、眼鏡ビンゴか、と思ったが相手の肩を掴んで引き剥がす。
「動いたって、何が」
「な、お前、知らねぇの? 噂の絵だよ!! 美術室のカラス!!」
男子生徒は必死に美術室を指差ししている。
「……はぁ、くだらない噂か」
月臣は制服の埃を叩いて立ち上りペンライトを拾う。
どこの学校にも七不思議ぐらいあるものだ。
それはいい。
「君は何故そんな噂がある美術室に一人でいる」
月臣は男子生徒をペンライトで照らした。顔は悪くない。しかし月臣の知らない生徒だった。
「え……生徒会長!?」
向こうは知っているらしい。と、いうことはこの高校の生徒で間違いない。
「一年か?」
「え……はい。そっす」
眼鏡のわりにはチャラそうだが髪も服装も乱れていないので月臣は良しとすることにした。
「前の質問に戻ろう。ここで何をしている」
男子生徒は立ち上がると月臣より背が高く若干イラッとしたがそこは流すことにした。
「俺は一年の八咫みさきって言います。えっと、会長は知りませんか? ほら、あの噂」
「どの噂だ。生徒会長はそんなものは気にしない。それぐらいなら噂になっているだろう」
「む、そんな風に言わないで下さいっす。俺だって信じて茶化しに来た訳じゃねぇし」
「ほう」
月臣は疑わしい目で一年の八咫みさきを見つめる。
「美術部の女子に忘れ物取りに行って欲しいって頼まれたんですよ。明日提出のレポート」
と、みさきは月臣に言った。
「そこまでは信じよう」
「そこまでって……じゃあ、そのノートが動いたカラスの絵に持って行かれちゃったんですよ!」
「それで?」
「それでって……、……ってか、寒くないっすか? 会長夏服で」
「別に」
「……あ、俺、中に中間着着てるので貸しますよ!」
「いや、いい」
断る暇もなく、みさきは月臣に中間着の濃紺のセーターを差し出した。
チャラいのか真面目なのか。よく分からない男だと思いながら月臣は渋々セーターを借りる。別に寒くはないが確かに霊力は感じる。
それが隣にいる男子生徒の物か……はたまた別の何かかは調査が必要だった。
「それで、動いたんですよ。七不思議の一つ。美術室の絵が動くってやつです」
「七不思議ね」
「会長、怖くないんですか?」
「いや。全く。それで、どの絵が動いたんだ?」
「えぇええええ!?」
「それは冗談か?」
「マジに驚いた悲鳴っす!!!!」
八咫みさきは叫ぶ。