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輪廻血戦 Golden Blood  作者: kisaragi
第六章 とある星の光り方
49/111

大詰め 悪夢からの目覚め

 同じ京都でも一つ駅が変わるだけで一気に雰囲気が変わる。

 実家への道を歩きながら千明は考えた。

 鏡一狼が本物だ、と言うなら本物だ。

 そして鏡一狼も夢がどうの、と言っていた。

 しかし千明は犬神の血統を持った人間である。

 簡単にどうにかなるほど柔ではない。


 実家に戻ると鏡一狼を担当している医者がいた。


「こんにちはー」

「アンタも懲りねぇのな」

「そりゃ、あんなに騒がれちゃ」

「大丈夫っす。元々囲碁の試合の時の見た目と学校じゃ違うし」

「そっかぁ。また会えなかった」


 千明が戻る度にこの医者はいるのだ。鏡一狼を診察したいらしいが、無駄だ。鏡一狼はそれを察知して上手く逃げるから。


「いい加減、諦めたらどうっすか」

「それで、鏡一狼くんの様子は?」

 医者はそんな千明の言葉に狼狽えることなく追求する。


「相変わらず」


 千明は靴を脱いで家に入る。

 まず、これをしなければならない。

 鏡一狼を担当する精神科医による診察という名の尋問の数々。


「うーん、せめて血液検査だけでもしたいんだよなぁ」

「そりゃ、無理でしょ」


 血は案外見られるが、その時の表情は酷い。

 無心で、まるで感情がないかのようになってしまう。

 千明としてはそんなことをさせたくはない。


「食事は?」

「相変わらず」

「せめて鶏肉とか、ささみぐらいは食べて欲しい所だね」

「善処するっす」


 そして家に帰る。

 千明にとってはもうあのマンションが家であり居場所だった。

 実家に居ても、父親に文句を言われるだけだ。

 何年歳が経とうと、親とはそういうものだ。

 千明が一人で料理が作れるということも知らずに母は大量の料理を重箱で持たせる。


「鏡一狼にもちょっとは肉類を食べて欲しいのだけどね」

「だから無理でしょ」

「千明は鏡一狼に甘過ぎるのよ。はい。これ。一段目が肉じゃが……肉はないけどね。と、きんぴらごぼう、厚焼き玉子。二段目は……」

「あー、はいはい。食わせます」

「……千明」

「……はい?」

「家には戻らないのね」


 母の問いに千明は頷いた。重箱を持ってその日の夕刻には家を出た。

 鏡一狼に無理に肉類を食べさせるべきかは家で何回も会議した。千明が頑張った結果、いも類、卵は好物で食べるようになった。急いでも仕方ない。


 通りかかった公園に例の少女がいる。大きな木にいる地縛霊と会話していて、周囲の親子に不振そうな目で見られていた。


「おい」

「……千明くん」

「そいつはほっとけ。好きでいるんだろ」

「うん。そういう話をしてたの」

「あっそ」


 生命力の薄い少女だ。鏡一狼は偏食だが、その分霊力はある。しかし、その少女の霊力はえらく薄くなっていた。原因は何か。


「……お前さ、何か食った?」

「ご飯は食べないの」

「……はぁ?」

「戒め」

「腹減ってないのか?」


 少女は否定しない。


「食えないのか?」


 無言。千明はしばらく頭を掻いて重箱を差し出した。


「……え?」

「やるよ。御祓ってんなら、肉類は入ってない」


 少女はその重箱を受け取る。


「……ここで食べていい?」

「まだ明るいし、いいんじゃねぇの?」


 くるり、と振り向き戻ろうとした千明の服を少女は引っ張った。


「公園で一人で食べるの?」


 中学生の少女が。そう考えると、それは妙な光景だ。


「……あのな」

「千明くんに聞きたいことがあるの」

「……へいへい」


 仕方なく千明は近くのベンチで重箱の風呂敷を広げた。元々母は心配性で二人分の皿と箸が簡易に用意されている。


「お味噌汁もあるんだ」

「イタダキマス」

「いただきます」


 久し振りに食べる母の料理は複雑な味だ。煮物は千明より上手い。


「本当に肉類がないんだね」

「鏡一狼さんは食わないからな」

「千明くんも?」

「俺は勝手にするよ」


 そうしろ、と鏡一狼に言われている。


「ねぇ、桜小路鏡一狼って本名だよね」

「隠す必要ねぇしな」

「……術者は本名を名乗ってはならない。って母さんが言ってた」


 肉のない肉じゃがを食べかけ、千明の箸は止まる。


「沙浄羽雪って本名じゃねぇの?」


 少女は頷く。


「源氏名。母さんが鏡一狼くんについて凄く調べてるの」

「そりゃ、無駄な苦労だな」


 赤飯の下段を広げる。少女はちびちびとおかずと赤飯を食べていた。


「おいしい。食べちゃっていいの?」

「鏡一狼さんの家には俺の作り置きがある」

「千明くんの家は料理上手だね」

「まぁ、暁家もそこそこ古いしな。それで聞きたいことって?」

「桜小路鏡一狼。本名を名乗っていいの?」

「心配ない。その必要はない」


 と、いつぞや鏡一狼がそう言っていた。


「どうして?」

「それぐらい、強い術者だから。身分、本名を名乗っても自分でどうにか出来るんだと」

「それぐらい、知識もある……」

「そういうこと。まぁ、結局面倒だからなんだけど」

「面倒?」

「賞金やら、何やらの手続き。あの人そういうの苦手だからさ」

「強い術者なのに万能じゃないの?」

「鏡一狼さん曰く、この世に完璧など存在しない。俺は才能はあれど天才ではない。ってさ」

「……千明くんって鏡一狼くんが大好きだね」


 そう言われて千明は飲んでいた味噌汁を喉に詰まらせる。


「……ごッ、いや、ほとんど家族だし、……そりゃ」

「そういうのって素敵だと思う」

「そりゃ、どうも」


 その時、千明は初めて少女が微笑む姿を見た。


「……おいしい。ご飯はおいしいね。どうして鏡一狼くんはお肉を食べないの?」

「トラウマ。他は本人から聞けよ。聞ければ、な」

「鏡一狼くんは全てを見透す目がある代わりに、聞かれたことは全て話さなければならない」

「お前、……それ」

「でも、必要があればほとんど自衛している。でも、あの時は自衛はしていなかった。私は途中まで見えた」

「酷い」


 少女の顔は歪む。


「それ、鏡一狼さんは……」


 だから鏡一狼は、あの撮影の時、途中で立ち上がったのだろう。そして少女は食べ物を食べていなかった。


「知ってる。全てを見透すから」

「そっか……それで飯、食わなかったのか?」


 少女はこくりと頷いた。


「どこまで見えたのか、知りたい? 話した方がいい?」


 少女は食後のお茶を飲みながら言った。


「いいよ。大体知ってる」

「……私、神通力を辞めたいと思った。母さんと父さんと喧嘩した」

「それでこんな所に?」


 彼女は頷く。もうすぐ、日が暮れる。


「でも、千明くんに憑いてる。どうにかしたい。それは知ってるの?」

「夢のなんちゃらか?」


 千明が思い当たる話はそれしかない。少女は頷いた。


「いいよ。鏡一狼さんもどうせ知ってる。どうにかなるだろ」


 重箱を片付けながら思う。

 最近、夢を見たか。と尋ねられた。しかし見ていないのだから仕方がない。


「夢、食べられちゃった。どうするのかなぁ」

「どうにかなったらあの人に聞いてみな」


 少女はこくりと頷いた。


「ご飯、ありがとう」


 先程よりよっぽど生命力に満ちた少女は笑顔で手を振っていた。


 鏡一狼は空になった重箱をダイニングキッチンで見つめている。


「ふーん。そんなことがあったのか」

「だから、母さんの飯、全部食っちゃったのは悪いと思ってますよ」

「珍しい。千明が女子と話すなんて。しかもご飯まで一緒に」


 鏡一狼は腕を頬に当てて随分じと目で千明を見つめている。因みに、説明は大まかにはしょったのでそういうことになる。


「そういうのじゃなくて! あの女、鏡一狼さんの過去を見たらしく神通力を辞めたいって」

「それは少し違うだろう」

「……は?」

「彼女は前から神通力を辞めたいと思っていた。俺は引き金さ」

「そんな……」


 その時、家のチャイムが鳴った。こんな時間に誰かと思えば、あの少女だった。


「ごめんなさい。千明くんの後を追ったの」

「……」

「油断大敵」


 鏡一狼が面白そうに立っている。その姿を見て少女は首を傾げた。


「……誰?」

「おいおい!」


 思わず、千明はずっ転ける。


「だから、言っただろう。変装が得意だって」


 鏡一狼は得意気に言った。


「さいですか」


 少女はソファーの上でお茶を飲んでいた。一瞬、千明の脳裏に何かが過るが千明は鏡一狼の夕食の準備をする。


「さて要件を聞こうか」

「貴方は私より力が強い。お願いがあります」

「神通力を無くして欲しい」


 鏡一狼の言葉に少女は頷く。鏡一狼は眼鏡をかけてはいるが、それでも力の融通が効くのだろうか。千明は二人から背を向けて黙々と料理の準備をする。


「それには幾つか方法がある。全てを無くすことは難しい。君の親族に少量、霊力を割り振る。それが一番問題が少ないと思うが」


 鏡一狼は茶を飲む。後に続いて少女も茶を飲んだ。


「父と母に全て譲渡することは可能ではないのですか?」

「もちろん可能だが。バランスが悪い。君の力は潜在的な物だ。それを持たぬ人間に全て譲渡する。危険だと君なら分かるだろう? きっと俺の過去を見ただけで発狂するぞ」

「……」

「君はしなかった。向き、不向きもあるのさ」


 少女は無表情だった。こういう時の鏡一狼の言葉は大体正しい。


「……それじゃあ、父さんと母さんに力を渡したら、どうなりますか?」

「さあな。危険な宗教団体を立ち上げるか、その前に霊に恐怖するかのどちらかだ」

「けれど、自分の体で神通力は使える」


 鏡一狼は頷く。


「君の気持ちも少しは分かるだろう。バラけた霊力なら回収も可能だ」


 しばらく時が経った。少女は無表情でソファに座っていた。千明も大体準備は終わってしまったので鏡一狼の隣に座って少女と向かい合う。


「お代は……千明くんの夢魔を祓うことでは駄目ですか?」

「……へ?」


 急に話題に出たので千明は驚いた。


「駄目だな。君の力で祓うことはリスクが多過ぎる」

「……は?」

「じゃあ鏡一狼くんはどうやって祓うの?」

「秘密。元々、祓う気はない。捕獲するのさ」

「……捕獲?」

「おい、何の話だ!」


 千明の叫び声に鏡一狼は言った。


「千明、君には今、夢魔が憑いてるんだ」

「……はぁ!? そんなの、全然」

「夢の中だからね。だから、聞いたろ? 最近、夢を見たか、って」

「見てねぇよ!」

「夢魔が食べちゃったの」

「……食べた」

「どんな夢かは分からんが相当気に入られてるぞ。パクパク」

「な、何でもっと早く……」

「だから、捕獲するためさ」

「私が餌になることは……」

「うーん、どうだろうな。千明次第だが囮にはなるかもしれん」


 勝手に話が進んで行く。千明は諦めてソファに座った。


「それでは駄目ですか?」

「……うん、そうだな。プラスバラけた霊力で手を打とう」

「……お願いします」


 少女は深々と頭を下げた。


「邪魔をしてもらっては困るのでヒントは与える。夢魔は今、千明の夢をパクパクと食べている。けれどね、何故だと思う?」

「腹でも減ってるんすか?」

「……夢は途中で途切れる」

「その通り。相手は空腹だ。しかし、どんな夢でも不完全で途中で途切れる。でもまだ夢の方がいい。さて、どんな夢かな?千明はどんな夢を見ていたのかな?」

「見てないのに分かる訳が……」

「食べられる前の、でも分からないのか?」


 千明はその問いに目を反らす。


「人は言いたくない夢も見るし現在の延長の時もあれば現在より酷い時もある。現実の夢もある。こうしたい。ああしたい。ああなりたい。それもまた夢だ」

「それまで……食べられるっていうんすか?」

「美味しい夢で力を付けた夢魔ならね」

「……千明くんの夢に私は出る?」

「どうだろう。おそらく夢魔は夢の中の強い霊力に惹かれて千明に憑いた筈だ。きっとそのうち出てくるだろう」

「それって……大丈夫ですか?」

「俺の予想が正しければ、千明次第だ。誰の夢を見るのか」


 鏡一狼はもう一度、眼鏡の位置を直した。


「私の夢は見ない?」

「俺の勘では。君はまだ千明の中にそこまで侵食していない」

「……男の子って難しい」


 羽雪は困った顔でお茶を飲んだ。


「千明の好みの問題だしなぁ」

「……はぁ?! いつ、そういう話になったんすか! 大体、そういうことなら鏡一狼さんの方が……」

「私にはちょっと怖いよ。鏡一狼くんは」

「だから、好みの問題さ」


 千明は知っていた。

 この人は多分、童貞ではない。

 女性に対する接し方にいつも余裕があるのはそういうことだ。

 だからと言って彼女がいる、というのも考え難い。

 過去にそういうことがあったのだろう。

 獅道愁一はとことん、下ネタ関係が苦手そうなタイプに見えたから、彼と関わっている間にそういうことをする人ではない。おそらく、過去に。

 と、なると高二以前になる訳だ。


「……千明?」

 鏡一狼に不思議そうな顔をされて千明は焦る。

「え……いや、」

「私、千明くんの考えていること分かった」

「え……え!?」




 夜も遅いし送ってあげなさい、ということで千明は彼女を送ることにした。


「……ごめんなさい。後を追ったりして」

「いいさ。夢魔のことも分かったしな。けど鏡一狼さんもお代なんて……」

「見返りは大切。鏡一狼くんも言ってた。バランスが悪くなる」

「……バランス?」

「今、と過去と現在の天秤。良いことと悪いことの天秤のようなもの」

「ふーん。けど、あの人俺からお代は取らねぇのか……」

「きっと、いつも作ってるご飯」

「それは俺が好きでやってるんだけど」

「いいな。私も早く好きなことやりたい。父さんと母さんと」

「嫌いじゃないのか? 父親と母親が」

「羽雪でいいよ。羽雪は父さんがくれた名前」


 彼女は頷く。くるり、と少女は回った。スカートがふわりと後から回る。


「私の父さんは本当の父さんじゃない。でも母さんと父さんは私の力を褒めて認めてくれる。でも私の力だけでお金を儲けるようになって変わってしまったの。前は叩いたりしなかった。私を怖がったりしなかった。変な宗教じゃないの。戻りたい」


 ずっと表情が豊かになっている。そしてたくさんの言葉を話した。


「鏡一狼くんの過去は怖かった。辛かった。酷かった。……でも、凄く生きていて良かった、と思った。千明くんが大好きで、千明くんのご飯が食べてみたいと思った。笑顔で父さんと母さんのご飯を食べたいと思った」


 あの人も、そんな風に思っているのだろうか。


「……そうか」

「ありがとう。また会おう、って意味」


 そういえば、千明はまだ彼女に料理を振る舞ったことはない。


 家に戻ると鏡一狼が美味しそうに揚げ出し豆腐を食べていた。その姿を千明はぼんやり眺める。


「可愛い子だろう」

「そうですね」


 自分で言うのも変だが随分冷めた声が出た。鏡一狼に不思議そうに見つめられる。


「タイプじゃないのかい?」

「そもそも、そういう対象じゃないです」

「ふーん。あんなに可愛くて。同じぐらいの年頃で」

「……俺は別に」


 何故か目を反らす。鏡一狼に意味深に見つめられる。


「ああ、俺ね。俺は別に年下の女性に興味はないんだ」

「と、いうか女性に興味がないんじゃ……」

「そんなことないさ。歳相応に興味はあるよ」

「……歳相応」


 それが自分より上なのか、下なのか、非常に気になる所だ。同じ、もしくは下だとしたら少しショックかもしれない。どう考えても、鏡一狼は千明より成長が早く聡明だ。可能性は無くはない。


 千明はシンクに溜まった皿を洗いながら思う。


「男性同士の会話としては普通だと思ったが、嫌だったか?」

「……え?」


 鏡一狼は食べ終った皿を千明の後ろから簡単に水で洗っていた。


「口数が少ないし、嫌そうな顔だったから」

「そんな……別に」


 鏡一狼から皿を奪うと、手が重なった。彼が皿ではなく千明の手を掴んだからだ。泡がお湯で落ちる。

 まるで後ろから抱き締められているような錯覚。

 誰にでも緩やかで、優しい。そんな鏡一狼が好きだが、憎くもある。


「けれどね、俺は別にいいんだ。女でなくても」

「それはどういう……」

「天秤のようなものさ。どちらかが大切かと言えば今は千明の方が大切だ。そうしたのは君自身だ」

「ちょ、急にそんな変なこと」


 ゴトン、と皿が落ちる。千明は振り向いた。いつも通りの鏡一狼が立っていた。

 クイッと顎が上げられる。

 千明は混乱していた。


 確かに、好きだと思ったが、そういう意味ではない!


「君はどうしたい」

「……俺は、別に何も」

「別に何も。その先をよく考えるんだね。望むのは自由さ」


 沈黙が続く。


「それでも心は開いてくれない、のか」


 鏡一狼の独り言が遠くに聞こえる。


 どうなりたい。兄弟のように? 師弟のように? お手伝いさんのように? 式神のように? 選び方は色々ある。千明は悶々としながら風呂に入って寝た。

 ずっと考えていた。


 鏡一狼が遠くに行く度に千明はどうすべきなのか考える。



 休みが終わり、怠そうに登校する同級正を見ながら思う。


 彼らは可愛い子が大好きで彼女らは格好いい男が大好きだ。


 なら自分は。


 そんな、まさか。


 休み明けは急に暑くなる。


 もう10月で衣替えも終わっているのに嫌になる。


 授業中もどこかぼんやりしていて世界史の授業で教科書にマイノリティの説明があるページで千明の手は止まる。


 教師はそんな所には触れず早々に違う話をしていた。

 ずっと心にあった違和感。


「暁、部活は行くのか?」

「ああ」


 適当にクラスメイトを先に送って考える。

 確かに、男同士が、どの子が可愛い子だ、なんて話は日常茶飯だ。

 しかし何故か鏡一狼とそんな会話はしたくない。

 いや、何故かは考えていた。

 暮れる町並みは夕焼けに染まっている。

 夜は少し寒い。

 鏡一狼はまた何か食べたいと言うだろうか。


「……そうじゃねぇよ! なんで俺があの人のことばっか!」

「今日は肉のないカレーがいいな」

「……は?」

「やあ」


 驚くことに教室に鏡一狼が立っていた。

 高校の制服で。


「今日は補習が無くてね。久し振りに夕食の買い物でもして帰ろう」

「……なんで」

「何故、って君が望んだから。俺と一緒に夕食の買い物をして、俺の食べたい物を作って一緒に食べる。違うかい?」


 全てその通りで千明の頬は紅く染まる。

 体が勝手に火照り言うべき言葉も出てこないのに勝手に立ち上がった。

 椅子が大袈裟な音を立てて引き下がる。


 違う。


「えっと、だからって別に付き合ってくれなくても……」

「別に? 本当に、別に?」

「え……」


 鏡一狼がずいっと近付く。

 逃げようにも、教室の角で逃げ場がない。


「別に、別に、別に。そうして逃げるにも限界がある」

「別に、逃げてなんか! ……あ」

「俺はね、否定しないし軽蔑もしないよ」

 鏡一狼の手が千明の頭をぽん、と撫でた。

「どうしたい?」


 妙にゆっくりと時が流れた。千明の呼吸の音だけが教室に響く。カタカタと手が振るえた。

 逃げていたのか。

 ずっと。

 据え置きにしていたのかは分からない。しかし、このままでは一生変わらない。

 ずっと、ずっと。

 こんなに尽くしても、どんなに側にいても。どうしたい、どうなりたいのかは伝わらない。


 兄弟のように?

 友達のように?

 親しい親戚のように?

 家族のように?


 千明はもう、頭の全てを白紙にして、鏡一狼の胸に頭を勢い良くぶつけた。

 教室の地面が見える。面と向かって、なんて言えない自分が情けない。


「俺は貴方が好きです。本当の家族では無くても。でもきっと貴方が、貴方だから好きなんです。好きです。大好きです。貴方は俺にどういう存在でいて欲しいですか? 家族? 兄弟? 友人? 式神?」


 一気に捲し立て、叫んだ。


「……千明」


 鏡一狼の言葉を遮った。


「俺は悩みました。好きだから、迷惑になりたくない。でも、貴方がどうなのか、俺は知らない。答えを聞くのが怖い。聞かないで。教えて。もっと、教えて。貴方のことを教えて下さい!」


 体が震える。


「……それが君の夢だね」


 千明は顔を上げぬまま、真っ赤な顔で頷いた。涙が勝手に落ちた。呼吸が苦しい。


「掴まえた!」

「……え?」


 その時、鏡一狼の手が何かを掴んでいた。ぎゅるぎゅると、黒い靄が形になる。ただの女の子の人形に。


「フギャ!! イタイ!!」

「喋った!?」

「これが夢魔さ」

「……え?」


 ただの女の子の小さな人形、というよりぬいぐるみが鏡一狼の手の中でパタパタともがいていた。


「……え?」


 千明はただ、呆然としている。


 今日の夕食は肉のないカレーだった。

 ダイニングキッチンには、鏡一狼、羽雪とそしてぬいぐるみが和気藹々とカレーを食べている。


「おいしい」


 羽雪は微笑む。


「……つまり、その夢魔が俺の現実の夢を浸食するまで待ってた、ってことっすか!」


 千明はダンッとテーブルを叩く。そしてエプロン姿のまま、腕を組んだ。


「そうだよ」


 鏡一狼は飄々と頷いてカレーを食べている。


「な、なんでそんな!」

「だって千明が夢の内容が分からないって言うし。現実の夢を聞いても曖昧な答えしか言わないし。ヒントが夢の中の術者しか無かったんだもん」

「だもん、じゃねーよ! それで、俺が……あんな……」

「千明くんはどんな夢があったの?」


 羽雪に尋ねられ、千明は焦る。


「そ、……それは……」

「秘密。とても男らしい告白だった」

「それ以上言ったらぶっ殺す」

「カレー、オイシイ、オイシイ」

「それより、コイツどうするんですか?」


 千明は勝手にカレーを食べているぬいぐるみの頭を掴む。


「どうするも、首の首輪がある以上、もう好き勝手には出来ないからね」


 ぬいぐるみの首(頭と胴体の間)には薄い星形の金属片の首輪の様な物が着いていた。これが千明の夢を好き放題食べていた夢魔だ。


「キョウイチロウガダメ、シナイ。チアキノユメ、オイシカッタ。カレー、オイシイ。モウシナイ」


 案外聞き分けが良く、本当に腹が減っていて千明の夢が好物であっただけのようである。


「チアキノユメ、ミル? モドセナイ、ケドミレル」

「へぇ、そんな力まであるのか」

「……ちょ、その夢って……」

「キョウイチロウノチカラ、ホシカッタ。ダカラチアキカラ、キョウイチロウトノユメタベタ」

「なるほど」

「駄目! 絶対に、駄目だ!」


 羽雪は楽しそうにくすくす笑う。今日は私服で、濃紺のワンピースだった。また彼女に良く、似合う。


「さて、君にこれを貸そう」


 鏡一狼は羽雪にぬいぐるみを渡す。


「この子を?」

「今日はその為に呼んだのさ。この子は夢を食べる。食べてもらえばいい。君の両親の夢を」

「……でも」

「人にはな、たくさんの夢、がある。君にとって、必要のない夢を食べてもらえばいい。君の願いを食べてもらえばいい。大丈夫。一つ夢を食べられたぐらいで人は壊れない。本当の願いさえあれば。もっと他にも夢はある。それを思い出すだけだから」


 羽雪は瞳を見開く。


「鏡一狼くんはすごいね。こうなると全部知ってたの?」


 鏡一狼は眼鏡の位置を直した。


「俺は知識と力があるだけさ。一族が残した知識と力がね。力だけではどうにもならないこともある。力があるだけでは人は幸せにはなれない」


 少女は頷いた。


「君とその夢魔は相性がいい。しばらく一緒にいるといいよ」

「……分かった。でもお代は……」

「君の願いはその夢魔が叶える。君はその夢魔の願いを叶える。大丈夫。平等にして筋書き通りだから」


 羽雪は頷く。


 千明はまた羽雪を途中まで送る。羽雪の肩には夢魔のぬいぐるみが嬉しそうに乗っていた。


「鏡一狼くんは本当にすごいね」

「まぁな。そういう人だから。ある程度の唐突には慣れてるけどさ。今回は流石に……」

「……でも、私は千明くんの夢は多分素敵な夢だと思う」

「見た訳じゃないだろう?」

「うん。でも、何となく分かるよ。鏡一狼くんの側にいたい。もっと仲良くしたい」


 そういえば、彼女は神通力を持った少女なのだ。


「……それはっ」

「鏡一狼くんもそうだといいね」


 羽雪の笑顔に、千明は素直に頷いた。


「そうだ、今度、料理を教えてね」

「ああ」


 もう、彼女は出会った時の少女と別人と言っていいくらい、明るい表情で笑っていた。


 家に戻ると、鏡一狼は制服を脱いでいた。着替える途中なのだろう。あんなことを言ったのだ。流石に妙な距離感と間が部屋を支配する。


「あの……」

「好きってどういう意味で?」

「そこは忘れて下さい!」

「それは無理だ。君が言ったんだ。教えて下さいって。答えるには君を知らないと」


 思わず、千明は鏡一狼を見上げる。


「……だから、ずっと俺に尋ねたんですか?」

「……そうだね。兄弟のように、ってことでいいなら話は早いけど。それでいいの?」


 翡翠の瞳が揺らめく。


 曖昧な言い方だ。


 鏡一狼の手が千明の頭に触れた。


「……っこの魔性め!!」

「えー! 教えてくれないと分からないよ!」


 バンッと千明は扉を閉め部屋に隠った。





 鏡一狼のマンションで生活するのにも慣れた頃、羽雪が唐突に訪れた。


 そう言えば彼女はいつも唐突に訪れる。


 しかし仕事で忙しい鏡一狼と部活で忙しい千明が二人でいる時間はあるようで少ない。

 そんな時にやって来るあたり、やはり彼女は霊的なパワーを持つ才能があるのだろう。

 鏡一狼はラフな格好で羽雪を招いた。


「いらっしゃい」

「突然だけど、大丈夫かな?」

「大丈夫、大丈夫。さぁ、どうぞ」


 千明は二人にお茶を淹れて茶菓子をテーブルに用意しソファに座った。


 彼女の今日の格好はレースのシャツに青のジーパンと涼しげな格好だった。


「葛餅だ!」

「研修先で貰ったんだ。好きかな?」

「うん」


 彼女は自然な笑顔で微笑む。

 こうして、三人で午後、お茶と茶菓子を食べることも多くなった。


 結局、彼女に憑いていた夢魔は消えてしまった。

 彼女の父と母の歪んだ夢を食べて、彼女の望まない夢を食べて、満足して消えてしまったそうだ。


「でも、ちょっと寂しいかも」

「ペットじゃねぇんだぜ。俺はもう勘弁」


 そんな千明に羽雪はくすくす笑う。


「そう言えば、鏡一狼くんはこのままだと名人だね」

「よく知ってるな」


 千明は感心する。まだ中学生の少女が囲碁に詳しいなんて。


「新聞で読んだよ。京都駅に写真があった。綺麗だったね」

「それはご両親と?」


 羽雪は嬉しそうに頷く。

 彼女に残った霊力は微かなものだった。ほとんどが夢魔に食べられてしまったから。


 鏡一狼曰くそれがお代だそうだ。


「名人……それは高校を卒業してからかな」


 鏡一狼は葛餅を食べながら言った。


「何かを待っているの?」


 やはり彼女にはまだ力が残っている。


「いいや。そんなに急ぐこともないか、と思ってね。きっとこういうことは多くなる」

「だったら、その陰陽師、辞めれば……」

「……不思議だけど、今はね、そんなに嫌じゃないんだ。自分がこうして術者で、色々なことに巻き込まれるのも」

「マジっすか?」

「……少し分かる気がする」


 少女の言葉に鏡一狼は頷いた。


「千明に出会えて、暁家の人々に出会えて、愁一に出会えて、羽雪ちゃんに出会えた。それは俺にとって、とても幸福な出来事さ」


「そーやって、色々な人を唆すんだから」


 千明の言葉に鏡一狼は笑った。


「俺、決めたよ。全部終わったら暁を名乗るって」

「……え?」

「千明くんのお家と家族になるの?」


 鏡一狼は頷く。


「それで俺の復讐は全て終るし、後は刀飾がどうしようが関係ない。もう俺の人生だから」

「……鏡一狼さん」



 鏡一狼は立って、綺麗なマンションの窓越しに手を翳した。

 外は綺麗な夕暮れだ。


「だから、君も好きな時に帰っておいで」



 いつでも、まっているよ。


 とは声に出さなかった。



「なーんか、その愁一って人に全部持って行かれた気分」

「そんなことないさ。今の俺があるのは千明のおかげだよ?」


 そんな姿を見て羽雪は理解する。


「なるほど。鏡一狼くんが魔性って言われる理由が少し分かった。誰でも関係ないのね。女性でも男性でも依頼人でも夢魔でも」

「全くだ」

「えー? そんなことより、夕食でも一緒に食べよう」

「うん」

「作るの俺っすよ」

「手伝うよ」


 羽雪が腕を巻くって立つ。


「助かるぜ。今日は何にしようかな~」


「オイシイユメ、それは希望を持ったユメ。ユメは寝ていても起きていても見ることが出来る。ユメは正夢にもなれば悪夢にもなる」


 サラダを持った羽雪が鏡一狼の横に立つ。


「その人の見方次第、ってこと?」

「そうだよ。両親の様子は?」

「大丈夫だよ。一度、私をテレビで有名にしたいっていうユメが食べられちゃったけど、私は有名になりたくない、普通に生活したいっていうユメが新たにお父さんとお母さんの夢にすり代わったから」

「上手くやったんだね」


 少女は頷いた。


「あの子はもう、千明くんの夢を食べて満腹に近かったから」

「少し残念だ」

「……え?」

「千明の夢、どんな夢か見たかったよ」

「それを今、出す!?」


 千明は狼狽えた。夢魔が消えたせいで半分、記憶が戻ってきているのだ。


「さて……術でも使ってみるか……」

「いやいや、そんなことに……」


「……それは……もう叶ってるよ」


 羽雪が小さな声で言った。



「彼の人との楽しい現実。日常、普段。だもんね」


 千明は照れながら目を反らす。



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