第二夜 星の世界
透明な星形の結界の中で鏡一狼は言った。
「まず聞くけど何が知りたいんだい?」
「君って……京都の人なのに京弁じゃないんだね」
「そりゃ、研修会の仕事で転々とするから。そうじゃなくて……」
「俺が知りたいのは君のことなんだ。君は本当に刀飾なの?」
「……そんなこと」
愁一の問に鏡一狼は黙する。
「そんなこと、じゃないよ。君には何度も助けられた。だから俺は君がどうしてもただの刀飾には見えない」
鏡一狼は困った表情をしている。彼の表情に揺るぎはない。
「……半分正解だ。……しかし、」
「俺は俺のやるべきことを見付けたいんだ」
愁一は真っ直ぐな表情で言った。そんな愁一を見て鏡一狼は等々諦める。降参だ。
それが例え歪んだ真実でも。
「……そう。話すしか無さそうだ。俺の一族は刀飾夜弥によって全焼させられた……俺は単なる人質だ」
「なっ……」
「何故か? それは……元々、桜小路の一族が特別な力を持っていたからだ。刀飾はそれを奪おうとした。しかし奪う前に我が一族は自ら死を選んだ。その力を全て俺に託して」
「けど……なら、何故、君は刀飾に!?」
「従うしかないだろう。その時……俺は、まだ十歳にも満たない子供だったんだ」
しん、と場が静まる。鏡一狼は何故か、こんな時でも無表情だった。
愁一にはそれが無性に悲しかった。
本当はもっと悲しく、辛く、怒りの湧く出来事のはずなのに。
「しかし……あまり流暢にしている暇は無いぞ」
彼は話を進める。
「どうして?」
「刀飾の本体が嗅ぎ付けるからだ。俺は刀飾の目的の為に常に監視されている」
「……良かった」
鏡一狼は愁一の言葉を理解できず首を傾げる。
「良かった? 何が?」
「やっぱり……君は悪い人じゃ無かったね。どうして、反抗、反逆しないの?」
「……だから」
鏡一狼は言い淀む。聞き取れず愁一は聞き返した。
「え?」
「俺は、ここの人達が、暁家が好きだから。俺が逃げればこの人達が殺される」
愁一は静かに怒りを感じた。刀飾のやり方はあまりにも非道だ。
「誰を倒せばいいの?」
「刀飾 夜弥。しかし止めるべきだ。彼女は暗殺のプロだ」
「……どうしても君は反逆する気はないんだね」
鏡一狼は無表情で頷く。
「じゃあ、俺がやる」
星形の壁が溶ける。
「……止めるんだ!」
思わず鏡一狼が叫んでいた。
「これが俺のやるべきことだ」
「……何故だ、何故、俺の話を聞かないんだ……」
そして苦悩した表情で鏡一狼は崩れた。
「いいんだ。やるべきことがあれば過去なんて。だって俺は今を生きているし……それに」
「……それに?」
「俺は君のこと、人として好きみたい。記憶なんてどうでもいいから、もっと仲良くなりたいかな?」
「愁一!」
鏡一狼は叫んでいた。
しかし愁一は既にこの家から去っていた。
「やっぱり……今日は厄日だ」
夕暮れ時、鏡一狼は絶望したように項垂れる。
鏡一狼は知っていた。
何故、愁一に記憶がないのかを。
一族が鏡一狼に残した膨大な知識の一つにあったのだ。
「獅道愁一は処刑人である。その処刑人が狂った殺人者になる前に上杉が強者の生まれ変わりの持つ魂と人外の魂の記憶をリセットし、狩師と魂送師というシステムを造った」
フローリングの上に置いた拳は震えた。
このままだと愁一は処刑人に戻ってしまう。冥界が出来る前。都合の悪い強者を倒す為だけに生まれた処刑人に。
鏡一狼は悩んだ。
今までの生活は夢のようだった。
自分がたった一人である、ということを忘れさせてくれるぐらい。
暁家の人々と過ごす時間は幸福だった。それと同時に、どこかで達観していた。暁家は本当の家族ではない。しかし鏡一狼は彼らを守らなければならない。
方法が知りたかった。
どうやったら暁家と本当の家族になれるのか。
義理の父は何度も言った。
暁に名を変えないか、と。しかし……そうすれば更に暁家の立場が危なくなる。
己のせいで関係ない暁家がまた殺される。
このまま何もしない訳にはいかない。
刀飾は獅道 愁一の力と己の力で今の汚れた地球をリセットし、地上を存永させることが最大の目的だ。
このまま今の立場に甘える訳にはいかない。
鏡一狼は立ち上がり水道水を被った。上げていた髪が下がり眼鏡がコンッと床に落ちる。
桜小路家は古い陰陽師の家だ。本来なら、その刀飾に賛同しただろう。
しかし今は違う。
桜小路現当主は鏡一狼だ。
スーツを脱いで陰陽師の正装に腕を通す。
「ただいまーっす」
この声は千明だ。千明は目の前の鏡一狼を見て呆然とした。
「ど、どうしたんすか?」
「今まで、逃げていた自分に蹴りを付けてくる」
揺るがない鏡一狼の瞳を見て千明は溜め息を吐く。
彼は知っていた。鏡一狼が普通の人間ではなく。陰陽師という枷に縛られている事を。
「あの、長身の優男兄ちゃんも帰って来るんですよね?」
「うん」
「じゃあ、晩飯たくさん作って待ってます」
「行ってくる」
千明は鏡一狼を囲碁の試合に見送るように見送った。
鏡一狼は愁一を追った。
愁一には直ぐ追い付いた。ビルの上を飛んで走っている。
「あれ、鏡一狼君?」
「君ね、そもそも刀飾の本部が何処だか知ってるの?」
「あ……」
「案内しよう」
「いいの? 君は……」
「いいんだ。俺は暁家の皆が好きだ。だから傷付けたくないと思っていた。しかし、それは逃げているのと同じだ」
鏡一狼は決意した表情で前を向いている。
「鏡一狼君……」
「それから、一つ。君は選ばなければ成らない。それが君の血統解放だ」
「……選ぶ?」
「過去の自分を捨てるのか。捨てないのか」
二人は大きな社に辿り着く。
何故かそこだけ雪が降り周囲には椿の花が犇めいている。
「これが……刀飾?」
「そう。これが本家、拠点。強力な結界で外からは見えないが」
二人は雪が降る真っ赤な社の上に立って見下ろす。
「誰もいないんだね」
「本来ならば刀飾の当主は一人と決まっている。当主になるためなら親も夫も殺す。現当主は年齢不詳の女性だ」
「……狂ってる」
「正にね」
武家屋敷の庭の中央に立っていたのは小柄な女性だった。
美しい、白い地に鶴の柄の着物を着た黒髪の長い女性は血だらけで庭に立っていた。まるでその空間だけ切り取ったかのような美しさだ。
「……怪我してるの?」
「いや、全部返り血だ」
その女性はまるで人形のように無表情で動き、椿の花を折った。
少女のような、成人した女性のような、不思議な風貌の人だった。着物の中はセーラー服だ。
「まさかとは思ったけど本当に欲しいもの二つが同時に来るなんて……」
彼女は言葉を発した。
言葉に反して視線は愁一と鏡一狼を見ていない。輝く黄金の瞳は何も写していない。
「ええ。貴方を殺しに来ました」
鏡一狼の白い袴が風に靡いた。
「出来るの? 私に怯えていた爆弾ちゃん」
「……その名で呼ぶな!」
「……爆弾?」
「あら。知らずに来たの? 貴方達は今の地球をリセットし存永させるための爆弾なのよ」
刀飾は愁一と鏡一狼を見上げたが瞳に光りはない。
鏡一狼は言った。
「そう。俺は爆弾なんだ」
「前に言っていたことはこういうことだったんだね」
彼は頷く。
「獅道 愁一。貴方の力はリセットなの。その本質は力ではないわ。無なの」
「……無?」
「君は……ありとあらゆる力、能力、霊力に反する為の無なんだ。君の血統の能力はありとあらゆる力の無効化」
鏡一狼にそう言われても愁一は今一つピンと来なかった。
「……無効化?」
「実際に使ってみないと分からないだろう」
「待って、それじゃあケイさんは!?」
「彼女は君の、本当の魂送師じゃないよ」
鏡一狼は言う。
「……そんな」
「君はどこかで分かっていたはずだ。今、君は本当の力をほとんど出していない。縁が繋がっていないから、お互い霊力が円滑に供給されない」
「……そんな」
あんなに懸命だったケイが。
必死に魂送師になろうと努力していた彼女が。
「魂送師では……ない」
「理解して受け入れないと先に進まないよ」
刀飾はそんな話に興味はないのか椿の花を折って遊んでいた。血と混じるように椿の花が舞う。
着物の白の地に彩るかのように返り血が飛び散る。
「愁一さん!」
どこからか声がした。
反対側のビルに立っていたのは喪服姿のケイだった。愁一は瞳を見開く。
「ケイさん!」
こんな時。こんなタイミングに。
「その男は裏切り者です! 早く、こちらへ!」
「全く、彼女も分かっていないんだね……死ぬよ」
鏡一狼は無表情で言った。
「ケイさん!」
愁一はケイに向かって走った。
そのビルもまた刀飾の本部の一つだった。
このままでは彼女が危険だ。
鏡一狼は愁一を止めなかった。本当に彼女が大切だ、というならそれも仕方ない。
鏡一狼は臆すること無く、刀飾 夜弥と向き合った。