第一夜 京都夢華録
正直に言って愁一はもう何が何だか分からなくなっていた。
・何故ケイはいなくなったのか。
・何故この長刀は他の狩師のように微動だにしないのか。
・自分に何故、記憶がないのか。
歯痒くて何かしたいのに何も出来ない。何が正しくて間違っているのかも分からない。
ただ一つ思う所があった。確かに刀飾は敵だ。しかし、どうしても桜小路 鏡一狼が敵だとは思えなかった。
あの優しい笑顔や言葉が嘘には見えないし聞こえなかった。
そんな話が出来るのは足利義輝だけで彼の家は高校の寮だった。
彼の部屋に案内され愁一はちゃぶ台の上に置かれたお茶を飲みながら話した。
彼は刀飾との戦闘で負傷している。
何故かベッドの上には銀髪のケイの妹カイウスがいた。
「上杉からの尋問結果が来た。あの兄ちゃん尋問警察官だったんだな」
カイウスが三枚のCDを取り出す。
「それは何?」
「尋問した刀飾の記憶だそうだ。上杉尋也には記憶をCDの状態で映像化し記録する力がある。見るか?」
愁一は首を振る。
「正解だ。相当ヤバい物だ。捏造された人殺しの過去と現在の懺悔とが入り混じった地獄だ」
「刀飾については何か分かったの?」
「揺るぎないトップがいる、ってことぐらいかな」
カイウスが答える。
「……やっぱり刀飾は悪い人殺しなのかな……」
「それは分からん。少なくとも過去は真人間であるという可能性もある。だとしたら最悪だがな」
愁一は頷く。
「俺はお前の好きにすればいいと思う」
「……え?」
「俺はその桜小路 鏡一狼を知らん。お前が善人だと思うのなら、好きにすればいい」
愁一から見て義輝の印象が変わったような気がした。
大人になった、と言えばいいのか柔軟になったと言えばいいのか。以前より穏やかな瞳をしている。
「でも……もしかしたら君たちを裏切ることになるかも……」
「だとしても、お前が選んだ道だ。しかし何故そうなったのか、ぐらいは伝えて欲しいが」
愁一はもう一度頷く。
「俺はもっと鏡一狼君のことが知りたい」
「悪霊に関しては任せろ」
「ありがとう」
愁一と義輝は手を握った。
「ま、姉さんについては任せな」
愁一は頷く。
どうやらカイウスと義輝との相性はいいようで二人は正反対に見えて良くやっているようだった。だからこそ何も出来ない自分が歯痒くて仕方ない。
そして愁一は京都に行くことを決意する。
朝、目覚めの悪さから嫌な予感がした。
桜小路 鏡一狼は機嫌が悪い顔を隠す様子もなく目が覚めた。
彼は今、京都にある暁家に住んでいる。
暁家は鏡一狼の師の門下であり彼は囲碁の暁家門下生だ。
「おはようございます。飯、食べますか?」
いないと思っていたら彼の師、暁 妙雲の息子であり中学生の暁
千明が襖を開いて顔を覗かせる。
「味噌汁だけ貰うよ」
「駄目っすよ。固形物も食べて下さい。今日、試合でしょ」
「……努力はしよう」
「はい、はい」
期待して居ない様子で千明は襖を締めた。
ここは千明の部屋だ。
鏡一狼はこの部屋に十歳の頃から住んでいる。
ベッドやら何やら兼用だが鏡一狼はそれを不満に思ったことはないし文句を言われたことはない。
千明は弟のような存在だ。
鏡一狼は十歳の頃にこの暁家に正確には暁 千明に拾われた。
寝ぼけ眼でシャツを羽織り、ぴくりと鏡一狼の手が止まる。
「刀飾が動き出したな……」
居間まで行くと今日も大賑わいだ。
「おはようございます」
「おう」
居間の中心には今日も囲碁の仕事がある師であり、義理の父でもある暁 妙雲。
最近、改装したダイニングキッチンには千明と義理の母。そして、鏡一狼より遅れて長女の朋子がやって来た。
「朋子! またお前、遅くまでゲームしてたな!」
「決め付けんな、今日は勉強だし」
「絶対、違う。変な呪文聞こえた」
「暗黒魔界へのゲートを開く勉強だ」
「それは勉強とは言わねぇんだよ、くそ姉」
「うるせぇ! 弟が! お前も鏡兄みたいに静かに寝ろよ!」
「それはこっちの台詞だ!」
今日も恒例の姉弟による口喧嘩が始まった。
鏡一狼は彼らの真ん中に座り飛び交う罵倒をスルーして用意された味噌汁をすすった。
良く見れば癖のある黒髪と目付きが似た姉と弟なのだが仲はあまりよろしくない。
自称、根暗で、オタクで引きこもりの姉と口数が少ない弟。
お互いが反面教師となり拗れてこうなっている。
そんな娘と息子呆れた様子で眺める父と母。
いつも通りの暁家である。
「顔色が悪いな、鏡一狼」
妙雲に言われて鏡一狼はハッと顔を上げる。
「いえ……」
「マジで、鏡兄大丈夫か? 回復呪文受ける?」
「馬鹿、そんなん効くか! どっか痛いんですか?」
「あらあら、大丈夫? ご飯も食べる?」
鏡一狼がきょとん、とするぐらい、一家全員に心配そうな顔をされた。
「じゃあ、ご飯と漬物、もらっても良いですか?」
「もちろんよ。ただでさえ、最近勉学と仕事で忙しいんだから」
義理の母は優しく微笑む。
「大体、タイトルなんて取るから忙しくなるんだよ!」
「分かっとらん! 今、取れるだけ取っておいた方が後に楽なんだ。そもそも、お前達がプロになれたなら鏡一狼はこんなに苦労はしとらん!」
「向き、不向きがあるんだよ!」
「そうそう。鏡兄ちゃんが無敵なんだから、いいんだよ」
「良くない!」
この父と娘と息子のやり取りも恒例である。
鏡一狼はスーツを着て出掛ける準備をして玄関に立った。
「行ってきます」
電車で向かいながら鏡一狼はぼんやりと考えた。
刀飾が捕まった。おそらく数は三人。
どの人も洗脳され雇われていた刀飾だ。
偶然とは思えない。
狙って捕らえられたのだ。確かに洗脳されているという都合上、彼らの知識、自己行動力は低い。それでも三人。どう考えても計画的行動だ。
現状は魂送師と狩師はバラけているはずで、それでもなお、この状況は不味い。
「結託した部隊が、しかもどちらかが頭の切れる部隊がいると見て間違いないな」
鏡一狼は打算的に考えた。
まだ獅道愁一を筆頭とした火力のある狩師は完全に機能していない。
向こうはまだ鏡一狼に動けとは言わないだろうが芳しくない状況だ。
「さて、どうしたものか」
これから何かが起こるという予感があった。
何度か行ったことがある場所だ。何処か懐かしい京都に愁一は週末にいた。
服装に悩んだが結局制服しか着る物が無かった。
もっと今時の服があればいいが愁一にはその辺のセンスが全く分からない。
桜小路 鏡一狼について知っているのは通っている高校と住んでいる場所。
何でもそこは彼の師の家らしく辿り着けば古い部分と新装された部分が合体した不思議な家だった。
インターホンを押すと、いや。押す前に勢い良く扉が開く。
「だから! 俺には囲碁は向いてねぇんだよ!」
また勢い良く青年が飛び出した。
深い青緑色のブレザーを着た、ぼさっとした黒髪で目付きの悪い、おそらく中学生が愁一とぶつかった。
「痛ってぇ!」
「あ、すみません!」
愁一はぺこぺこ謝る。
青年は頭に手を当てて不思議そうに愁一を見た。
「兄ちゃん、誰?」
「えっと、桜小路 鏡一狼さんの知り合いです」
「ふーん。そっすか。鏡兄は今日、試合でいないけど」
「試合……?」
「囲碁の試合。午前開始だから昼には帰って来ると思うけど」
「囲碁の試合ってそんな早く終わるんですか?」
「いや、鏡兄は負けないんだよね。相手に寄ってはもっと早く終わるからウチで待ってれば」
「いいんですか?」
「俺は部活で学校に行くけど、ちゃんと家にいるなら鍵」
ぽんと鍵を投げ渡される。
「け、けど、初対面でそんな……」
「アンタ、悪い人じゃねぇだろ。俺そういう勘当たるんだ。一応、姉貴もいるし」
「分かった……待ってていいかな?」
青年は頷いた。
愁一はそっとその家にお邪魔する。
しかし居間にいたがどうにも落ち着かずそわそわしていた。
家主がいないのだから当然だ。やはり一度帰るべきかと立ち上がった時、玄関の扉が開いた。
また誰かが帰って来たのだろう。
愁一はそわそわと動き回る。鏡一狼ではない場合を想定して。
しかし居間にやって来た。のは鏡一狼だった。
「やれやれ、当たるんだよね、こういうの」
鏡一狼は愁一を見ても驚かずにいる。そんな鏡一狼に愁一は言った。
「俺、君に会いに来たんだ。どうしても君が悪人に見えなくて、君のことをもっと知りたいと思ったから」
愁一と鏡一狼は対立する。そして愁一は素直に思った事を言った。
「その事実が君を傷付けるかもしれないよ」
愁一は頷く。
「俺が言うのは変だけど……今、君がどうしても幸せそうには見えないから。それは刀飾のせいかな、って思ったんだ。俺に何か出来ることがあるなら言って欲しい。力になりたいんだ」
「……相応の覚悟の様だね。分かった。今、この家に密室空間を作る」
鏡一狼は手から小さな透明な星を取り出す。それはこの部屋を包むほどの大きな壁になった。
「すごい……」
「圧縮していた結界を解凍したんだ。これが俺の力の一つ」
鏡一狼は悲愴な笑顔で微笑む。
愁一は唾を飲み込んだ。
今、彼に攻撃されることだってあるのだ。しかし愁一は鏡一狼を信用した。
「時間は十分だ。それ以上は向こうに嗅ぎ付けられる」
「向こう……?」
「話せたら話すよ」
愁一は頷く。
鏡一狼はどこかで理解していた。
この暁家での、夢のような時がもうすぐ終わるのだと。