第二夜 突撃流星群
それは足利義輝にとって一つの衝撃の始まりに過ぎなかった。
「せっま!」
義輝の寮に荷物ごとやって来たカイウスは叫ぶ。そしてカイウスの頭を義輝は軽く殴った。
「酷い! 殴ることないだろ!」
「だから狭いと言っただろう!」
「けど、まぁ必要最低限は揃ってるし、いいかって続けるつもりだったんだよ」
「そうか」
「何でも『そうか』で解決すんな! 破壊神!」
カイウスの部屋まではない。完全な1LDKだ。カイウスは勝手に持って来た荷物をどかどかと義輝の部屋に置いた。
「あのなぁ」
「いいだろ。別に大した物ないし、俺だってそんなにねぇ」
確かに彼女の荷物は簡単な衣服とベースだけだった。
「何故、ベースなんだ。もしかして……ギターと間違えたのか?」
「……そうだよ! 何故分かった!」
カイウスの言葉に義輝は思わず笑った。冗談だと思っていたら本当だったのだ。
「……お前って」
「何だ?」
「いいだろ、別に。それでめっちゃベースが上手くなったんだ。ベースって結構人気者だし」
カイウスは何故か照れたような表情で言った。
妙な沈黙がしばらく支配する。
それを振り切るようにカイウスは叫ぶ。
「よしっ、いっちょ晩飯作るか。リクエストがないならこっちで勝手に冷蔵庫の中身で作るぜ」
「それで頼む」
確かに彼女は料理上手なようだ。義輝が風呂に入り着替える頃にはリビングにはフレンチ二人分が並んでいる。
「湯は抜いたから、入るなら自分でお湯を溜めろ。空いているスペースなら勝手に使え」
「つまり空いてないスペースは使うな、ね。OK」
そして、またしばらく義輝をじっと見つめる。
「何だ? さっきからじろじろと」
「いや、お前って頑固な侍ってイメージだったからさ。笑ったり、ジャージだったり、髪下ろしてると別人みたいで」
「生憎、俺だって高校生だ。冷める前に食べよう」
冷蔵庫の残り物が華麗にフレンチに変身した。料理の腕に間違いはないのだろう。
「ちょっと聞きたいんだけどさ」
「何だ?」
「どうして、イッチーと姉さんは喧嘩したの?」
「喧嘩した訳ではないだろう。理由はそこまで深く知らん」
「へぇ。見た感じ、イッチーって優しそうじゃん。姉さんに何か不満があったのか、姉さんに不満があったのか気になってさ」
「それは本人に直接聞くんだな」
「義輝ならそう言うと思ったぜ」
「……」
義輝は黙ってサラダを食べた。
問題はベッドが一つしかない、ということだ。彼女が風呂に入っている間にどうすべきか悩む。
「ここは男である俺が部屋から出るべきだろうか」
「へ……? いいよ。お前、家主だろ?」
「ちゃんと髪を拭け」
風呂から出て来たカイウスの銀髪から、ぽたぽたと水滴が落ちたので義輝はわしわしと拭いた。
寝間着もまた、シャツにジャージと女性らしくない。そこであまり女っぽくされても今度は義輝が困るのだが。
「痛い、痛いって!」
「じゃあ、お前はどこで寝るんだ!」
「一緒に寝るよ! 結構大きいベッドだし、いいだろ!」
「はぁ?」
「そんなことより、この部屋にパソコンはないのか?」
男と二人で寝ることがそんなことより、なのかと義輝は頭が痛くなった。
カイウスはこざっぱりした勉強机をバンバン叩いて言う。
「ない。欲しければ今回の報酬で買え」
「良いのか?」
「……あまり高いのは買うなよ」
「普通のやつ。ネットとメールが出来れば姉さんとも会話出来るかも!」
「愁一はデバイスでは繋がらないと言っていたが」
「そこはほら、個人用ってやつよ」
「好きにしろ」
「やったぁ!」
カイウスはまたぴょんぴょん跳ねて喜ぶ。
「喜ぶのはいいが、あまり騒ぐなよ」
「音量遮断強制は得意だから大丈夫!」
と、にっかりした笑顔でカイウスは微笑んだ。
結局、カイウスは義輝が寝るベッドに勝手に入って来た。
確かに義輝の身長に合わせて作ってあるのでベッドは大きい。カイウスは小柄なので問題ない、と言えば問題ない。
「おっ、理想の固めだ」
「捜索範囲、音量遮断、他には何が得意だ?」
「……え?」
「今度から、お前と二人で悪霊や刀飾と戦うんだ。多少知る必要がある」
「ゲートは一回お前と魂送してみないと分からない。後は奇跡を一回起こせる」
「……奇跡!?」
「あんまり期待するな。小さい奇跡だし、どんなものがどこまでなのかもやっぱり、義輝とだと違うと思う」
「……そうか」
「義輝のことも教えてくれよ。俺ばっかり話してんじゃん」
「全く、まずはこれを読んでから聞け。足利家の歴史を一から話すのは面倒だ」
義輝はカイウスに足利の歴史という本をベッド上の本棚から投げて渡す。
「いたっ、何でも投げて渡すな!」
「電気、消すぞ」
「うん。おやすみ」
「ああ」
暗くなったとたん、後ろを向いて寝ている義輝の背中にカイウスに抱き締められたので義輝は驚いた。
怒ろうとしたら彼女はもう寝ていた。
抱き枕にされたと思って諦めるしかない。
それは夢だ。
その国は綺麗な国だった。
色とりどりの花。大きな宮殿。従順な街の人々。
三人の女王は常に国民に祝福される。
誰かが、天上で言った。
『良いか。ここに、三人の女王。そして、三人の王子が揃った時、奇跡が起きる』
しかし第一王女である長女は断った。
「奇跡なんていらない。そんなことのために知らないオッサンと結婚出来るか!」
それは小さくも王女全員の望みだった。数多に来る見合い話に興味はない。
『しかし、それでは奇跡が……』
「奇跡なんていらない」
奇跡のための道具にはなりたくない。
そう、これは夢だ。
「……奇跡」
「……おい」
誰かの声が聞こえる。
「……義輝!」
朝の日射しを受け義輝は目覚める。目覚めた視線の先にはカイウスがいた。
「ったく、お前は以外と寝起きが悪いな」
「……カイウス」
「な、っんだよ、急に」
気が付いたら、カイウスの銀髪を撫でていた。そこで義輝はようやく覚醒する。
「お、はよう!」
「おう……朝食、出来てるぜ」
朝食も完璧だった。しかし義輝は霞んだ頭脳で軽い朝食を口に運ぶ。
「もしかして……寝起きの後も悪いタイプかよ」
「そうだ。午前中は諦めてくれ」
だから極力午前中は人と会わないようにしている。更に顔が怖いと怒られるからだ。
「はーぁ。せっかく人が早起きして洗濯と朝食と弁当まで作ったのに……」
「ああ。すまんな。お前の入学と入寮許可書はこっちでどうにかする」
「……しょうがねぇ、それでチャラにしてやる」
「本当に悪いが午前中は思考が鈍る。好きなようにして学校に行ってくて」
「それで後で怒るなよ」
「善処しよう」
義輝はカイウスに合鍵を投げて渡す。そう言えば物を投げて渡すな、と昨晩怒られた。どうやらこれは癖のようだ。しかし何故かカイウスは怒らず、素直に受け取った。
「……ありがと」
何故か、そこで照れられてカイウスは嬉しそうにぴょんぴょん跳ねて学校に向かった。
生活時間が違うのは助かった。女子には女子に。男子には男子の生活基準というものがある。
義輝は髭を剃り髪を整えて学校に向かった。
簡単な家着は洗濯して干してあったが下着はちゃんと男女別にしてあった。
確かに生活力に間違いはない。
先に書類を職員室に提出する。強制力もあるし拒否されることはないが鳩里桂一の前に立つと流石の義輝でも緊張した。彼は狩師だ。
「分かりました。ケイさんの妹さんですね。今朝、元気に挨拶に見えましたよ」
「挨拶……?」
「貴方のために強制力を強めたのでしょう」
「……あいつ」
「……貴方のそんな人間らしい姿、始めて見ましたよ」
桂一にそう言われ義輝は固まった。
「良いことです」
「……はい」
生徒らしく素直に頷いた。
義輝は授業を受けながら思う。これがリンクが繋がる、ということなのだろうか、と。
放課後、生徒会の宗滴から急にメールが着た。
『至急! 衝突流星群』
という謎のメールが着た。
「衝突流星群?」
義輝は気の向くまま、生徒会に向かった。
生徒会の中の会話が外まで聞こえる。
「だからイッチーが姉さんに何かしたんじゃねぇの?」
「だから何もしてないよ!」
珍しく愁一が叫んでいた。義輝は勢い良く生徒室の扉を開く。
「何事だ」
「あ、足利君!!」
「直接、コイツに聞いてるんだよ。姉さんに何かしたんじゃねぇか、って」
それは正しく尋問現場だった。長机を隔てて愁一とカイウスが対立している。
「待て。一方的なのは良くない。俺はとりあえず、お互いを知っているから仲裁しよう」
「えぇ? お前は俺の味方だろ?」
「足利君!」
「とにかく両者落ち着け。朝倉、茶を頼む」
「了解です、裁判長」
何が裁判長だ。面倒事を押し付けただけのくせに。
仕方なく義輝は二人の間、長机の端に椅子を持って座った。
「カイウス突然どうした?」
「突然じゃない。何もないのに姉さんが突然狩師を放って居なくなったりしないであります!」
「確かに、一理あるな」
「な、何もない所か話もあんまりしてないよ!」
「意義あり! それは繋がったパートナー同士では問題だぜ」
「意義を認めよう」
「……意見を認めてもらえるなら、一緒に住んでたし。一緒に悪霊も退治した。けど、これからケイさんのことを知ろうとしたら……ケイさんが居なくなっちゃったんだ」
「意見を吟味する。確かに獅道は記憶喪失だ。急にパートナーとの意志疎通は難しいだろう」
「記憶喪失?」
驚いた様にカイウスが愁一を見たので義輝は頷いた。
「それにしたって……何もないのに、姉さんは突然消えたりしない」
「つまりカイウスは絶対に何かがあった、と言いたいんだな」
カイウスは頷いた。
義輝はお茶を飲んでから愁一を見る。
「だ、そうだが?」
「……それは……でも、他に方法がなくて……」
「つまり何かはあったんだな」
愁一は気まずそうに頷いた。
「それを話してみないか? 一人で抱えていても仕方がないだろう。本当に悪いことだったのか、ケイを良く知る人物の客観的意見も聞いてみるべきだ」
カイウスはうん、うん、と頷いている。
「お前もだ、カイウス。ちゃんと獅道の相談に乗らないとケイの為にならないだろう」
「……分かったよ。ちゃんと相談に乗るよ。姉さんと何があったんだ?」
愁一は言い難そうに両手の指を合わせて弄っている。
「……つまり、これが原因かは分からないんだけど。お互いに霊力が枯渇していたんだ」
「繋がってたのに?」
愁一はカイウスの問に頷く。
「それはそれで問題だが今は先を続けよう」
「それで、それは記憶のない俺のせいかなぁ、と思って俺は色々な人から霊力を分けてもらってたんだ」
「……うむ」
「それは……ケイさんもある程度認めてくれてたと……思う。でも、突然押し倒されたんだ」
「押し倒された?」
愁一は頷く。
「そう。ケイさんが……どうして、触れ合ったりして霊力を補給しないのか、って多分、そんなことを言われて」
「何故、しなかった?」
「分からない。けど、ケイさんが近くに来た瞬間、怖くて。ケイさんを押し返したんだ」
「それで、ケイは居なくなった、と」
愁一は頷いた。
「そんな! 何で、フランス一の美女と言われる姉さんを拒絶したりしたんだ!」
カイウスは怒鳴った。
「そんなの分からないよ! でも、違うって思ったんだ!」
それまで傍観していた宗滴が茶を飲んで言った。
「まぁ、男女ってのはそう簡単じゃねぇわな」
「分かった様に言うなよ!」
「しかし、カイウスちゃんや。その拒絶が本当に拒絶なのか。愛情による拒絶なのか。親愛による拒絶なのかは分からないだろ? その権利がイッチーに無いとまで俺は思わねぇな」
「……」
カイウスは思いっきり宗滴を睨んだ。
「じゃあ、カイウスちゃんは義輝に押し倒されても平気なんだ?」
「おい、変なこと聞くな」
義輝の制止も空しくカイウスは宗滴に向かって答えた。
「ああ。もちろん。お互い困っているのなら尚更だ」
「……それだけカイウスちゃんは義輝を信用しているんだな。羨ましい。んで、義輝はどうすんの? カイウスちゃんに押し倒されたら」
宗滴に問われ義輝は仕方なく、答える。
「ああ。お互い困っているのなら、俺は結局受け入れるだろう」
言った瞬間、カイウスの視線を感じて義輝は視線を無視した。
「俺はこれが信頼関係だと思うが。違うかい、イッチー?」
「そうだね。そう思うよ」
「イッチーとケイちゃんにはこれが足りなかったんじゃない? お互い、どこに向かっているのか分からなかったんでしょ」
愁一は神妙な面持ちで頷く。
そんな様子の愁一を見て宗滴は罪悪感を感じフォローに回る。
「それはどちらの責任でもないよ」
それはカイウスも同じだった様で慌てた様子で愁一の肩を叩いた。
「……確かに姉さんにはちょっと人間関係下手な所があるからもしかしたら記憶喪失のイッチーのフォローが上手く出来なかったのかも……」
「違うよ! 俺が悪いんだ。記憶喪失だからって甘えてたんだ」
「ストップ。ここまで分かったのなら後は改善あるのみだ。獅道とケイに必要なのは会話と理解だ」
義輝は一連の流れを見て相応にまとめた。
「意義はない、って感じ?」
宗滴の問に全員が頷く。
義輝は立って宗滴を引っ張る。
「あらら、ちょっと!?」
「こんなことに巻き込んだ罪滅ぼしだ。付き合え」
近くのコンビニまで宗滴を引っ張った。
愁一、宗滴、カイウスの三人は甘いものが好きだ。それぞれ、どら焼、カステラ、果実入りゼリーを選んでカゴに入れる。
「あら、やだ奢り?」
「仕方ない」
「ふーん。カイウスちゃんの好みまで分かってるんだな」
「ああ。昨晩、デザートのゼリーがないと煩くてな。この果実入りが好みだと」
「それで、お前は?」
「俺は煎餅で十分だ。これなら英治も食べるだろう」
「……お前ってそういう所あるよね」
「……は?」
何故か宗滴に溜め息を吐かれる。
「顔に似合わず、良い奴、ってことさ。カイウスちゃんはちゃんとそれを理解しているんだな」
宗滴に褒められ肩を叩かれても嬉しくはない。
「なぁ、義輝。恋って一瞬で永遠だぜ」
「なんだ、その寒い言葉は」
「寒いなんて酷い! 俺の名言さ。しようと思えば一瞬で恋に落ちるけど、ないと思えば永遠にねぇ」
「俺の思っていた意味と少し違っていた」
「俺はそこまで愛や恋を過信してねぇよ」
忘れていた。宗滴は気さくで、博愛に見えるが、性質は逆であると。
生徒会に戻ると先程とは違い、何故か愁一とカイウスは親しそうに何かを語り合っていた。
「おい、何が起きた……」
「姉さんの素晴らしさとお前についてイッチーと語り合っていたんだ」
「……は?」
「カイウスさんの話はとても面白いんだ」
「おいおい、俺が年下なんだ。さん、は付けなくていい」
「そうかな?」
「……まぁ、ともかく和解したのなら良かった」
「みんなー! 義輝のおじちゃんが茶菓子を買ってくれたよ!」
「誰がおじちゃんだ!」
先程の言葉も無視して義輝は全力で宗滴をぶん殴った。
「痛いっ! ツッコミレベルの話じゃねぇ!!」
首もげる! と騒ぐ宗滴を無視して義輝は全員に茶菓子を配った。
「そうだぞ! 義輝は結構イケメンだと思うぜ!」
カイウスの謎のフォローに全員の手が止まる。
「え? 俺、変なこと言った?」
「すげぇな。義輝を顔面怖い、というフィルター外して見れる女がいたとは……」
「うん、うん。格好いいよね!」
「そこは同意するな!」
結局、その日の生徒会はただの茶会で終わった。しかしカイウスはゼリーを食べずに嬉しそうに鞄にしまっている。
「食べないのか?」
「馬鹿だな、デザートだから意味があるんだよ。しかも、ちゃんと俺の好み通り、果実が大きくて、ゼリーにも果実の味があるやつじゃん!」
と、ぴょんぴょんご機嫌で後ろを付いて来る。
「そうだ、学校の制服だが……」
「……え? このままでいいよ! 人と違うって格好いいし。また買うの面倒だろ?」
「……そうか」
義輝は頷く。
とにかく一度悪霊を狩ってみないと話にならないとお互い理解していた。
「カイウス。お前が学校に慣れたら悪霊を一度狩るぞ」
通学路は夕暮れ時でガードレールの内側にも通行人がまばらにいた。
「……俺が、か。やっぱり、お前っていいやつだ」
「おい、茶化すな」
「茶化してねぇよ。ちゃんと俺の話を聞いてるし、気遣ってくれる。だから本当に俺が未熟で何かあったら言えよ」
「分かってる」
義輝は振り向いた。カイウスの銀髪は夕暮れに照らされ、美しく輝いていた。
姉さんは、姉さんの、姉さんが。
とばかり言葉を紡ぐカイウスだが彼女も充分美しい。
人々が望む奇跡の一つであると言われでも疑いようがない。
「お前が貸してくれた本、読んだ。そしたら夢に出て来た連中が何をしているのか分かったよ。義輝は辛くないのか?」
「ああ。今は、もう。俺は足利義輝だが、その本と同じ足利義輝ではない」
「……うん」
カイウスは美しく頷いて、義輝の唇に触れた。
義輝は呆然としたが唇に伝う生温い温かさを受け入れた。
ゆっくり、唇が離れる。
その時、皮肉にも宗滴の言葉が頭の中を過っていた。
「俺、あの時言わなかったけど……俺の狩師があちこちから霊力貰うなんて、俺は絶対、嫌だ」
その時の瞳は何とも魅惑的な深い紫色に輝いていた。
「ああ」
「そうやって、一言、二言で済ますな!」
「……カイウス」
「何だよ」
「俺にとってはカイウスで、ケイはお前の姉だ。言っている意味は分かるか?」
途端に、ぽんっとカイウスの顔が赤くなる。
「何だよ、もー! やっぱりずるい!」
それは夕暮れ時でも分かる赤さだった。