願い事は一つ
何が正しいのか。何が間違っているのか。愁一は飛行機の中で考えた。
それぐらいしかやることが無かったのだ。
しかしそれは重要なことで、六つの指輪があれば何でも願いが叶うだなんておとぎ話のようだが事実なのだ。
月臣と尋也から受け取った対の指輪が一つもうある。残りは何でも一度手合わせした赤毛の探偵事務所の青年が持っているらしい。後もう一つは英治が持っていると話は聞いた。愁一は先にユリウスから指輪を受け取ることにした。
『奪う』ことにならなければ良いが。それは向こう次第だ。
愁一が社長を勤める、何でも屋、もっと簡単に言えば派遣会社のオフィスビルが聳えている。
受付には革靴の染みをチェックする坊主にサングラスの男が一人。その男は顔を上げると久しぶりに見る愁一の姿に表情を崩した。そう言ってもサングラスのせいで眉の上下で表情は憶測だ。
「社長! 戻って来たのか!」
そんな男の言葉に愁一は苦笑する。
「そうなんだ。任せっきりで悪いね」
「いやいや。大丈夫だ。近頃は大きなお祭り騒ぎも無かったしな」
二人は軽く握手をする。
「おや、そちらのお嬢さんは?」
「彼は私の連れよ」
そんな言葉に二人は揃ってポカンとした。
夜弥は一人、そんな二人をまるで気にせず堂々としていた。
「あ、ははは。そうか、俺が連れね」
「え、そうなのか?」
「いや、違うと思うんだけど。そういう考え方もあるかなぁ」
愁一は苦笑しながら瞳に溜まった涙を手で擦りながら言った。
まず、ユリウスに会うには探偵事務所に行かなければならない。
ユリウスが勤める探偵事務所はイギリスでも有名な会社だ。社長はなんと女性で美人と来ている。
しかし、ユリウスはこの国の王女、マリリン・セグシオン・フォンベルンと深い仲らしい。それは国民には伝わっていない。ならばユリウスとて『願い』があるのだろう。はい、どうぞと簡単に指輪を渡してくれるとは思えなかった。
「俺は負けたんだ」
愁一はオフィスから街を見下ろした。
壁が窓になっているオフィスの展望。その窓にそっと手を当てる。
「それがこんなに悔しいだなんて思わなかった」
悔しい。悔しかった。
渦巻く感情はそれだけだった。次は負けたくない。そんな風に思って愁一はハッとする。
何を考えている。『また』だと?
また、戦うと言うのか? 愁一はこの戦いを終息させる為に戦っているのでは無いのか。この感情は全く関係ない。いらない感情だ。分かっている。それなのに悔しさで拳が震えた。
ユリウスと再び戦うことになるのだろう。
「私は貴方が集めた指輪で願いを叶えるわ」
夜弥はオフィスのソファの上で優雅に出されたコーヒーを飲み言った。愁一はそんな姿の夜弥を見て苦笑する。
「君は変わらないね」
「変わる? 既に貴方のせいで色々と変わった後よ。私は本来外には出ないの。それがこんな所まで」
「こんな所まで俺を連れて来てくれたんだ」
「何よ。さっきのまだ気にしているの?」
愁一の言葉に夜弥はむくれる。そうしていれば、彼女も可愛らしい美少女なのだが。
愁一にも分からなかった。
何故か夜弥をこのまま討伐するのは違っている気がした。
過去に酷いことをしたのも分かっている。まだする気でいるということも。それでも愁一は彼女には本当の、素の彼女はもっと違っている気がした。
「まず、ユリウス君に会わないとなぁ」
「あの探偵事務所でしょう。依頼もないのに会えるのかしら?」
「顔を合わせるぐらいなら会えると思うけれど」
彼の対の指輪の持ち主に会えるのかは分からない。
けれど愁一は会える気がした。そうしなければ何も始まらない。
きっと、彼は会いに来るのだろう。
情報が巡り合っている。
元々、彼……獅道愁一はイギリスではちょっと有名なビジネスマンだ。
一応商売敵となる派遣会社の社長。イギリスでは日本人社長と言うだけで珍しいのに愁一にはサムライというアダ名まであるのだ。
そうなるとイギリスでは日本人のサムライ社長とあっという間に有名になった。ただの見せかけならばどうと言うことはないが愁一は中身も本物なのだ。
そんな新聞紙をピラピラと読みながら、美しい銀髪を揺らし一人の女性が風呂に浸かっていた。
彼女はマリリン・セグシオン・フォンベルン。
「サムライ社長が帰国、ね。ただの帰国に随分喧しいわね」
「仕方ありませんよ。ここでは有名な方です」
そう返事をした青年は美女の入浴にも無表情で際にビシリと背筋を伸ばして立っていた。そんな彼、ユリウス・クリストフォンスをマリリンはつまらなそうな表情で見つめる。
「それだけ? 何かもっと無いの?」
「特には」
「そんな返事。全裸の美女を前にしてゼロ点よ、ユーリー」
「点なんて欲しくないですし風呂ぐらい一人で入れませんか」
ユリウスことユーリーは表情一つ変えず続けた。
それにしても広い浴場だ。ありきたりな、良くある白い浴槽に金色の蛇口。大きな鏡。
「うるさい。アンタがさっさと私の使用人になれば良いのよ」
マリリンは指を広げ、そこに光る指輪を見つめながら言った。
「それならば何度もお断りしましたが」
「勝手に……探偵事務所の助手なんて」
「だからもう無理です、と何度言いました。全く聞かず。こうして呼び出されるのはいい加減迷惑です」
「なーんですって」
ばさん、とマリリンは浴槽に手を付いて起き上がる。ほぼ全裸の女体を目の前にしてもユーリーは表情一つ変えず続けた。
「こうして呼び出されるのはいい加減迷惑です。何度でも言いましょう」
「この美女の裸体を前に良くそんなことを言えたわね」
バサリ、とマリリンは立ち上がり風呂場のドア近くに無表情で立つユリウスにずいずいと近づいた。
「慣れ、というのは恐ろしいものですね」
「何に慣れているのよ。で、この指輪も狙って来るのね?」
「でしょうね。指輪は六つ無ければ意味がありません。その内の一つの番を我々が持っているのですから」
「そうよねぇ。持っているのよね」
マリリンは片手に光る指輪を眺める。そしてユリウスの首にかかる指輪をシャツの中から取り出した。鎖にぶら下がる指輪が光る。マリリンはいつか彼がこの指輪を彼の指先に光ることを夢見ていた。
他の願いなんてどうでもいい。
それだけなのだ。
しかし、それを邪魔されるとなると。
「戦うことになりそうね」
「正気ですか? 相手は……一度手合わせしましたが強いですよ」
「これでもフェンシングは稽古で習ってるの。何よ。駄目?」
「駄目と否定する権利は僕にはありませんよ。しかし奨めはしません」
「何よ」
「本当にこの指輪で無ければなりませんか? 単に指輪で良ければそれこそもっと見合う物があります」
「分かっているわよ。でも私はね。ただ貴方とお揃いの指輪が欲しい訳じゃないの。それこそ私が番の指輪を六つ揃えたいわ」
「……揃えて……どうすると?」
「分かっているでしょう。貴方と結婚したいのよ」
マリリンは顔色一つ変えず言い切った。流石にユリウスは顔色を揺らがせる。
「それは……指輪が無ければ出来ないのですか? 確かに僕には地位も名誉もありません……こんなことは言いたくありませんが……僕はそんな指輪が無くとも貴方と結婚出来るまで……」
ユリウスは言い淀む。そんな姿のユリウスにマリリンは愛しそうに、ぬいぐるみを愛でるようにそっと頬を撫でた。
「私と貴方が良くても国民が納得するかは分からないわ。今も一日置きに婿養子を希望する金持ちのお坊ちゃんがやって来るのよ」
「それはもちろん分かっています。けれど……僕も獅道さんの願いが悪いものではないとも思うのです」
ユリウスはその手にそっと自分の手を重ねる。
「……それは……そうね」
マリリンも簡単に否定は出来なかった。
愁一を気にするのはマリリンだけではない。
翌日、ユリウスは勤め先の探偵事務所のオフィス横に立っていた。
ユリウスの職場となる探偵事務所の探偵、テレサも同様に新聞を読み顔をしかめた。
今度は一筋縄では行かない金髪美女。
ユリウスの周囲には少々個性豊かな女性が多いのではないかと少し溜め息が出た。
「溜め息も出るわよ、ユーリー」
テレサは卓上に腰掛けながらペシペシと新聞を叩いた。
「元々働いていた方ではないですか」
「あら。貴方この男が普通の日本人に見えると言うの?」
その問いの返答にユリウスは詰まった。
そう。見る人が見れば分かるが愁一はどう見ても普通ではない。サムライ社長、というアダ名が相応しい青年だ。
「そうですね……」
「私の眼を舐めてもらっては困るわ」
イギリスに戻ると不思議な感覚に愁一は襲われた。
元々働いて住んでいた場所だがやはり自分は日本人だと改めて強く思った。
月臣のマンションで食事をしてしまったせいで元々の日本人気質が戻ってしまった。つくづく日本は便利な国だと体感させられる。イギリスが何処か劣っているという訳ではなく、元々染み付いたものはどうやっても取り除けない、という話だ。
空港から自分の会社に戻る途中、何故か新聞記者やニュースキャスターに囲まれたが愁一は適当に流した。
そして結局付いて来た夜弥の方が眼を白黒させていた。
「ちょっと! なんなのよ、この人だかりは」
「それは俺が聞きたいよ。っていうか良く付いて来たね」
「付いて来た、違うわよ。私は私の意思でここまで来たの」
凛とした声で夜弥は言った。そんな言葉に愁一は苦笑する。
「貴方が指輪を六つ集めて、願いは私が叶える。『永遠の生』完璧だわ」
「そう……」
夜弥はずっとこんな感じで愁一は手慣れた様子で受け流す。千束。宗滴と千束は大学生になっていたが、やはり愁一の『普通の人間になりたい』という願いを否定せず。どちらかと言えば肯定的だった。
それはありがたい話だが指輪の持ち主もそうとは限らない。
愁一はユリウスの正体を知っていた。彼は狩師だ。武器に銃弾の付いた大型の刃物を持ち戦う姿は騎士と同様だ。
彼の本当の姿までは分からなかったが名のある騎士に違いない。
そんな彼がもう一つの番の指輪の持ち主だった。
あの時に手に光る指輪を愁一は見ていた。
出来れば穏便に指輪を受け取りたいがそうは行かないだろうと愁一は思っていた。
お互い剣士としてそれは当然だ。
そしてユリウスの方も当然、剣士として愁一と向き合うことになるだろうと分かっていた。
二人は何か言葉を交わした訳ではないが戦うことになるだろうと自然の流れで理解している。
場所はイギリス。オフィス街奥に鎮座する高級な家は王家の本家になる。
そこに向かうと出迎えたのが長い銀髪の美女だった。
「あら。随分正面突破で来たわね。ユーリーに会えないかも、という可能性は考えなかったの?」
「いいや。会えるし、君たちが特別な関係だと分かるよ」
「あら、そうなの? 意外だわ」
「空気で分かるよ」
「そういう貴方と隣のお嬢さんは特別な関係では無さそうね」
「……勘」
「ええ。その通り」
マリリンは愁一と夜弥を見て言った。事実らしく二人は少し気まずそうに顔を合わせない。
「でも、もう俺の願いは決まっているから」
「ええ。知っているわ。普通の人間として死にたい。でしょう」
「ああ」
「悪い願いではないわ」
「そう言っても、やっぱり彼と手合わせする必要があるんだよね」
「私にも願いがあるのよ」
「それは本当に指輪で無ければならない願いなのかな?」
「それを決める権利は私にはないわ」
「そんなこと無いと思うけど」
「貴方、随分と言うわね」
「俺だって出来るならユリウス君と戦いたくはないんだよ」
「それは無理よ。決定された事実なの」
どうぞ、と愁一と夜弥は通された。
決定された事実。
古い岩で出来た階段を登るとそこは一面の草原だった。そこには一人、騎士がいる。