皆既日食
真っ白な空間の中で愁一は頭を抱えた。
何が正しくて何が間違っている?
自分のしている事は間違っている?
何をすれば正しい?
その瞬間、一矢が愁一の首を掠める。
愁一は打刀でこれを弾く。
先ずは彼らに有利なこの空間をどうにかしなければならない。
どこまでも真っ白な虚像。
大太刀の刀を掲げると光か白く輝く。
夜弥の力は期待出来ない。この空間を切り裂くとなるとかなりの霊力が必要だ。
漆黒の刀が白銀に光る。そこから都内の住宅アパートが少しずつ広がり真っ白な世界を侵食していた。
そして刀を振り下ろすと世界は日常に戻る。
「ちょっと、しっかりなさい!!」
まさか夜弥にそんなことを言われるとは思わなかった。
「お前の『負け』だ」
目の前には月臣の弓矢の矢の刃が愁一の額にピッタリと向かっていた。
彼が手さえ放せば矢は放たれ愁一の脳を貫く。
幻想ごとあらゆる力を斬り切断してしまったので防ぐのは不可能だ。
打刀で対応する事も考えたがおそらく愁一が動いた瞬間に脳天を矢が貫く。
これは均衡ではない。
目の前の尋也は平然と立っている。
「もう止めとくかい? 俺達にはお前さんを殺す気は一切とない。ただ、ちょっと間違った選択をされると困るんだ」
「間違った……選択?」
「簡単に言ってしまえばそこのお姫様の望みかな。地球生命の権利をひっちゃかめっちゃかにされると上杉はパンクしてしまう」
今までのこの空間と時間の中では一矢が閃光しただけなのだ。
愁一は刀を握りしめて何とか立った。
空間が一気にアパートの一室に戻る。
初めて『戦って負けたら死ぬ』のでは無く『戦って勝負に負ける』という経験をした愁一は正直に困惑していた。
感情が追い付かないのだ。
まだ生きている。
目の前の月臣に負けたのに。
そう。負けたのに。
このまま戦っても勝てる見込みはほとんど無い。
尋也の幻想は刀の力で防げるが同時に月臣の連射が来る。その連射にも偽物と本物がありこの二つを同時に一人で防ぐのは不可能だ。
そして何より、月臣には愁一を殺す気は一切と無いのだ。
都内の高級アパートの一室でカクンと愁一は膝を付いた。
「……負けた」
そんな様子の愁一に夜弥は戸惑う。今までの陽気な愁一とは同じだとは思えない表情をしていた。
「ねぇ、ちょっとどうしちゃったの? 分かった。貴方たち。何かしたわね」
とビシリと月臣と尋也を指差す。
「急所は外した」
「実質、二対一なんだからそんな凹む事ないと思うけど……」
「素直に負けを認めるのは愁一らしいが、様子が少し変だぞ?」
「あれま」
カタカタとアパートのフローリングに刺さった刀を持つ愁一の手は震えていた。
「今さらだけど思ったんだ。俺、今まで負けた事がないから……」
「へ!?」
驚く尋也に愁一は言う。
「違うよ。高慢な意味じゃない。俺、今まで戦って負けたらそれは『死』なんだよ。だから負けた事がないんだ。負ければ敵に必ず殺される」
「……なんと言って……いいやら」
「ごめん。俺も分からないや。今のこの感情も」
愁一は苦悩した表情で刀の柄を握った。苦悩する愁一の表情を見て月臣は言った。
「それは『悔しい』という感情ではないか?」
普段のスーツ姿に戻った月臣は言った。愁一は頭の中でその言葉をリピートする。
悔しい。と。それはどんな感情だっただろう。詳しくは表現出来ない事実に驚愕する。
「……え?」
「我々が憎い訳ではない。けれど内から負の感情が止まらない」
「そう! そうなんだ!」
「その感情の処理は難しい。また我々と戦い勝つしか方法はない」
「そいつはちっとまたややこしいな」
「え……そうなの?」
「今と何一つ変化していないのにやっても結果は同じだぜ。無駄とは言わねぇけどさ」
「そう……かも知れない。それに、俺は少し嬉しいんだ」
今更ながらに自分でも変だと思う。けれど今まで経験した事の無い感情に愁一は負の感情だけではない様々な感情の嵐に歓喜している。
「嬉しい?」
「だってさ、俺って何回も生と死しか繰り返していなかったんだ。それだけ? それしか知らなかった。こんなに『悔しい』って感情はあるけれど君達にリベンジも出来るって事でしょう?」
「リベンジ、なんて言葉……知っていたのか?」
月臣は少し驚いた表情で言った。
「えへへ、言葉だけはね。少しね。会社の仲間がね」
「そうか。分かった。好きなだけリベンジするといい」
愁一は頷いた。
夜弥は少し不機嫌そうに言う。
「つまるところ、貴方たちは上杉の仲間って事ね」
「仲間と言うか一部かな~ってさ。俺も一応上杉なんで」
「永遠の生を否定する」
月臣は淡々と言った。
「え?」
「何だ、愁一は知らなかったのか? 刀飾の本位だ。今ある生の永遠を手に入れる事。絶対的な死の否定」
「え……」
「ね? 良いことでしょう?」
「そう……言われても」
「まあ、今のイッチーには困る選択だよな。けどさ、そんなこと言いながらコイツら人を殺しまくっているんだぜ」
尋也の言葉に夜弥は真っ向から睨んで叫ぶ。
「無駄な『悪』の排除よ。貴方たちの手伝いもしてあげてるのに」
ふわり、と彼女は片手で髪を靡かせる。
自分を信じきった高慢な態度で愁一の気など一切と使っていない。
「その辺は英治に任せるか。俺らがどうこう言ってもどうせ駄目だろうし。俺らにはアンタらを殺す気はないんだよね。どちらかと言えば今の現状維持が望みなんだ」
尋也の言葉にちらりと見ると月臣は軽く頷いた。
「普通の人間と同じでいい。別に永遠の生と望んでいる訳ではない」
「普通の……人間……」
「そんなの、ただの無駄よ。草木生物全ての生が輝く世界。それはそんなに間違っているとでも?」
「間違っちゃいないけど。死ぬのが怖いお姫様」
「……怖い? 私が? そんな訳ないでしょう」
彼女はそう言うが声はカタカタと震えていた。
「……俺、分かった」
「え?」
「どうした?」
少し驚いた様子の二人を前に愁一は言った。
「俺の今までの望みは『死にたくない』だった」
「そうだな……」
「でも、二人を見て分かったよ。違う。この望みは間違っていたんだ」
「な、……何よ! 貴方の望みと私の望みが一緒だからこうして面倒に他の魂送師と狩師を説得して回っていたのでしょう?」
「そう……ではないんだけど、でも分かっちゃったからな……」
そんな様子の愁一に向かって月臣は堂々と言った。
「あえて聞いてやろう。何をだ」
「ありがとう。俺の本当の望みは『人として死ぬ』ことだったんだ」
「な……」
その言葉に夜弥は驚愕した表情で愁一を見た。
「な、何を言っているの? それは全ての人間が否定する望みよ! 死にたくない、人間の中で特別でいたい。そう願う、それが『願い』なのよ!?」
同様している彼女の様子を見て月臣は変わらず続ける。
「そうか? 俺は良く分かるがな。俺も愁一がそう願うのなら構わない。尋也」
「ほいほい」
尋也はポケットから変哲もない金色の指輪を取り出した。愁一は投げられたその指輪をキャッチする。
綺麗な指輪だった。中央に宝石の様なものがあるがそれがどんな石かは分からない。透明で角度によって虹色に光る。
「指輪に願えよ。それをさ」
「これが……噂で聞いた指輪……」
「そう。ツガイで3組、計6つある指輪だ。俺と月臣の分は渡してやるよ」
と、もう一つ指輪が飛んで来た。
今度は石の付いていない指輪でそれ以外は先程の指輪とほとんど同じだ。
「これ……」
「それを奪う事が刀飾の目的でもあった。だから君に付いて回る気になったのさ。君と上杉が繋がっているのを知っていたから」
驚く愁一を他所に夜弥は堂々としていた。
「そうよ。外に出る目的なんて他にはないわ」
「そうか……君は君の望みを叶えたいんだね」
「誰だってそうでしょう」
愁一は二つの指輪を手のひらの中で弄んだ。すると宝石の部分が宝石の無い指輪の装飾の部分にかっちりと填まる。これが後二つあるのだ。
「後は……ま、英治は持ってるだろうな。後は英国」
「英国?」
「赤毛のお坊ちゃんさ。会った事あるだろう?」
月臣の言葉に愁一は頷いた。
「ユリウス君か!」
「指輪はそれで全部。六つあってそれぞれがツガイなんだよ。誰が持つか結構揉めたんだぜ。義輝に頼んだら真っ先に断られた」
「それで彼は俺に何も言わなかったのか……」
「イッチーを信じてるんだろうな」
「きっと今までの俺なら指輪なんて、願いなんて……って思ったかも知れない。けど今は違うよ。明確な『願い』が出来てしまった。とくに目的のある旅では無かったんだけれど、今はある」
「良い目だ。俺の願いも……いや、我々の願いも同じなんだ。だから託す」
「ありがとう……二人共……」
「礼は良いさ。俺らもこの指輪をどうするこっちゃで悩んでいたから。オカルト団体にも狙われるから気をつけな」
「うん……でも次は上杉君かイギリスか……」
「お嬢ちゃんはまだイッチーに付いて行く気?」
尋也の言葉に夜弥は少し間を置いた。目的が違えてしまった愁一を見る。
今引き下がっては今までの苦労が無駄になる。だったら指輪を集めた愁一を殺してしまえばいい。とそこまで考えた。
「いいえ。もう少し付き合ってあげるわよ」
「いやはや、お嬢ちゃんの考えなんて言わなくても分かるわ。それでもイッチーは良いのかい?」
「良くはないんだけど……きっとこれからも俺の願いを否定する人はいると思う。全員の幸せなんて言葉がどれだけ難しいかなんて俺でも分かるから」
「そうだな。上杉の一人に確証を得られて良かったな」
「ありがとう、月臣君……」
「けど、英治は難敵だぜ」
「うっ……まず会えるか……」
「そうだな、もっと色々な狩師と魂送師のツガイに聞いてみな。まあ、先にイギリスに行っちゃうのもアリだけどさ」
「ありがとう……えっと、尋也さん。もう少し色々な所を回って見る」
愁一はキリリと表情を戻して言った。