0 Terminal
2100年。VR技術の飛躍的進歩に伴い、小さな携帯端末一つで仮想現実世界へのフルダイブが可能な時代となった。ネット社会の具現化、ゲーム要素を加え、さらに進化を繰り返し、そこは人々にとって仮想世界などではなくなっていった。第二、第三の新しい世界が誕生したのだ。そして2109年5月1日。世界で二度目となるVR界における大革命が起きた。その日は約9年ぶりの、AO社開発のVR端末が発売される日だった。
レイラインシティ第一高等学校。この時代におけるごく普通の高等学校。
教室は大学のような階段教室に机が固定され、生徒たちは入学前に事前に配布されていたタブレットと自身の携帯端末に教科書や資料などをインストールして授業を受けていた。
授業の内容は近年急速に発達した最先端技術、VR技術について。生徒たちに人気の科目の一つでもある。普段の授業では退屈そうにしている生徒たちも、このときだけは興味深気に教師の話に耳を傾ける。
しかしそんななか、教室の後ろの隅の席に座る少年だけは、いつものように退屈そうに頬杖をついていた。
「――――こうして、AO社によってVR技術は飛躍的進歩を遂げ、私達の生活に浸透していきました。それじゃあ今日の授業はここまで。先週出した宿題の期限は明日までですので、まだの人は明日までに必ず出すように」
壇上の優しい笑顔の男性教師がそう言うと、タイミングを見計らったかのようにチャイムが響いた。
チャイムがなると同時に頬杖をやめ、帰り支度を始める。だらだらと残っていてもなにもいいことなんてない。特に今日のような日は。
「マナト〜!!」
ほらな。だるそうにため息を吐いてその声のする方に僕は言ってやった。
「宿題なら見せないよ」
いつものことだ。情けない声ですがりつくその男を容赦なく突き放す。
「うっ! なあそう言わずに頼むよ。いつも俺が困ってるときは助けてくれるじゃんかよ。いてっ!」
「それはコウタがあんまりにもしつこいからだよ。僕はコウタのために宿題をやっているわけじゃないんだ。だいたい一度や二度ならまだしもこれから先ずっと僕の解答を写していたんじゃきみの為にもならないだろ」
この男、コウタがこうして泣きつくのはこれが初めてじゃない。入学からまだ一月も経過していないにもかかわらず、もうすでに五回は宿題を見せているのだ。
他にも、忘れ物や授業中に指名されたときのフォローも入れれば十は超えていると思う。
「頼む! これが最後だから!」
「それももう何回目だ」
頭上で大げさに手を合わせているが同情の余地はない。僕は静かに帰り支度を続けた。
そんな僕を見てか、コウタはようやく合わせた両手をおろした。やれやれ、ようやく諦めたか。と思ったがどうやらそれは違うらしい。コウタは奥の手と言わんばかりに目を光らせ、自信満々に胸を張る。
「ふっふっふ、しょうがないやつめ! 今回俺に宿題を見せてくれたら特別に、今日発売されたAO社製新型VR端末を見せてあげようではないか! もちろん親友である君だからこそだ! 喜ぶがいい」
「興味ないし親友になった覚えもないよ」
コウタのドヤ顔はなすすべなく崩壊した。どいつもこいつもバーチャルの何がいいんだか僕にはさっぱりわからない。
「ったく、お前は本当にVRに興味がないんだな。原始人か?」
「現実世界があるのにわざわざ仮想世界に身を置く必要はないだろう?」
支度を終え、カバンを手に教室後方の出口へと向かおうとしたとき、コウタが俺の前に立ちふさがった。
「よしマナト! 今からうちに来い!」
いつものドヤ顔で立ちふさがっている。再び僕はため息を吐いた。
「だから宿題は見せないって――」
「宿題はもういい! 今からうちに来い! 俺はお前を絶対にVRの世界に引きずり込んでやる! 今そう決めた!」
自信満々に宣言する。だが断る、と言いたいところだったけれど、こうなったコウタは頑固でしつこく粘り強いことはわかっている。
「まったく、行くなら早くしてよ」
「へへっ、おうよ!」
「見たらすぐに帰るよ」
「わかってるって」
面倒だと思いながらも仕方がないと諦め、何がそんなに楽しいのか、不気味ににやつくコウタの家へと向かった。
***
学校から歩くこと15分。目的地のコウタの家にたどり着いた。
通学に電車も利用している者もいる中、徒歩でこの時間で通学ができるなら学校までの距離はかなり近い方だろう。
しかし得てして、時間が決まっている交通機関を利用する遠方の生徒とは裏腹に、徒歩のみで通学時間も短い者は遅刻ギリギリに登校する傾向がある。
コウタが毎度チャイムがなってから教室に現れる遅刻の常習犯であることはよく知っている。彼の性格も鑑みれば毎朝遅刻をしてくることにも納得ができた。
「まだ誰も帰ってきてねえから適当にくつろいでくれよ」
「すぐに帰るといっただろ」
「まあそう言わずに、ほれ」
階段の先のドアを開け、部屋に招かれる。案内された先の部屋はベッドに本棚と机、その上にコンピューターと壁にはポスターが無造作に貼られた個室だった。本棚にはVR関連の雑誌、ポスターもネット界での有名人のようだが僕は知らない。
ここがコウタの部屋らしいが、どうしても僕には一つ納得がいかないことがあった。
「ここがコウタの部屋?」
「おうよ。なかなかいい部屋だろ」
「意外と片付いてる」
普段のコウタの生活態度からは考えられないくらいに部屋は片付いていた。コウタの部屋といわれれば誰しもが服が脱ぎ捨てられ、漫画やゴミが散らかった荒れ地を想像するはずだ。しかし現実は服もゴミも落ちておらず、本は漫画や雑誌など、きちんと分けて棚に並べられていた。
あのコウタの部屋が、こんなにも片付いているなんて信じられない。
「ここはコウタの部屋じゃない」
「いやなんでだよ! そこは素直にほめてくれよ! いやでもまあやっぱ俺ってさ、結構きれい好きなところあるじゃん? そういうところが人間性にも出てると思うし。それにセンスもある。そういうところを同じ男として妬みたくなる気持ちもわからないでもないというか」
「うるさい」
まあ部屋が汚いよりは綺麗なほうがいいかなんて思っていたけれど、やはりコウタの部屋が綺麗なのはコウタ自身のためにもよくない。すぐ調子に乗るし。少し散らかしてやろうかとさり気なく本棚から適当な雑誌を数冊取り出した。全てVR関係だ。
「相変わらず冷てえやつだな……。ちょっと待ってろ、今温かいお茶持ってくるから。その冷えきった心も暖まるぜ」
そう言ってコウタは部屋をあとにした。
客にきちんとお茶を出すことができるところも納得がいかない。あと僕が冷たいのは君にだけだ。
しかしまあお茶まで出してもらえることだし、今日のところはそのあたりのことは見逃してやろう。
それから程なくしてコウタが二つの湯呑みを手に帰ってきた。その腕には先ほどとは違う白い端末をつけている。そしてポケットから、腕につけているのと同じ色をした携帯端末を取り出した。
「ふっふっふ、どうだ! これがAO社製新型VR端末、0Terminalだ!」
華麗に決めポーズを決めるコウタに感情のない視線を送る。
0Terminal。9年ぶりとなるAO社製VR端末だったか。VR端末は現代人にとっては必需品だ。VR嫌いな僕でも持っている。現代における携帯端末はそれしかないから仕方なく持っているだけなのだが。
VR端末は二つないし三つの端末からなっている。手に持っているものは基本的にはVR技術が発達する以前からさほど変わってはいないらしい。そしてもう一つ、コウタが腕につけているもの。あれが携帯端末と連動しているもう一つの端末、ターミナルという。
ターミナルとはVR空間へとリンクするための端末のことで、携帯端末と所持者の身体とリンクしている。そしてその最大の特徴は、その端末からいつでもどこででもVR空間へとアクセスすることができるということ。
0TerminalはこれまでのVRターミナルとは一線を画すほどの超最先端VR技術によって生み出され、そこからVR空間《AnotherOracle》へとリンクすることができるらしい。
0Terminalは予約開始から予約殺到、発売日にそれを手に入れることはまず困難だと言われていた。すでに在庫は完売。AO社が総力を上げて生産を急いでいたようだが、手に入れられなかった者の手に渡るにはもうしばらくは掛かりそうだ。
そんないま世界中で注目を浴びるその端末を、今目の前の男が自慢げに装着しているわけだ。
「それで、VRにはリンクしてみたの?」
「まだに決まってんだろ。今日届いたばっかで俺もついさっき始めて見たんだから」
どうやら新型ターミナルはコウタが学校にいる間に自宅に届けられたらしい。本人も本物を見たのは下校してから、つまり本当についさっき、ようやくお目にかかれたのだ。
「リンクしないの?」
「まあそう慌てるなよ。まずは心の準備を……。スゥ……ハァ……」
「早くしないと帰るよ」
急かしてみるも惑わされることなく、わざとらしく深呼吸を続けている。
「スゥ……ハァ……。よっしゃ! いくぜ!!」
そう張り切って気合を入れ、コウタは静かにベッドに横になった。
気合を入れておいて格好がつかないな。
それも仕方ないことなのだが。VR空間へのリンクは意識を現実世界からVR世界へ移すこと。状態を起こしたままでは、意識が移動した際に転倒やターミナルの破損に繋がる恐れがある。
まあ、それは端からわかっていることなのだから、初めから後から冷めるような演出をしなければいいのだ。
「リンクVR。AnotherOracle」
コウタがAO起動コマンドを呟くと、0Terminalが反応する。
『コマンド確認、VRリンク開始。アクセスAnotherOracle』
意識をVR空間に飛ばしたコウタの肉体は動くことはない。
先程まではうるさいとすら感じていたのが、今は静かに眠っているだけだ。
「…………帰ろうか」
目的の0Terminalも見たことだし、もうここにいる意味はない。コウタのターミナルの緊急ログアウトが発動しないよう、静かに部屋をあとにした。