私、明後日引っ越すの
「私、明後日引っ越すの」
「どうして?」
「私の体、ちょっと悪いみたい」
「どこに行くの?」
「海を渡った所。私、初めて飛行機に乗るのよ」
「いつ帰って来るの?」
「分かんない。一週間後かもしれないし、大人になってからかもしれない。」
「嫌だよ。僕、寂しいよ。行かないで。」
「そんな事言わないで。ばいばいが悲しくなっちゃう。」
「ねぇお願い。ここにいて。僕の隣にいて。」
「私もずっとここにいたいの。でもだめみたい。ここにいたら私、死んじゃうんだって。白衣のおじちゃんが言ってた。だから行くの。」
「僕、花ちゃんが死んじゃうのはもっと嫌だ。僕、花ちゃん大好きだもん。」
「ありがとう。嬉しい。」
「その代わり、明日は一日中僕と一緒にいよう。花ちゃんが好きなあの丘の上に一緒に行こう。」
「ごめんね。明日はお家から出られないの。」
「花ちゃん。花ちゃん。やっぱり僕、寂しいよ。僕も一緒に行く。」
「それはダメよ。空くんのままとぱぱが悲しんじゃうわ。」
「でも、僕…。」
「ねぇ空君。これ、あげる。」
「なぁに、これ?」
「砂時計。」
「砂時計?」
「うん。ゆっくり砂が落ちてね、時間が計れるの。これ、空君にあげる。」
「僕にくれるの?ありがとう。この砂きらきらしてる。」
「星の砂。お星様が少し分けてくれたのよ。」
「優しいお星様だね。」
「そうでしょ?」
「うん。」
「これを見て、私を思い出して。この砂時計が終わる前にいつか必ず帰ってくるから。」
「忘れたりしないよ。だって僕、花ちゃんの事…」
「うふふ、嬉しい。じゃあ私、そろそろ帰らなきゃ。」
「花ちゃん。」
「なぁに?」
「僕の事も忘れないでね。」
「うん。絶対忘れないわ。約束する。」
「花ちゃん…」
「じゃあね、空君。」
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花ちゃんからもらった砂時計の星の砂は全然下に落ちなかった。
それでも僕はその砂時計を大事に大事に持っていた。
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1年後、星の砂が1粒、下に落ちた。新月の日だった。
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2年後、星の砂が1粒、下に落ちた。新月の日だった。
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あれから百年が経った。そして今日は新月の日。私は今。数十年来の興奮を覚えている。
マーガレットの花がその蕾を膨らませるように。
砂時計を見つめる。下には星の砂が99粒。上には星の砂が1粒。
もうすぐ日付が変わる。
一瞬強い風が吹いて縁側の障子が音をたてた。
その障子を手で抑えてまた砂時計に視線を落とすと、もう、上には星の砂が1粒も無かった。
その瞬間、こんなに待っていた自分が馬鹿らしくなって笑ってしまった。
私はなんて滑稽な年寄りなんだろう。
こんな砂時計にしがみついて、とうとう何も無くなってしまった。
私はだんだん瞼が重くなってきた。
息は出来ないが不思議と苦しくはなかった。
もはやどこかに行ける元気も無い。
私は縁側に仰向けになって寝そべった。
屋根の向こうに夜空が見えた。
月の無い、真っ暗な夜だ。
瞼が閉じるその瞬間。
星が一つ、漆黒の夜空を横切った。
「長かったなぁ」