Episode5 Cape -岬-
目当ての店はすぐに見つかった。
レンタルクルーザー専門店「GRAND BLUE」
そこそこの賑わいを見せる事で知られるビーチの一角に、そのオフィスはあった。
「いらっしゃいませ…」
昼でも日が差し込まない薄闇の中から、静かな声と共に純白の若者が姿を見せる。
神前 季里弥だった。
白いYシャツに群青のズボン姿で、頼都達を出迎える。
写真で見るよりも美しく整った顔立ちと、透けるように白い肌と白雪のような髪。
そして、真紅の瞳が来訪した頼都達を見据えていた。
男性にしては華奢な体形が、見た目の儚さに拍車をかける。
「一昨日、電話で予約をしていた者だが」
「ああ…確か十乃さんでしたね。直接は初めまして。僕がここのオーナーの神前です」
偽名を名乗る頼都を疑うこともなく、神前は微笑んだ。
(ウホッ♪実物は更にハンサムね♡)
(…ミュカレ、涎を拭きたまえ。下品だよ)
露出狂寸前の黒い紐みたいな水着に薄手のパーカーを引っ掛けたミュカレに、この暑いのにサングラスに日傘、厚手のコート姿のアルカーナがそうたしなめる。
そんな見るからに怪しい(男性にとっては嬉しい)二人組を連れた頼都は、軽い頭痛を覚えた。
しかしながら、ミュカレが当然の如く、生の神前を見たさに来たのは分かるが、日光を苦手とするアルカーナがわざわざ同行したのには訳がある。
神前は続けた。
「確か、小型のクルーザーをご所望でしたね。何でも“離岬”を巡るクルーズをご予定だとか…」
「ああ。電話で話した通り、操舵手込みでな。手配できるか?」
頼都の問いに、神前は少し俯いた。
「出来なくはないんですが…その、どうしてもそのコースでないと駄目ですか?」
「そうだ。何かマズいのか?」
「それは…」
言い淀む神前に、頼都は告げた。
「また、人が消えるから…か?」
頼都の言葉に、神前が思わず顔を上げる。
そこに。
いつの間にかサングラスを外したアルカーナが立ち塞がっていた。
驚きに目を見開く神前に、アルカーナは彼よりもなお深い真紅の瞳を光らせる。
「僕を見たまえ、神前 季里弥」
「え…」
「そして、答えるんだ…あの海で、一体『何を見た』?」
赤光を放つアルカーナの瞳に目を奪われた神前は、たちまちその顔に空虚な表情を浮かべ、棒立ちになった。
吸血鬼。
彼らは、その瞳に人を惑わす「魅了」の力を宿す。
その力の前では、人間は容易に彼らの傀儡と化すのである。
神前の意識を完全に支配下に置いたアルカーナは、再度問いただした。
「答えたまえ。君の見たものを」
「月…黄金の月と…白い…霧…まるで…雲海のような…」
「それから?」
「…」
「何を見た?」
「歌が…聞こえた」
意外な答えに、アルカーナが思わず頼都を振り返る。
頼都は、神前を見つめたまま、手短に告げた
「続けてくれ」
頷くアルカーナ。
「歌とは?どんな歌だい?誰が歌っていたのかな?」
「分からない…でも、声は女…きれいで…哀しげな…女の声が…聞こえた」
「他には?」
「他には…」
次の瞬間。
神前は大きく目を見開き、頭を抱えて髪の毛をかきむしるように絶叫した。
「ああああああああ!すまない!こんな…僕は…何て事を…!!」
「!?」
突如豹変した神前の様子に、アルカーナとミュカレが思わず身構える。
ただ一人、頼都は微動だにせず神前の錯乱を見詰めていた。
神前は、何かにとり憑かれたかのように慟哭した。
「すまない!許してくれ!仕方がなかったんだ…!!」
「季里弥!?」
不意に。
店の奥からそんな声が聞こえたかと思うと、一人の女性が姿を見せた。
年の頃は神前と同じ…二十歳くらいだろうか。
長い黒髪を束ねた、勝気そうだが色白の美人だ。
白いワンピースにビーチサンダルを履き、驚いた表情で錯乱する神前を見ている。
頼都は小さく舌打ちした。
(人の気配は無かったと思ったが…しくじったな)
慌てて「魅了」の魔眼を解くアルカーナの脇をすり抜け、頼都はうずくまる神前に肩を貸した。
「おいおい、大丈夫か?しっかりしな」
「ハァ…ハァ…あ…れ?僕は一体…」
我に返り、頭を押さえる神前を奪い取るように背後にかくまうと、少女は頼都の頬を有無を言わさずに平手打ちにした。
甲高い音に、場が一気に静かになる。
「貴方達、季里弥に何をしたの!?」
血相を変えて頼都を睨みつける少女。
一方の頼都は、叩かれた頬をそのままに、ゆっくりと立ち上がると、少女を見下ろした。
「別に何も。そいつがいきなりおかしくなったんだ」
「嘘よ!貴方達、マスコミの連中でしょう!?また、季里弥に変な事を問い詰めたんじゃないの!?」
「待ってくれ…違う、違うよ、美汐。彼らは、本物のお客さんだ」
弱々しく制止する神前に、美汐と呼ばれた少女が振り返った。
「でも、今…!」
「いいんだ…何か、僕も記憶が曖昧で…でも、この人達に何かされたっていう訳じゃない。本当だよ」
そう言いながら、力無く微笑む神前。
「もう大丈夫だ…たぶん、少し疲れているんだと思う。驚かせてごめんよ」
「…なら、いいけど…」
そう言うと、少女はバツが悪そうに頼都に頭を下げた。
「その…ごめんなさい。最近、マスコミ連中がこの店や季里弥の事で、変に騒ぐもんだから、つい…」
「いいさ。けど、詫び代わりってことで少し聞かせてくれ」
頼都は季里弥へと視線を移した。
「さっき『離岬へのクルージングコースを変えられないか』と言ったな?その理由は何だ?」
押し黙る神前。
美汐が心配そうにそれを見詰める。
そこにミュカレが口を開いた。
「もしかして、連続行方不明事件と関係があるのかしらん?」
その言葉に、美汐が反応する。
「違うんです!巷ではそういって騒いでいますけど、季里弥は何もしていません…!」
「見たところ、君はここの店員のようだね。神前君とも親しいようだ。でも…断言できるのかい?」
アルカーナが再びサングラスをかけながらそう言うと、美汐は言葉に詰まった。
「聞けば、彼だけが無事に帰ってきているそうじゃないか。僕達はマスコミじゃないから気にはしないけど、客観的に見れば、誰だって神前君を怪しむ。君はそんな彼の無実をどうやって証言する気だい?」
「そ、それは…確かに、私はその場に居ませんでしたが…でも!季里弥はそんな人じゃない!この人が誰かを殺したりなんて出来る訳ないんです!」
その言葉に、頼都が目を細める。
「…いいぜ。信じよう」
あっさりと引き下がった頼都に、ミュカレとアルカーナは顔を見合わせた。
神前と美汐も、ポカンとした表情になる。
頼都は続けた。
「あんたを信じるから、約束通りに離岬へ案内してくれ。操舵手はあんた自身が出来るんだろ?」
頼都が顎で指し示すと、神前はしばし躊躇った後で、ゆっくりと頷いた。
「よし。じゃあ、今夜月が昇る頃にまた来る。こっちの乗員は俺達を含めて全部で5人だ」
そう言うと、頼都は不敵に笑った。
「いい船旅になる事を期待しているぜ」
そう言うと、頼都は神前と美汐に背を向ける。
何か言いたげなミュカレとアルカーナがそれに続いた。
奇態な三人の客が去った後、神前はゆっくりと立ち上がった。
そこへ美汐が支えるように寄り添う。
「季里弥…本当に大丈夫?無理をしているなら、もう…」
「…大丈夫だよ、美汐。心配を掛けて済まない」
消え入りそうな微笑みを浮かべる神前を見て、美汐は耐え切れなくなったようにその胸へと飛び込んだ。
「美汐…?」
神前が驚いたように目を見開く。
美汐は顔を俯けたまま、小さな声で言った。
「好きよ。季里弥、貴方の事が大好き。例え何があっても、私は貴方を信じているわ」
音のない室内。
白雪のような若者は、虚空を見詰めてから、少女の肩を抱き目を閉じた。
そして、染み渡るような優しい声で告げる。
「…僕もだよ、美汐。君の事を愛している。誰よりも…」
やがて。
二人の唇は、深い水底で眠る貝のように静かに重なり合った。
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そして、夜。
雲間から覗いた月が照らす海原を、一艘のクルーザーが静かに進んでいた。
視界は良好。
キラキラと光る波も美しく、海上はこれ以上ないくらい凪いでいる。
「もう間もなく、離岬です」
操舵輪を握っていた神前が、傍らに立つ頼都にそう告げる。
その言葉通り、前方に月光に照らされた切り立った岸壁が黒々とした姿を見せていた。
それを見上げながら、頼都は尋ねた。
「岬に近付けるか?」
「可能ですが…危ないですよ?」
「折角の船旅だ。スリルのあるコースで楽しみたい」
ニヤリと笑う頼都に、何か言いたげだった神前は意を決した様に頷いた。
「この辺は暗礁もあります。避けていくので、結構揺れますよ?」
「それこそいい刺激だ。やってくれ」
そう言うと、操舵室を後にした頼都は、甲板に居たフランチェスカとミュカレに近付く。
「どうだ?」
そう尋ねる頼都。
すると、小さく呪文を唱えていたミュカレは、精神集中を解いて、目を見開いた。
「いま『探知』の術を試したけど、何もないわねん」
「右に同じです。私の『索敵』にも、何の反応もありません」
フランチェスカがそう追従する。
頼都は再び岬と岸壁を見上げた。
「天候も時間も、シチュエーションはバッチリなんだがな…ん?」
頼都は、不意に何かに気付いたように頭を巡らせた。
ミュカレがそれに首を傾げる。
「どうしたの?隊長」
「…聞こえないか?」
一転、厳しい表情になる頼都に、フランチェスカが追従する。
「捕捉しました…前方、岸壁付近より微弱な魔力反応。それにこれは…」
「歌…だな」
頼都の言葉通り、波の音に乗って、歌声が聞こえてくる。
それは、美しくも物悲しい、女の声だった。
“La…LaLa…LaLa…”
「アルの催眠にかかったあの坊主が言った通りか…フラン?」
頼都に呼び掛けられると、虚空を見詰めていたフランチェスカは答えた。
「もう少しお待ちを」
そう言った矢先、フランチェスカは耳から伸ばしていたアンテナを岬の方向へと向ける。
「解析結果出ました。この歌の音源はあの岬の真下です。それにこの声から更に濃い魔力を検知しました。間違いなく『幽世』の住人です」
「見て!」
突然、ミュカレが岬の方向を指差す。
見れば、海面を漂う霧が雲海のように渦を巻き、頼都達が乗る船に近付いてくるのが見えた。
それを見た頼都が、薄く笑う。
「おいでなすったな」
「そのようね。それにこの霧、どうやら『幽世』への門になっているみたい」
ミュカレが指摘した通り、霧はあっという間に海面を覆い、周囲をこの世ならざる異境へと変化させていく。
天空に輝く銀色の月は、いつしか黄金の輝きに侵され、流れる歌声は更に高く波間を漂った。
「頼都殿、敵襲ですカー!?」
「これはまごう事なき『夜宴』だ。なら、そろそろ主催者が来る」
後方で哨戒に当たっていたリュカとアルカーナが、頼都達の元に合流する。
頼都は、右手を一振りすると、その掌に赤い炎を灯した。
「折角のお招きだ…皆、準備はいいか?」
それにリュカが抜刀で応える。
「Yeah!何時でもOKヨー!」
「足場が乏しいのが難点ですが…いけます」
フランチェスカが両手をゴキゴキを鳴らす脇で、アルカーナも薄く笑いながら、漆黒の外套を広げる。
「出来れば、喉を潤せる相手だといいんだけど」
「おなか壊しても知らないわよ~?」
黒い箒に腰掛け、そのまま宙に浮きながらミュカレがクスリと笑った。
「あ、貴方達は、一体…!?」
明らかに人知を超えた頼都達の様子に、神前が操舵輪を握ったまま硬直する。
頼都は振り返ると、神前にニヤリと笑い掛けた。
「あんたはそこで船を動かしてろ…安心しな。今回も生きて帰れるようにしてやるさ」
掌からの火影に照らされた頼都の顔に、焔魔の異相が重なる。
神前は声も無く、ただ立ち尽くすのみだった。
「さあて…そんじゃあ、行くぜ!Trick or…」
それに全員の声が重なる。
「「「「「Treat!」」」」」