Episode40 Midsummer night -夏至前夜-
「セリーナさん」
放課後の廊下。
夕日に暮れなずむ中、寮の自室へと戻ろうとしていたセリーナは、一人の女生徒に呼び止められた。
見れば、昼間の転校生…マリア=ウェルスが腕を組んで立っている。
「マリアさん…」
セリーナが思わず息を飲む。
マリアの蒼紅の瞳が、立ちすくむセリーナを映して映えた。
「こんな時間までお勉強?さすが、天才は一味違うのね」
感心でも嫌味というわけでもなく、マリアは薄く笑った。
「これから寮に戻るんでしょう?ちょうどいいわ。私も一緒にいいかしら?」
「え、ええ」
頷くセリーナと肩を並べるマリア。
歩を進めながら、二人はしばし無言だった。
セリーナは隣を歩く少女の顔を盗み見た。
それに気付いたのか、マリアの真紅の右瞳がセリーナを捉える。
「…何かしら?」
「あ、いえ…き、きれいな瞳だなって思って」
どぎまぎと答えるセリーナに、マリアは再び微笑した。
「この異色瞳のこと?ありがとう」
そう言うと、マリアは遠くを見るような目になった。
「大体の人は、この瞳に奇異の目を向けてくるのだけれど」
「…」
「人と異なる“何か”を持つ者って、ほとんどが世界で孤独よね」
そう呟くと、マリアはセリーナの正面に回って、下から覗き込むように見上げた。
「実は貴女もそういう実感が、あるんじゃないの?」
「…どういう意味ですか?」
「興味があるのよ。常人離れした優秀な頭脳を持つ貴女だもの。周囲からどんな目でみられているのか。そして、この世界をどんな風に見ているのかなって」
目を細めて笑うマリア。
「実はかなり退屈だったりしてね?」
セリーナはマリアを見た。
悪戯っぽく笑うその表情が、まるで妖精のように見える。
「私は…そんなに傲慢じゃありません」
視線を逸らすセリーナに、マリアは再び立ち位置を彼女の隣に戻す。
「そう。なら、そうなんでしょうね」
あっさり引き下がったマリアに、セリーナは呆気にとられた。
この一風変わった転校生は、意図的にセリーナに絡んできたように見えたが、どうも一定以上踏み込んでくる気配がない。
つかず離れず、セリーナを見定めているようにも思えた。
それっきり、無言になる二人。
「…あの私、こっちなので」
左に折れ曲がった通路を指差すセリーナに、マリアは頷いた。
「じゃあね、セリーナさん。また明日」
軽く手を上げると、マリアは鮮やかなほどまで踵を返し、去っていく。
それを見送りながら、セリーナは肩を竦めた。
(変わった娘…って、私も人のことは言えないか)
今日返されたテストの結果は、抜き打ちだったのにもかかわらず、セリーナ一人だけがノーミスだった。
もちろん日々の予習・復習は怠ったことはないから、その賜物だろう。
が、それでも出題範囲が予測不能な抜き打ちテストで満点をとることは難しい。
だが、セリーナは難なくそれをこなす。
もはや当然の結末ともなっているためか、クラスメイトはもちろん教師だって驚かなくなった。
しかし。
それでも自分へ向けられる他人の視線には、感じられるものがある。
それは敬意とあこがれと…
畏怖だった。
『人と異なる“何か”を持つ者って、ほとんどが世界で孤独よね』
マリアの残した言葉がよみがえる。
セリーナは彼女の後姿を見やった。
そして、目を見張った。
「いない…」
目を離した数十秒。
その間に、マリアの後姿は完全に消失していた。
この先には曲がり角などないはずなのに。
あり得ない消失にセリーナはただ立ち尽くすしかなかった。
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その夜。
学校から宛てがわれた客室でくつろいでいた頼都(鬼火南瓜)は、ノック音で横たわっていたベッドから身を起こした。
「開いてるぜ」
その声を合図にドアが開かれ、一人の女生徒が姿を現した。
マリアだった。
その来訪に驚いた風もなく、頼都はベッドに腰かけたまま薄く笑った。
「へぇ。よく似合ってるじゃねぇか、制服」
「余計なお世話よ」
マリアはギロリと頼都を睨んだ。
そして、長い金髪をかき上げてから、腰に両手を当てた。
「人に仕事をさせておいて、自分は昼寝?隊長って優雅なご身分なのね」
そう毒づくと、マリアは素早くドアを閉めた。
この規律の厳しい神学校で、女生徒が外来の男性の部屋に出入りするところを見られでもしたら、大騒ぎになりかねない。
もっとも、彼女がその気になれば、誰の目にも入ることなくこの部屋を出入りできるのだが。
「命令とおり、セリーナ=エアハートと接触したわ。まあ、顔合わせ程度だけど、切っ掛け程度にはなったと思う」
そう言うとマリアは室内にあった応接セットに腰を下ろす。
頼都は頷いた。
「上等だ。そのまま、彼女に張り付いてくれ」
そこまで言うと、頼都はニヤリと笑った。
「頼むぜ『マリア』」
「…こういう時にわざわざ偽名で呼ぶ必要ある?」
ツンと顔を背けるマリア。
「大体、本来の名前でも別によくない?」
「潜入捜査ってのは念を入れて行うもんだ」
頼都の言葉に、マリアは呆れたように言った。
「メアリーもマリアも、そう変わらないでしょ」
マリアことメアリー(透明人間)が溜息を吐く。
そう。
彼女は頼都が率いる「Halloween Corps」の隊員の一人だ。
名をメアリーという。
「失われた遺産」の落とし子にして、希少な“人口生命体”
そして“透明人間”として優れた隠密性を有する存在だ。
以前に起きたとある出来事の後、紆余曲折を経て新人として加わったばかりである。
そんな彼女が頼都の元にいるのは、その能力を買われ、彼の助っ人になるために呼ばれたからだった。
メアリーは室内の壁に掛けられたか「聖母マリア」の宗教画を見上げて言った。
「ここが神学校だからって、わざわざ聖母の名前を偽名を選ぶなんて」
「これでもひねってみたんだがな」
臆面もなく言う頼都に、メアリーはやれやれと頭を振った。
「隊長のネーミングセンスをどうこう議論するつもりはないわ…それより、この後の計画だけど、どうするつもり?」
「やがて『夏至前夜』が来る」
頼都の言葉に、メアリーが反応する。
「『夏至前夜』…確か、妖精たちが活性化するという夜のことよね」
「そうだ。ケルトの伝承では、妖精どもは季節の変わり目に集う。それが五月祭前夜、夏至前夜…そして、万聖節前夜と言われている」
頼都の赤銅色の目が細められる。
「この間『妖精界』の扉は開かれ、妖精どもが人間界へやってくる」
「妖精たちと彼女が接触する…ということ?」
「その可能性が極めて高いと俺は踏んでいる」
メアリーは少し考えこんだ後、おもむろに言った。
「ねぇ、彼女は『取り換え子』の疑惑があるのよね?」
「ああ」
「じゃあ、仮に本当に彼女が『取り換え子』だったとして、妖精たちが今さら彼女にちょっかいをかけに姿を見せるかしら?」
本来、妖精は人間の前に姿を見せることは稀だ。
例外として、ある伝承では、人間が知恵を凝らし「取り換え子」の本来の親である妖精を上手くおびき出して、連れ去られた我が子を取り戻した話がある。
その際、妖精は苦痛を与えられる自分の子を見て、やむを得ず姿を見せたという。
「もしかして、隊長はセリーナの足の裏に油を塗って、燃え盛る火の上に逆さづりにする気なの?」
「そんな伝承どおりの拷問は、あの痴女にしかやらねぇよ」
「あの女ならむしろ喜びそうね」
「違ぇねぇ」
頷く頼都の台詞に、遠く離れた場所にいたミュカレが「へっくちん!」とくしゃみをした。
「…まあ、冗談はさておき、俺が懸念しているのは、逆のパターンだ」
「逆?」
聞きとがめるメアリーに、頼都は尋ねた。
「お前、セリーナにあの質問をぶつけてみたんだろ?」
「…ええ」
「彼女は何て答えた?」
メアリーは一呼吸置いてから告げた。
「『私は…そんなに傲慢じゃありません』と言っていたわ」
それを聞いた頼都は沈黙した。
メアリーが訝しげに眉を寄せる。
「隊長…?」
「いや…何でもねぇ」
そう言うと、頼都は暗くなり始めた窓の外を見やった。
天空には黄金の月が真円を描きつつある。
それを見上げて、頼都は呟いた。
「始まるな…もっとも短い夜が、よ」




