Episode39 Transfer student -転入生-
少女が言った。
『森へ行こうよ』
それにセリーナは目を見開いた。
森に入ることは、両親や祖父から固く禁じられている。
理由を聞くと「“妖精”にさらわれてしまうから」ということだった。
家族の忠告に頷きつつ、セリーナは胸をときめかせた。
妖精の話は、この国では山のように転がっている。
その一つ一つに、幼いセリーナは夢中になった。
人間以上に繊細で、感情豊かで、何よりも美しい。
動物たちや草木と親しみ、時に物語の主人公の導き手として活躍する彼らに、心躍る何かを感じたものだ。
そんなセリーナにとって、森への誘いは個々の中で麻薬のように染み渡った。
だから。
自分でもあっけないほどに。
首を縦に振った。
森は輝きに満ちていた。
目に染み込んでくるような若葉と、差し込む天国への階段のような日だまり。
生命の息吹に満ち溢れ、吹き抜ける風は頬に心地よい。
鳥のさえずりに、虫の声。
そして、いつしか踏み込んだ森の奥は、目の前が黄金へと形を変える。
ありふれた現実が、ありえない幻想へ。
クスクスと響く子どものような笑い声と、流れてくる童歌。
目映い黄金の木々がアーチのようにセリーナを迎え、深くさらに奥へと彼女を誘う。
「ようこそ『常若の国』へ」
少女が笑う。
その顔は。
セリーナ自身の顔だった。
------------------------------------------
弾かれたようにセリーナは身を起こした。
そして、薄闇に包まれた自室を見回し、大きく息を吐く。
「…夢…」
滴る寝汗をぬぐい、セリーナは膝を抱えて突っ伏した。
傍らの時計の短針は朝の4時を指している。
薄闇が沈黙のヴェールで、彼女をやさしく包んだ。
(もう忘れかけていたのに…)
胸の内でそっと呟く。
幼い日の幻のような記憶。
それは長くセリーナの中で眠っていた。
だが、最近出会った得体の知れない若者…頼都のせいか、不可思議な記憶が虚実混ざり合うように蘇ってくる。
どこまでが真実で、どこまでが幻なのか…実感を伴わないその現実感の狭間で、セリーナは彷徨っていた。
まだ暗かったが、眠気はとうの昔に吹き飛んでいる。
セリーナは全身汗まみれだったので、シャワーを浴びたいと思った。
ルームメイトのシェリーはまだ夢の中のようだ。
セリーナは彼女を起こさないようにこっそりとベッドを抜け出すと、浴室に入った。
そこで衣服を脱ぐ。
下着まで脱ぎさると、そこには十代の少女の瑞々しい裸身が輝いた。
若さと張りを持った双丘に、くびれた腰。
丸みを帯びた臀部は程よく肉付き、肌は彫刻のような滑らかさで浴室の光を跳ね返している。
シャワーから飛び出したお湯が、白磁の肌を滑り落ちる中、セリーナは髪をかき上げた。
黄金色の飛沫が、金翅の鱗粉のように背中から周囲に飛び散る。
もし見る者がそこに居れば、等身大の“妖精”のようだと思っただろう。
ひとしきり寝汗を流し落えた後、セリーナは脱衣所の鏡の前に立った。
そこには見慣れた自分の顔が映っている。
あの夢の中で見た顔は、鏡の中のそれに瓜二つだった。
ただの夢や思い込みにしては、生々しすぎる記憶。
ゆえに。
あの頼都という若者に追及された時には、内心の動揺を抑えられなかったものだ。
そして、自分が「取り替え子」かも知れないという仮説。
セリーナ自身は断固として違うと言い切る自信がある。
両親や祖父の記憶もあるし、これまでの人生で不可思議な点は無かった。
ただ…明晰な頭脳に関しては、自分のことながら畏怖する場合がある。
するすると湯水のように頭に入ってくる知識の数々は、消えることなく頭の中に収納されていく。
あまつさえ、組み合わさった知識の断片は、他者が驚くような解答を生み出すことすらある。
幼い頃はともかく、セリーナ自身、今となっては妖精の存在には懐疑的だ。
だが、自分の身の上に起こった変化と、おぼろげな過去の記憶には得も知れない恐怖を感じる時はあった。
「セリーナ、貴女は妖精なの…?」
鏡の中の自分にそっと語り掛けてみる。
だが、瓜二つの自分は不思議そうに自分を見つめ返してくるだけだった。
------------------------------------------
閉鎖的な神学校にも、たまに起こる変化がある。
その一つが転入生の存在である。
セリーナが在籍するクラスにも、その変化が唐突にやって来た。
「マリア=ウェルズです。宜しくお願いいたします」
簡単な自己紹介を聞いただけで、教室中の女生徒たちは、ほぅ…とため息にも息を吐いた。
一言でいえば、少女は美しかった
黄金の長髪に、透き通るような肌。
やや勝気そうだが、気品のある顔立ちにスラリとした身長。
とりわけ目を引いたのは、碧と紅の異色瞳である。
氷海を思わせる蒼と業火を連想させる紅。
相反する光彩が少女…マリアにこの世ならざる雰囲気を与えていた。
「ミス・ウェルズはドイツからの転入生です。学期の途中ですが、ご家族の仕事の都合で急遽我が校へと転入することとなりました。皆さん、仲良くするように。よろしいですね」
クラス中が返事をする中、セリーナ自身に転校生の視線が止まるのを感じた。
その瞬間、彼女…マリアの視線が鋭くなる。
敵意は感じなかったが、何かを見定めるかのようなその視線に、セリーナは胸に引っ掛かるものをおぼえた。
「ミス・ウェルズ、貴女の席はあの空いた席です」
教師が指し示したのは、セリーナの背後の席だった。
「分かりました」
そう言うと、クラス中の好機と羨望の視線を浴びながら、転校生マリアがセリーナの席へと近付いてくる。
そして、彼女の前で足を止めると、
「宜しくお願いいたしますわ、セリーナさん」
ニッコリと笑うマリア。
セリーナは強くなる違和感を胸に、ぎこちない笑みを返した。
「よ、宜しく」




