Episode38 Tír na nÓg -妖精郷-
月が昇った。
周囲は銀色の光に照らされ、静寂に包まれる。
その中を、頼都(鬼火南瓜)は一人、森へと向かっていた。
セリーナの未成年後見人として彼女が通う神学校に入り込んだいま、彼は来客扱いで、校内にあてがわれた客室に寝泊まりしていた。
普通なら、客分である頼都も夜間の外出には厳しい制限が設けられており、こんな時間に出歩くなどもってのほかである。
が、元より正規の後見人ではない上、人間ですらない頼都にとっては、そんな制限などないに等しいし、抜け出すことも容易だった。
念のため、尾行がないこと確認すると、頼都は森の大樹の影に身を置いた。
そして、おもむろに掌を開いた。
すると、小さな炎が灯る。
「待たせたな」
炎にそう語り掛けると、炎が一回りほど大きく膨らんだ。
揺らめくその中に、一人の女が映る。
淡い赤毛と紫水晶色の瞳の持ち主だった。
妖艶な美女だが、その表情には子供っぽさにも溢れ、外見からは年齢が特定出来ない不思議な女だ。
「はぁい、隊長♡乙女の園の住み心地はどお?」
「小娘どもがキンキンうるせぇし、やたら尾行されて迷惑だ」
溜息を吐いてから、ぶっきらぼうにそう答える頼都。
女…ミュカレ(魔女)がクスクスと笑う。
中世暗黒時代の欧州に吹き荒れた「魔女狩り」
それを生き抜いた大魔女にして「生ける伝説」「大魔導師」の異名を持つ彼女は、魔術によって、頼都の炎を用いた「遠話の術」を用いることでと定期的に連絡を取る役目を担っていた。
面倒くさそうな頼都の様子に、ミュカレがウインクする。
「仕方ないわねん。それに女性の黄色い歓声は、色男の証明書みたいなものよん♡」
「黙れ、痴女め。他人事だと思いやがって」
からかうようなミュカレに悪態をつくと、頼都は表情を変えた。
「報告の一発目だ。俺の目から見たセリーナ=エアハートに関する所見を伝える」
懐から取り出した煙草に火を灯すと、紫煙を吐いてから頼都はゆっくり告げた。
「彼女は限りなく犯人に近い無関係者だな」
「ふうん…興味深いわねん。隊長がどっちつかずの所見を言うなんて」
炎の中のミュカレが、肘をつき、手の甲に顎を乗せる。
「彼女の背中に可愛らしい翅とか無かったのん?」
「だったら、とっくに始末にしてる」
事もなげにそう言う頼都に、ミュカレは苦笑した。
「相変わらずドライねん。ま、そこが隊長の魅力でもあるんだけれど♡」
「続けるぞ」
煙草を咥えたまま、頼都が続ける。
「彼女は肉体的には人間そのものだ。この目で直接調べたが、まず間違いない」
「あらぁ♡直接確認したのん?それをいいことに、セリーナちゃんの若く青い果実のような身体に××とかしちゃってないでしょうねん?」
「ちなみに肌の張りは、どこかの誰かさん以上だった。以上、報告を終える」
淡々とそう応えつつ、掌の炎を握り潰そうとする頼都。
それに気付き、ミュカレが慌て始める。
「冗談!冗談だってん!…って、何気にいま、遠回しに私をディスらなかった!?」
「ただ、気になったのは『異常な知能の発達』だな」
ミュカレの抗議を華麗にスルーすると、頼都は続けた。
「ここ数日の彼女の授業の様子や、入学時からの成績を調べたが、明らかに常人のそれを逸してる…これを見ろ」
頼都は懐から書類の束を取り出すと、躊躇うことなく掌の炎に放り込む。
瞬く間に燃え尽きる書類。
が、ミュカレは慌てた風も無く、小さく呪文を唱えた。
「“祭壇の火 言の葉となる”」
すると、炎の中で消し炭となった書類が灰のまま転移し、ミュカレの手の中で時間を巻き戻したかのように、元の書類へと復元された。
これもミュカレの魔術が成せる技である。
「…これは…」
手元に届いた書類に目を通したミュカレは目を細めた。
「16歳で『ミレニアム懸賞問題』に挑戦!?なにコレ!?しかも、かなりいいセンいってるじゃないん!?」
「今日も大学入試レベルの問題を難なく答えてやがった」
咥えていた煙草を握り潰して炭化させる頼都。
「単なる天才っつうレベルじゃねぇ。ここまでくると正直、神がかってる。おまけに例の条件にピッタリ当てはまる」
「“取り替え子”」
ミュカレが呟く。
頼都が頷いた。
「知っての通り“取り替え子”には、いくつかの特徴がある。その一つが『異常なまでの知能の上昇』だ」
欧州に古来から伝わる「取り替え子」…その概要はこうだ。
あるところに生まれた人間の赤子がいる。
それに目を付けた“妖精”や“森妖精”、“洞巨人”が、その赤子をかどわかし、代わりに自分たちの赤子を置いていく。
これが「取り替え子」の名前の所以だ。
そして「取り替え子」として人間の元で育った子どもにはいくつかの特徴が生じるという。
伝承にいわく「美醜が偏った外観」「旺盛な食欲」「激しい癇癪持ち」
そして「人間を越えた知能」
そういう点では、セリーナは条件を満たした「取り替え子」として見ることが出来る。
「気になる点はまだある」
頼都はセリーナから聞き出した童歌「Ring-a-Ring-o' Roses」と「森で出会った子ども」の話をミュカレに伝えた。
「『Ring-a-Ring-o' Roses』?確か英国童謡の一つねん」
「妖精共と関連は?」
「ほぼ無いわねん。歌自体の成り立ちも割と近代だしん…でも、ちょっとしたいわくがある童歌だわねん」
「いわく?」
目を細める頼都。
それにミュカレは頷き、歌いだした。
「“バラの花輪だ 手をつなごうよ ポケットに 花束さして ハックション! ハックション! みんな ころぼ”」
「…結構上手いじゃねぇか、歌」
「お誉めいただきありがとん♡呪文詠唱を常とする魔女にとっては、喉が命なのよん♡」
「…で、どこいら辺にいわくがあるんだ?」
頼都が尋ねると、ミュカレは傍らに積まれた書物を漁り始めた。
「ええと…確かこの辺に…あ、あったわん」
一冊の書物を取り出すと、それをめくりながら、ミュカレは続けた。
「1660年代、ロンドンで流行した感染症はご存じよねん?
「ああ」
頼都は頷いた。
感染症「ペスト」は別名「黒死病」とも言われた病である。
感染して一週間以内に発症し、感染者の皮膚が内出血して紫黒色になるのでその別名がついたという。
14世紀に起きた大流行では、当時の世界人口の約20%に当たる1億人が死亡したと推計されていた。
ミュカレは続けた。
「この童歌は、そのペストを由来とする説があるのよん。『薔薇』はペストの症状の赤い発疹、『花束』はペストを防ぐための薬草の束、『ハックション!』というくしゃみは病気の末期症状、そして最後に『みんな ころぼ』は…」
「『転んで倒れる』…つまり『死』を意味する、か」
ウィンクしつつミュカレは本を閉じた。
「ご明察よん。まあ、あくまでも一説なんだけどねん」
「『森で出会った子ども』についてはどう考える?」
すると、ミュカレは肩を竦めた。
「耳が尖ってたとか、翅が生えてたっていうならともかく、ただの子どもってだけじゃちょっと手掛かりには足りないわねん」
「じゃあ、その子どもが妖精で、セリーナを連れて行った先がこの世でない場所だという可能性はあると思うか?」
月をを見上げて言う頼都に、ミュカレはやや目を細めた。
「…何か思い当たる節があったのん?」
「セリーナにある質問をした」
炎の中のミュカレに視線を戻すと、頼都は続けた。
「『妖精郷』という言葉に引っ掛かるものはあるか、とな」
「それって…確かケルト神話に出てくる楽園のことよねん?別名『常若の国』ともいうらしいけどん」
「例の子どもはセリーナを森に誘った時にこう言ったそうだ」
一呼吸置いてから、頼都は続けた。
「『ようこそ、常若の国へ』…と」
ミュカレは沈黙した。
「…お前も知っているだろうが『妖精郷』に似た『楽園』や『異界』の伝説は世界中に数多くあるし、その呼び名は様々だ。しかし、そのどれもがある言葉でひとくくりにできる」
「『幽世』…」
「そうだ」
ミュカレの呟きに、頼都が首肯した。
「セリーナ=エアハートが『取り換え子』かどうかはさておくとして、幽世で妖精と思われる『何か』と接触した可能性は高いと思う」
「…」
「そもそも、妖精どもは何で他種族である人間の赤子に固執する?」
頼都がそう問うと、ミュカレは顎に手を当てた。
「そうねん。原因は定かではないけれど、人間の子を自分たちの召使いにしたいとか、逆に可愛がりたいとか言われているわねん」
「くだらねぇな…」
「…あるいは悪意ともされているわん」
「悪意…か」
考え込む頼都の呟きに、ミュカレはやや間を置いて言った。
「もしかしたら、エアハート家の先祖が、彼らと何かしら関わりがあったのかもねん」
「そいつを調べることはできるか?」
尋ねる頼都に、ミュカレはやや考え込んでから、頷いた
「確約はできないけど…やるだけやってみるわん」
「頼む。何か進展があったら、次の定時連絡に報告してくれ」
そう言いながら、頼都は顔を上げて、再び月を見やった。
「やれやれ。厄介ごとにならなきゃいいんだがな」




