Episode35 Changeling -取り替え子-
暗い夜の森の中を、一人の男が歩んでいた。
黒いライダージャケットのような服を纏った若い男だ。
整った顔立ちをしてはいたが、どことなく厭世的な雰囲気を滲ませている。
全身黒づくめではあったが、その両目だけは赤銅色に燃えていた。
例えるなら静かに燃える熾火。
燃え盛るような業火でもなく、消え入るような燃えカスでもなく。
永遠と燻るような静かな炎だ。
男のその燃える眼が捉えた森の中は、月が雲間に陰り、暗闇に包まれている。
その暗夜行路を、男は自らの掌に灯した炎を灯り代わりに、寡黙に進んでいた。
奇術めいたその術は、遙か昔に男が「とあるもの」を代償に手にした力だ。
その身に宿った炎の力により、男の身体は決して炎によって滅ぶことは無い。
現にその掌の炎は、男のそれを焼き焦がす素振りも見せなかった。
「ここか…」
しばらく進んだ森の中に、一軒の小屋があった。
粗末な造りで、長らく人が住んだ様子もない。
加えて、室内から漏れるはずの明かりも見えない。
しかし、男は躊躇うことも無くドアノブに手を掛け、一息に引いた。
軋んだ音を上げてドアが開かれると、室内は家具などが散乱した見るからに空き家といった様相だった。
今にも崩れそうなテーブルに、朽ちかけた椅子。
カーテンはボロボロで、割れた皿や食器が散乱している。
完全に無人の室内に足を踏み入れると、男は手の炎を掲げたまま、周囲を見回した。
「しかし、小汚ぇ家だな」
足元の汚れに顔をしかめてから、男はその視線を室内の片隅にあった揺り椅子に止めた。
「…よう、来てやったぜ。そろそろ出てきな」
男が無人の椅子にそう声を掛ける。
すると、それまで微動だにしなかった椅子が細かく揺れ始めた。
風の仕業ではない。
その証拠に、椅子の揺れは徐々に人が座っているかのように揺れを強めていく。
が、目の前の怪異に、男は動じる素振りも見せなかった。
(…誰じゃ?)
不意に。
か細い老人の声が響き渡る。
まるで、幽鬼のような声だ。
不気味なその声に、男は驚いた風も無く、静かに告げた。
「Halloween Corps」
椅子の揺れが一瞬だけピタリと止まる。
(…おお…おお!来たか!来てくれたのか、ようやく…!)
老人の声が嗚咽に変化する。
同時に、再び揺れ始めた椅子の上に、ぼんやりと青白い人影が像を結び始めた。
それは禿頭に髭を蓄えた高齢の男だった。
が、明らかにこの世のものでは無い。
その証拠に肌は病的なまでに白く、眼窩は落ち窪み、目は白蝋のように濁っている。
そして、その全身が陽炎のようにぼやけては、実体を結ぶを繰り返していた。
老人は生者ではない。
“幽霊”と呼ばれる、この世ならざる存在だった。
男は炎を手に、さして興味も示さずに問い掛けた。
「確認させてもらうぜ。マイルズの家はここで間違いないか?」
(マイルズ?…おお、そうじゃ。儂の生前の名前はマイルズ!マイルズ!マイルズ!覚えておったぞ!儂はマイルズ!)
突然、天啓を受けた預言者のように発奮する幽霊…マイルズ老。
(待った!やった!まったく!本当に!ようやくか!ようやくだな!くそ!死んだ!儂は死んだな!だが、死んだ!いや、まだだ!まだ、死ねん!死ねるものか!儂はマイルズ!)
錯乱気味に喚き散らすマイルズ老に、男はやや引いた表情になってから、頭をボリボリと掻いた。
「ボケもなく、意気軒昂で何よりだ、爺さん」
そして一転、鋭い目で再度問い掛けた。
「…それじゃあ、めでたいついでに聞こうか。依頼の内容を」
男の視線に、マイルズ老は嘘のように発奮を止めた。
そうして、しばし虚空を見詰める。
男は、マイルズ老が再度口を開くのを辛抱強く待った。
(孫を…儂の本当の孫、セリーナを探して欲しい…)
「ほぅ?」
そう言うと、男は傍らのテーブルに乗った物に目を止めた。
卓上には写真立てが伏せられている。
埃にまみれていたそれを手に取り、軽く手で払うと、そこには家族写真のような写真が収まっていた。
マイルズ老以外に、初老の男女と一人の少女が映っている。
男はマイルズ老に向き直った。
「爺さんの孫は存命で、町場にいると聞いているが…?」
(孫ではない!)
威嚇する猫のように全身を逆立てて、マイルズ老は怒号を放った。
(儂の孫はセリーナだけじゃ!あんな化け物の…妖精もどきではない!)
「妖精もどき?」
(そうじゃ!妖精じゃ!あれは人間ではない!人の姿をしていても、中身はあやかしじゃ!)
「…」
(殺せ!)
激昂するマイルズ老の霊が、狂ったように叫ぶ。
(人ならざるあの娘を!妖精の娘だ!人ではない!だから殺せ!殺してくれ!)
「随分物騒な話だな」
無感情のまま、男は続けた。
「確かに“掟”破りの怪物どもを始末するのが俺達の役目だが…」
(構わぬ!殺せ!殺すのだ!あれは両親を…儂の子とその嫁を斬殺した悪魔だ!)
男の片眉がピクンと跳ねる。
「親殺しの怪物か…」
(そうじゃ!殺せ!奴を!殺せ!早く!殺せ!でないと!殺せ!また誰かが!殺せ!殺されるから殺せ!)
もはや正気の欠片も失くしたかのように、マイルズ老の霊が荒れ狂う。
それに伴って、揺り椅子があり得ない角度まで前後に激しく揺れた。
まさに狂念といった様に、男はされでも無感情だった。
「二つだけ聞かせてくれ」
(何じゃ!殺せ!何でも聞け!殺せ!)
「その娘は『取り替え子』ということでいいんだな?」
男の言葉に、マイルズ老の霊はガクガクと頷いた。
(その通りじゃ!殺せ!まさにあやかしの子じゃ!殺せ!)
錯乱したように喚く老人の霊に、男は目を細めた。
「じゃあ、もう一つ。もし、孫が死んでいたら?」
その一言に。
揺り椅子がピタリと静止した。
(おお…セリーナ…可哀想な…儂の孫…)
「…」
慟哭を続けるマイルズ老を、男はただ見詰める。
しばらくむせび泣きをしていたマイルズ老の霊は、その眼から流れ落ちない涙をまるでぬぐうようにしてから告げた。
(もし…孫が…死んでいたら…)
「死んでいたら?」
(儂も…殺してくれ…!)
その言葉を最後に、老人の霊は力尽きたように雲散霧消した。
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カラーン…カラーン…
遠く響く鐘の音が、寄宿舎の室内にも流れ込んで来る。
ややまどろみの中にあった少女は、その鐘の音で目を覚ました。
窓から見えるその風景は、もうオレンジ色の中にあった。
「いけない」
慌てて背中を預けていた壁から、身を引きはがす少女。
急いで身支度を整え、鏡の前に立つ。
鏡面には、斜陽の中に佇む一人の美しい少女の姿があった。
金糸のような金髪に、白磁の肌。
薄紅色の頬に澄んだ青空のような瞳。
形の良い唇に柔らかな笑みを浮かべると、少女は自室を後にした。
廊下を小走りに進むと、顔なじみの級友とすれ違う。
お互いに片手を挙げて挨拶をする。
「随分慌ただしいわね、セリーナ」
「ええ。ちょっと寝坊してしまったわ」
「まあ。なら、もっと急がないと。今日の午後の講師はシスター・マチルダよ」
「大変、急がなきゃ。またお小言を言われてしまう」
「うふふ…主のご加護を。あと、廊下を爆走していたことは内緒にしておくわ」
「ありがとう、チェルシー」
手を振りながら、駆け過ぎるセリーナ。
古く、長いこの神学校の廊下は、さながら古代の迷宮遺跡のように静まり返っている。
そこにカツカツと響く足音は、まるで時計の秒針のようだった。
セリーナは、自分が時間の迷宮に迷い込んでしまったような錯覚に陥った。
いく度目かの角を曲がったセリーナは、そこで一人の壮年の神父と鉢合わせになり、急停止した。
「ウ、ウォルター先生…」
ギョッとなるセリーナに、神父…ウォルターは薄く笑った。
「おやおや。随分と元気が有り余っているようだね、セリーナ・エアハート」
「あ、いえ…すみません、ウォルター先生。私、これから講義があるので、これで…」
ペコリと頭を下げると、セリーナは苦手な教師の横をそそくさと通り過ぎようとした。
しかし。
「待ちたまえ」
そう呼び止められ、セリーナは内心溜息を吐いた。
そして、これから始まるお説教にどんよりとした顔つきになる。
「な、何でしょうか?大変申し訳ないのですが、私、急いでおりますので…」
「午後の講義への出席なら問題ない。シスター・マチルダには私から連絡を入れておこう」
「はあ…え?」
「君を探しに講義室に行く手間が省けたよ」
そう言うと、ウォルターは顎をしゃくった。
「ついてきたまえ。君に来客だ」
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通された来賓室には、一人の男がいた。
東洋人に近い顔立ちは、ひどく整っており、セリーナをドキリとさせる。
だが、同時に妙な胸騒ぎも起こさせた。
「十逢 頼都だ」
差し伸べられた手を握り返し、セリーナはおずおずと尋ねた。
「セリーナ・エアハートです。それで…一体私にどんなご用でしょうか?」
「そうだな…単刀直入に言おう」
赤銅色の瞳で射抜かれ、セリーナはゾクリと身を震わせた。
「あんたを身体検査したい」
室内に沈黙が下りる。
ややもしてから、セリーナは腰を下ろしていたソファから立ち上がり、部屋の片隅にあった電話の受話器をとった。
それを見た頼都が、
「待ちな。一応聞くが、誰に何を言うつもりだ?」
「警備員室へ『ここにいる変質者を今すぐに追い出して欲しい』と言うつもりです」
それに、頼都は溜息を吐く。
「いや、言葉足らずだったな…正確に言おう」
そう言うと、頼都はセリーナを見やった。
「あんたが人間なのか、調べたい」
「……」
頼都は組んでいた足を組み替えると、おもむろに告げた。
「セリーナ・エアハート。17歳。女性。父ロードリックと母ルーシーの間に生まれる。祖父マイルスを加えた四人家族。そして、5歳の時に一度行方不明になる」
無言で顔を強張らせるセリーナに、頼都は続けた。
「その後、神懸かり的な知性を発揮。地元ジュニアハイスクールを飛び級し、首席で卒業。本人の希望もあり、この聖マリア神学校へ入学。直後に父母が変死。それを追うようにして祖父も死亡…」
「やめてください!」
頼都を睨みつつ、セリーナは怒声を上げた。
「あなた一体何なんですか!?私の過去を勝手に調べて、一体何を企んでいるんですか!?」
「あんたの祖父、マイルズから依頼を受けてな」
そう言うと、頼都は懐から茶色く変色したボロボロの羊皮紙を取り出した。
「マイルズの先々代に世話になったことがある。本来なら、俺達は個人的な事情には首を突っ込まないんだが、こうして約定を取り交わした証文がある以上仕方がねぇ」
「おじいちゃんの先々代!?ふざけないでください!そんな昔の話なんて…!」
頼都に詰め寄るセリーナ。
その眼前に、人差し指を突き付けると、頼都は小さく呟いた。
「点火」
すると、指先に小さな炎が灯る。
目を丸くするセリーナの眼前で、炎は頼都の掌の上でさらに燃え上がった。
「昔の話か…生憎と俺にとっては瞬き程度の時間だ」
「あ…あ…」
「改めて名乗ろう」
火影に照らされ、頼都の顔に陰影を生まれる。
そこに浮かんだ炎の悪魔の如き凶相を目にし、セリーナは悲鳴を上げかけた。
「俺はHalloween Corpsの頼都。分かりやすく言えば人間じゃねぇ」
目を細めつつ笑う頼都に、セリーナは十字を切ってから、
「おお、神よ…」
卒倒した。
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「う、ううん…」
「気付いたか」
薄暗い部屋の中、窓辺に腰掛けていた頼都が、ベッドの上のセリーナにそう問い掛ける。
「こ、ここは…」
「あんたの部屋だ」
「え?えっ!?」
ガバッと身を起こし、周囲を見回すと確かに寄宿舎にある自分の部屋だった。
いまの自分の状況と気を失う前に見たものを再確認したセリーナは、胸にかけていた十字架を身構えた。
「な、何の真似ですか!?」
「何の真似って…あんたが気を失ったから、ここまで運んでやったんだが」
「そ、それはどうも………じゃない!」
我に返って油断なく身構えるセリーナ。
「すみやかに去りなさい、悪魔よ!ここは聖なる学び舎です!お前がいていい場所ではありません!」
溜め息を吐きながら、頼都は言った。
「悪魔だと?あいつらと俺とは、むしろ天敵同士だ。連中のせいで、俺はこうして不老不死のまま彷徨っているんだからな」
「不老…不死?」
「あんたも知っているだろう?悪魔と取り引きし、その結果、天国にも地獄にも行けなくなり、永劫に現世を彷徨う羽目になった哀れな男の話を」
「それって…確か“鬼火南瓜”!?」
「ご名答。さすがは稀代の秀才だな」
窓際から立ち上がると、頼都は呟くように言った。
「で、その男は果てしなく後悔しながら“掟”破りの怪物どもを狩る役目をこなしているってわけだ」
「…」
「さて、確認も済んだことだし、二、三聞きたいことがある」
「待ってください」
頼都の言葉を遮りつつ、セリーナは自分の身をかき抱きながら、真っ赤になった。
「『確認』って…まさか、見たんですか!?私の身体を!?」
「ああ」
事もなげに頷く頼都。
「さっきも言ったとおり、お前さんが人間かどうか、ちゃんと確認させてもらった」
「はjkhdo;おsdjぽぴおぽ…!!!」
意味を持つ言葉にならない悲鳴が上がる。
頼都は肩を竦めた
「安心しろ。あんたみたいな小娘の身体を診たところで、妙な気も起らん」
途端に投げつけられてくる枕やぬいぐるみを避けつつ、薄闇の中、頼都は赤銅色に燃える瞳でセリーナを射た。
「…行方不明になっていた時のことを覚えているか?」
「知りません!」
「重要な事だ」
有無を言わせぬ迫力を持った声に、セリーナはようやく平静を取り戻した。
「…本当に何も知らないんです。ただ…」
「何だ?」
「森の中で、不思議な子と知り合いました」
頼都は腕を組んだ。
「不思議な子?」
「ええ。見た目は私と同じ金髪の娘でしたが…」
言いよどむセリーナを、頼都は視線で促した。
セリーナは恐る恐る口にした。
「魔法を使えたんです」




