Episode9 Requiem -鎮魂歌-
「もう一度言うぞ」
右手に燃え盛る紅蓮の炎を点しながら、頼都(鬼火南瓜)は続けた。
「そこを退け、坊主。知っての通り“海女怪”は人を食う怪物だ。“掟”に則って、始末するのが俺達の役目だ」
「退くもんか…!」
大きく両手を広げ、白髪紅眼の若者…神前 季里弥は決意に満ちた表情で言った。
「彼女をむざむざ殺させはしない!」
「What!?正気ですカー!?」
リュカ(人狼)が驚いたように声を上げる。
それにフランチェスカ(雷電可動式人造人間)が追従した。
「理解できません。彼女は貴方がた人間にとって天敵ともいえる存在。見たところ、洗脳を施されてもいない貴方が彼女を庇う理由は何なのですか…?」
フランチェスカの疑問に、神前は少し俯いた。
「彼女は僕の恋人だ…ずっと待っていた…やっと会えたんだ…」
「恋人だって…?」
アルカーナ(吸血鬼)が信じられないといった風に目を見開く。
「馬鹿な。彼女は人間の姿の部分はあっても、人間ではない。君とは絶対に相容れない存在なんだぞ?」
「見た目なんてどうだっていい…!姿かたちが人間からかけ離れているからって、どうだっていうんだ!?僕達は純粋に愛し合っているんだ…!」
神前の訴え掛けに、ミュカレ(魔女)が、首を横に振った。
「見た目の話だけではないわ。そもそも、彼ら『怪物』の精神性は、人間のそれとはかけ離れているのよ。だから、決して人間と分かり合えることはない…無論、私達もね」
珍しく神妙な表情でミュカレがそう告げる。
だが…
「黙れ!」
神前は絶叫した。
「彼女は…美汐は、海神の娘だった!遠い昔に、海神の怒りに触れて、海に帰ってしまった!だけど、今こうして彼女は帰って来てくれた!僕の元に…!」
神前の独白に、頼都達は沈黙した。
「…お前…」
頼都の顔に何かに気付いたような表情が浮かぶ。
その後、頼都は苦虫を噛み潰したように顔を歪ませた。
「そうか…お前は…」
“ええ…そうよ”
それまで沈黙していた“海女怪”が告げた。
“彼は心が壊れている。私は『海神の娘』…そして、自分を『その恋人である若者』と思い込んでいるのよ”
深い海の色をした“海女怪”の瞳が、僅かに歪んだ。
“この『離岬』に残された、悲しい恋人達の伝説を、彼は自分に重ねてしまっているのよ”
「…それを知ってて、こいつに人間を貢がせたのか?」
頼都の目が鋭く“海女怪”を射た。
それに“海女怪”は頷いた。
“弁明はしないわ…私、とても飢えていたの。とても『解禁日』まで待てなかった”
静かにそう告げる“海女怪”に、頼都は無情に告げる。
「悪いが『Halloween Corpes』に『情状酌量』って選択肢はない」
その言葉と共に頼都の右手の炎が、ひときわ大きく燃え盛った。
「あるのは『掟』を守って『幽世』で生きるか、背いて俺達に殺されるかだけだ。そして、言うまでもなくお前は『掟』に背いた」
“そうね”
“海女怪”は、静かに頷いた。
“だから、私は貴方達が来るのを待っていた”
「まさか…僕達に殺されるためにかい?」
アルカーナの問いに、疲れたように頷く“海女怪”
“私がここで飢えを満たすようになった時…本当なら最初に出会ったこの人を、一番初めの餌にする予定だったわ”
そう言うと“海女怪”は、自らの前に立ちはだかったままの神前に視線を向けた。
“でも、この人は私を見ても恐れなかった。それどころか、私の事を居もしない『恋人』と勘違いして、私の飢えを満たす協力を申し出てくれた。だけど…”
そして“海女怪”は耐え切れなくなったように両手で顔を覆った。
“私は…私は『人間』が恐ろしい”
「『人間』が…恐ろしい…?」
全員が顔を見合わせる。
“海女怪”は再び神前の背中を見詰めた。
“この人は私のために、何人もの同族を犠牲にしたわ。何度も何度も罪悪感に苛まれ、慟哭しながらも…だから、私はこの人に尋ねた…『何故、そうまでして私のために尽くしてくれるの?』と”
「無論、愛しているからだ…!」
神前はそう言いながら振り向き“海女怪”を見上げた。
「ずっと待っていた僕の元に、君は帰って来てくれた…その君のためなら、僕はどんな事だってしよう…!例え神や悪魔に呪われても…!」
せつなげに、愛する者を見詰める神前。
その視線を受け“海女怪”が苦悶の表情を浮かべる。
“愛…愛、愛、愛、愛、愛…!それは何なの!?ここまで狂っているのに、この人はそのためだけに自分の同族すら売り渡すというの!?分からない!私には『愛』というものが!だから、とても恐ろしい”
“海女怪”は、救いを求めるように頼都を見た。
“私は長い時を生きてきた。人間の事も多少は知っているわ。だから、この人の言う『愛』を理解するために人間のふりや恋人のふりもしてみた…だけど、私には分からなかった。それどころか、逆に恐ろしくなったわ。人間達の持つ心の闇が…その底知れぬ深淵が…!”
「…」
“鬼火南瓜、早く私を開放して!このままでは、私はおかしくなってしまう…!”
その訴えに、頼都は瞑目していた目を開いた。
「一つ、聞かせろ」
“…何かしら”
「あの『歌』は何だ?」
それに“海女怪(スキュラ」)”は、一瞬意外そうな表情になった後、
“あれは…海へと帰った海神の娘が残したという『歌』を勝手に模したのよ。『歌』なんて歌った事も無かったけれど…”
「…つまり、この坊主に合わせて、お前自身もその『離岬の恋人達』を演じていたっていうのか?」
“そうね…理由は分からないけれど”
ふと、神前を見詰め“海女怪”は苦笑した。
“…ただ、私が戯れに歌ったあの『歌』を聞かせたら、この人がとても喜んだから…”
「美汐…そうだよ。君の歌う歌は、とてもきれいで…大好きだ」
“ありがとう、季里弥…”
今度は微笑みを浮かべる“海女怪”
狂人の想いからようやく解放されるためか。
それとも…
いずれにしろ、その表情はとても晴れやかだった。
“そして、さようなら…愛してるわ”
その言葉が終わると同時に、
「炎獄ノ業火」
頼都の炎の右手が、空中に炎の逆十字を描く。
それは烙印の様に“海女怪”の胸元に刻まれると、その身体を一瞬で紅蓮の炎で包み込んだ。
「美汐ぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ…!」
絶叫する神前。
炎の中、徐々に形を失う“海女怪”の影から、何かが静かに響き渡った。
「歌…」
フランチェスカが、ぽつりと呟く。
「歌っているのか、彼女が…」
アルカーナがそっと目を伏せた。
「悲しい歌声ネ…」
刀を鞘に収めながら、リュカは炎に揺れる影を見詰める。
「ええ。まるで、鎮魂歌のよう…」
ミュカレが頭のとんがり帽子のつばをそっと押さえた。
「美汐…美汐…何で…」
舳先に立ち尽くす神前が、魂の抜けた表情で呟く。
それに背を向け、頼都が言った。
「これが聞き納めだ…よく聞いておけ」
そして、目を閉じ、
「…そして、祈ってやれ」
ドボン…!
背後で聞こえた水音に、思わず頼都は振り返った。
神前の姿が消えている。
舳先に戻った頼都の目に、燃え盛る“海女怪”の元へ泳ぐ神前の姿が映った。
「あの馬鹿、何を…!」
「美汐…今行くよ…!」
波をかき分け、炎の柱と化した恋人へ辿り着く神前。
それに炎の中の影が、激しく揺れる。
なおも追いすがる神前の妄執を恐れたのか。
それとも…その身を案じたのか。
「美汐…もう、離れないよ。僕達は、ずっと一緒だ…」
炎の中に神前の姿が消える。
二つの影が、やがて重なり合うように一つになった。
「どいつもこいつも…馬鹿ヤロウ共が…」
激しく燃える炎を見詰め、頼都は吐き捨てるようにそう言った。