異世界宅配ピザ~地獄の底にだって30分でお届けします~
王国は今、滅亡の危機に瀕していた。
人間と魔族との長きに渡る戦いは、人間側が生み出した対魔族用の切り札、勇者の登場によって大きく揺れ動いたかと思われた。
だが、勇者はその行方をくらまし、魔族による攻撃の先端は人間たちの都市に向けられた。
魔族を率いる強大な魔将。
彼らとの戦いを勇者に委ねていた人間たちにとって、本格的な魔族の進行は耐えられるものではなかった。
「くそっ……。地平線が見えねえぜ……」
城壁から顔を半分ほど突き出して眺めていた男。
彼は絶望に顔を曇らせて腰を下ろした。
ここは、王都と戦場を隔てる最後の一枚。
最終城壁である。
この外側は、既に人間の世界ではない。
魔族の領域だ。
獣と人を混ぜ合わせたような者たちが蠢き、骸骨や実体を持たぬゴースト、あるいは意思を持って動き回る鎧。
ここからでも拝める地の果てには、巨大な地を這う竜に石でできた巨人。
先日、この魔族からの包囲網を打ち破るべく繰り出された部隊は、あえなく全滅した。
王国は他の人間たちの国と切り離され、じりじりと干からびていくところであった。
「ああ……もう、三日も水しか飲んでねえ」
「耐えろ。王都の連中だって同じようなものなんだ。それに乏しい食い物をかき集めて、俺たち兵士に回してくれてるんだ」
「だがそいつも食いつくしちまった」
「ああ。そうだな。だけど俺たちが諦めたら、王都の国民たちはおしまいだぞ。俺たちはまさしく、最後の壁なんだ」
「分かってる、分かってるさ。だけどよ」
男は力の入らない腕で、城壁を叩いた。
「いつになったら、終わるんだ。あいつらは何も食べなくても動き続ける。俺たちを殺すことだけが生き甲斐なんだ。俺たちが飢え死にするまで、ずっと外で待っているのだろうよ! そんな奴ら相手に、どうしろって言うんだ! 勇者はどうした! 勇者さえいれば、こんな事には……!」
「おい、よせ、やめろ!」
暴れようとした彼は、仲間によって取り押さえられる。
城壁の見張り台である。
見渡す限りの、魔物、魔物、魔物。
絶望的な光景だった。
まだ、空を飛ぶ魔物がこちらに来ていないだけましだったとも言える。
とある都市は、一夜にして空を飛ぶ魔物たちによって滅ぼされてしまったという噂もあるのだ。
「くそっ、せめて……せめて、食い物でもあればなあ……」
取り押さえられた兵士は、空を見上げて呟いた。
それは、叶わぬ願いであった。
……その、はずであった。
「おい、何をしてるんだ?」
兵士の一人が、何やらおかしな札を指でつついている。
まだ年若い兵士だ。
「あ、はい。あの、叔父が以前帰ってきたとき、困った時はこれを使えと俺にくれたものなんですが」
「なんだ、そいつは? 魔法でも篭った札か何かだってのか?」
それは、実に色彩鮮やかな一枚の紙だった。
王国は紙を作る技術を有していたが、このような光沢があり、極彩色に彩られた紙を作る事はできない。
「いや、ちょっと待て。これに描かれている絵は、なんとも見事なものじゃないか。丸い生地に具材を載せた料理の絵か? うむ、美味そうだ……」
「へえ! 俺にも見せてくれ!」
兵士が詰め掛けてくる。
「この黄色いのはチーズか!」
「緑の細かいのはピマの実か? 俺、あれ苦くて苦手なんだよな」
「赤いのは燻製肉の切り身じゃないのか? うわあ、たまらねえ」
おずおずと、この紙の持ち主である若い兵士が声をあげる。
「あの、それで、この端に書いてある記号を使えと、叔父が言ってたんで」
「どーれ……。なんだこりゃあ?」
「ああ、こりゃあ先生に見てもらわんと分からんな。先生を呼んで来い」
兵士の一人が城壁の下層へ向かっていく。
少しして、ひょろりとした前髪の後退した男がやってきた。
先生と呼ばれる彼は、紙を見て、
「驚いた。これは魔法文字じゃないか。この文字の手順どおりに、魔法陣を回転させるんだ」
先生が持っているのは、この世界ではポピュラーな簡易魔法陣である。
小さな水晶を台座に据えたもので、その周囲には魔法文字が刻まれたリングが浮遊している。
水晶には針が突き出すように埋め込まれていて、これで魔法文字を指し示す事で、呪文詠唱と同じ効果を与える。
「これは召喚魔法の一つだろう。この手順のままに、こうしてリングを回転させる」
先生がリングを回すと、針の下で魔法文字が回転を始める。
一定の魔法文字が針の下にやってくると、赤く輝いた後、リングは元の位置に戻っていく。
これを繰り返す。
全ての文字が指し示された直後である。
不思議な音が、魔法陣から放たれだした。
『はい、こちら地獄の底でも30分でお届けのハヌマーンピザです。ご注文をどうぞ!』
爽やかな女性の声が響き渡る。
「うおお」
「な、なんだこれ」
「うわー、女の声だ!」
兵士たちは驚き、腰を抜かしかかっている。
先生はうむむ、と唸った。
「これはどういうことだろう」
「あ、はい。あの、この絵から好きなのを選んで注文するんだと思います」
若い兵士の言葉を聞き、他の兵士たちが目を爛々と輝かせた。
「何、注文すると来るのか!?」
「いや、まさかこの魔族包囲網の中を」
「だけどよ、与太話でも食い物が来るかもしれないなら、やる価値あるぜ」
「だな、お、俺はこれだ! ええと、なんて読むんだ?」
「ミートスペシャルピザ、だね」
『はい、ミートスペシャルピザですね。ありがとうございます。サイズと生地はどうしましょうか』
先生は兵士たちを見回す。
「とにかく腹に溜まるものを。そして、数はなるべく多く。王国も王都も餓えてるんだ」
無茶な願いだった。
だが、魔法陣の向こうの言葉は、快活に返答する。
『かしこまりました! チーズ練りこみのパン生地、そしてそちらは王国王都ですね? では国民様皆様分として注文をお受けします』
「あ、ああ。代価は私が王にかけあい、約束しよう。可能ならば、早急に頼む」
『お任せ下さい! 当店は、どんなところにでも30分以内にお届けするのがモットーです! このたびはご注文、ありがとうございました!』
元気のいい返事とともに、通信は打ち切られた。
一瞬、城壁は静寂に満ちる。
「なあ、あれは一体……なんだったんだ?」
「俺たち、夢魔に化かされてるんじゃないだろうか」
にわかには信じられない出来事である。
誰もが、空腹と疲労の果てに聞いた幻聴であったと考えた。
だが、その思いはすぐに裏切られる。
僅か25分後の事である。
地平線で砂煙が上がった。
魔物たちの動きが乱れる。
何者かが、魔者たちの中を突っ切り、地平線の彼方から駆けて来るのである。
陽光を受けて、ギラリと白いボディが輝く。
それは、前に一輪、後に二輪を有する、自ら動く車であった。
上部には天蓋が設けられており、後方には荷物を収納できる箱が一体化している。
それが、魔者たちの中を疾走してくる。
竜が咆哮をあげ、ブレスを吐いた。
これを、車は速度を上げて風を纏い、真っ向から突き抜ける。
踏み潰そうとした巨人の足を、ジグザグ走行で回避し、骸骨とゴーストを掠め、獣人を踏み台に、今跳躍した。
その時、戦場の全ての目が、この白い車に集まっている。
車の収納箱には、可愛らしく描かれた白い猿の紋章が描かれている。そして異国の言葉で、ハヌマーンピザ、と刻まれていた。
「な、なんだあれは!?」
「こっちに来るぞ!」
「げ、迎撃……だめだ、間に合わない!」
兵士たちが対応する暇も無く、車は城壁を垂直に登りきり、見張り台に到達した。
そこから、白い猿の紋章がついた上着の、サンバイザーをつけた男が降りてくる。
「お待ちどうさまです。ご注文のミートスペシャルピザです。王都の方たちの分は後続がお届けします」
彼は言いながら、収納箱を展開した。
そこには、厚紙で作られたケースが存在しており……。
「あ、すげえいい匂い」
若い兵士がゴクリ、と唾を飲み込んだ。
ケースは三つ。
開かれると、Lサイズのミートスペシャルピザが三枚、顔を覗かせた。
香ばしい肉と、濃厚なチーズ、そしてカリカリに焼かれたパン生地の香りが周囲に漂いだす。
「う、う、うわあ」
誰かが声をあげた。
「く、食い物だ……!」
「食い物だあっ!」
「焼きたてじゃねえか! チーズがとろけてやがる!」
「なんていい匂いの燻製肉だ! これでもかってくらい載ってるぜ!」
彼らは思わず、ピザに手を伸ばしていた。
それはちょうど、一枚が八つのピースになるようにカットされており……。
手に取って持ち上げられると、とろけたチーズが糸を引いた。
垂れ下がるそれが落ちる前に、兵士はつるっとすすった。
「うほおっ」
口中を襲うのは、濃厚で熱いチーズの感触と、芳香。
堪らず、生地に齧り付いた。
下あごが捉えたパン生地は表面はカリッとし、歯が通ればふんわりと柔らかい。さらに、中にまでチーズが練りこまれているようで、噛めば噛むほど、小麦とチーズの味わいがあふれ出してくる。
「あっ、あっ、あっ、とまらねえっ」
夢中になって口に運ぶ。
アクセントとして乗せられたピマの実は、ともすれば単調になるチーズの味わいに変化をもたらす。
そして登場するのが、香辛料で味付けされた大量の燻製肉の輪切り。
胡椒の香りが鼻腔を直撃した。
食欲を呼ぶ、暴力的な香りだ。
かみ締めると、肉の旨みが唾液の中に溢れ出す。
さらに、チーズ生地の奥に隠れていたのは……。
「これっ、腸詰めじゃねえか……! うわあ、なんて贅沢に肉を使ってるんだよ……!」
「待てよ、こっちはなんか四角く固まった挽き肉が! うほおー、口の中でほぐれて、肉汁が……!」
あちこちで歓声があがる。
彼らはたちまちの内に、ピザを平らげていた。
誰もが、もう一切れ、と手を伸ばす。
「あ、だけど、王都の奴らに……」
誰かがふと呟き、皆、我に返った。
その時だ。
「ふむ、ちょうど29分。間に合わせましたよ」
地平線の彼方から、無数の砂煙が上がる。
白い車体が次々に姿を現す。
その荷台に、王国にとっての希望を積んで。
やがて、戦意を回復させた王国は篭城戦を耐え抜き、やがてやって来た他国の援軍と共に魔族を追い返すことに成功する。
これが、人間対魔族の、長きに渡る戦いの決着となる切欠であった。
王国の民は、この原動力となったある料理を称え、国家の名とすることにした。
かくして、ピザ王国の反撃が始まった。