偽物家族 5
母の声がする。母に詰め寄った兄が、夕飯の支度途中で、まな板の上に無防備に置かれていた包丁を奪い、母に向けた。そこにいる全員が恐怖で引きつった顔をしている。
父は母を助けようと座っていた椅子から身を飲み出し、大声で兄の名を呼んだ。兄はその声にびっくりして、振り向きざまに包丁を父に向ける。包丁の刃はピースとピースが上手く合わさったかのように、父の首に刺さった。兄がその刺さった感触や、人を刺してしまった恐怖から、咄嗟にその包丁を抜く。
一瞬にして、滝のように赤が流される。父はよれよれと身を起こし、疲れたかのようにまた椅子に座って、テーブルに頭を突っ伏させた。
兄は暫くその光景を子うさぎのように見つめ、それから笑った。
キッチンの戸棚にへたり込んだ声も出ない母に向けられた兄の目は、アリの行列で遊ぶ無知な子供のような眼差しだった。
アリを踏みつけるように、母の首に包丁が刺さる。何度も、何度も。
母の呼吸が止まる。最後に包丁を抜いた時の反動で、母の体は床に倒れた。開いたままの瞳はくすんでいる。
その目で、ずっと俺を見ている。
兄がこちらを見て笑った。そのまま口を開いて、俺に向かってつぶやく。
――…。
「夕飯」
「んあっ!?」
目の前の兄が、思った事よりもその状況に似付かない単語を並べて、俺はびっくりして目を見開いた。
赤茶の髪色をした男がいた。何だか心配するような眼差しでこちらを覗き見ている。目の前にいるのは明らかに兄では無い。
俺は不安定なこの状況を確認するために脳みそをフル回転させた。
電気の付けられた部屋は、つい先ほど俺に当てられた新しい部屋だ。荷物の整理もほぼ終わっていて、最初ほど殺風景には見えない。
窓の外はもう既に日を落としていて、街灯が灯っている。
最後に見た景色とは完全に違っていて、漫画のストーリーを気づかずに2.3話飛ばして読んでいた時の心地悪さを覚える。
どうやら俺は、今目の前にいる男が部屋を出て行く時に呟いた言葉の意味を探って、そのまま眠ってしまっていたようだ。
「疲れてんのか? 飯食える?」
「……ちょっと待ってくれ。今、寝惚けてる」
俺がそう言うと、凛は、なんだそれと笑いながら、部屋の窓のカーテンを閉め、勉強机の椅子に腰掛けた。
「俺は何か、その。寝言とか言ってたか?」
「あぁ、そいえば言ってたな」
今まで見ていた映像が頭の中で鮮明に映し出される。その映像はミュートになっていて登場人物が発する言葉は口パクだが、俺にはその全ての言葉が一言一句違わずアフレコできた。
こんなもの、ただの夢だと分かっている。
何度も同じものを見ていた。最初は本当に俺が見た光景の夢。でも段々と、俺が見たことのない光景の夢を見るようになっていった。両親が殺されるリアルタイムの夢だ。
それが本当なのかは分からない。ただ、本当でも嘘でも、それを見て起きた時のダルさや遣る瀬無さは、他のどんな夢を見たって群を抜いていた。働く脳みそでいろいろ考えて、そうして心が真っ黒になっていく感覚がして死にたくなった。
「……なんて言ってた?」
無意味な事を聞いたと思った。
別に自分から聞くことではない。返ってくるのはどんな言葉でも自分にとっては羞恥心の塊だ。
だけど、聞かずにはいられなかった。
まだ性懲りも無く両親を呼んでいたのなら、俺はまだ家族の死を受け入れられていないという事になる。そうであれば、日常生活では更に気を引き締めるべきだと考えていた。
失ったものはもう自分の手には帰らないと自覚しなければ…。
「え、寝言聞くの? これは超恥ずかしいぜ? 本当に聞く?」
「聞くから早く言ってくれ」
少々焦がれるようなアクセントを付け加えると、凛はうぷぷとへんてこな笑いを起こしてニヤリと笑った。何だその昔の漫画に良くありそうな笑い方は。
「今日の飯はなんだ? ってさ」
「……へ?」
「7時になっても降りてこねーから、俺が飯だぞーって言いながら部屋に入ったらそう聞かれた」
時計の針は7時を2、3分だけ回っている。
「ほんとか?」
「こんな地味な嘘誰が吐くんだよ?」
「そ…だな、……そうか」
俺は頷きながら、この男は嘘つきだと心の底から思った。
「それで? 飯は食えんのか」
食べられないなら無理するなと、そんな声色だった。俺は自分の胃袋と相談して、ベッドから起き上がった。
「食べる。今日の飯はなんだ?」
「今日は油地獄」
「……なんだって??」
*
「んじゃ、まあとりあえず。改めて自己紹介しようか。俺は早瀬瀧。この家のお父さんだ」
テーブルに左右3人ずつ面と向かいながら座る。そこから漏れてしまった伯父は、それでも一家の大黒柱の如くテーブルの端にどかりと勇ましく一人座りながら、俺の目を見てそう言った。
俺以外の他の5人はそれに耳を傾けながらも、テーブルの真ん中に置かれた、大皿の上にある大量のコロッケや唐揚げを取り皿に盛り頬張っている。油地獄とはこの事らしい。
揚げ物は各自自由なバイキング形式だが、サラダの皿はそれぞれ皆の前に置いてある事が少しだけおかしかった。
大方、サラダもバイキング形式にしていたが取って食べない奴が数人いたんだろう。特にチビ2人と伯父1人だ。
「時計回りで行こうか」
伯父はそう言って、俺の目の前にいる中学生くらいの女の子に目を向けた。
「長女の桜沢栞菜。中学2年生。その隣が次女の奥井紫都。小学2年生」
長女の栞菜が、その説明と一緒に俺の目を見る。黒の髪の毛は肩に掛かるほど伸びていて、毛先が内側に軽くくるんと丸まっている。おっとりとした顔つきだが、その顔は無表情で、咀嚼をしながら何も言わない。何だかほんの少しだけ警戒心を持たれたている感じがして、普通の家族のように振る舞うには少し時間が掛かりそうだ。向かって左頬にある小さな泣きぼくろが、内にある気の強さを象徴しているような気がした。
「紫都の隣が長男の間宮凛太郎。っと、基治が来たから次男だったね。凛の目の前に座ってるのが三男の緒方誠。中学1年生。隣が四男の緒方栄。2人は血が繋がってる本当の兄弟。それと、皆。彼が早瀬基治。俺の甥で、凛と同い年の長男。今日からこの家族の一員だ!」
いままで俺に向けてされていた自己紹介は、最後に他向けての自己紹介となった。
前や横からよろしく、とか、醤油取って、とかいう言葉に一々答えながら、俺は止まっていた箸を動かした。初日の夕食。ホワイトボードの件と同様に、一応は全員に家族として迎えられていた事に、俺は密かに心の中でホッとしていた。
全員がご飯を食べ終えたのは、それから30分後の事。時刻は7時半を回っていて、それから皆が綺麗に平らげた後の食器を、凛が洗い、その手伝いを栞菜がしていた。俺は部屋に戻ろうかどうか迷ったが、そのまま居間でテレビを見ていた。部屋に案内された時に、重要な家族会議があると言っていたのを思い出したからだ。
俺が思った通り、自分の部屋に戻る人間は誰1人おらず、凛と栞菜以外は俺同様テレビを見ながら寛いでいる。後ろからちょくちょく栞菜の視線が刺さるのは気のせいだろうか。
「終わったぞー。お前らこっち来い」
皿洗いを終えた凛が、寛いでいた連中にそう言う。普段通り、何て言う感じで、伯父や皆が何の迷いもなく先程の食卓へ向かったので、俺もそれに付いて夕飯を食べる時に自分が座っていた席と同じ場所に座った。
席が違っているのは、伯父と凛の2人だけだった。席を交換したように、凛は伯父の座っていたところへどかりと座る。
凛の座るテーブルの上には、メモ用紙とボールペン。それと、大きなゴシック体で「特売」と書かれたスーパーのチラシ。
そのチラシを広げた凛は、
「じゃあ会議始めんぞ。食べたい物言ってけ。ちなみに明日の特売は魚介類が安い」
と言った。
どうやら凛が言っていた重大な家族会議の議題とは、夕飯のメニュー決めだったようだ。そしてその議長は、皆の視線が等しく集まるテーブルの端ということに気付いた。
凛の言葉と同時に、手を挙げたのは四男の栄。
「はい、栄」
「俺ちらし寿司食べたい! あと唐揚げ」
「唐揚げは今日食っただろ」
「私はミートスパ食べたい」
次に手を挙げたのは長女の栞菜だった。
「あ、いいな。俺も食べたい」
同意する凛の言葉に、栞菜は穏やかな眼差しで笑った。何だかその周りはキラキラと光っていて、錯覚だと分かっていても眩しい。色鮮やかなそのピンク色の空気に、栞菜が凛に恋をしているのだと気が付いた。凛が気付いているのかどうかは分からない。
凛しか見ていない栞菜を観察していると、俺の視線に気付いたのか、ギロリとこちらを睨み挙げてきた。その温度差に少しだけショックを受ける。
凛の事が好きなのは分かったが、何故俺に警戒心をむき出しにするのかが謎だ。
「俺はホッケがいい。後かぼちゃの煮付けと冷奴とほうれん草のお浸し」
長女に続いたのが、三男の誠。天真爛漫な栄とは違って、冷静で穏やかな性格だなと感じた。
「毎度思うが、お前の好みは健康的でありがたいな。しかも簡単だし。遠慮とかしてねーんだよな? いっつも心配になるんだこれが」
「凛は分かってるだろ、俺の好み。食べたい物言ってるだけだよ」
年齢の割に年寄りのような好みだ。
「そだよな。わかってるって。今度の試合ん時は弁当の中身幕の内みたいにしてやっからな!」
何を感動したのか、涙腺を緩ませながら、凛は誠に親指を突き出した。なんだその反応…と若干呆れていると、俺の横にいた栄が、「兄ちゃん、サッカー部なんだよ」と教えてくれた。
「……あぁ、それで弁当…」
自分が出会ったサッカー部の人達にはあまりいなかった、穏やかな口調だった。しかし、そう言われてみれば、外で汗を流して日に焼けた浅黒い肌色をしている。
俺が納得していると、凛は目尻に溜まった涙を拭いながら話を続けた。
「紫都と瀧と基治は何食べたいんだ?」
それぞれの食べたい物をメモしていたボールペンは、真上の紙の腹をトントンと叩く。
「デミグラスハンバーグ!」
「俺は鯖の味噌煮が食べたいな。あと茄子の煮浸し」
「おっけー。んじゃ最後に基治」
「俺はー……」
そこで止まってしまった。本物の家族と暮らしていた時は、自分が食べたい物は鍋や焼肉など普段食べなくて、少々値が張るものばかりだった。普通のご飯は母さんが作ってくれたものを食べていたので、それについて助言した事は一度も無い。
でも、この偽物家族の一員になってしまった今、「食べたいものはない」「なんでもいい」というわけにも行かない。
今出たリクエストであまり被らない料理はなんだろう……。
食べたいものではなく、そう考えることで、俺は「なんでもいい」と言う答えを回避した。
「餃子……と、エビチリ」
「おっしおし。オッケーだ」
凛のお気に召したメニューを言えて、俺はあからさまにホッとした。
その横で、凛は更にペンを走らせる。
「これで全部だな」
6日分のご飯が決まった凛は、そう言って、右手でペンをくるりと回した。その言葉に不思議に思って、俺はその思ったことを凛に聞いてみた。
「? お前の食べたいものはもう書いたのか?」
「は? 俺?」
まさか聞かれるとは思ってなかったぜ、みたいな。なんだその変な質問、みたいな。そんな表情だった。そしてそれから、あぁ、と、一息吐きながらチラシに目を通す。
「特売は一週間に一度で、その度に一週間分のメニューを決めて買い出しに行くんだ。ちょうど一週間で冷蔵庫をリセット出来るように、最終日は冷蔵庫詰め合わせバイキングなんだよ。そん時は適当に作るからな。それと、俺は作る側だから、食べたい物ってそんなに無いんだよ。たからお前がいない時は、誰かが2日分の料理を提案してくれてたんだ」
俺は頑張ってメニューを見つけたのに何か卑怯じゃないか? と思いつつも、それは言わないでおいた。家の中での食に関しては、作る人間が王様なのだから。それと、目の前からひしひしと感じる「いらねーこと言ってんじゃねーぞ」と言っているような酷い睨みつけを感じたので。
「よし。じゃあご飯1週間分の会議は終了、次はー……基治。お前だっ」
「ん?」
栞菜の視線について俺なりに深く考えていると、凛に俺の名前を呼ばれた。この状況で名を呼ばれた事が不思議で、俺は目を見開いて凛を見る。
「今からお前がこの家でするべき役割を決める」
「や、くわり……」
「そう。俺が飯を作る役割がある通り、みんな役割があるんだ。栞菜は飯作る手伝いをしてくれて、俺がどうしても作れない時には代わりに作ってくれる。誠はトイレ掃除。瀧と栄と紫都は風呂掃除。お前もここにいる限りは、ちゃんとやってもらわなきゃいけない」
そう言われて、俺は以前の家での生活を思い出していた。突発的なあれとってこれ手伝ってには、渋々答えてやっていた気がする。ただ、頻繁にやっていたのは夜、コンビニに行くついでのおつかいくらいだ。
他の家庭の子供のことは知らないが、何だかこの家の連中を見ていると、今までの俺が情けなく思えてくる。俺は兄と等しく、家の中では無能だったのかも知れない。
「役割を与えるなら、凛が請け負ってる事をやらせるべきよ」
栞菜がそう言って凛を見た。
「凛の役割はご飯を作ることだけど、実質家事炊事全般をやってるのは凛じゃない」
「俺は別にやる事ないからやってただけなんだけど……それに、それだってお前らが良く手伝ってくれてるじゃん」
洗濯物とか、掃除機かけとか?
「俺の役割は飯作ること。あとは皆でやる、言えば共同作業みたいなもんじゃないのか?」
「私が言いたいのは、その共同作業があまりにも凛に偏ってるって事! この人も凛と同い年なら、その作業の2、3個を任せるべきだと思う! それぐらい出来るわよ」
少々耳が痛くなったが、栞菜の言い分は正しい。
あぁ、俺は何でもするぞ。と、つい口を突いて出そうになって、咄嗟に唇を結んだ。いままで何もしていなかった自分が、何でも出来るわけがない。洗濯機の回し方くらいはわかるけど、母がいつもやっていた色物分けなんて出来ないし、そもそも自分はそこまで小回りの効く脳みそや、器用な手先を持っているわけではない。
掃除機かけ一つとっても雑だし、荒い。
そんな俺だから、何でもすると自信たっぷりに言うことは出来なかった。ただ、言われた事ならばどんな事だって頑張ってやろうと言う気持ちはある。
それを、どう表現して言葉にすれば良いか分からなかった。
何も言わない俺に対し、栞菜は小さく舌打ちして頬杖をつき、顔を背ける。それを見た凛は、バツが悪そうに頭を掻く。
「あー、じゃあ。いくつかやってもらおう、かな?」
「……」
一体どんな難しい役割を与えられるのかと、俺は凛の顔を真面目に見つめた。
「ゴミ捨てと、買い物行った時の荷物持ち」
椅子から転げ落ちそうになったのは、俺と栞菜の2人だった。すぐに栞菜が口出しをする。
「何それ!? もっと何かあるでしょ? 荷物持ちさせるくらいなら買い物自体やらせれば良いじゃない!」
栞菜が言ったことと俺が思ったことは、大体同じだった。
「それをして、もし指示通りの物を買ってこなかったら、俺の性格上、『なんでこんな事もちゃんと出来ないんだよ』って言っちゃうだろ。それを言うくらいなら自分で行くよ」
「じゃあせめて――…っ!」
まだまだ言ってやろう、と吠えようとした栞菜を制したのは、伯父だった。
「栞菜。凛にも思うところがあるんだろう。栞菜が、凛に役割が偏り過ぎてると思うなら、それを誰かに任せるのは、凛の役目だ。それは俺たちが口を挟むべき事じゃない。凛がいつかしんどいと言ったら、その時はまた皆で決めよう」
ね?
伯父の柔らかい笑みを見て、栞菜の喉からぐっ、と音が出る。
凛の考えを尊重しようと言う意味を含んだ伯父の言葉に、栞菜も否定出来なかったのだろう。
「そうだな、その時は頼むよ」
「……分かったっ!」
「基治もいいよな?」
「大丈夫」
「よし! じゃあ家族会議はこれで終了!」
凛が手をパンパンと叩いて立ち上がった。メモとペンを持って、どうやら自分の部屋に戻るようだった。おそらく買うものリストでも作成するのだろう。
俺は、居間を出て行く凛の背中を目で追った。不思議な男だと思う。
今の俺は、この家には必要のない人間だろう。ただ、凛がいなければ、この家は成り立たないのだ。凛は18になれば出て行かなければならないと言っていたが、凛がいなくなった時、この家はどうなってしまうんだろうか。
たった数時間しか過ごしていない俺ですら、先の未来が心配になってしまう。それ程この家には凛が必要だと気付いてしまって、俺は心底、凛が羨ましいと思った。
凛がいなくなって、居間の扉が閉まった。
他の連中もテレビを見に戻ったり、冷蔵庫からお茶を取り出したりしている。
俺もじゃあ部屋に戻ろうか、と立ち上がると、服の裾を軽く引っ張られた。視線を追うと、鋭い睨みを効かした栞菜。
「ちょっと来なさいよ」
栞菜の顎がくいっと動く。扉の先を示していた。
それに頷いたのを確認して、栞菜は凛に続いて扉を開く。伯父は、俺と栞菜のやり取りをソファの上から見ていたが、何も言わないので、俺はただ黙って栞菜の背中について行った。
栞菜の歩みが止まったのは、風呂の脱衣場。
「扉、閉めて」
素直に扉を閉める。
「あんた、余り凛に干渉しないでよ」
その一言に、目が点になった。
どうしてかこの家で、ただ栞菜にだけ睨まれる不思議は感じていた。その理由は、ついて来ればわかると思っていたが、あまりにも予想の斜めを行く言葉に、ただアホな顔をして、は? と聞き返した。
「凛に、この家に来るまでの経緯を聞いたんでしょう?」
「あぁ、それは聞いた」
「もう聞かないで。ここでその話は禁句なの。凛が困ってたわ」
栞菜の言う通り、あの時の凛は確かに言うべきか言わないべきか、困った顔をしていた。その結果、俺はそれについて明確な答えは貰えなかった。
「禁句って、なんでだ? あの時凛は、友達を例に出して、顔を見てくれない程同情されたと言ってた。……ただ、お前らとその友達は違うんじゃないのか」
皆違いはあれど、ここにたどり着いた経緯の持ち主なんだから。俺も同じだ。
「ええ、違うわ。私は凛にそれを聞いた時に、安っぽい同情なんかしなかった」
どうやら、栞菜は凛の事情について知っているようだった。
「ただ、次元が違うのよ」
「……次元」
「凛が過去に味わった物は、私たちが何年一緒に過ごしても埋めきれない程深くて黒いの。だから、下手に思い出させないで。凛の過去に干渉しないで」
ここでは凛の過去が禁句だと言う意味がその言葉で、無駄に思い出させない為だと言う事が何となく分かった。
だけど、どうしても腑に落ちない。
凛は、次聞きたくなったら話してやるから聞けと自分で言った。それを何故、栞菜が止めるのだろう。思い出す思い出さないはそれこそ、個人の自由だ。他人が決める事じゃない。
「その禁句っての。皆で決めた事なのか?」
「何でもかんでも話し合って決めるわけじゃないわ」
自分一人で決めたのだろう。
「じゃあ、俺は、聞きたくなったら聞くよ」
「あんた私の話し聞いてた?」
「聞いてた。で、俺が決めた。凛は自分の口で、俺に聞いても良いと言ったんだ。本人がそう言ってるのに、どうして禁句にする必要がある」
「それはっ……」
「ん? …あぁ、凛の事が好きだからか」
すまんすまんと、冗談めかしく続ける。
栞菜は鬼のような形相で、顔を赤らめた。赤鬼だ。
自分が先程から感じていたことを明白にする為に、浅すぎるカマを掛けたつもりだが、どうやら図星だったようだ。
「あんた、大っ嫌いっ!!」
耳の奥がビリビリとなる程では無いものの、それなりに大きな声でそう言って、栞菜は脱衣場から出て行ってしまった。2階の部屋の中までは聞こえていないと思うが、居間には確実に聞こえていただろう。
何だか悪い気もしたが、ここで謝ればもっと嫌いになるんだろうから、今度また、折をつけて謝ることにする。
栞菜がいなくなって数秒後。
いる意味のなくなった脱衣場から出ると、ちょうど居間から出て来た誠と鉢合わせした。
誠はただ「大変だね」と、苦笑いで言った。