偽物家族 4
俺はその男と、しばらく見つめ合っていた。
濃い茶色に少しだけ赤が混じった色の髪の毛に、ボタンが全開の黒い学ラン。中には真っ白なパーカーを着ていて、肩に提げているスクールバッグは何故かペッタンコ。何だか良くも悪くも真面目そうには見えない男が、居間の扉に手を掛けたまま固まっている。
「おかえ凛っ。学校は?」
俺の近くで伯父がそう言う。この男がどうやら噂の凛らしい。
「イイ加減そのギャグやめろよ。……つうか、そうだよ学校! 俺まだ授業あんのにさぁ。また校内放送で呼び出しかかって、栄と紫都が学校来てんだよ。放置しとくわけには行かねぇし、一緒に帰ってきた」
俺の精勤これでオジャンだ。
到底精勤賞を狙ってるつもりも無いような声で言いながら、凛は伯父の座る椅子の2つ隣の椅子にどかりと腰を下ろした。
「それより、こいつ?」
「こいつって……。まぁ、そうだよ、この子が基治」
いきなりこいつと呼ばれるのも腹が立つが、この子と呼ばれる年でも無い。言葉を返そうにも中々口から出てこないので、俺は結局黙った。きっと俺が言う前に、伯父が俺を紹介してくれるだろう。
そんな思惑通りに、伯父はぺらぺらと口を動かす。
「早瀬基治君。俺の甥。今日からこの家族の一員だ。凛よりも誕生日が早いから、今日から凛のお兄ちゃん!」
「ふーん」
お兄ちゃんとか弟とかの家族構成には何の興味も無いのか、適当に返事を返して、凛は頬杖を付きながらまじまじと俺を見た。
俺の心中は長男の座に興味が無くて良かったと思う気持ちと、何だか態度の悪い奴。と言う感じ。
「初めまして。俺、間宮凛太郎。よろしくな」
簡潔な自己紹介をして、凛はニカリと笑った。
その笑顔は何だか伯父にそっくり。態度は悪いが別段悪い奴でも無さそうだ。
「……よろしく」
いきなりフレンドリーにするのも何だかなと思ったので、俺はとりあえず真顔で返した。
そうしていると、階段をドタドタと降りてくる音が聞こえる。
「プリンプリン!」
「プリン!」
幼い男女の声だ。プリンの単語のみで見事に音楽を奏でている。しかし、まだ音域が少ないのか、それはすっとんきょんな物にしか聞こえない。
「凛、プリン!」
「先に手ぇ洗ってうがいしろってば。そんでプリン食べる前にこっちに座ろうな。自己紹介だ」
「ともはる!?」
「ともはるだ!!」
「『もとはる』だよ。人の名前間違えんな」
「凛だって昨日まで間違えてた癖にー」
「ぐっ…な!? 良っいんだよ俺はっ!」
幼い男女の盛大なボケを冷静なツッコミで訂正しながらも、自らの失敗を突っ込まれて、凛は目を泳がせた。
とりあえず逆ギレしてその場は終わらせたものの、凛は俺の顔を見ずにコホンと咳払いをする。手洗いとうがいを終えた2人は、自分たちには少し高いだろう椅子に器用に腰掛けた。凛の左右隣の椅子。
「緒方栄! 小学3年生です」
「奥井紫都です。小学2年生です」
「うっし。昨日のリハ通りちゃんと自己紹介出来たな。プリン持ってきてやっから待ってろー」
リハーサルなんてしてたのか。
栄と言うらしい男の子は、椅子にぶら下がった足をバタバタさせながらプリンプリンとまた連呼を開始し、紫都と言う女の子は可愛らしく両手で頬杖をつきながらキッチンに向かった凛を眺めている。どうやらこの2人は凛の事が大層好きらしい。まぁ、子供なんてお菓子をくれる人間は大抵好きだろう。
「滝と基治も食べるだろ? 腹一杯?」
「いや、食べるよ。基治は?」
「食べたい」
「おっけーちょっと待ってろ」
凛は本当にこの家で炊事担当をしているらしく、初めて見る光景だが、キッチンに立つ姿がそこにしっくり馴染んでいると何となく思った。キッチンの端に掛かっている黒と白のエプロンを体に着けて、そそくさと冷蔵庫に顔を覗かせる。
それを黙っていると、栄の声が聞こえた。
「ねーねー、基治。学校はないの?」
「学校?」
「うん。学校。基治は行かなくて良い人なの?」
「いや、明日編入試験があるから……」
「へんにゅう? なにそれ。漢字のうにょうにょしてる蛇の事?」
なんだそれは。
「栄、それはしんにょうな。編入ってのは新しい学校に入る事を言うんだ。だから編入試験ってのは、新しい学校に入る為のテスト」
返答に困った俺を見かねて、伯父が代わりに説明する。
なるほど、栄の思う事は何となく分かった。しかしそれを蛇と言ってしまうあたり、正確な画数については知っていなさそうだ。
そういえば入院中に編入試験をする事は聞いていたのだが、自分がどこの高校に編入するのかは分からなかった。高校の名前も聞いたが、見知らぬ街の高校については何も知らない。
「あの、……そういえばどこの高校に…?」
「凛と同じ高校だよ。ここから徒歩15分くらいにある市立高校。こないだまで受験勉強していた訳だし、入院中も編入試験用に勉強してたんだろ? 余裕で受かるから大丈夫だよ」
「はぁ……」
別に俺は、編入試験においての心配はあまりしていなかった。元々勉強は平均並には出来る方だったし、高校受験でそれなりの偏差値がある高校に受かっていたから。
入れる入れないの心配よりも、俺は高校の授業に付いていけるのかどうかの心配をずっとしていた。なんせ入学式が終わってから1ヶ月半は経っている。
同じ学年の凛に教えてもらおうと先程まで考えていたのだが、目の前に現れた凛は勉強には不真面目な感じが拭えない。
「俺、明日は朝から大事な会議があるから、悪いんだけど一緒に行くことは出来ないんだ。凛と一緒に学校に行ってもらっても良いかな? 一応学校に電話はしておくから」
「分かった」
「凛も良いよね?」
「良いぞー」
キッチンからそんな声がする。伯父の言葉に頷いた凛は、お盆に人数分のプリンを載せて、テーブルまで持ってきた。
栄と紫都は帰ってきて1番のテンションでそれを目の前に迎え入れた。プリンには、生クリームと、さくらんぼ、みかんや桃などのフルーツで飾り付けされている。
何だかお店の中にいる気分だった。
「プリンは銀さんが作ったやつで、クリームは前にホイップして冷凍してあったやつ。果物は値引きされてた缶詰だ」
俺の中の夢を一瞬にして打ち砕くような説明。
一口食べてみれば、確かに生クリームも家で作るような味だし、果物も長らく甘い甘いシロップに浸かっていたような味だ。
しかし、このプリンだけはお店の物のように美味しい。
「固めのプリンって、久々に食べた気がする……」
俺がそうふと呟くと、生クリームを口にべったり付けた栄にタオルを渡しながら、凛が俺を見て笑う。
「俺の好み何だよ、それ。とろとろしてるプリンって何か受け付けなくてさ。銀さんとそう言う話ししたらこれ作ってくれて。凄く美味しいだろっ」
嬉しいのか語尾が少しだけ大きくなっている。
「美味い」
「あぁ、銀さんってのは俺が休みの日にバイトしてる惣菜屋の店長な。残り物くれたり、レシピ教えてくれたり。良い人だぜ。今度会わせてやるよ。……そうだなー。明日色々回ろうぜ。紹介したいとこがたくさんあるから」
そう言って、自分も嬉々とプリンを頬張る。
「……おぅ」
俺はそれに短く頷いて、またプリンを一口食べた。無意識なのか、その顔は自然と笑顔が綻ぶ。
凛と言う男は、見た目程生意気な人間では無いらしい事がそれで伺えた。良く笑うし、良く喋る。そのフレンドリーっぽさは何だかやっぱり伯父に似ている。
苗字も違うし顔も似ていないから、血縁関係は無いだろうに、どうしてだろう。やっぱり長い事一緒に暮らしていれば似てくるのも当たり前の事なんだろうか。
「うっしごちそうさま! あー、美味かった。これまた作ってくれねーかなー」
「俺も食べたい!」
「紫都もー」
色んな事を考えつつも、プリンを口へと運び、俺も食べ終えた時だった。凛は既に空になった皆の皿をお盆に戻し、それをキッチンに持って行った。皿に水を流すだけで洗わずに、すぐにこちらへ戻ってくる。
「俺ちょっと、桃さんのとこ行ってくる。昨日、野菜くれるって言ってたから」
「あぁ、それは俺が行くよ。いつも栄と紫都を預かってもらってるから、お礼言わなきゃな」
「そう?」
「うん。凛は基治を部屋に案内してくれる?」
「まだなのか。分かった。行くぞ基治」
銀さんに続き、またしても新しい登場人物が増えた。それが誰か聞く前に、凛が顎をくいっと居間の扉に向ける。伯父が椅子から立ち上がったので、俺も一緒に立ち上がり、置きっ放しだった荷物を持って先を行く凛の背中を追った。
どうやら伯父以外の部屋は2階にあるらしく、それは俺も例外では無かったようだ。
2階に上がると、左右4つずつの扉と、1番奥にもう一つ扉があった。
右手前の部屋には、平仮名で「かんな・しずのへや」とあり、右奥には「まこと・さかえのへや」とある。名前からして、女子部屋と男子部屋に分かれているようだ。
どちらも2人部屋と言う事は、俺もこれから凛と2人部屋なんだろうか? と考えていると、凛が左奥側の扉を開けた。
「ここがお前の部屋な」
部屋を見回すと、勉強机とベッドが1つずつ置いてある。ラックもあるが、何も置いておらず、伯父の部屋よりも殺風景だ。
「お前も俺も1人部屋。俺の部屋はお前の隣な。こっちの奥の部屋は物置部屋」
俺の考えていた事を読み取るように、そう言われた。隣の部屋を見てみると、ひらがなで「りんたろうのへや」と書かれてあった。
本当に1人部屋らしい。
「なんで俺とお前だけ1人部屋なんだ?」
「? なんでって言われてもなぁ……」
この家は民主制で特別扱いも何も無いと思っていたのだが。兄弟の上2人が1人部屋何て明らかに特別扱いでは無いだろうか。
質問に迷った凛は、壁に背を付いてうーん? と腕を組んだ。それから思いついたように口を開く。
「どうせ他のやつが1人部屋になる時には、俺達はいないから別に良いんじゃねーの」
「……いない?」
「ここ、家族みたいに暮らしてるけど、施設だからな。高校卒業したら出てかなきゃいけねーだろ」
(そうだった……)
自分でもそんな根本的な事分かっていた筈なのに、頭では何か勘違いしていたようだ。
多分、ここが普通と変わらぬ家の外観で、家の中も普通の家庭と変わったところが特に無いからだろう。先程も、皆兄弟のように話していたが、皆血の繋がりの無い赤の他人なのだ。
属に言う施設と変わらない。
18歳になれば出て行かなければならない。当たり前の事だ。
「ここに住む子達ってのは、何か理由があって家族がいないだよな……?」
「そうだぜ。お前もだろ?」
「俺の家族が何でいなくなったか、伯父さんから聞いた?」
「聞いてねーよ。そう言う事情ってのは他から聞くもんじゃないだろ。聞きたくなったら本人から直接聞く。言いたく無いなら二度と聞かない。そう言うもんだ。俺がお前について知ってるのは名前と、瀧の甥って事だけだ」
「今俺が、あんたにそう言う事情を聞くってのは、……ルール違反か?」
病院にいる時から気になっていた事だった。俺が、兄が両親を殺して、兄も自殺して家族を失ったのならば、以前から家族のいないこいつらは、どんな風に家族を失ったのか。
家族がいない物同士なら別に聞いても良いだろうとは思っていた。が、一応それは個人のプライバシーなので。
ルール違反か? と聞くと、凛はまたうーん……と呟きながら片眉を下げ、困ったように笑った。
「俺は別に言っても良いんだけどな」
「言っちゃだめだって言われてんのか?」
「そう言うわけじゃ無い。俺は構わないんだが、それを聞いた相手のダメージが凄いらしい」
「?」
「いやな、俺の事情を知ってる友達が1人いるんだが、それ聞いて1週間は顔を見て話してくれなかったんだ。俺の顔見ると物凄い同情心に駆られてヤバかったんだと。ここにいる奴らの事情だって、それくらい同情心に駆られる物だと思うんだけどな」
お前もだろ?
最後にそう言われて、俺の事情を頭の中で思い出して見た。1ヶ月の間、フラッシュバックしたあの光景をずっと見続けて、夢にも何度か出てきて、吐き気は何もしなく、いつしかそれが俺の普通だと思うようになった。
でも、やはりそれを他人に話すと同情される事だけは分かる。親戚はその事情を知って、蔑むような目で俺を見たけれど。
「まぁ、まだ話さない事にする。俺の事を散々知って、今度本当に聞きたくなったら聞けよ。包み隠さず話してやるから。……てかさ、実は俺も基治の事については気になってたんだ。だから、言いたくなったら話してくれよ」
そう言って、凛は俺に背を向ける。部屋から出て行くようだ。
俺は何だか、新しく家族になった相手がどんな顔をして俺を見るのか知りたくて堪らなくなった。親戚のように蔑むのか、友達のように同情するのか。
俺の事情を知って同調し、自分の事情を話そうとするだろうか。
「……凛」
部屋から出て行こうとする凛に、何て声を掛けて良いのか分からず、とりあえず俺は他が呼ぶのと同じように凛と名を呼んだ。
「ん?」
凛は、いきなり名を呼ばれても、違和感なさそうにこちらを振り向く。
「俺の兄ちゃんが親を殺したんだ。その後自分も自殺した。俺も兄ちゃんに刺されたけど、俺だけ生き残った」
話せば、これだけの説明で終わってしまう。何と簡潔な波乱万丈だ。情けない。
突然そんな事を話された凛は、少しだけビックリしたように目を見開いて、それから目を細めて俺を見た。
「そうか」
じっと俺の目を見つめる。黒く、つるんとした目ん玉は、蔑みでも、同情でも何でもない目で俺を見ていた。ただ、何を思っているのかは分からない。「そうか」以外の返答がなく、何だか焦って、凛の顔色を伺った。でも、凛の心の中は分からない。今、何を思って、何を考えて俺の事を見ているんだ。
「なんか、親近感湧くよ」
「……」
「晩飯は7時厳守だから、ちゃんと来いよ。それと、それが終わったら家族会議。今日は議題が重大だから必ず参加しろな」
今度こそ、扉は閉められる。
1人になった部屋では、凛が階段を降りる音が聞こえた。その後に、またやんやとチビ2人の元気な声が微かに聞こえてくる。
静かになった部屋で俺はベッドに腰を下ろした。スプリングが聞いて、思った以上に体が沈む。
(なんだそれ)
俺はそれから、ただ凛の言った言葉の真意を探った。