第1話「すべての始まり」
「んでどうするんだ?」
「どうしましょうかね......」
俺はため息をつくと目の前のプリントに再度目を通した。
200以上の部活がアイウエオ順に並んでいて、それぞれの印字の横に、0.2や0.5といった数字がくっついている。
俺はその中の一つを指さした。
「この......日本文化研究部はどうですかね? 1年で1.2単位ですよ」
「悪い、それも国語の単位には入らねぇわ。これ社会の単位」
「じゃあ、この漢字研究部はーー」
「1年で0.6単位だぞ。ぜんぜん足りん」
俺はうむむと小さく唸り、部活の名前とその横の数字を次々に確認する。
国語関連でなにかないのだろうか、はやく選ばないと勝手に決められてしまう。
目の前で一橋先生がコーラの缶を開けた。
ぷしゅ、という音とともに、冷たい水滴が俺の顔を直撃する。
「あ、悪い。てか私のやつでいいじゃねえか。こっちもはやく家に帰りたいんだよ。察しろ」
俺の顔をまっすぐ見てそう言った一橋先生は、コーラをごくごくと飲みながら、ある部活を指でとんとんと叩いた。
日本語部 0.5
心の中でまじかよおおおおおおと叫びながら、俺はため息をつき、頷いた。
「わかりました......これしかないですもんね。......日本語部にします」
「よし、いいぞ! おいおいそんな恐い顔するな、ちゃんとかわいがってやるから」
だから心配なんだよ......とは言えずに、俺は手渡された入部届に記入を始めた。
名前の欄に一橋 アリオと書く。残念ながらこれが俺の本名だ。
「ショッピングセンターやなあ」
一橋先生がニヤニヤしながらエセ関西弁で言った。
無性に腹が立つが、関わっても面倒なことになるので何も言わずに記入を続ける。
ここらで状況の説明をしたほうがいいだろう。
単刀直入に言うと、俺は父親がアメリカ人で母親が日本人の、いわゆるハーフというやつだ。
小学4年まで日本の学校に通っていた俺は、両親の仕事の都合でアメリカに移住。
そして数年後、母親の熱い要望により日本の高校に通うことに決定。
母親いわく「アメリカの高校は青春って感じがしない。それにあんたには日本のことをもっと知ってほしい」とのこと。
毎週土曜日に日本語学校に通い、ほぼ毎日母親と日本語を喋りまくっていた俺としては、もう十分日本のことを知っていると感じたのだが......。
話はトントン拍子に進み、俺は日本に来ることになった。
ここで問題が出てきた。どこの高校に通うかだ。
日本の高校に通うとなれば、入試を受けなければならない。
しかし俺は小中とアメリカで勉強してきたのだ。今から勉強しても、正直な話、間に合わないだろう。
この時点で俺は日本でいう中学3年の、夏の段階にいた。
そこで思わぬ情報が飛び込んできた。
母親の姉の娘ーーつまり俺の従兄弟が、俺にぴったりの高校で教師をしているというのだ。
その人物こそが、目の前の一橋先生だ。ほどよく日焼けした顔と、ポニーテールが特徴の、なかなかの美人である。
ただし何かとがさつで、今もコーラをがぶがぶと、本当においしそうに飲んでいる
そしてその俺にぴったりの高校ーー龍造寺学院ーーの大きな特徴は、ばりばりの単位制だということだ。
学院には他の学校に見られないようなイスラム研究やキリスト歴史学の授業や本格的な経済学の講義がある。
生徒は好きな授業を選び、その授業のカテゴリーの単位(例えばキリスト歴史学は世界史の単位)を入手する。
各カテゴリーには、卒業までに必要な最低単位数が設定されていて、国語などの重要カテゴリーは必要単位数が6である。
しかし実はこの国語の6単位は、普通に高校に通っているだけでは入手できない。
基本的に国語などの重要科目は1学期で0.333単位もらえ、それが3つで0.999になり、1年で1単位としてカウントされる。
つまり高校3年間、国語を受けても3単位ーー必要単位数の半分しかもらえない。
では生徒たちはどうしているかというと、中学の授業を引き継ぐのだ。
龍造寺学院は他の学校からの単位の引き継ぎを許可している。
つまり単位制の学校から来ていなくても、中学で国語を勉強していれば(日本ではほぼ確実に勉強しているが)その3年分の単位をもらえるということだ。
さて、話が長くなったが、ここで大きな問題が出てきた。
俺はアメリカの中学校で、当たり前だが、日本語の授業なんてとっていない。
向こうで受けていた国語、つまり英語の授業は、龍造寺学院の英語の単位に引き継がれてしまった。
つまりこのままでは3年間国語の授業を受けていても、卒業できないのだ。
そこで俺は残りの国語の3単位を部活動で稼ぐことにした。
学院の部活にはそれぞれのカテゴリーに属した単位が設定されている。
つまり国語関連の部活をしていれば、残りの単位を手に入れることができるのだ。
俺はスマホのホームボタンを押して、今日の日付を確認した。
8月22日。夏休みも終盤である。
アメリカでは夏休みが開けてから、新年度が始まる。
俺は向こうの学校が終わるタイミングで日本に来たので、この学院には高校1年の秋学期から通うことになる。
俺は日付の欄に8/22と記入し、次にその下の欄に日本語部と大きく書いた。
今日はわざわざ一橋先生がぴったりの国語の部活を選んでやると言って、俺を龍造寺学院の教員室に呼び出したのだがーー。
なぜか到着するなり、この日本語部という謎の部活を猛プッシュ。
しかもどうやら一橋先生が顧問だということで、俺は全力で回避しようとしたのだが......。
残念ながらこれしか卒業する方法はないらしい。
部活の名前の横の、単位の欄に0.5と書いた。
つまり1学期に0.5単位がもらえるということである。
2年で国語の必要単位数がゲットできるのだ。
俺は注意事項にさっと目を通し、最後にサインをして入部届を先生に手渡した。
「いやあ。にしてもおもしろいな。アメリカ人が日本語部に入るって......ちょっと笑えてきた」
「いやだから日本国籍ですって。何回言わせるんですか」
「そうだっけ?」
一橋先生がにやにやしながら入部届をファイルに挟んだ。
俺が到着するなりやれアメリカ人やら、ショッピングセンターやら(後者に関しては名前のいじりだが)を連呼しているが、別に俺は見た目が完全に外国人というわけではない。
むしろ母親に似ているので、日本人の要素のほうが強いとは自分では思うのだが、一橋先生からすると完全に外国人にしか見えないらしい。
もしくは嫌がらせで言っているだけだ。......こっちだな、多分。
「にしても日本語部ってなにするんですか? めちゃくちゃ真面目そうなんですけど.....」
「ん、ああ。なんか色々やるんだよ。あんま日本語関係無い」
「......」
俺は今すぐにでもファイルから入部届を引っこ抜いてくしゃくしゃに丸めたくなった。
顧問が一橋先生という時点でかなり怪しんでいたが、その不安が確信に変わり始めていた。
絶対ろくな部活じゃねぇ......。
「安心しなアメリカ人。日本語部は私が顧問でいる限り、この学院で最もエキサイティングでファンタスティックなクラブだ」
「無理に英語使わなくていいですよ! てか日本国籍って言ってるじゃないですか!」
「そうだっけ?」
「そうですよ!! つい1分前に言ったじゃないですか!!」
「覚えてない。さて、じゃあ行こか」
一橋先生が机の上の鞄を手に取り、座ったままの俺の腕を掴んだ。
「はい?」
「いやあ久しぶりに可愛い従兄弟に会えてテンション上がったんだよ。一緒にご飯食べにいこーぜ」
俺はスマホで時間を確認した。
たしかにもうすぐお昼の時間だが......。
「だ、大丈夫です......家にご飯あるんで」
「あ? お前いま一人暮らしだよな?」
「家出る前に飯作ったんです」
「嘘つくなアゴ」
アゴ......?
「お前な、あと2週間もしないうちに、お前は私の担任の生徒になるんだぞ? 今のうちにここらで好感度上げとけ」
「教師と生徒が一緒にご飯食べに行くって問題じゃないですか?」
「お前まだ正式にうちの生徒じゃないから大丈夫」
「嘘でしょ。正式に生徒じゃないなら入部届出せないでしょ」
「うっせーな、もう」
一橋先生が顔を近づけた。
やっぱり美人だ。
悔しいことに、間近で見るとドキドキしてしまう。
「私が行くって言ったら行くんだよ。ラーメン食べてぇ」
「わ、わかりました」
俺がそう言った瞬間、一橋先生はにっと笑って、俺の腕をぐいぐい引っ張って教員室を出た。
早足で歩きながら俺はぼっーーと日本語部について考えていた。
はたしてどういう部活なのだろうか。
名前だけ見ると、日本語をどっぷり研究する真面目そうなイメージが沸いてくるが......。
隣の従兄弟を見て、俺は深く頷いた。
絶対とんでもない部活だ......。