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後編(完結)です

 通されたのは、がらんとした六畳の和室だった。

 用心のため昼間でも雨戸を締め切っているというだけあって、少しかびくさい。それでも冷房がきいているのか、外よりずっと居心地が良かった。

 蛍光灯に照らされた室内は今時珍しい畳敷で、小さな床の間には掛け軸までかけてある。長年英国で暮らしたというアボンビーは日本文化の愛好者なのかもしれない。

 アボンビーは客のために座布団を並べると、卓袱台をはさんで向かい合う形でどかっと腰をおろした。客をもてなす茶の用意はなさそうだ。

「遠いところ、ようこそきてくれたね。アヅミくんは元気かな?」

「はい、相変わらずです。アボンビー先生によろしくお伝えするよう申しておりました」 僕は当り障りのない出まかせを言った。

「二人とも、わざわざワシの話を聞きに出向いてくれたとは嬉しいよ。さっそく名前と級を教えてくれんか?」

「山田ハルキ。三級です」

「山村ジョージ。七級です」

 僕に続いて、ジョーさんも偽名で答える。

 アボンビーは僕らの級を繰り返しつぶやくと、あからさまに僕に向かって話をはじめた。

「君のご両親も意能者かな?」

「はい。父がそうです」

「そうか。アヅミくんから聞いてるかもしれんが、私は以前イギリスで隕石の研究をしていてね。君はホルダーは何のために発生したのだ思う?」

「そうですね、隕石の力としか・・・あまり深く考えたことはありません」

「深く考えたことがない?もっと勉強しなきゃいかんよ。自分の考えがないというのは最も恥ずかしいことだ。もっとも、君は私の講義を聴きにわざわざここまで来たくらいだから向上心はあるということだな」

 ジョーさんを全く無視してアボンビーは話を続ける。超人講の信奉者らしく、級の高い人間にしか興味がないようだ。その失礼な態度に僕は腹が立ったが、少しでも多く情報を得るためには、相手に合わせるしかない。

「一番聞きたいのはシールドの話だろう?アヅミくんがワシの送ったサンプルの効力には驚いたと言っておったが、君も見たかね?あれの成分は空気中にあるテム素を圧縮し、特殊加工したものだ」

「テム素って、この空気中にあるテム素のことですか?」

 うむ、とアボンビーはうなずく。

「テム素なんて、炭素や酸素同様、どこにでもある元素だ。だが隕石落下まで、テム素は地球上には存在しなかったのだよ。しかしいまや全世界に拡散して、空気中に含まれて当然の物質になっている」

「そうなんですか?!」

 僕の驚きに、アボンビーは気を良くしたようだ。

「化学者の大多数は、テム素に無関心だ。窒素と酷似した、これといって特色のない元素だからね。しかし、よく考えてみたまえ。テム素の存在は、いわば元素世界での地球侵略だよ。実は似たような侵略がウイルスでも発見されている」

「全く知りませんでした。すごい発見ですね」

「地球侵略」というファンタジックな言葉が、僕の緊張をわずかにほぐす。

 しかし、目の前の老人は真剣だ。

「あの隕石はただの隕石じゃない」

 そう、白目の濁った老人特有の目をぎょろりとさせる。英国人の父から受け継いだのだろう厳つい大鼻とあいまって、かなりの迫力だ。

「ワシはあの手の隕石が地球に落ちたのは、二百年前が初めてじゃないと考えている。たとえば八百万年前のアフリカ大陸にも落ちたとも思われる。なぜ八百万年前、アフリカ大陸か。それによって人類の進化の断続平衡説が説明できるからだよ」

「断続平衡説?」

 すると蚊帳の外だったジョーさんが口をはさんできた。

「種の進化が少しずつ進むのではなく、環境変化などに対応して爆発的に進むという説です。たとえば人類と猿の共通の祖先から、二足歩行をする猿人の間に存在したろう生物の化石の発見が少ないのは、その説を裏付けていると言われています」

「ふん、まあ初心者向けに言えば彼の言うとおりだ」

 アボンビーがようやくジョーさんを一瞥する。

「へえ」

 僕は感心した。ジョーさんは勇気はないが雑学はある。

「ワシは考えた。その当時もひょっとしたら同じように隕石が落ち、石の光線を浴びたサルどもが一気に人類の祖先まで進化したんじゃないかと。そして、浴びれなかったサルの末裔は哀れにも動物園の見世物になった。これはおそらく、我々と既存の人類の未来図になる」

 僕は息を呑んだ。SFじみた荒唐無稽な科学論と思って聞いていたのが、一気に超人講らしい話になってきたからだ。

 僕はこれまで超人講というものは、「力」しか誇れない狭量な人間で構成された、歪んだプライドの塊のような集団だと思っていた。だから、その集団がこんな進化論めいた思想を抱いていたことに驚いてしまった。

「隕石落下は、人類の新たな進化の切っ掛けになると?」

 アボンビーは力強くうなずく。

「隕石の起こした遺伝子異常は「異常」ではなく「進化」だとワシは確信している」

「しかし、先生の説が正しかったとしても、一般人には容易に受け入れがたいのではないでしょうか?」

「君の言うとおりだ。ワシはこの説を、一般人の中では優秀と見込んだ数名に話したことがある。しかし彼ら全員から反発された」

「もしかして、それは共同研究者だったドナルド博士・・・」

「奴の名前を知っているのか。ワシの知る一般人の中ではずば抜けていたが、一般人の主観から最後まで離れられなかったな・・・ムダなあがきをしているものさ」

 この言葉が、ドナルド博士が全ての研究を闇に葬ろうとした理由を示唆していた。

「ドナルドのような奴だって、実証があれば信じるに違いないのだ。だからワシはアフリカに渡って隕石の痕跡を探した。結局、はっきりした証拠はつかめないまま、資金が途絶えたが・・・君ら組織の力をもってすれば調査の再開も可能じゃないかと希望を持っている」

 老人の信念に満ちた顔。僕はうすら寒くなってきた。

「もし、もし仮説が正しければ、世界はこの先どうなるんでしょうか・・・」

「隕石を落とした者が惑星の侵略を目指しているのか?それとも、侵略などちっぽけな野望を超えた「神」たる存在なのか?わしらには知る術がない。ただ、選ばれた者のみが生き残るのは確かだ」

 選ばれた者。つまりホルダーだ。

「共存の可能性はないとおっしゃるのですか?」

「ないね」

 アボンビーは断言する。

「今やホルダーの存在は世界のパワーバランスを左右しとる」

 彼は言う。二百年前、地球を何度破壊できるかわからんほどの軍備をほこったアメリカも、現在はホルダーの軍事システム進入に戦々恐々とする時代遅れな国になってしまった。科学技術だって、「力」の理論を無視した不条理さを前に、多くの科学者がやる気をなくし衰退していった。

「現在の社会制度も、ハイグレードのホルダーにおもねるために、「力」を持たぬ者が納めた税金を「手当」として我々に渡してる。恩恵の少ない連中は、もちろん反発がある。けれど必要悪と認めざるをえない。猿と人間ほど能力の違いがあるから」 

 一方、その恩恵を当てにして、ホルダーとの間に子を持ちたがる一般人は後を絶たない。ホルダーは増える。社会の負担も増える。

「連中は、まるでカッコウの子を育てる哀れなモズの親のようなものだ。自分の敵になる者を必死で守り増長させているんだからな」

 平然とした顔で、恐ろしいことを述べ立てる。

 僕はぞっとした。悪魔のようなやつだ。小森さんが友人をやめたくなったのも無理もない。 

 けれど、彼の言葉は僕の耳に貼り付いた。一般人に対して、僕がずっと感じつつ心の隅に秘めてきた闇を、言葉にされた気がしたから。・・・認めたくないことだけれど。

「裁きの日までに血を受け入れなかった一般人、血を受けながらも「力」を発現できないホルダー、こうした連中の血は遅かれ速かれ淘汰される運命なんだ。彼らは神に選ばれなかったんだよ」

「裁きの日?」

「ああ。おそらく次世紀には、「力」を持つ者と持たぬ者の間に決別の争いが起きるだろう。そして・・・」

 興に乗っていたアボンビーのお喋りを、突然、聞き慣れぬ声がさえぎった。

「淘汰だって?選ばなかっただって?・・・貴様、もう一度言ってみろ」

 ───うなるような、怒りの籠もる声。

 僕は声の主を捜すため周りを見回した。この力強い声が、まさか隣のジョーさんのものだとは思いもしなかったから。

 ジョーさんの顔つきは明らかに変わっていた。いつものさみしそうな面影は見あたらない。般若のように燃える瞳で目の前の老人を真っ直ぐ射すくめている。

 殺意すら感じる獰猛な表情。彼に一体何が起こったのだろう?

「たとえ自然の流れだとしても、お前なんかに淘汰されてたまるか!何様のつもりだ?コラ!こっちこそ、今すぐお前を淘汰してやるよ」

 火を吐くような早口だ。ふだんの弱弱しく引っ込み思案な彼からは想像もできない、すさまじい憤怒だった。完全に見境がなくなっている。

 だが、アボンビーは彼の変化を鼻で笑う。

「二級のワシを淘汰するって?素手でかかって敵うとでも思っとるのかい?七級の兄ちゃん」

「お前に素手を使ちゃ、手が汚れる」

 そう切り返すと

「ハッ!」とかけ声をあげた。

 すると信じられないことに、たちまち僕たちの目の前に、両腕でも抱え切れないほど巨大な火の玉が現れた。

 七級の彼にこんな操作ができるなんて・・・僕もアボンビーも呆然と息をのんだ。

 火の玉はホルダーの攻撃操作の代表格だ。「力」を気化エネルギーに変換して発火させるので、炎の大きさは能力に比例する。三級の僕はバスケットボールぐらいがせいぜいなんだけど、ジョーさんのはその十倍はありそうだ、

 僕は半信半疑で、火の玉の創造主を見つめた。ぎらぎらした目でアボンビーを見つめる彼に、普段の線の細さは微塵も感じられない。

「燃やしつくす!」

 ジョーさんは、火炎に唾を飛ばす勢いで声を上げた。

 標的アボンビーに向かって、炎の玉はまっしぐらに襲いかかった。

 なんという迫力・・・なんて感心してる場合じゃない!こんなの食らったら、いくら二級のアボンビーだって死んでしまう。ホルダーだって人殺しは重罪だ!!

「ジョーさん!やめてくれ!本当に死んじゃうよ」

「わかってる!」

 ヒステリックにジョーさんが叫ぶ。

「でも、コイツ絶対許さない!」

 それって、わかってるのかーっ?!

 しかし、火の玉は標的に達することができなかった。途方にくれているように、50センチほどの間を開けてアボンビーの周りをぐるぐる飛びまわっている。

 どういうことだろう?

 そうか、これがきっと例のシールドの力だ。

 犯罪の危険がなくなり、僕はほっとした。アボンビーがシールドを持っていて本当に良かった。

 安全とわかったせいか、アボンビーは涼しい顔だ。ジョーさんを顎でしゃくって言う。

「なんだ、彼は検定違反者か」

 僕ははっとした。そう、実力を隠して検定を受けた者は、違反者として罪を問われる。 下の級と偽るのは、上の級と偽るよりはるかに重罪なのだ。

 実際より低い級と偽るなんて、おかしいと思うかもしれない。けれど、アボンビーの言うとおり、超人講事件や社会保障への反発から、ホルダーを嫌悪する気運が一般人の一部にはある。ゆえに上級者として畏怖されるより、一般人に溶け込んで安穏に暮らすことを望むホルダーも珍しくないのだ。

 けれど、警察はそんなことされたら困る。検定を義務付け、全国のホルダーにIDを振り、生年月日からゲノム分析結果まで管理してる一番の目的は治安なのだから。ホラ、今のジョーさんみたいに、上級者がご乱心していきなり暴れだしたりしたら困るでしょ?

 このままでは、ジョーさんは間違いなく拘置所行きだ。

 違反者を雇い入れていた僕の事務所も、認可を取り消される。

 どうしよう・・・。

 シールドに守られたまま、アボンビーは岩塩のようなものを手のひらにのせ、ドラゴンを召還しはじめた。

 どうやら、逃げたほうが得策と考えたらしい。超人講に夢を託したい彼としては、こんなところで捕まるわけにはいかないのだろう。

 ドンッと激しい音とともに、右手のサッシがいきなり全開になった。アボンビーが「力」で開けたのだ。

 アボンビーはドラゴンにまたがり、窓へ向かう。

 このまま、逃がすわけにはいかない!

 僕は素手でアボンビーに飛びかかった。だが、なにやら厚い空気の壁にさえぎられて、どうにも進むことができない。

 ジョーさんもひるまずに攻撃を続ける。しかし、シールドは強力で、ドラゴンは火の玉をするっとすり抜けていく。

 尽力むなしく、アボンビーのドラゴンは颯爽と空へ飛び立った。

 空気の壁が消え、僕達がようやく庭先へ飛び出したとき、すでに奴とドラゴンははるか上空にあった。

「行っちゃったよ・・・」

 僕は呆然と空を見上げた。

「追いかけよう!」

 ジョーさんはこともなげに言う。

 でも、どうやって?僕のドラゴンは一人乗りだし・・・。

 などと考えてる間に、ジョーさんは瞳をぎゅっと閉じ、なにやら唱えはじめた。ひどく集中しているようだ。今度は一体何をやらかす気なんだ?

 突如、僕たちの目の前で、凄まじい竜巻が起こった。身の危険を感じ、思わず地に顔を伏せる。

 空気の流れが鎮まり、おそるおそる顔を上げると、目の前には丸太に似た赤い物体が横たわっていた。鱗に似た表面に近づこうとしたとき、それは突然大きくうねった。

 ドラゴンだ、それも、とてつもなく巨大な・・・。

 呼んだのは、ジョーさん?

 検定七級じゃ「繋ぎ師」に紹介してもらえないだろう?!

 もしかしてジョーさん自身が繋ぎ師?まさか、七級の人間があの組織に入れるはずない・・・なぜだ?

 突如、ドラゴンはジェットコースターが上昇する勢いで空に舞い上がった。

 竹林を無残になぎ倒し、葉を舞い上がらせて空に上っていく姿───伝説の龍そのものだ。僕のドラゴンが原チャリなら、あれは巨大トレーラーだろう。目をこらすと、頭部近くにちょこんと乗ったジョーさんの背中が見える。

 僕は急いで自分のドラゴン───クールを召還した。彼らを追いかけるために。

 赤ドラゴンは凄まじいスピードで宙を突き進んでいく。クールも全力で追っているのだが、彼らとの差は開いていく一方だ。長い全力疾走を命じられ、やがてクールにも疲労の色が見えてきた。このままでは彼らとはぐれてしまうかもしれない。 

「ジョーさん、待って!」

 僕は大声で叫んだ。繰り返し、喉が痛くなるまで。

 けれど彼は全く振り返らない。アボンビー追跡に夢中で、僕の存在などすっかり忘れているようだ。

 そこで僕はコールボールを作ることにした。

「ジョーさん、待って!このままじゃはぐれちゃうよ!」

 という声の振動を、ぎゅっと圧縮して空気の玉にする。

 このコールボールを野球ボールぐらいの大きさにすると、少し乱暴だが、彼の顔面めがけて瞬間移動させた。

 三級の力だと物質の瞬間移動は、これがせいぜいなんだけど。

 通常、コールボールというものはピンポン玉くらい大きさにつくり、ホルダー間の簡易メッセンジャーとして使用される。余談だが、音楽を添付したり、オシャレに着色したりして女子供のホビーアイテムとして使われることも多い。僕がやったみたいに、乱暴に扱われるものじゃないんだけどね。

 まもなく赤ドラゴンが疾風の勢いでこちらに引き返してきた。僕をにらみつけるジョーさんの目は、苛立ちのあまり三角になっている。

「おそい!ハルさんもこっちに乗って!」

 置き去りにされた僕に向かって、謝罪の影もない。さすがにむっとしたが、彼の言う通りにしたほうが合理的なのも確かだ。

 僕は疲れきったクールをなだめると、大好物の角砂糖をいつもより多めにあげて、彼らの世界に解放してやった。

 名残惜しげな人なつこいクール。一方、ジョーさんの赤ドラゴンは、主になついているようには見えない。愛着というより、強い者に服従しているといった印象だ。

 僕が飛び乗るやいなや、赤ドラゴンはシュルシュルと再び上昇を始めた。その荒々しさったら、まるで発射されたロケットのようだ。僕は目をつぶり必死で胴体にしがみついた。昔からジェットコースター系は苦手なんだよー!

 しかし、泣き言は言ってられない。僕は「力」でズボンの腰ベルトを動かして奴の背びれに巻きつけてみた。これがうまいぐあいに安全ベルトの役割をしてくれて、なんとか一息つくことができた。

 先頭のジョーさんに目をやると、信じられないことに彼は余裕で立っている。果たして「力」でバランスを取ってるのだろうか?それとも赤ドラゴンが主に気を使ってやってるのか?

 僕が引き返させたせいで、アボンビーのドラゴンははるか先に行ってしまっている。

 目をこらすと、敵がくるりと振り返ったのが見えた。少しの間、停止してこちらの様子を眺めている。余裕があるのだ。

 ジョーさんの目が、怒りでぎらりと光った。

「ふざけるな!!」

 憑かれた横顔が叫ぶ。

 たのもしい。心からそう思った。

 だが、それもつかの間。彼の声に発奮した赤ドラゴンがますます身体をうねらせて加速しはじめたのだ。ひええええ~!そんなにバシバシ尾を振らないで~!

 ともあれ赤ドラゴンの馬力はたいしたもので、僕たちはあっという間にアボンビーのドラゴンの背中の真後ろまできた。

 常軌を逸したスピードで距離を縮めてきた相手に、まずいと思ったのか、アボンビーはいきなり急降下しはじめた。

 眼下には夕刻を迎え、混雑をはじめた商店街が見える。

 アボンビーのドラゴンは、道路の上空を人々の流れに沿ってゆったり進みはじめた。彼のドラゴンはクールと同じく平凡なサイズなので、こうした光景は街で珍しくない。

 ようやく僕は彼の計算に気づいた。込み合った市街地に、ジョーさんの巨大ドラゴンを進入させたら街を破壊してしまう。街を出るまでは手が出せないのだ。

 万事休す。追うには一旦、郊外に赤ドラゴンを着陸させるしかない。アボンビーに逃走に十分の時間を与えてしまうが、他に方法がない。

「ジョーさん、北東にある休耕地に着陸しよう。そこが一番近い」

「へ?」

 ジョーさんは、ぽかんとした顔で振り返る。

 すでに、ドラゴンは急降下しはじめている。と、いうことは・・・。

「───うそだろ」

 僕は目の前が真っ白になった。

 赤ドラゴンは僕たちを乗せたまま、街中に突っ込んだ。

 犯罪だ。破滅だ。もうおしまいだ!

 ドラゴンは災害そのものだった。尾にぶちあたって電柱が倒れ、洋品屋の屋根をぐしゃりと凹ませる。商店の店先に陳列されていたらしい玉ねぎやら、洗剤やらがグシャグシャ音を立てながら道路に散乱する。舞い立つゴミと砂埃に、四方からあがる悲鳴、ガラスの割れる音・・・。

 街中から突き刺ささってくる人々の恐怖の声に、僕は泣きたくなった。

 ありえない!

 なぜ、この僕が、こんな恐ろしい事件の渦中にいるんだろう?

 一般人には迷惑をかけない。危害を加えない。幼い頃から、僕たちホルダーに叩き込まれてきた常識のはずなのに・・・。

 赤ドラゴンがもたらす被害はそれだけで済まなかった。ジョーさんは、やつを着陸させたのみならず、そのままアボンビーを追わせたのだ。巨大な胴がうねるたび、オモチャのようにひっくり返る車や看板。尾びれで容赦なく破壊される家々。あちこちであがる叫び声。まさに、パニック。特撮映画で怪獣が暴れる場面そのものだ。

 これだけの騒ぎが起こっているのに、張本人のジョーさんときたら、いまだにアボンビーのことしか眼中にない。真正面しか見ていない。

「ジョーさん、ドラゴンを止めて!いくらアボンビーをつかまえたくたって、こんな場所に下ろしていいわけないだろ!おかげで街は滅茶苦茶だ」

 僕が叫ぶと、ジョーさんはいらいらした目を向けた。

「じゃあ上昇させればいいんだろ?」

「上昇なんてもっとダメだよ。こんな大きいのが舞い上がったら台風並の被害が出るよ。とにかく市街地から出ないと」

「ごちゃごちゃうるさいな!とにかく奴をとっちめるのが先だ!後はそれから」

 ジョーさんの身勝手な言葉に、僕の理性の糸がぶつりと切れた。

「なにがうるさいだよ!街を見ろよ!こんな状態にしてどうやって責任取るつもりなんだ!怪我人が出たらどう詫びるつもりだ!」

 僕は、この大馬鹿者に殴りかかった。

「いいかげんにしろ!」

 が、その瞬間けたたましいサイレンの音が耳に飛び込んできた。

「警察だ!!」

 ああ!恐れていたものが来た。

 怒りは一気に冷め、僕はふるえあがった。ジョーさんが市街破壊の現行犯で捕まったら、雇用主で同乗の僕も間違いなく犯罪者確定、ブラックリスト入り。事務所の認可も取り消されて、今までの努力は水の泡。もうおしまいだ~!!

 警察のサイレンはどんどん近くなる。赤ドラゴンはドスンドスン大音響を立てて逃げるが、何せ飛ぶのが本職だからそう速くは走れない。

 ああっ、なんでこうバカでかいドラゴンなんだ。もう尻尾の先が追いつかれそうになっている。もし、パトカーに向こう見ずな警官がいて、あの尻尾を伝って僕らを捕まえにきたらどうしよう。

「そこの赤ドラゴン、止まりなさい!止まらないと撃つぞ」

 パトカー車上の拡声器から、耳をつんざくような大音響がひびいた。

 ジョーさんが腹立たしげに振り返る。

「やかましい!今はお前らに構ってらんないんだよ」

 彼は舌打ちすると、赤ドラゴンを宙に舞い上がらせようとした。

 うわー!だからそれはやっちゃいけないって!

「短気起こさないでジョーさんっ!ダメだって言っただろ」

 僕の叫びを無視して、ジョーさんはパチンと指を鳴らした。それを合図にとうとうドラゴンが上昇をはじめる。あああ、どうしよう!僕は絶望的な思いで街を見下ろした。

 しかし、

 目に飛びこんできたのは、信じられない光景だった。

「ありえない・・・」

 僕達の通り過ぎた場所は、時間が逆向きに動いていたのだ。

 ナンバーが読めるくらい近づいていたパトカーが遠ざかっていく。倒れた木は落ちた葉もろとも起き上がり、何事もなかったようにそびえ、破壊されたビルの瓦礫もひとりでに浮き上がって、元の位置に戻っていく。

 店も、信号も、みな、ひとりでに元通り・・・まるで録画画像を巻き戻し再生しているよう。

 ジョーさんはそれらをつまらなそうに一瞥したきり、もう振り返ることはなかった。

 けれど、僕はこの奇跡のような光景に感動した。

 間違いない。これは、最高難度と言われる技、時間操作だ。

 短い間だが、一定区域の時間を物質として扱い、進めたり戻したりできる神のごとき技。けど、けた違いに強大な「力」を必要とするこの操作は、特級ホルダーしか使えないはず。そして、特級の称号を持つ者は国に五人しかいない。

 ジョーさんは本当は特級ホルダーなのだろうか?

 いや、生まれてすぐに選別され、国家の中枢にいるはずの彼らがこんなところにいるはずない。

 だったら、どうしてジョーさんが?

 頭の中がこんがらがる。


 上空から眺める街並みはすでに、何事もなかったように平和だ。ごくごく平凡でありふれた街の賑わい。これが、ついさっきまで特撮映画のワンシーンのようだったなんて嘘のようだ。人々の記憶も巻き戻っているのか、街を蹂躙したこの巨大ドラゴンを指差して無邪気に歓声を上げている者までいる。

 でも、僕たちの方は・・・あれ?

 なんだか、スピードが落ちているような。

 ドラゴンの尾の先端もよく見えない、てか消えかかってる?まさか、気のせいだよ。ね・・・?

「ハルさん、僕を怒らせるようなことを言ってください!」

 いきなり、ジョーさんが叫ぶ。

「えっ!」

「怒りが冷めてきてる。そうなると、僕は「力」が消えるんです」

 えええっ!

「消えるって、じゃあ、僕たちはここから落ちるってこと?」

「ひええ、そんな怖いこと言わないで!」

 ジョーさんの弱気を反映するように、ドラゴンの動きが止まる。僕が捕まっているところまで、一気に透けはじめる。

 やばい!

「アボンビーを逃がしちゃだめだ!」

 僕は大声で叫んだ。

「弱い人たちを切り捨てるなんて、許せるものか!一般の人たちから搾取して、偉そうな顔をさせたままにしておけるか!あんな奴、ホルダーの恥だ!」

「そうだ!あいつは絶対に抹殺する!」

 ジョーさんに再びエンジンがかかった。ドラゴンは勢いよく上昇し、尾も元気よくのたうっている。これで落ちる心配は消えたようだ。

 しかし「抹殺」って物騒だなあ。大丈夫だろうか・・・。



 雲をくぐるほどの上空で、ついに僕たちはアボンビーに追いついた。

 すでに、アボンビーは僕達が近づいても逃げようとしない。

 もう、戦うしかない。そう判断したのだろう。

 この場所が図ったように大海原の上なのも、万一の落下を見越してのことかもしれない。

 無言のまま、アボンビーはかまいたちを撃ってきた。

 かまいたちは火の玉と並ぶ攻撃操作の代表格だ。火の玉より少し難易度が低いけど。

 二級なのに、かまいたちで来るあたり、アボンビーは攻撃操作があまり得意じゃないのかもしれない。実は僕がそうだったものだから・・・。

 かまいたちなら、僕も負けてはいない。アボンビーのはじき出した五つの風に対抗して、僕もかまいたちを繰り出す。

 二組のかまいたちは空中で風が喧嘩するようにぶつかりあい、やがてはじき飛ぶ。アボンビーの風の方が優勢だが、なんとかつぶし合いになっている。

 しかしアボンビーの操作スピードは僕の予想を超えていた。瞬く間にかまいたちの第二陣を繰り出してきたのだ。今度の攻撃は、たったひとつだが、竜巻のように巨大だ。

 さすが二級、僕に対抗できる余力はない。

 代わりにジョーさんが巨大な火の玉を放つ。が、かまいたちの突風にあっけなく吹き飛ばされた。火の玉じゃかまいたちを潰せないって、実践では基本なのに、ジョーさん知らないんだろうか?

 これは痛恨のミスだった。僕たちが無策の間、巨大かまいたちは赤いドラゴンの身体をまっぷたつに切り裂いた。

 あまりの悲劇に、僕は思わず目をつむった。きっとドラゴンは苦痛に吼えるだろう。おびただしい血が爆発したように飛び散り、彼らの世界に帰る間もなく息を引き取るだろう・・・。

 しかし、何も起こらない。悲鳴も衝撃もない。

 不安になって、僕はそっと目を開けた。

 信じられないことに、ドラゴンは平然と空を泳いでいる。切り裂かれた跡など、どこにもない。ジョーさんもけろりとしている。

 あれは、幻覚だったのだろうか?

 いや、きっと現実だ。前方のアボンビーも驚きに舌を引っこ抜かれたような顔をしているから。一体、ジョーさんはドラゴンの致命傷をどうやって解決したのだろう?もし時間操作を使ってたなら、乗っている僕の時間も巻戻っているはずなのに。

 再び、僕の頭にクエスチョンが連続する。

 頭をかきむしったとたん、僕は愕然とした。毛の生え際から一センチくらいに渡り、前髪がきれいに刈り取られている。きっと、先ほどのかまいたちがかすったのだろう。おーん、床屋に行ったばかりだったのに。

 ちょっとしたアクシデントだったが、僕の変化にジョーさんは我慢できなかったようだ。

「よくも、ハルさんを!」

 ジョーさんは巨大な空気圧の壁をつくり、アボンビーに向けて放った。かまいたちは壁にいっぺんにはね返される。衝撃を受けて、アボンビーのドラゴンもふらふらとバランスを崩した。

 グッジョブ!ジョーさん!

 てか君、万能過ぎ!

 攻撃を止められ、アボンビーはぎらぎらした目でジョーさんをにらみつけた。

「貴様、国の特級ホルダー五人のうちには入ってなかったはず。しかし、この能力、特級保持者としか思えない。一体何者なんだ?」

 アボンビーの疑問は、僕のものと同じだ。ニュースで見る、ギリシャ神話の神々のように威厳あふれる五人の中に、彼と似た者は一人もいない。僕は息を呑んで隣のバイト社員の顔を見つめた。

「俺が何者かって?俺はジョーだよ!」

 あまりの返答に、僕はずっこけそうになった。アボンビーまで、僕と同じリアクションをしている。

「自分の強さに自覚がない。しかし特級並の力を持つ検定違反者か。まあ、何者だろうとどうでもいい。とにかくお前は誤解している。ワシは強いホルダーの味方だ。お前はワシたちと手を結ぶべき人間だ。落ち着いて考えろ」

「勝手に仲間にするな!クズが!」

 ジョーさんが、アボンビーに向かって蛇のような火炎を放つ。

「ワシはお前の味方だ!」

 ジョーさんは、構わず攻撃の炎を撃ち続ける。しかし奴のシールドは強力で、炎は生まれ流れては、消える。

「畜生!なんではね返すんだ!卑怯だぞ!」

 おいおい、アボンビーが卑怯だなんて最初から分かってることじゃないか。

 アボンビーがせせら笑う。

「お前さんの特級並の力でも、ワシらの技術の前では手も足も出ない。「力」は万能ではない。ワシの話が聞けないというなら、せめてそれをよく知ることだな」

 そしてアボンビーは、ドラゴンとともに空中を旋回したり、雲の中をくぐったりして、僕達をからかいはじめた。

 憤激したジョーさんも、赤いドラゴンを駆使して狂ったように追いかけ回す。しかし流星群のように炎を放っても、アボンビーの髪の毛一本焦がすことができない。

 やがて、ジョーさんは息切れしはじめた。もう耐えられないとばかりに、ドラゴンの背にぐったりと座り込む。

 無理もない。小森家の離れから、この天空まで、どれだけ「力」を消耗しただろう。

 そんな隙をついて、雲の間から顔を出したアボンビーが、にやりと笑った。

「くらえ!」

 アボンビーは自ら火の玉を作り、ジョーさんに向けて放つ。

「あぶない!」

 僕はとっさにかまいたちを発して、火の玉を吹き飛ばそうとした。しかし、タイミングがずれて、風は火の玉の進路を一足先に通りすぎた。

(しまった!)

 ジョーさんは逃げない。火の玉は真っ直ぐジョーさんの腹部めがけ飛び込んでくる。

 が、次の瞬間見た光景に、僕はぶったまげた。

 ジョーさんは火炎をボールのように素手でつかみ、アボンビー向けてブンと投げ返したのだ。

(んな、バカな・・・)

 僕は呆然とジョーさんを眺めた。彼はいらいらと、軽く手を払ったきりで、苦痛はなさそうだ。怒りで熱さを感じないのか?それとも強力な「力」のなせる業だろうか?

 こんな彼にアボンビーもあきれたのか、恐れたのか、ぴたりと攻撃をやめた。

 再び、逃げ始める。消耗に耐えつつ、ジョーさんは追う。アボンビーのドラゴンも体力が落ちてきたようだ。結果、距たりはあまり変わらない。

 不毛な追いかけっこ。また同じことの繰り返し。

 ジョーさんが汗をぬぐう。隣にいる僕だってくやしい。追っても、攻撃しても、近づくことすらできないなんて・・・。

 もし、奴が何度も潜り抜けているあの雲が網に変わればなあ・・・虫でも捕らえるように奴を押さえることができるのに。

 すると僕の頭に、ふと先週、テレビ番組「世界びっくりパワー」で見た技が思い浮かんだ。

「ジョーさん、雷雲を発生させて雷を作ることはできないかな?そして落ちてくる雷を操作してアボンビーに命中させるんだ」

 こんな技、僕には絶対できない。でも、ジョーさんならできるかもしれない。

 「力」そのものを燃焼させている火炎と違い、こうして生まれる雷は自然に発生するものと変わらない。「力」を跳ね返すシールドでも、自然災害は防げない。

 ジョーさんは僕のアイデアに興味を持ったようだった。そして即座に意識を雲に集中しはじめた。

 ジョーさんの「力」に応え、雲の温度はどんどん下がっていく。無邪気に白かった綿雲が、たちまち暗い鼠色に変わっていく。まるで化学実験のように。

 一方、アボンビーは僕達の意図がわからず、ドラゴンを進めながらも、不安そうに雲と僕らを振り返っている。

 このまま、気付くなよ。

 ゴロゴロと雷音を発しはじめた雲をみて、僕は急に心配になった。雷が直撃したら、奴は生きていられるだろうか?

「ジョーさん、死なせちゃダメだよ!」

 僕の念押しに、彼は煩わしそうにうなずき、瞳をとじた。落雷をコントロールするプラズマを発生させるため精神統一しているのだ。

 一瞬走った、目の潰れるほど眩しい閃光。

 しかし稲妻はアボンビーから外れた。光の帯は、海上に向かって落ちていく。

 ジョーさんは誘雷に失敗したんだ!

 続いて起こった、耳が破れるほどの大音響。僕は耐えられず、耳に手を押し当てて目をつむった。

 次に目を開けたとき、アボンビーの姿は空になかった。続いて、下方から響く水しぶきの音。僕は海上に目をこらした。

 大海原の上にドラゴンの体、そしてアボンビーが浮かび上がる。ドラゴンの体がたちまち消えていったのは、衰弱して彼らの世界に逃げ戻ったからだろう。

 波に揺られるアボンビーは運よく顔を上にむけていた。死んだのか、気絶しているのか、まったく動かない。

 稲妻は彼に命中しなかった。確かに、この目で見た。なのに、なぜ奴は落ちたんだろう?

 ジョーさんに尋ねると、彼はこともなげに答えた。

「高熱のショックで落ちたんだ」

「高熱?」

「雷が落ちるとき、周囲の空気は非常な高温になる。さっき、稲妻が横をすりぬけた瞬間、熱い空気の塊が猛烈な勢いで奴に襲い掛かった。たぶん、死なない程度にね。もし意識があったら、今は火傷を塩水に洗われて地獄の痛みだろう」

「へえ」

 死なせちゃダメ、という僕の言葉に、彼は応えてくれたのだ。

「でも、アボンビーが気絶するほどの熱が発生したのに、付近にいた僕達が何も感じなかったのはなぜ?」

「僕たちの領域はちゃんと空気の温度を一定にして、影響を受けないようにしたんです」 ジョーさんが抑揚のない声が答える。

 ・・・丁寧な言葉使い。疲れ切った横顔。その表情は冷たいが、穏やかだ。

 ジョーさんの怒りが鎮まる。て、ことは?

 気付いた瞬間、僕たちが捕まっていたドラゴンの巨体は、すでに消えていた。

「ひゃあっ!」

 空中に男二人が浮いてられるはずない。僕たちは真っ逆さまに落下しはじめた。

 眼下で待ち受けるのは、青い青い海。ダイビングのつもりで、僕は目を閉じた。

 隣でジョーさんの絶叫が聞こえる。

「うわあああっ!怖い!死ぬ!助けて!ハルさんっ、助けてください!誰か~っ!」

 大丈夫だよ、下は海水なんだから。

 それでも、怖がるジョーさんのために、僕は「力」で彼の落下スピードを落としてやった。僕の分まで落とす余裕はなかったけど・・・



 僕らはアボンビーの身体を引き上げると、近場の港へたどり着いた。

 アボンビーは気を失ったまま、うつぶせに横たわっている。だらりとした手首にMSチェーンをはめながら、僕はその背中に残された真っ赤な火傷跡を眺めた。海水で洗われた今も血や肉のこげた跡が生々しい。

 憎らしい老人だったが、放ってはおけない。

 僕は「力」でアボンビーの濡れた体を乾かしてやり、ポケットに携帯していたガーゼを巻いてやった。できれば治療してやりたいが、僕の級ではこの程度のことしかできない。

 おそらく一生残るだろう深い傷跡。意識を取り戻したら、どれほど痛みに苦しむことだろう。

 そこで僕は、はっとジョーさんを振り返った。

「ジョーさん、アボンビーは意識を取り戻したとき、警察に君のことを喋るかもしれない」

 検定違反者だ、と。

「・・・僕も、ずっとそのことを考えていました」

 ジョーさんが真っ青な顔で答える。

「僕は、どうしたら良いでしょう・・・。捕まってしまうんでしょうか?」

 それは、こっちが聞きたいくらいだ。

 アボンビーにジョーさんの秘密を暴露されたら、彼も、僕の事務所もお終いだ。

 僕の困惑を見抜いたように、ジョーさんが囁く。

「いっそ、警察ではなく、超人講に引き渡したらどうでしょう?彼らの施設の前に置き去りにすれば良いのでは?」

「そんなことできないよ!」

 僕はあきれた。ジョーさんは超人講を憎んでいたんじゃなかったのか?

 あれほど彼を駆りたてた義憤も、保身の前にはしぼんでしまったらしい。

「じゃあ、じゃあ、どうすれば・・・」

「ジョーさん、しばらく身を隠してもらえないかな?」

「身を隠す?」

「うん」

 僕は警察に行く。しかし、ジョーさんのことは知らぬ存ぜぬを押し通す。アボンビーがなんと言おうと、僕がひとりで彼を焼き落としたのだと警察に主張する。

 あまり良案とは思えないが、これくらいしか思い浮かばない。

 そう話すと、ジョーさんは案の定、不安をあらわにした。

「それで大丈夫でしょうか?もし警察が信じなかったら?僕を捕まえようとしたら?」

「わからない。でも、僕にできる手だてはこれ以上ないよ。だから精一杯、捕まらないようにして」

「わかりました」

 ジョーさんは居直ったように、うなずいた。

「う・・・う・・」

 突然、アボンビーがうめいた。僕たちはびくっとして彼を見やる。

 意識を取り戻すかと心配したが、苦痛そうに歪んだ顔は、すぐに穏やかな寝顔に戻った。

「それでは、ハルさん、お先に失礼します」

 アボンビーを注視する僕の背中に、ジョーさんが別れを告げる。焦りのこもる声だ。

 僕はうなずいた。

「今日はありがとう。見直したよ、ジョーさん」

 そう振り返ったとき、彼はすでにいなくなっていた。

 僕は舌を巻く。いやはや、ものすごい逃げ足の早さだ。



 警察に引き渡されてほどなく、アボンビーは意識を取り戻した。

 案じていたとおり、彼はジョーさんのことをペラペラと喋りまくった。

 しかし、ジョーさんに司法の手が及ぶことはなかった。 

 アボンビーの語った検定違反者の力があまりにも凄まじすぎて、警察が本気にしなかったのだ。彼らはアボンビーの言葉を、夢を見たのだと笑い飛ばした。うまれつき桁違いの力を持つ特級クラスの人材が、成人になるまで当局に発見されなかったためしなどない、と言のだ。

 警察の前例主義と、腰の重さを、僕は生まれて初めて感謝した。

 幻の特級能力者などと口にしたせいで、アボンビーは正気を失った気の毒な老人と扱われてしまった。証言はすべて火傷のショックによる幻覚で片づけられた。おまけに彼自身、あれきりジョーさんを目にしてないせいか、自分の体験が夢だったような気がしてきているらしい。

 ともあれ、ジョーさんのことをごまかすために、警察に下手なウソをつく必要がなくなって、僕はほっとした。

 警察は僕の告発のみを信じてアボンビー宅の家宅捜索を行い、シールドを形成する物質および、超人講関係資料を押収した。

 事件は大きく報道された。アボンビーは超人講に入門してから間もないものの、その素晴らしい経歴から教育担当の幹部候補として遇されていたらしい。アヅミという人物は、この区域の超人講支部の責任者で、以前から当局にマークされていた。しかし、アボンビーの証言から突き止めた支部に警察が乗り込んだとき、すでにそこはもぬけの殻だったという。

 自宅でテレビの前に寝そべって、この危険な集団について語り合うアナウンサーと論客をぼんやり眺めながら、僕はいろいろ思いをめぐらせた。報道でアボンビー逮捕を知ったであろう、小森さんの思い。隕石に魅入られて狂ったアボンビーの人生。そして何より、ジョーさんのことを。

 彼は今、どうしているのだろう?

 いなくなってすぐ彼の姿をスクリーンで探したが、見つけ出すことはできなかった。アパートの呼び鈴を鳴らしても応答はないし、電話しても誰も出ない。携帯も、電源自体が入っていないようだった。

 ───危険がなくなった今、聞きたいことがたくさんあるのに。

 彼は特級意能者なのだろうか?なぜ、あんなに弱くて臆病に振る舞っていたのだろう?アボンビーへの怒りが消えると同時に、力も消滅してしまった理由は?

 その一方で、彼はもう二度と僕の前に現れないような気もした。正体を知られたとたん、去ってしまう昔話の鶴のように。

 目の前を紫色のコールボールがちらついた。解いてみるとマーベラスからで、話がしたいという。

 マーベラスの事務所には、事件直後に今回の顛末を説明しておいた。彼女もすでに知っているだろう。

 僕が了承のコールボールを返すと、千里眼スクリーンにマーベラスの半身が映し出された。まどろっこしいが、相手が自宅にいる場合は、千里眼を使う前にあらかじめコールボールをやりとりして、プライベートをのぞき見たりしないというのがホルダー間のエチケットだ。

「聞いたよ。あんた一人でアボンビーを捕まえたんだって?ニュースもこの話でもちきりだよ。すごいじゃん」

 開口一番、マーベラスはそう驚きをもらした。

「まあ。運が良かったというか、まぐれだよ」

 僕は苦笑した。本当に活躍したのはジョーさんで、僕はおまけだ。決して口にできないけれど。

「ははっ、思ったより弱い奴で助かったよ」

「そんなことないでしょ?さっき帰る途中、アボンビーの家を見てきたけど、すごい戦いぶりだったみたいじゃない?家はおろか、あの竹林まで半分なぎ倒されてたもん。本当にあんた一人でやったの?」

 僕はぎくっとした。

「そんなに凄かった?いやあ、きっと、アボンビー自身が破壊したせいもあるんじゃないかな?捕まるまいと必死で抵抗したからね」

 この答えはマーベラスを納得させたようだった。

「だとしても、そんな相手と戦って倒せたんだから、あんたやっぱり大活躍よ。独立した人は違うのかしら?」

 ちょっとイヤミったらしい賞賛。マーベラスの奴、もう少し疑うかと思いきや、あっさり信じてしまったようだ。

「で、用事はそれだけ?」

「悪い?」

 マーベラスはありありと気分を害した表情になった。

「ゴメン、だって携帯でも済みそうな内容だったから・・・」

「紫のコールボール、ちゃんと二つとも解凍した?」

「二つ?」

 届いたのはひとつだったはずだ。

「中にもう一つ入れる方法、今月号のHolderジャーナルに載ってたじゃん。読んでないの?」

「あ、うん」

「あきれた。事務所を開業してる人間が、ジャーナルも読んでないなんて。そんなだからペット相手・・・」

 と、言いかけて、さすがに気がとがめたのか

「とにかく、もうひとつあるから解いてみたら?」

 そう言い捨てて、ブツッとスクリーンを切った。

 探してみると、彼女の言ったとおり、もうひとつ小さなコールボールが部屋の隅に漂っていた。解いてみると、洋楽のポップな祝福ソングが流れ出した。

「あいつ・・・」

 照れ屋の彼女は、友達に労いを伝えるときさえ、こんな回りくどい手段になってしまうのだろう。

 僕は複雑きわまりなかった。僕に祝われる理由はない。警察の取り調べでも同じ状況になったけど、ジョーさんの手柄を僕のものにしてしまうのは、やはり心苦しい。

 堂々と、ジョーさんの真実を口にすることができたら・・・。

 ジョーさんは なぜ特級ホルダーとして名乗りをあげないのだろう?特級ホルダーとして表舞台に出れば、国民に尊敬され、何不自由ない生活ができるというのに。

 彼は僕のオンボロオフィスにいていい人間じゃない。「力」に恵まれたことを生かして、もっと社会の役に立つ仕事をすべきなのだ。もう卑屈な顔はやめて、国の宝として誇りを持って生きていってほしい。

 もし、次に会うときが来たら、僕はそう言おうと思った。



 事務所でジョーさんに再会したのは、それから三日後のことだった。

 彼は今までと同じように、定時に出勤してきた。青白い顔に無精髭を生やし、いつもの弱々しい物腰で───、いや、いつもより一層おどおどして、僕と目が合うのを露骨に避けている。話し掛けてほしくないオーラを全身から発してるというべきか?

 それでも僕は彼に向かい合おうと、彼のそばに椅子を運んだ。

 腰を下ろしたとたん、うつむいていた彼がびくっと肩をふるわせた。その表情は、すでに半泣き状態だ。

「おはようございます。久しぶりだね、ジョーさん」

「手紙、読んだもので」

 おずおずと答える。消え入りそうな声だ。

 ジョーさんのアパートを訪ねたさい、僕はアボンビーの訴えが退けられた件を記したメモをポストに入れておいた。そのことを言っているのだろう。

「あれから、どこへ行ってたの?」

「いろいろと・・・」

 それきり、黙り込む。話したくないのだろうか?プライベートだし、まあ、いいだろう。

 それより、訊くべきことを訊かなくては。けれど、彼のおじけづいた様子を見ると、正面からは切り出しにくい。僕はとっかかりになる話題を考えた。

「赤いドラゴンを召還してたけど、繋ぎ師はきみのことを知ってるの?」

「あれはドラゴンではありません」

「ドラゴンじゃない?」

「ええ。生き物じゃない。「力」のエネルギーを物質化させただけのものなんです。それを僕のイメージの型にはめただけ・・・」

 ジョーさんは恥ずかしそうにうつむいた。

「あのドラゴンの形態をしていたのは、きっと憧れのせいです。─よく空想してたんです。あんなふうに見ただけで周りを圧倒するような、真っ赤なドラゴンを使い魔にできたらなあって」

 つまり、赤いドラゴンはジョーさんの作り上げたエネルギー体ということか。

 ならば体を分断されて即座に再生できたのも、納得できる。そもそも繋ぎ師に紹介される生物たちとは召還方法も帰り方も違っていた。

「そんなことができるなんて、すごいな。・・・やっぱり本当は特級ホルダーなの?」

 ガマンできずに、僕はずばり切り込んでしまった。

 ジョーさんは、じっとうつむいている。

 その答えない態度が、答えだと思った。

「どういう事情があるのか知らないけど、特級なんてすばらしいじゃないか。違反者だとしても、特級なら、きっと国は目をつむってくれる。特級能力者は、国の宝だもの」

 自分の言葉に興奮して、僕は続けた。

「昨日いろいろ考えたんだけど・・・やっぱり僕よりずっと上の「力」を持つ、ジョーさんのような人を助手として使うのは心苦しいです。ジョーさんは、ジョーさんにふさわしい場所で力を発揮すべきと思う。当局に出向くのが不安なら、僕が間に入って話しても構いませんよ?」

 ジョーさんは、やはりうつむいたままだ。

 今の話が、不快にさせてしまったのだろうか。一人よがりに喋ったことを、僕は後悔しはじめた。

 ぎくしゃくした沈黙が、流れる。

 やがて、ジョーさんの唇がピクピクしはじめた。

「あの、ふさわしい場所でというのは───それはクビってことですか?」

 いや、僕の言ってることはクビじゃなくて、クビじゃなくて・・・クビなのかな?

「違うんだ!その、ジョーさんは採用の面接のとき、ホルダーの操作方法を見習いたいって言ってたじゃないですか。でも、僕程度の力じゃ、ジョーさんには物足りないんじゃないかと思って」

 しどろもどろの僕に、ジョーさんは寂しげにほほえみかける。

「あの日のことは、酒に酔っていたようなものです」

 実力じゃない、と自嘲する。

「僕は何かのきっかけで興奮状態になると、自分でも大したものだと思うくらいの「力」が使えるんです。でも理性を取り戻すと、とたんに「力」も霧散してしまう。平常心でいるときは、どうあがいても検定7級がやっとの実力なんですよ」

「興奮状態・・・」

 そんなに落差の大きい能力ってあるんだろうか?信じられず、僕は叫ぶ。

「ばかな・・・七級なんてありえない。時間操作なんて見たのは昨日が初めてでした。攻撃や物質操作も難しいのを知ってるじゃないですか。本当は、わけあって級を隠しているんでしょう?」

「隠している・・・僕もいつか、検定で特級と認められる日が来るよう祈ってました。でも、ダメなままだ」

 ふふふ、とジョーさんはかわいた笑い声をあげる。

「時間操作も物質操作も、本を見れば方法が載ってますよ。立体地図の作り方と同じにね。僕は浪人生活の間にそういった本をたくさん読みました。いつか、特級と認められる日を夢見て」

「浪人生活?」

 ジョーさんの表情が翳る。

「・・・はじめて強い力が出たのは中学校の時でした。僕をいじめる五人グループがあって─あるとき彼らは、もう学校に来るなと言って、代わる代わる僕を蹴りはじめた。学校に行かないと言うまで止めないと言って・・・」

 ジョーさんは、胸に当時の感情が蘇ったようだった。

「僕は何も悪いことをしていないのに、なんでこんな目に遭わなきゃならないんだろう。悪いのは、こいつらの方なのに。そんな気持ちで胸がいっぱいになって、許せない、って・・・気がついたら五人は全員、壁にたたきつけられて気絶していました」

 ジョーさんは恐ろしくなって、走って逃げた。五人は瀕死の重症で、意識不明のまま入院したという。

「警察が来て、犯人捜しが始まりました。でも、僕は学校に言いませんでした。誰にも相談しなかった。怖くて、怖くて・・・彼らの一人が退院して、学校に来ると決まった日から、学校に行けなくなりました」

 真実を警察に告げ口される、復讐されると思ったのだという。

 しかし、彼のもとに警察も、少年たちも来なかった。不登校のため学校の様子もわからず、そのまま卒業したという。

「それから、同じことの繰り返し・・・何か問題を起こしては逃げ、起こしては逃げ・・・学校もバイトも長続きしなくって・・・その度に自分にガッカリする。でも、その一方で、いつか、この力をコントロールできるんじゃないか、僕をバカにする奴らを見返せるんじゃないかって。UPの本を読んでは、コントロールできるようになったら、あんなことも、こんなこともできるんだって妄想してた」

 彼はクククク・・・とひとしきり、喉の奥で笑った。まるで泣いているような笑い方だった。

「でも、もう諦めました。僕はコントロールできない。自分が怖い。力がどんどん強くなっていってる気がするんです。僕の過去を振り返っても、後ろ暗いことしか残ってない。今回だって、ハルさんを置き去りにして突っ走った挙げ句、街を破壊して警察に追っかけられるし、非常識はなはだしい」

 僕の頭に、赤い龍の起こした台風のような騒動がよみがえった。

「あの時のことは、思い出すたびに消えたくなります。僕の力は、他人のためどころか、自分のためにさえ役に立つことができない。まるで凶暴な野獣だ。なんのために僕のような奴に力があるんだろう?こんな迷惑な奴、いない方がいいと思いませんか?そう、あいつの言ったことは正しい。僕は淘汰されるべき人間なんだよ!」

 ジョーさんは言葉を切ると、荒く息をついた。その皮膚の裏側の絶望が沸騰してきそうで、僕は耐えきれず目をそらした。

 彼に宿る暗い闇に圧倒されてしまい、返す言葉が見つからない。僕の胸の中まで真っ暗になったようだ。。

 やがて落ち着きを取り戻したジョーさんは、唇の端だけでほほえんだ。

「今までいろいろお世話になりました。ここで働けて本当に嬉しかったです」

「ジョーさん・・・」

「僕はずっと相談事務所で働きたかったんです。事務所でホルダーを見習うことができれば、僕の力をコントロールできるようになるかもしれないって思ってた。でも、七級の僕を雇ってくれる事務所なんて、あるわけない。だから、ここの募集を見つけたときは、信じられないくらい嬉しかった」

 ほの明るさのにじんだジョーさんの表情を、僕はまじまじと見つめた。

 そうか。だから動物が苦手なのに、毎日頑張ってくれていたんだ。相談事務所の看板に希望を込めて。

「でも、こんなにハルさんに迷惑をかけて、続けるなんてできません。今日は、これを渡しに来たんです」

 ジョーさんはポケットから封筒を取り出した。はっきり退職届と記してある。アルバイトの立場なのに、彼らしい律儀さだ。

「今月の給料は昨日の迷惑料ってことでいただかなくていいです。足りないかもしれないけど、それしかないんで・・・最後に、ハルさんとお話できて、良かったです。今回だけは、逃げずに来て良かった」

 席を立った彼を、僕は思わず引きとめた。

「待って、待ってください」

 彼を帰してはいけない。僕の目の前でそんな悲しい場面は作りたくない。頭にあったのはそれだけだった。

「僕はやめてほしくない。ジョーさんにここにいてほしい。そうだ、これからは助手じゃなくて、僕の友達として一緒にやっていきませんか?」

「友達?」

「そう。僕もジョーさんに教わることはたくさんある。一方、きみが「力」を使えないときは僕が微力ながら役に立てると思う。ギヴアンドテイクなら、友達にぴったりだろ?」

 僕はいつもの丁寧な口調をとっぱらい、快活に笑ってみせた。

 ジョーさんの目がとまどいに揺れている。

 ここで考えさせちゃダメだ。彼の頭が悲観的な答えを出してしまう前に、僕は大急ぎで、その骨ばった手を握りしめた。

「僕達、これからも一緒に働くんだ。一緒に働こうよ。働いてほしい」

「いや・・・」

 ジョーさんは首を横に振る。

「万一、僕が検定違反者だと警察にばれたら、ハルさんは事務所をたたまなきゃならないんですよ。それはまずいでしょう?」

 確かに大問題だ。そこまで考えてなかった。

 一瞬、自分の言動に後悔がよぎる。

 けれど、けれど・・・ここで保身を持ち出してしまったら、ただでさえ暗いジョーさんの心を、更に崖から突き落とすことになる。ここはどうしても、やせがまんしてでも彼の中の闇に光明を見せたい。たとえこの願いがジョーさんのためじゃなく、自己満足のためだとしても。

「力を使えるのは、感情的になったときだけでしょう?だったら、今まで通りの仕事をしていればバレやしないよ」

 僕は快活ないたずら者を装い、軽く言いはなった。

「もし、どうしても使う羽目になったら、僕がやったことにすればいい。時間操作とか高等な技術を使わない限り、いくらでもごまかせるよ」

 そう、ジョーさんの薄い肩をポンと叩いた。いつにもまして、たよりない肩を。

「ハルさん・・・」

 彼はじっと、僕を見つめた。真っ黒く乾いた瞳が、次第に光をたたえ始める。僕の胸にも、熱いものがぐっとこみあげた。

「・・・ハルさん、僕はなんていっていいかわからない。でも、これからはハルさんのためならなんでもします。僕にできることなら、なんでも・・・」

「本当に?じゃあ、今日から素手でハムスターを捕まえてみよう!ちょうどハムスターの案件が二つ来てるし」

「うわあ!そ、それはちょっと・・・」

 ジョーさんは激しく首を横に振った。仕事道具を取りに行く、と一目散に逃げ出す彼を、僕は笑って見送った。

 一人になった僕は自分の席に戻った。デスクの周囲に飾ってあるペットたちの写真が、相変わらずの表情で囲んでくれる。

 飼い主と再会できた動物たちと、探していた家族を取り戻した人たちの喜びに満ちた表情。彼らだって日常の中ではつまずいたり、絶望したりもするだろう。でも、この切り取られた瞬間の歓喜は純粋そのものだ。勇気を出したいとき、僕はいつもこれらの写真に力をもらってきた。

 世の中は捨てたもんじゃない。まっすぐに生きていれば、神様はきっと悪いようにはしない。なるようになる。写真を眺めているうち、本当にそんな気がしてきた。

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