前編
ジョーさんは僕を向いて、にやりと笑う。彼にしては珍しく、自信の窺える瞳で。
「それでは、このタネも仕掛けもないビンの中に、わたくしの手にあるこの百円玉を入れてみせましょう。ワン、ツー、スリー」
かけ声が終わるやいなや、頑丈に栓をしてある透明なビンの中に、百円硬貨がチャリンと落ちる。
得意げにビンを振ってみせるジョーさん。事務所内に響く金属音。
タネを知らない僕は、ただ感心する。誰も手を触れてないのに、どこからこの百円がわいて出たのか、まったく不思議だ。
ジョーさんはマジックが得意で、新しい手品ができるようになると、すぐに職場の唯一の話相手である僕に披露してくれる。グレード七級の彼にとっては、こんなマジックで夢を見れるのかもしれない。
とはいえ、彼もホルダーのはしくれ、全く力がないわけじゃない。
そういえば、今年の検定はもう行ったのだろうか?
「ジョーさん、今月誕生日でしょう?検定行ったの?」
「もう行きました。免許の更新もあったんで、それと一緒に」
「そうか。どうだった?」
「変わりなし。七級です」
七級の能力というと、念力でペンを転がせるってところだ。
「そっかあ。僕は先月受けてきたけど三級のままだったよ。生まれて二十六年間上がることなし。ははは」
「それでも落ちないぶん立派です。加齢とともに原因もなく測定値が落ちるケースも珍しくないそうですから。僕なんか落ちたら完全に一般人になってしまう。だから検定のたびにびくびくものです」
「そうなの?普通に生活してれば大丈夫だと思ってたよ。ジョーさんの言うとおり、理由もなく下がったりしたらたまんないな。上がることは滅多にないのにね」
ホルダーというのはUnknown Power Holderの略、直訳すれば未知の力を持つ者って意味だ。簡単にホルダーと呼ばれることが多い。
この未知の力を持つ者が発見された頃、彼らはエスパーと呼ばれていたという。しかし、この呼称に、元々いたエスパーと、その研究者達が猛反発したらしい。侃々諤々の国際会議の結果、このUPHという曖昧な呼称が決まった。まあ、僕の生まれる前の話なんだけれど。
UPホルダー因子を持つ者は、年に一度は「検定」を受けることを義務付けられている。簡単に言えば能力判定試験だ。
ここで僕達は能力の発現が見られない八級から、国の宝と呼ばれる特級までランク付けされる。特級クラスになると、地球上から衛星の装置を遠隔操作したり、天候を気分に合わせて変えることもできると言われている。凄い。
僕が持つ三級は相談事務所を開業できるギリギリのランクだ。この事務所もギリギリに相応しく、吹けば飛ぶような築35年のぼろオフィスなんだよね。それでも国から正式に認可を受けてるし、ジョーさんという従業員だっていたりする(バイトだけど)。
そのジョーさんが業務用のナップザックに手をかけた。どうやら仕事に出かけるつもりらしい。
「ジョーさん、今日は暑いから帽子をかぶっていくといいよ。僕のでよかったら使って」
肩越しに声をかけると、彼はびくっと身を震わせて振り返った。不意に話しかけるといつもこうだ。
「すみません、気を使っていただいて・・・」
消え入りそうな声で言う。
細面の顔に繊細そうな鼻を乗せたジョーさんは、見た目の通り気弱で控えめだ。生まれてきてすみませんと言い出しそうな物腰に、こっちまで壊れ物に触る気持ちになる。
「すまないのは僕のほうだよ。一緒の仕事をしているのに、冷房のきいた事務所にいるんだから。帰りに仕事用の帽子と日焼け止めと虫除け、あと何か必要なものがあったら買ってきてください。経費で落すから」
「ありがとうございます。でも、帽子は自前で用意しますよ。この仕事だとどうしても汚れますから」
「ダメだよ。自分の私物を仕事で汚すなんて。仕事だからこそ事務所のお金で買うんじゃないか」
「でも、なんだか、申し訳ないです」
「申し訳ないこと、あるもんか。何のために経費があると思ってるんですか」
僕は説得モードに入る。
「本気で、経費を計上させてほしいんです。だって税務署に行ってたくさん経費を申告するのって、仕事の多い経営者って感じでかっこいいじゃないですか。だから、経費の計上はできるだけ多めにね。お願いしますよ」
このくらい言わないと、ジョーさんの遠慮深すぎる性格では、なかなか経費を出してくれない。
ジョーさんはくすっと笑って
「わかりました。じゃ、帽子は遠慮なく経費で落とさせていただきます」
「安いやつじゃダメだよ。UV機能とか、防水機能とか、いろいろついているやつね」
「UVと、防水ですね。探してみます」
心の内に刻みつけるように、うなずく。きっと彼のことだから、間違いなくUVと防水、両方の機能を備えた帽子を懸命に探してくるんだろう。余計なこと言っちゃったなあ。
「では、行ってきます」
背中を猫背に丸めて、ジョーさんはいつもひっそりと出て行く。羨ましいぐらいの長身なのだから、堂々としていれば振り返る娘もいるだろうに、他人事ながらもったいない。物静かで優しいところは好きだけど、もう少しだけ覇気があったらなあ。
ジョーさんを乗せて走り去る原チャリを窓から見送ると、僕はホルダーの特権を使って、「力」で夜間受付のポストから昨夜分の封筒を呼びよせた。
羽根のように宙を舞い、僕の手に収まった依頼は全部で四通。まずは茶封筒の一通目から───
『一昨日、我が家で飼っていたウサギが逃げ出しました。名前はミーコ。近所を探してみたのですが見つかりません。目の色は・・・』
幼さのかいま見える手書きの女文字、中には行方不明者の真っ白い毛が同封されている。事件を解決するかけがえのないキーだ。他の一件もウサギ、残りはハムスターとインコの毛が入っていた。
ガラス越しにのぞく、UP相談事務所のロゴがちょっぴり重い。一般に言う相談事務所らしい仕事とは二、三歩ズレた仕事ばかり引き受けてる僕・・・看板にいつわり有りかな?
相談事務所の本来の仕事は、ホルダーと一般人の間で警察の役割をすることだ。「力」を用いた犯罪が起こった場合、警察官の力ではどうすることも出来ないことが多い。警察で働く物好きな能力者なんて滅多にいないからね。
警察に限らず、能力者が一般人に混じって働くケースは少ない。
ホルダーは働かなくても、生活にはあまり困らないのだ。
それは万能の「力」で何でも欲しいモノを手に入れられるから!なーんて夢のような理由では勿論なくて、国がホルダーに手当てを支給してくれるからなんだ。
検定が行われる理由のひとつも、それだ。支給される金額は、グレードによってだいぶ違いがある。
三級の僕がもらえる手当ては、同年齢のサラリーマンの給与平均くらいだ。特級クラスになると国会議員並み、逆にジョーさんの七級だと生活保護より低いという。
この制度は国力を左右するレベルの能力者を国内につなぎとめるため、加えて彼らが反社会的な行動に向かわないようにするため設けられている。「衣食足りて礼を知る」ってのを、そのまま制度にしたわけだ。
おかげでホルダーの犯罪率は低い。けれど、いったん起きてしまった場合、それに対抗できる司法側の人間が非常に少ない。わずかにいる警察所属のホルダーは、殺人や強盗といった大事件で手いっぱいで、軽犯罪までは手が回らない。
そこで活躍するのが軽犯罪からご近所トラブルまで請け負う、僕ら私設の相談事務所だ。
働かなくてすむのに事務所開設とは矛盾して聞こえるかもしれない。けれど、やっぱり「力」って使わないと、グレードが上がりにくいんだよね。滅多に上がらないものといえ、上がれば手当も増えるから、事務所で働きたがるホルダーは多い。
国は審査基準を満たした事務所には認可を与え、準警察機関として遇している。認可の際、交付される専用の手錠、MSチェーンは事務所の誇りだ。僕もいつもポケットに忍ばせている。
しかし、このチェーンが表舞台に出る目処は今のところ立ってない。迷子のペット相手に手錠を使うなんて、ありえない。残念だけど。
もちろん、この事務所だって最初からペット捜索を目的に開業したわけじゃない。はじめは仕方なくだった。
一年前に開業した当時、事務所は毎日が日曜日状態だった。寝る時間を惜しんで営業しても、来る問い合わせは良くて一、ニ通。それも問い合わせ止まりだ。
オフィスの賃貸料を払うために貯金を切りくずしていく状態で、やはり周囲の忠告どおり四年の経験で開業するのは早すぎたと何度も後悔させられた。
せっぱつまっていた僕のところに、たまたま転がり込んできた仕事が、知人から頼まれた飼い犬の捜索だった。
普通の相談事務所ならペットの捜索なんてバカにしてハナっから受けないし、僕も開業前はそういう感覚だった。けれど、当時はあてのない営業をするか、来ない依頼を待って事務所にぽつんと座ってるしかやることがなかったから、気分転換のつもりで引き受けたんだ。
犬の残り毛から居所を探るなんて、三級保持者には朝メシ前の仕事。なのに再会に喜ぶ飼い主と犬を目の当たりにして、僕は今まで関わったどんな仕事よりも充実した気持ちになれた。
対面した瞬間の飼い主の「うれしい~!」って笑顔と、彼らに飛びつくペットの全身からあふれる「うれしい~!」って気持ち。ふたつが重なる光景は、見ている僕の心まで幸福にしてくれた。
暇をもてあますくらいなら、ペットの捜索をしよう。僕は思い切って電話帳に広告を載せた。仲間からはプライドがないと笑われたりもしたけれど、どっこいこれが大当たり!ご近所さんはもちろん、県外からの依頼も少なくないんだ。
ペット探しって、世間では何でも屋をするような低級ホルダーの仕事なんだけれど、お客側はどうせお金を払うなら、信頼おける認可事務所と思ってくれるしい。やっぱりペットは家族の一員だからね。僕自身、動物は大好きだから楽しく仕事できて、今では本当にやってよかったと思っている。もちろん経営も黒字だし。
でも他人から「ペット捜索専門」と呼ばれると、胸の奥がちくっとしたりして。
携帯に、ジョーさんから現場についたと報告が入った。
僕はさっそく千里眼スクリーンを立ち上げて、彼の立つ閑静な住宅街を眺めいった。
千里眼スクリーンは、遠くの対象を、まるで映画のスクリーンを眺めるように目の前に映し出すことができる能力だ。これは四級以上のホルダーなら誰でも使える。
ジョーさんを雇い入れてから、彼が外に出て動物を捕らえに行き、僕が事務所から動物の位置を遠隔確認しながら指示を出すという二人三脚で仕事をしている。
一件目はジョーさんの苦手なハムスターだ。引越しの途中、車からうっかり落ちてしまったこの可憐な生き物は、僕の探知によると、住宅街の隅にある古びた廃材置き場に潜んでいる。ピンクのヘアゴムで髪を結い分けた、幼い依頼主の涙ぐんだ顔が頭によみがえった。よし、本気で行かねば!
ジョーさんの身支度も終わったようだ。軍手にキャップ帽とスニーカー、動物に噛まれる危険を考慮した長袖のブルゾンに厚手のジーンズ、仕上げに夜行用ゴーグルでハル事務所謹製、捜査員一丁あがり!
軍手を二枚重ねにはめて、ジョーさんの手は大きくふくれあがっている。やれやれ、彼はハムスターに噛まれるのがこわいのだ。リスやハムスターといった系統の動物が、彼は大の苦手で、まるで猛毒の大蛇を扱うごとくの手つきになる。
以前、なぜそれほど怖がるのか尋ねたところ、彼はこう答えた。
「噛まれたときのことを想像してみてください。彼らの歯は硬いモノを食べないと、野放図に伸び続けるんですよ。まるで凶器です。それにハムスターの唾液でアナフィラキシーショックを起こして死亡した事例も、数少ないですが存在します。アレルギーがなくても、野良生活をしていた個体ですから、どんな感染症を持っているかわからない。恐ろしくて、とても素手では扱えません」
これを聞いて、さすがの僕も怖くなったし、考えさせられた。でも、やっぱりハムスターが傍にいると、手の平に乗せてしまう。ガマンができないくらい、かわいいんだもんなあ。
しかし、ハムスターに限らず動物全般が苦手なように見えるジョーさんが、この事務所で働き続けてくれるのはなぜだろう?こんな質問をぶつけたら、暗に辞めてくれと言っているようで訊けないけれど。
このへっぽこ事務所の採用募集に応えてくれただけで、ジョーさんには十分感謝している。実際、彼しか応募してくれなかったんだよね。
おずおずとした足取りで、ジョーさんは建物に進入する。
顎に張られたバンソウコウは、一昨日フェレットを捕まえたときの怪我だ。
野外で動物を追って、猫の道のような場所さえ通ったりする彼が、怪我をしたり、服を破くのはしょっちゅうだ。それを目にするたび、僕は面目ない気持ちになる。本来なら僕も一緒に参戦すべきだけど、最近、頻繁に問い合わせが来る事務所を空にするわけにもいかない。僕が遠隔操作のできる一級保持者なら、こんな苦労させずに済むんだけど・・・とほほ。
僕の指示を受けて、ジョーさんは薄暗い廃材置き場を進んでいく。
動物が怯えるので、懐中電灯は使えない。物置として建てられたのであろう、簡素な木造の建物の内部を照らすのは、山と積まれた木材の隙間からこぼれる日光だけだ。スクリーン越しにも、腐った木の悪臭が想像できそうな空間。床にも大小の木材が乱雑にちらばり、足場が悪そうだ。
がんばれジョーさん、ターゲットはすぐそこだ。
「そこの右手に黒い板があるでしょう?そう、それ。白いハムスター、その下で眠ってるから」
彼が板をめくると案の定、枯草に包まれて眠るハムスターの腹が確認できた。ハムスターは夜行性だから、眠っている昼間に捕らえるのは簡単だ。捕獲網に入れられてようやく目覚めたところを、ジョーさんがあぶなっかしい手つきでケージに入れる。
これで無事、一件クリア。
ほっとため息をつくジョーさんに、僕はねぎらいの言葉をかけた。ジョーさんが照れまじりの笑顔で応じる。
建物から出るやいなや、彼は全身についた埃や蜘蛛の巣を丁寧に払い始めた。次も似たような廃屋に突入するって知ってるのに───潔癖性の彼らしい。
あれ?隣家のガレージで子供達がジョーさんを指差して、ひそひそ話をしているじゃないか。きっと恥ずかしいだろうなァ。ジョーさんごめんなさい。
ジョーさんの原チャリが次の現場に向かったところで、事務所の呼び鈴が鳴った。僕は千里眼スクリーンを消すと、急いで客を出迎えた。
入ってきたのは白髪をオールバックに伸ばした老人だった。鼈甲色のステッキ軽やかに、笑顔を向ける品の良い人物の名を、僕はすぐに思い出した。
「小森さんじゃないですか。お元気そうで何よりです。トッポちゃんも元気ですか?」
ここでしっかり営業スマイル。僕は相手の顔と名前を記憶するのが得意なのだ。客商売向きの才能だよな、うん。
小森老人は以前、愛犬探しの依頼に来た客だった。僕の問いかけにたちまち相好をくずして、溺愛する犬の話をはじめる。
「ええ、おかげさまで今朝もトッポと河原まで散歩してきたんですよ。あの後、すぐに位置探知機能のついた首輪を買いましてね。窮屈で嫌いなようですが、おかげで迷子になることはなくなりました。何かあったら、また是非お願いしますよ」
色白の顔に皺がくっきり刻まれた笑顔は、七福神の神々を連想させる。
「そうですか。それは何よりです。トッポちゃん、本当にかわいい子ですもんねえ」
「ええ。ええ。この間、息子にも言ってやりましたよ。今は子供のお前より、トッポの方が子供らしくて可愛いってね。苦笑いしておりましたが」
「楽しそうですね」
「今は一緒におるもんでね。互いに言いたい放題ですよ───まあ、それは、置いておいて」
犬の話を終えると、小森氏はうってかわった神妙な顔つきでたずねた。
「あの、やはりここの事務所は、ペットと関係ない仕事はご迷惑でしょうかね?普通の相談事務所のようなのは・・・」
「いえいえ、お引き受けいたしますよ」
僕は内心、苦笑した。やっぱり僕の事務所はペット探し専門と思われてたみたいだ。
ビニールソファに腰を沈め、木綿のハンカチで汗をぬぐう小森さんに、僕は冷えた麦茶をすすめた。それを一口すすると、彼は硬い表情で財布から名刺を取り出した。
「一昨年まで、私はこういう仕事に就いておりました」
名刺には『京南大学 理学部化学科教授』の肩書きが記されていた。
京南大は一流とは言えないものの、れっきとした国立大学だ。教養のありそうな客とは感じていたが、大学教授だったとは。僕が感心すると、小森さんは「退官した今はただのおじいちゃんです」と笑った。
彼の悩みは、現在、自宅の離れに居候している旧友のことだという。
四十年前、大学で小森さんと同期だった彼は、名をアボンビーという。小森さんと同じく、自然科学の研究に人生を捧げてきた人物だ。
「アボンビーは英国人の父と日本人の間に生まれた日英ハーフなんです。貴方と同じホルダーで、判定では二級ですから、国からの支給金も十分もらえる。生活に困らないのをいいことに、彼はただひたすら研究を続けてきました」
結果、学会でいくつも斬新な発表をし、若くして英国の大学教授まで上り詰めたという。
二級保持者の上にバイリンガルで大学教授。うらやましい経歴だ。
「しかし、何を思ったのか十年前、彼は突然、大学をやめたのです。同時に学会からも姿を消しました。以来、私も連絡先を知らなかったのですが、半年ほど前、突然我が家を訪ねてきたのです」
小森さんはアボンビーを歓迎した。才気の衰えない旧友との会話は楽しいものだった。
「学生時代、人を寄せ付けないタイプだった彼は、友達と言える人間は私ぐらいだとよく言っていました。だから、若い頃の気持ちを忘れない彼の訪問がうれしかった。老いて身寄りのない彼に、自宅の離れを提供したのも、そんな気持ちからでした」
交流が深まるにつれ、アボンビーは少しずつ消息不明だった十年間のことを話してくれるようになった。
「英国にフェイ・ドナルドという有名な化学者がいるんですが、ご存じでしょうか?訊けばアボンビーは、彼とともにウェールズ、ハンプシャー隕石を調査していたというんです。そう、イギリスにおけるホルダー発生の元になった、あの隕石です」
あの隕石───。僕はごくりと唾をのみこんだ。
ウェールズ、ハンプシャー隕石。そして日本の函館、倉敷隕石の落下は、ホルダーを生み出した原因と推定される事件だ。
今からおよそ二百年前、同じ島国の日本と英国に隕石が二つずつ落下した。日本では、岡山と北海道に落ちたそれらは、落ちた場所の地名をとって函館隕石、倉敷隕石と名付けられた。
もちろん、それらは普通の隕石ではなかった。着地した瞬間、落下した地点を中心に、ちょうど横浜市がすっぽり入るくらいの広さにわたる地域が、隕石の発する黄色い光に覆われたのだ。その光こそ、僕たちホルダーが持つ力の源であろうと言われている。。
しかし当時、光を浴びた直後に、目に見える異常を起こした者は誰もいなかった。ホルダーが発見されたのは、彼らの子供達の世代だ。
東京や大阪といった大都市を中心に、少しずつ、不思議な能力を持つ者が現れはじめた。空間のねじれの向こうにある世界からドラゴンを召還したり、火の玉を作り出して遊ぶ子供達に、当時の大人たちは驚いたなんてもんじゃない。
綿密な調査の結果、彼らの両親は一人残らず、それぞれ函館と倉敷に在住経験があり、光を浴びていたことが判明した。僕たちの持つ「力」が、従来のエスパーと呼ばれた人たちのものと全く違うこと───隕石の光線による何らかの遺伝子変異によるものだとわかったのだ。そして同じ時期、イギリスでも同様の現象が確認された。
「この隕石と能力者の関係、あまり詳しく知らんのですが、父親と母親の両方が隕石の光を浴びている場合のみ、子供がホルダーになるという理解で良いんですよね?」
小森さんが首をかしげる。
「そうです。それも、同じ場所で光を浴びた者同士じゃダメなんです。もしそうなら函館と倉敷はホルダーだらけになったはずです。函館と倉敷、それぞれの光を浴びた者の血が交わって、はじめてホルダーが生まれる」
「ああ、だから初期の能力者は、地方出身者が合流する都市部で多く発生したんですな」
「ええ。光を浴びた第一世代の孫や曾孫でも同じ結果になるそうです。最近では意能者の親になれるをうたい文句に、子孫だけがメンバーになれる出会い系サークルまであるらしいですよ」
「その話は私も聞いたことがあります。国の手当が目的ですかね。能力者の子に支給される金額は魅力的ですからねえ。しかし、そういう目的で結婚した両親の子が幸せになれるんでしょうか」
「難しい問題ですよね。もっとも、たった二百年で急激に意能者の人口が増えていった背景には、この手の欲深い親の存在が欠かせないって言われてますけどね」
現在、ホルダーの数は世界で一万人にのぼると言われている。もちろん、その殆どを擁するのは英国と日本だ。
「能力者の子は、配偶者が誰であろうと能力者になるんですよね?」
小森さんが尋ねる。
「ええ。現在のホルダーの大多数はそれでしょう。かくいう僕も、母は一般人です」
「やはり能力者同士の両親に生まれた子は級が高く、一般人との間に生まれた子は低かったりするんですか?」
「いいえ。それは全くランダムなんです。ホルダー同士の夫婦からグレード八級が生まれたり、一般人の母親が特級能力者を産むといったことも珍しくないんです」
「それは面白いですな。一般人が混じっても、能力の低下はないということですな?では、父母の能力の高低は、子供の能力には全く関係ないのですね?」
「それは・・・」
僕は口ごもった。ランダムなのはあくまで「一般人」の親を持った場合だ。
「グレード、つまり級の高い親を持つ子は高い級になる傾向があるという調査結果が、あるにはあるんです。逆に、低い親を持つ子は、低い傾向があると・・・」
口にはしたものの、僕はこの研究が嫌いだった。人の才能を遺伝のみで決めつけてしまうなんて、愚かな考えだ。
「けれど、グレードの高い親を持つ家庭は、手当が多く、生活に余裕がある。幼い頃から子供が受けるストレスが少ない。生育環境の差がグレード差の原因とも考えられるんです」
「ほう、意外に深刻なんですな」
小森さんは興味深そうにうなずく。
「勉強になりました。遺伝の影響か、それとも環境か・・・一般人の学力差の問題でも、よく持ち上がるテーマですな。好奇心に答えてくださって、ありがとう」
小森さんは軽く頭をさげると、麦茶を一口すすった。
「で、本題はどこまで話したっけな?そうそう、隕石の話だった」
「はい」
「アボンビー達は隕石の成分を特殊な方法で解析した結果、新種のUPシールドになる物質を合成することに成功したそうなんです。今、日本の警察で使われているシールドの三倍は強力なものだそうで、それが本当なら画期的な発明です」
UPシールドとは文字通り、ホルダーの「力」の効力を弱めたり、はね返してしまう薬剤をさす。
スプレー状態で使用するのが一般的で、警察官や警備員がよく常備するほか、普通にホームセンターで買うこともできる。ホルダー人口の少ないアメリカの企業が特許を持って販売してるんだけど、高価いんだ!これが。効果のほども、2~3割防げるって程度かなあ?
小森さんの言うとおり、ドナルド博士たちがより高レベルの原料物質を開発したなら、確かにすごいことだ。
「隕石の成分から、シールドなんて初耳ですね。確かにアメリカではNASAが開発に関わっていると聞いてますが、宇宙に縁があるんでしょうか?」
「もともと、地球が発生源ではないといわれる力ですからな」
小森さんがクスリと笑う。
「しかしね、ドナルド博士はなぜかこの成果を発表せず、物質とデータを一人抱え込んで隠遁してしまったそうなんです。研究もそれきりやめて、今では田舎に蟄居して地味に年金暮らしをしているとか」
意外な顛末に、話し手の小森さんまで目をまるくしている。
「どうしてドナルド博士は研究の発表をしなかったのでしょう?企業に技術を売れば成功できたでしょうに」
「それはアボンビーにもわからないそうで、本当に不思議なところです。実際、学会用の論文も書きかけていたのに、彼は発表しなかった。今でも噂をききつけて、空港から車で一時間もかかるという彼の自宅を訪れる企業もあるそうですが、みな追い返されてしまうらしい。世界的なケミカル企業の重役すら門前払いをくらうとか・・・」
世界的技術を抱え込み、ひとり隠遁した博士か。なんだかドラマチックだなあ。
「突然そんな真似をされては、共同研究者のアボンビーさんは納得いかなかったでしょうね」
そうです、と小森さんはうなずき
「だから、彼は博士に無断で物質の一部を日本に持ち込んだ」
「えっ!」
それって、この日本社会では、犯罪だ。
小森さんは続ける
「こうしたホルダーの「力」に影響の大きい物質の個人所持が違法なのは知っています。けれど私には、十年も費やしてきた研究を、闇に葬りたくないというアボンビーの気持ちも理解できたのです。生活に不自由のないアボンビーのこと、純粋に研究の成果を手元に残したかったのだろうと・・・」
最初、小森さんは友人として、見て見ぬふりをするつもりだったという。
しかし、アボンビーは半年ほど前から、とある団体と関わりを持つようになりだした。今では、ほとんど傾倒してしまっているという。
「アボンビーは、彼らにその物質を提供しようと考えているようなんです。その団体とは───」
ここで彼は声をひそめて、身震いするような名称をささやいた。
───超人講。
かつて特級能力者の称号を持っていた荒井コウを中心にする、危険な思想を抱いた団体だ。優生論の立場で、一般人に対するホルダーの優越を説いているのが特徴だ。
五年前、荒井と彼の率いるホルダーは皇居と官邸を同時に占拠した。皇族や大臣を人質に、武力クーデターを試みたのだ。
荒井のほかの特級能力者五名が力を合わせ、事態はニ日で終結した。とらわれていた人質は、一人残らず無事に解放された。しかし、この抗争で敵味方合わせてニ百名近いホルダーが命を落した。
事件の終わった後もしばらくの間、一般人のホルダーに向けられる目は、かつてないほど厳しくなった。超人講のメンバーだと噂を立てられたホルダーへの集団リンチが続発するなど、社会に与えた悪影響を考えても史上最悪の事件だったと思う。
事件の張本人である荒井は、九死に一生を得て、今は中国に潜伏しているという噂だ。国際指名手配を受けているため、名前も顔も変えて別人になりすましていると言われている。彼の特徴的な太い眉と、いつもカッと見開いているような黒い瞳は、一度見たら忘れられないものだった。整形でカリスマ性までも消してしまえるのかは疑問だ。
そんな荒井を熱狂的な信奉し、地下にもぐって彼の理想の実現のために活動している集団、それが超人講だ。クーデターの残党も含む彼らは、中国からの荒井の指令のもとに動いている。荒井のためなら、死も破壊もいとわない、恐ろしい組織だ。ぞっとすることに、近年、入団希望者が増えているという。
こわばったであろう僕の顔色をうかがい、小森さんは話をつづけた。
「もし、その物質が彼らの手に入ったら恐ろしいことです。またたくさんの人が死ぬかもしれない」
「そうですね」僕も真剣だ。
「私は黙っていられないと思い、アボンビーに意見しました。けれど、彼は全く聞く耳を持たない。私と彼は言い争いを繰り返し、今ではすっかり絶縁状態になってしまいました。しかし、彼は我が家の離れから引っ越そうとしないばかりか、超人講の関係者らしき人々を訪問させるようになったのです」
「それは・・・おつらいですね」
小森さんとしては、犯罪にかかわりたくない気持ちのほかに、友人に裏切られた思いもあるのだろう。
小森さんも、苦渋のこもる表情でうなずく。
「私としては彼を司法に渡したいのですが、相手はホルダー。私にも同居の家族がいますし、恐ろしいのです。どうしたら良いでしょうか?」
そう、小森さんはすがるような目差しをこちらに向ける。
僕は答えにつまった。いくらなんでも問題が大きすぎる。こういう案件はもっと大手の事務所に頼むほうが適切だろう。
だが、僕を頼ってきた小森さんを、他の事務所を紹介するだけで帰すのは気がひけた。彼は杖が手放せないのだ。こんなちっぽけな事務所に相談しようと思ったのも、近所で顔見知りだという理由からなのだろう。
少し悩んだ末、僕は引き受けることに決めた。なあに、方法はある。
僕の返事に、小森氏の表情が明るくなった。
「ありがとうございます。本当に助かりました。そうそう、下世話な話になりますが、こういう場合の料金の支払いはどのような形になるんでしょうな?」
「これは司法が関わる事件なので、無料ですよ。小森さんは依頼者ではなく、通報者の立場になります」
「通報者、ですか」
僕はうなずくと、デスクから通報者のための書類を取り出した。この事務所では、滅多に日の目を見ないものだ。
小森さんは鞄から老眼鏡を取り出し、注意深く書類を熟読した後、ようやく記入した。
複雑そうな表情で、僕に用紙を戻す。
「まさか、たった一人の友人と言われた私が、彼の通報者になってしまうなんてね。皮肉なもんです」
「お気持ち、お察しします」
エレベーターの前で、僕は小森さんと別れた。暗い表情ながらも、どこか肩の荷を下ろした感のある老人を、僕はできるかぎりの好青年スマイルで見送った。
エレベーターの扉がしまるやいなや、僕は事務所に引き返した。プルーサー相談事務所───僕の古巣に一刻も早く連絡を入れなくてはならない。プルーサーはこの地域の元締めと言っていいほど大きな事務所なのだ。気心の知れた仲間も多いし、きっと助けになってくれるはずだ。
忙しい事務所への連絡には、携帯より伝令魔が向いてる。僕はキッチンから角砂糖を取り出すと、手の平の上に乗せてつぶやいた。
「パオ、出てきておくれ。頼みたいことがあるんだ」
すると、たちまち僕の指先の空気がゆがみ、蝙蝠より一回りほど大きな体が現れた。小さな小さな真っ黒い丸顔の上で、愛嬌のある黒い目が輝いている。彼が、僕だけの伝令魔、パオだ。
「パオ、ごくろうさん。まず、これをおあがり」
パオは小さな舌をカメレオンのように伸ばして角砂糖にまきつけると、一口でごくんと飲み込んだ。おいおい、そんなんで味がわかるのか?
角砂糖に目がないパオは、いつもすぐに来てくれる。特に、この三温糖の茶色いブロックがお気に入りだ。
「よく飲み込めたかい?いい子だ。今日の仕事を引き受けてくれたら、もうひとつご褒美をあげるよ」
用件を伝えると、賢いパオはすぐに了解して、窓から空の下に飛び立っていった。ほんとうに素直で聞き分けがよくて、かわいい子だ。ドラゴンのクールも良い子だし、僕ってしつけが上手なのかな?なーんて。
伝令魔はトカゲにコウモリの羽を生やしたような奇妙な姿をしている。時空のねじれの向こう側と言われる世界に住む生き物で、パオもほとんどの時間は、そちらで遊んですごす。彼らの主な仕事は伝言を伝えることだが、訓練次第でお茶くみやハンコ押しなど、簡単な手伝いもしてくれる。それくらい手先が器用で賢いのだ。
時空のねじれの向こうの世界。それが具体的にどんな場所なのか、僕たちホルダーはもちろん、高名な物理学者にさえ説明できない。特級ホルダーでさえ、その世界に行くことは不可能といわれている。
それでも、その世界は確かに存在する。そこは僕たちの知る自然と似た環境の中で、ドラゴンやユニコーン、そしてこの伝令魔など、古のおとぎ話に出てくる動物たちが、まるでアフリカの野生動物のように自由に暮らしていると言われている。これらの動物が中世から人々に知られていたのは、古の詩人らが無意識に「向こうの世界」を幻視していたせいだろうというのが歴史学者の説だ。
向こうの世界の生き物たちが、どうして僕たちホルダーと仲良くなれるのか。それは「繋ぎ師」のおかげだ。
日本には三箇所ほど「接続地点」と呼ばれる特別な場所があるという。簡単に言えば、パオ達の時空と、僕たちの時空のつなぎ目になっている場所だ。そこは「繋ぎ師」と呼ばれる特殊な専門組織によって管理されており、具体的な位置も彼らしか知らない。
「繋ぎ師」は「接続地点」の力を借りて、向こうの世界にアクセスすることができる。そして、不思議な住人たちとやりとりし、抵抗されなければ、こちらの世界に召還することができる。
招かれた彼らは、僕たち一般のホルダーにペットのような形で紹介される。そして仲良くなれれば、彼らは専属の使い魔のような役割を果たしてくれるのだ。
仕事に戻り、ジョーさんとともに迷い猫を捕らえたところで、パオが帰ってきた。首に見たことのないピンク色のリボンが結わえ付けてある。おそらく古巣の仲間の誰かが結んだのだろう。この愛嬌あふれる伝令魔は、プルーサー事務所の人気者なのだ。パオもプルーサーのメンバーについて細かく記憶していて、いつ、誰に用事を伝えるのが適切かを自力で判断できる。うーん、賢い。
しかし、パオが特有のキンキン声でもたらした報告は芳しくないものだった。プルーサーは今、大きな案件を八つも抱えていて、手伝いを出せる余裕はないという。来月ならば何とかなるが、できれば他を当たってほしいというのだ。
困った僕の頭に、同じ区画で働く友人、マーベラスの顔が浮かんだ。彼女の勤めるリンフェル事務所は、プルーサーに匹敵する大手だ。アボンビーの件はマスコミの取材も来そうなくらい大きな案件だし、ひょっとしたら手を貸してくれるかもしれない。
考えた末、僕はパオをリンフェル事務所に行かせることにした。すまないね、何度も。
そして、
僕はジョーさんのことをすっかり忘れていたことに気付いた。
大あわてでスクリーンを立ち上げる。画面の上では、ジョーさんが待ちくたびれた顔で座り込んでいた。
ごめん!本当にごめん・・・!
携帯をかけて謝ると、彼は笑って首を横に振った。前の場所から移動した時間を考えると、おそらく三十分は僕を待っていたはずだ。その間、彼から携帯をかけてこなかったのは、スクリーンを消して接客中だろう僕を気遣ったのだろう。
ジョーさんはこんな風に遠慮しすぎるところがある。がまん強い人だけれど、こう相手の顔色を窺ってばかりいたら、世知辛い世の中で損ばかりさせられてしまうんじゃないだろうか?
僕達は息の合ったコンビネーションで無事最後の獲物、シマリスを捕らえることができた。これで今日も一件落着だ。
コーヒー片手に一息ついていると、窓から紫色のドラゴンに乗った客が訪れた。
リンフェル事務所から、マーベラスがわざわざ伝令魔と一緒に出向いてくれたのだ。上司から、僕の案件について打ち合わせをするよう指示されたのだという。
「チーフもアボンビーの名前知っててさ。よければ是非、一緒にやりたいって。ただ、うちのチーム、明日まで取り込み中なのよ」
ここで、彼女はちょっと恩を着せるように間を取った。
「だからね、明後日すぐ、みんなで突入できるように、潜伏先の見取り図を用意してほしいんだって。あと、案内もできればあんたに頼みたいって」
「わかった。助かったよマーベラス」
「どういたしまして」
僕が礼を言っても、マーベラスはむすっとしている。だが、機嫌が悪いわけではない。これが彼女の素なのだ。
八年前、大学のクラスメイトとして知り合った頃、僕は顔を合わせるたび、彼女に訊いていた。
「何を怒ってるんだい?」
たわいない話をしているときも、キャンパスを移動しているときも、彼女はいつも不機嫌そうな表情を浮かべていたから。
僕の度重なる問いかけを、はじめ彼女は素っ気なく否定していた。が、ある日ついにガマンの限界を迎えたのか、怒って言った。
「なにも怒ってないし不満もない。これが普段の私の顔なの。生まれつきふてくされたような顔で悪かったわね!」
僕はびっくりして謝った。マーベラスもすぐに我に返ったようすで、大人げなかったと謝ってきた。その表情がひどく懸命で「やっと怒ってない顔が見れた」と僕が笑いかけると、彼女も「やな奴」とにやりと応酬した。
それから僕たちは、なんとなく気心が知れた仲になったのだった。
僕のデスクに所狭しと飾られたペットの写真や感謝の手紙を眺め、マーベラスの奴、にやにやしてる。いつもなら、ここで「勇み足で開業するから、ペットしかお客が来ない羽目になるのよ」などとバカにした一言が飛び出すのだ。
けれど、今日の彼女は違った
「例の容疑者、アボンビー?だっけ。三級ホルダーの新米事務所にしちゃあ、すごい案件じゃない。ペットの尻尾 ばかり追いかけてると思ってたのに、一体どういうコネ?」
「ペットがくわえてきてくれたコネだよ」
僕は片目をつむってみせた。。
「ペット探し以外の案件は久しぶりなんだ。うれしいけど、正直手に負えないよ。リンフェル事務所の上の人にもよろしく伝えておいて」
そう弱音を吐くと、マーベラスはちょっと満足そうにうなずいた。
彼女は以前から、一足先に独立した同期の僕に、ちょっとライバル意識があるようなのだ。
「ねえ、アボンビーってどんな奴なの?」
「僕もわからないよ。ついさっき話を聞いたばかりだもの。でも突入する屋敷の位置はわかってるんだ。なんなら今、スクリーンで出そうか?ついでに地図もつくっちゃおう」
僕は千里眼スクリーンを浮かび上がらせた。
以前、一度だけ訪れた小森家の母屋が映し出される。今時、滅多に見ない古い木造建築と、その背後を囲む、よく手入れされた竹林。茂みの向こうに覗くプレハブ風の小さな建物が、例の離れだ。
アボンビーは、在宅しているのだろうか?
(室内を探ってみよう)
僕の意識は薄明るい竹藪をすりぬけて、プレハブの玄関の木目調のドアをくぐりぬけようとした。
しかしそこには、千里眼の力を妨げる何かの強い抵抗があって、どうしても中に入れない。仕方なく、家の周囲をさまよって違う場所からの進入を試みたが、ことごとく失敗した。
もしや、これが例のシールドの力だろうか?まるで目に見えない壁が僕の意識と建物の間に立ちふさがっているようだ。
これではアボンビーの顔をみるどころか、家の見取り図さえ作れない。
「ひょっとして家全体にUPシールドを吹きかけたのかな?全然入れないよ」
「だったら相当強力なシールドだね」
マーベラスが眉をしかめた。
僕も考え込む。必要な見取り図も渡せず、ろくな案内もできないまま突入では、本当にリンフェル事務所におんぶに抱っこになってしまう。何とか誠意を見せなくては。
「明日、僕が直接現場の下見をしてくるよ。あと小森さんにも会って大体の部屋の配置を聞いておく。それをもとに立体地図を作成して、明日中にそっちに渡せば何とかなるんじゃないかな?もし、難しいようだったら連絡するよ」
「わかった。そうして」
答えるマーベラスの瞳に真剣な光が宿った。彼女も僕同様、この一筋縄ではいかなそうな相手に興味を刺激されたようだった。
窓から差す西陽がまぶしい。気付けば、ちょうどアレの時間じゃないか。
「マーベラス、ちょっとどいてくれないか?」
「えっ?なによ」
面倒くさそうに身をのけぞらす。
「そっちじゃなくて、前にどいてよ。・・・そうそう」
僕は彼女の背後にあったリモコンに「力」を集中すると、早速テレビに向けてスイッチを入れた。
「何する気?スクリーンの他にも参考映像があるの?」
「えっ?いや、違うよ・・・」
僕は照れくさくて、彼女から目を反らした。そんな真面目に尋ねられたら、本当の理由が言えなくなっちゃうじゃないか。
やがて、チャラーンと軽妙な音楽とともに、画面におなじみの番組タイトルが映し出される。
「笑って☆ツレとも」
僕の大好きなバラエティ番組だ。司会のミヤモトさん、クロガネさんの笑顔を見ることは、欠かせない日課だし、大切な癒しだ。ちなみに一番のお気に入りは40分から始まる「昨夜の夕飯、なんだっけ?」コーナーだったりする。
「なにこれ?仕事の話してるんだから、こんなの止めてよ。せめて録画にして」
至福の時間に、マーベラスがイライラした声でケチをつける。
「生放送なんだぜ?今見なきゃ面白さ半減だよ」
「うるさい。こんなのオバサン番組じゃないの」
「いいじゃないか。ここは僕の家みたいなもんなんだしさ」
諦めたのか、マーベラスはわざとらしくため息をついた。
「あんた、相変わらずテレビが大好きなのね。それも、低俗番組ばっか」
こちらに向ける目差しに軽蔑がこもってる。失礼な奴だなあ。
テレビの笑い声が部屋中に響く中、ドアが開いてジョーさんが戻ってきた。
見知らぬ紫のドラゴンと客人にびっくりしている。そこで僕は彼にマーベラスを紹介した。
「ジョーさん、こっちは僕の友達のマーベラス、リンフェル事務所で働いてる大学の同窓なんだ。今日、引き受けた仕事をリンフェルさんと一緒にやることになったんで、来てもらったんだ」
微笑みかけるマーベラスに、ジョーさんは目をぱちくりさせた。
「ハルさんのお友達ですか」
「そう、ジャストフレンド」
マーベラスが、おどけた手つきで僕を指差す。初対面の他人には、彼女もそれなりに愛想を振りまく。
「それは、それは結構なことで・・・」
何が結構なのか意味不明な言葉を、ジョーさんは口の中でもごもごつぶやいた。殺風景な事務所に突然現れた若い女の子を前にして、少しはにかんでいるようだ。マーベラスも見た目だけはなかなか可愛いからね。本人もそこを計算に入れてるのか、身なりにはいつも気を使っているようだ。
「ハルさん、仰ってた日焼け止めと虫除け、購入してきました。帽子は、駅周辺を回ったのですが、UVと防水機能を備えた商品は見つけられませんでした。明日も探してみますんで、申し訳ありません」
「その、朝言った機能はたとえで言ったまでで、こだわらなくてもいいんだよ。要は使い勝手の良い帽子を買ってほしいってことだから。それに、明日は帽子探しよりずっと大事な仕事があるんだ」
僕は顔をひきしめた。そして、小森邸への調査に同行してほしい由をジョーさんに話した。
説明を聞くにつれ、彼の顔が見る見るひきつっていく。
「そんな恐ろしい学者がひそんでいるかもしれない所に行かなきゃいけないんですか?2級で、おまけに超人講の関係者だなんて、大丈夫なんですか?」
「住居を少し調査して、内容をマーベラスの事務所に送るだけだよ。立体地図と見取り図を作るだけでいいんだ。明後日乗り込むときはマーベラスたちも一緒だから」
青ざめる彼に、努めて落ち着いた笑顔を向ける。
「でも、僕なんかがお役に立てるでしょうか?一緒に行って捕まったりしたら、かえってハルさんの足を引っ張るかも・・・」
ジョーさんの本音は、顔にありありと表れていた。要するに怖いから行きたくないのだ。でも、真面目な性格の彼は、面と向かってイヤと言えない。だから僕に迷惑がかかるみたいな言い方をして、行かなくてもいいと言われるのを期待してるのだ。
で~も~、そうは問屋の僕は卸さない。
「ジョーさんに手伝ってもらえないと困るんだ。大丈夫、「力」が必要なくらい危険なところには行かせないから」
「でも、僕、本当に七級の力しかないし・・・それさえ、緊張したら使えるかどうか」
ジョーさんはすがるように僕を見つめた。いじめられっ子が友達に助けを求めるみたいな目だ。だーっ!そんなふうに見つめられたって、やるよりしょうがないじゃないかーっ!
すると、僕らのやりとりを見ていたマーベラスが、口をはさんできた。
「ごめんなさいね。本当はうちの人間に行かせたいんですけど、人手がたりないんです。不安でしょうけど、どうか宜しくお願いします」
らしくない遠慮深い物言いに、僕はびっくりして彼女を見つめた。
しおらしく伏せた目元には、誰かが支えてあげないと崩れてしまいそうな風情がこもってる。何、か弱い美少女キャラ演じてるんだよ?完全に演技。彼女は決してこんなキャラじゃない。
が、彼女の正体を知らないジョーさんには効果覿面だった。
「いや、僕、行くのが嫌なわけじゃないんです。心配かけてすみません。大丈夫、行きますよ」
ジョーさんはおろおろしながらも、マーベラスの信頼を繋ごうと作り笑いまでしてみせた。そのくせ、彼女にほほえみかけられると、今度は慌てて目をそらす。
この、もじもじした表情、まるで中学生みたいだ。もしかしたらジョーさんのこれまでの人生って、若い女の子と話す機会が極めて少なかったのかも・・・
折角だから、僕も一緒にもじもじしてみるか。
「マーベラス、立体地図の件なんだけど・・・」
「なによ?」
「僕、作り方忘れちゃったなあ、なんて」
「ウソでしょ!信じられない!」
本気で目を丸くしてる。おーん、そんなに引かなくったって。
「でも公認事務所なんだから、ここにだって器機はあるんでしょ?」
「もちろんあるさ!あるけど、使う機会がなくって・・・立体地図を作ったのなんて大学の実習が最後だったもんだから」
「大学の実習!?もう、何年も前の話じゃないの。プルーサーに居たときに立体地図作らなかったの?最大手の事務所なのに」
「プルーサーは現場主義なもんだから」
「噂に違わずね。リンフェルに入って良かった。ちゃんと内勤にも力入れてるから。もちろん現場にも手は抜かないけどね」
僕はむっとした。僕がダメだからって、その古巣までけなす必要ないだろう?いくらリンフェルが地区二位の事務所に甘んじてるからってさ・・・。
しかし、彼女と喧嘩するわけにはいかない。これから立体地図の作り方を教えてもらわなくてはならないのだ。
僕は「力」でロッカーを開けると、奥から立体地図の作製器をこちらに運んだ。積もった埃をゴミ箱に払ってからなのは、言うまでもない。
「じゃ、早速使うから見てなさい。今、このビルの一階付近を立体化して見せるからね」
マーベラスは大学の時の担当教授みたいな口調で告げた。アイカバーとヘッドカバーをつける顔も得意満面だ。教えてくれるのは嬉しいけど、ちょっと調子に乗りすぎじゃないのか?
立体地図とは千里眼で写した映像を箱庭の中にジオラマのように再現したものだ。千里眼が使える者なら、器機があれば誰でも作れる。ただ、使い方にコツがあるのだ。
マーベラスの千里眼スクリーンの映像が器機の内部に映し出される。
「・・・視点を固定して、中心点からズレないようにN極の方向に・・・あれっ?」
彼女が驚くように、箱庭は空っぽのままだ。
「おかしい!事務所で作るときはいつも上手くいくのに・・・」
マーベラスはおろおろと器機と箱庭を見つめる。
「これ、壊れてるんじゃないの?」
「まさか。新品同然だよ。一回も使ってないんだもの」
「じゃ、不良品じゃない?」
それは否定しきれない。保証期間はもう過ぎてるはずだし、また購入しなおして教えを請わなきゃならないのか・・・面倒くさい。
そこへ、遠巻きにぼくらを眺めてたジョーさんが近づいてきた。
「固定点を指定するピンを箱庭に刺してない・・・ってことはないでしょうか?」
「ピン?」
「この器機は少し古い型でしょう。最新式は自動的に中心を固定して立体化してくれますけど
確かに、型落ちの激安品を購入したけど・・・まいったな。
「そういえば大学の実習の時、こんなのを刺したような気がする」
マーベラスがぽつりとつぶやく。
「やあだ、あんたの所の作成器のせいだったんじゃないの。リンフェルは最新式を購入してるからね。おかしいと思った」
「古いタイプには古いタイプの良さがありますよ。微調整は古いタイプのほうがしやすいと本にありました」
マーベラスは再びチャレンジした。今度は立体地図はすぐに浮かび上がった。が、像が揺らいで安定しない。
「まだピントがブレてるんです。視点を平面から七十度ぐらいにして、中心点をピンの上に固定すると、器機が受信しやすいそうですよ」
「七十度。そういえば、それも大学で聞いた気がする」
マーベラスは、体勢を変えた。今度は、見事な立体地図ができあがった。
「よかった。上手くいって」
ジョーさんったら、僕以上に喜んで見える。
「作成器のこと、お詳しいんですね。七級なのに」
負けず嫌いのマーベラスの言葉には皮肉がこもっている。しかしジョーさんには通じなかったようだ。
「僕、知識を身につけることが、好きなんです。どんなことでも」
答えた後、自分の言葉に照れたのか、もじもじとうつむいてしまう。
「あたしが上手くできても仕方ないわ。ハル、やってみなさいよ」
「うん」
マーベラスがやるのを見たおかげで、だいぶ使い方を思い出してきた。
「七十度ですよ。七十度。垂直方向から考えて三十度の方がいいかな」
ジョーさんがぼそぼそとアドバイスする。
僕は、先ほどのやりとりを頭に入れて千里眼スクリーンを使った。まもなく箱庭に駅前のにぎやかな街並みが作り出される。
「できた!できたよ!」
「良かったですね」
「ジョーさんのおかげですね」
マーベラスに褒められて、ジョーさんはひどく赤面した。そして恥ずかしくなったのか、いきなりもう帰宅すると言い出した。
僕はうなずいて手を振った。ジョーさんはドアの向こうに消えかけたが、マーベラスがにっこりして別れの挨拶をすると、さよならを言うため、わざわざ引き返してきた。
そのにやけ顔を眺めながら、僕はどうか明日彼が仮病を使って休んだりしないよう祈った。もう、マーベラスのためでもなんでもいいから。
ドアが閉まり足音が遠ざかると、いつもの仏頂面に戻ったマーベラスが肩をそびやかした。
「あれがハルん所のバイト?サエない人ねえ。ホラ、大学のゼミでモテないネタで笑い取ってた彼、なんて名前だっけ?似てるよね」
そう、せせら笑いを浮かべる。このタバコの煙でも吹きつけてきそうな横顔。悪女を超えて毒女だよ。ジョーさんには悪いけど、これが素顔なんだよなあ・・・。
突然、僕たちの背後から、聞いたことのない女性の声がした。
「こんなところで仕事もせず他人の悪口とは暢気なものね。マーベラスちゃん」
「はっ!先輩!」
マーベラスはびくっと身を震え上がらせ、周囲を見回した。
振り返ると千里眼スクリーンに、丸顔のかわいらしい雰囲気の女性の顔が映し出されている。スクリーンが小さめなのは、使い手の能力が低いせいだろう。
青ざめた顔でスクリーンに向かうマーベラスを、相手の女性は腕組みしてにらみつけている。
「ねえ、マーベラスちゃん、一体いつ戻ってくるの?みんなが忙しい今くらい真面目に働いてくれてもいいんじゃないの?」
表情は穏やかだが、瞳は凍てついている。童顔に似合わず嫌味たっぷりだ。
テレビから聞こえる出演者たちの笑い声、きっとスクリーンの向こうの先輩の耳にも届いているだろう。これじゃあ、遊んでると思われても仕方ないかも・・・マーベラス、ごめん。
「申し訳ありません。チーフに頼まれて明後日の案件について、ハル事務所さんと打ち合わせてたんです」
マーベラスはスクリーンに向かってぺこぺこ頭を下げた。
「言い訳はいいから。お喋りをする暇があるならすぐに戻ってね。残業が増えると怒られるのは私なんだから」
「はいっ、すみません。すぐに戻ります」
スクリーンが消えると、マーベラスはたちまちふくれ面になった。
「もう!こんな所まで追ってきて後輩のチェックする暇があるなら、その分自分が働けっての!お局め!」
「お局なの?」
「まあね。私の天敵よ。同じチームなんだけど、入ったときからずっと目の仇にされてんの。あたしは三級で、向こうは先輩なのに四級しかないから妬んでるんだってみんな言ってるわ。ホント、年ばかり食って器が小さいって最低よねえ?今に見てろって思う」
そう、反抗的に顎を突き出す。不機嫌さが、元からの仏頂面に磨きをかけている。
自慢の美貌が台無しだ。僕はこっそり苦笑い。
学生時代から生意気で毒舌家の彼女だが、今の先輩への低姿勢を見ると、それなりに苦労しているみたいだ。
───そして、当日。
僕とジョーさんは竹薮の入り口に来ていた。
時刻は午後三時すぎ、夏の容赦ない日差しもやや盛りを過ぎた時間だ。薄暗い竹林の奥に見えるのは、褐色のトタン板に覆われた小さな家屋。昨日、事務所で透視したのと同じ風景が今は目の前にある。
母屋の小森さん宅は無人だ。最近はアボンビーを怖がって夫婦ともに近所の息子の家に世話になっているという。
竹林というのは不思議な所だ。雑木林と同じく鬱蒼としていながら、枝葉が華奢なため、太陽の光が通って明るい。風が葉をなでるさらさらと物寂しい音は、先に待ち構える家屋の不気味さも相まって、異空間にでも迷い込んだような感覚に陥らせる。ふと迷宮という言葉が頭に浮かんだ。
「竹って変わった植物だよね。他の木と全然ちがう」
「単子葉類の樹木は珍しいですからね」
とジョーさん。
「樹木というのは正確じゃなかったな。竹は樹木と草花の両方の特徴を備えた特殊な植物なんです。だから竹の幹は幹って呼ばない、桿って呼ぶんですよ」
「へえ、そうなんだ」
薀蓄をたれながらも、ジョーさんは僕に影のようにぴったりくっついて離れようとしない。その視線はまっすぐに標的の家に向けられている。その、おびえきった瞳を見ると、ハツカネズミを連想してしまう。1メートル八十を超える彼をネズミだなんて、おかしいけどさ。
こんなジョーさんでも、僕にとってはたのもしかった。万一、僕がアボンビーに捕われても、助けを呼んでくれる人がいるのだ。そう、万が一・・・僕はポケットにしのばせたMSチェーンの硬い感触を、手のひらにもう一度確認した。
調査のための道具を広げようとした矢先、ジョーさんがとんでもないことを言いだした。
「こうして場所も確認したし、もう帰っても良ろしいんでしょうか?」
「えっ!何言ってんだよジョーさん!家の近くに来ただけで何の調査もしてないじゃないか。これからが本番だよ」
ジョーさんは信じられないと言いたげに僕を見た。僕だって君の言葉が信じられないよ。
「じゃあ・・・僕はあと何をすればいいんですか」
「事務所に帰ったら立体地図を作りたいから、家の周囲を測量してほしい。僕は窓から室内のほうを調べるから」
と、彼に器具を手渡す。
「もしアボンビーに鉢合わせたら、小森さんに庭の改造を頼まれた庭師だって言うんだ。それと奴の顔を見ておきたいから、責任者が挨拶するとか理由をつけて僕を呼んでほしい」
「・・・アボンビーに会うかもしれないんですか?」
「なあに、奴のほうにだって人目を避けたい事情がある。相談所の人間だってバレない限り、騒ぎ立てたりしないよ。さあ、行こう」
僕はジョーさんを先導しようと枯葉を踏み分けながら家に向かった。近づくにつれて、家のようすがはっきりしてくる。カーテンまでぴっちり閉められた窓、もしかして留守だろうか?
ふと振り向くとジョーさんがいない。びっくりして辺りを見回すと、彼は先ほど僕と話し込んでいた場所に立ちすくんだままだ。どうやら後をついて来なかったらしい。
僕は慌てて引き返した。
「ジョーさん、どうして来てくれないの?」
「ダメです。足がすくんで動けません。僕はここで待ってます。言われたとおり、ハルさんが危険な状態になったら助けを呼びますから。ごめんなさい。ひえええ~」
彼はそう言うなり、頭を抱えてその場にしゃがみこんでしまった。
その姿を見下ろしていると、つい脱力のため息が出てくる。
ああ、世話がやける!
僕がもっと強気な性格なら「しっかりしろよ!男だろ!」と一喝してるところだが、そんなこと言えるはずもなく、僕は僕なりのやり方でジョーさんをなだめるしかなかった。
「大丈夫だよ。僕も一緒だし。それに窓越しに見た様子だと、今あの家は誰もいないようだ」
「でも、もしいたら?もしいたら?」
「じゃあ、僕が先にあの家に行って、留守か確かめてから君も行く。それでいいだろう?」
「留守じゃないぞ。あれはワシの住んでる家だ」
背後から突然発せられた声に、僕もジョーさんも飛び上がった。
そこには、小柄な老人が立っていた。片手にあるスーパーのものらしい買い物袋の生活臭と、凹凸のはっきりした猛禽類のような顔立ちがひどくアンバランスだ。
おそるおそる僕はきいた。
「あなたはアボンビーさんですか?」
「そうだ。君ら、アヅミくんのところから派遣されたホルダーだろう?わしは能力者は一目でわかるんだ。まさか今日来てくれるとは思わなかった。歓迎するよ」
どういうわけか上機嫌のアボンビー老人は、僕達を自宅に迎え入れるつもりらしい。
「さ、こっちだ。竹の根で転ばんよう気をつけてな」
思いがけない応対に、僕とジョーさんは驚いて互いに目を見交わした。
どうも老人は僕らを超人講の関係者と間違えているようだ。アヅミというのも、おそらく超人講の人間だろう。
どうするか?
リスクは高い。だが家に入れるならば、室内の具体的な見取り図を手に入れるまたとないチャンスだ。
ポケットの中のMSチェーンを再び確認すると、僕は決意した。ジョーさんの肩を叩いて誘うと、急いで老人の後を追う。
十歩ほど進んだところで、アボンビーは急に立ち止まった。
「彼はどうして来ないんだね?」
厳めしい視線は僕を通り越して、その後ろに向かっている。
振り向くとジョーさんが立ちすくんでいた。先ほどの場所から一歩も動いていない。またか!
「早く来なさい!」
アボンビーの鋭い眼光に、ジョーさんは縮み上がった。
「いや、その、ぼくは用事があるんでもう帰ります」
恐怖のあまり声がひっくりかえっている。蛇ににらまれたカエルとはまさにこのことだ。
しかし、アボンビーは彼を許してくれなかった。
「用事?わざわざ遠くから訪ねて来たのに話も聞かずに帰るとは、一体どんな用事があるというんです?まさかワシの顔を見るためだけにここまで来たわけではありますまい」
アボンビーは明らかに気分を害していた。鷲のような瞳に疑惑が生まれている。
まずいぞ!僕は慌てて助け船を出した。。
「ジョーさん、用事ってアレのことでしょう。大丈夫、僕がやっておいたよ。さあ、二人でアボンビー先生の話を聞こうじゃないか」
「いやあ、先生なんて呼ばれるのは久しぶりで照れますなあ」
アボンビーは歯があらわになるほど笑顔になった。とっさに口をついて出た「先生」という呼称が功を奏したようだ。ラッキー!
しかしジョーさんは幸運どころじゃなかった。泣きそうな目で僕に哀訴してくる。
励まそうと駆け寄ると、彼はささやき声で僕を責めた。
「危険な目にはあわせないって言ってたじゃないですか!」
どきっ。確かにアボンビーの家で彼と対峙するなんて、虎穴に飛び込むようなものだ。七級のジョーさんを連れて行くのはたしかに危険。でも、さっきの状況じゃ仕方なかったんだよー。
「ごめん、ジョーさん。わかってくれ。何かあったら僕が全力で守るから」
ジョーさんは僕をじっと見つめ、がっくり肩を落とした。
頼むから、そんなに露骨な態度しないで。アボンビーがじれったそうに見てるよ。
「彼は来ないのかね?」
「とんでもない!憧れの先生を前にして緊張してしまったそうです。ただ今まいります」
僕はジョーさんの背中を押して建物に向かった。