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秋鋼  作者: MTL2
493/600

歪んだ正義と平和


「……」


女将は台所の端で小さな携帯電話を胸に抱えていた

何も物言わず、彼女はただそれを愛しい我が子のように胸の中に納めていた

やがて暫く経った後、徐に携帯電話が光を放って振動する


「……来た、わね」


ゆっくりとそれを耳に当てて、女将は神妙な面立ちで電話相手の声を待つ

数秒もしない内に相手の声が彼女の耳に届く

静かに息を吐き、女将は相手の声に応える


「ベルアちゃん達は布施川君と一緒に脱出したわ」

「これで良いのね?」


電話口から帰ってくる相手の声に女将は満足そうに頷く

冷蔵庫の取っ手に着いた温度操作のボタンを数回押して、彼女は再び相手に言葉を返す


「私は私で彼の……、十逆君の残したこれを解析するわ」

「すぐにそっちに情報を送るから」

「…………えぇ、解ってるわ」

「だからこそよ」

「私は単なる蕎麦屋の女将」

「そして」


冷蔵庫が地鳴りにも似た鈍く重い音を立てて移動する

その奥から足元が見える程度に照らされた照明と、それに続く階段があった


「単なる元軍関係者」

「単なる元軍能力研究局副局長よ」



秋葉原


高層ビル七階


「怖いねぇ」


楽しそうに小笑する祭峰は携帯電話を奇怪神に向かって投げ渡す

それを片手で受け取った奇怪神はため息混じりに肩を落とす


「彼女は元々、私の上司でした」

「私が能力開発局長となった頃に退任したのだったと思います」


「どうしてこう、開発者や研究者には変人が多いかね」

「ま、どうでも良いけど」


「変人とは失礼ですね」

「少なくとも私はまともですよ?」


「よく言うぜ、全く」


呆れ果てた祭峰は、前の机の上から煙草を手に取る

そこから一本を取り出して咥え、指先に火を点す


「本当に死んだのか、十逆」


「……えぇ、そうですね」


「あの変態がねぇ」


奇怪神と祭峰だけの部屋に、白い煙が揺れ動く

煙たそうに咳き込んだ奇怪神は煙を振り払うが、逆にそれは彼の腕に纏わりついた

深くため息を吐いた奇怪神は不機嫌そうな視線を祭峰に送る


「ん、まぁそう睨むな、って」

「こんな時ぐらい吸いたいじゃん?」


「煙草は体に悪いですよ」


「オトーサマだって吸うでしょーが」


「……私は吸いませんよ、止めましたから」

「狼亞の前では有害そのものですし」


「その狼亞ちゃんを奪われちゃ話にならないよねー」


何気なく煙を吹かす彼に奇怪神はさらに不機嫌な視線を向ける

口元を歪めて笑いを零す祭峰に再び奇怪神は眉をしかめた


「何で奪われた?オトーサマ」


「……その、[お父様]はやめてください」


「おいおい、違いねぇだろ?」

「俺を実験台のモルモットにしてくださったのはアンタだよな?」


「皮肉、ですか?」


「さてね」


祭峰が大きく息を吸い込むと、煙草の先が大幅に灰を生み出した

垂れ下がった灰を灰皿に落として再び煙草を口に咥え戻す

ほんの少しの静寂に退屈するように彼は唇を上下に動かして煙草の先端から小さな灰を零し落とす


「今更だ」

「地獄を除いた時点で、アンタはもう逃げられない」

「必死に目を背けて足掻いた所で繋がれた鎖を解くことは出来ない」


「えぇ、解っています」

「そして私はそれに狼亞を巻き込んでしまった」


「巻き込む?違うねぇ」

「元から巻き込んでいた、連れ込んでいた」

「地獄の底に、悪魔の元に」

「知っていたはずだ、理解していたはずだ」

「お前はまだ、目を背けてんじゃねぇのか」


「……否定できませんね」

「その通り、私は悪魔のくせに人間を装っている」

「そして今、私は正義を装って悪を望んでいる」


「流石、お前らしい」

「今のお前の眼はそうだ」

「創生計画総責任者の、悪魔の眼だよ」


「私は嘗て人の命を弄んだ」

「それを悦として、それを楽とした」

「そして生み出しました、生み出してしまいました」

「貴方達、化け物を」


「結構じゃねぇか」

「その化け物とやらは今じゃ正義のヒーローだ」


「……どうでしょうね」

「私達は世界に対して悪となるかも知れないのに」


「何だ、解ってたのか」


「当たり前でしょう」

「……軍が、ベルアさん達に手を出さない理由を考えれば当然です」

「いいえ、確信したと言えば良いでしょうか」

「神無君が目指しているのは……」


「世界平和」


「えぇ、そうでしょうね」

「彼は世界の人々が争わなくていいように、絵に描いた様な平和を目指している」

「世界からすれば悪」

「……敵です」


「俺達は各個人の恨みと信念と決意の元に動いている」

「十七発の弾丸は少なくとも世界で百以上の命を奪う事になるかも知れない」


「それでも貴方達が諦めることはない」


「当然」


煙草は宙に跳ね上がり黄色い炎に焼き尽くされる

塵ほどの細かい灰が祭峰の頭上に降り注ぎ、風に連れ去られていく

彼の曇ることも揺らぐこともない眼光に奇怪神は楽しそうに笑みを零した


「覚悟」

「決意」

「信念」

「俺達はそれを持って、生きている」

「それを歪ませる事は何人たりとも不可能だ」


「例えそれが……、世界を歪ませる悪の所業だとしても?」


「俺達は正義のヒーローだ」

「だけどアニメや漫画の中みたいに正しいだけの[正義]じゃねぇ」

「正義の形は一つじゃない」

「そして、平和の形も然りだ」


「……歪んだ正義と平和ですか」


「面白そうだろ?」

「俺は恨みを晴らしてそれを目指す」


「歪んでいますね」


「それを認めてくれた家族が居るから、俺は歩める」


「……そうですか」


満足そうに微笑んだ奇怪神は祭峰の煙草の箱に手を伸ばす

そこから一本を抜き取り、彼に火を求める

吸わないんじゃないのか?と呆れながら笑う彼に対して奇怪神は少しだけ、と片目を瞑る

祭峰は表情を呆れ笑いから得意の下卑た笑みに変えた



高層ビル三階


「……ッ」


クォンは少しだけ息み、そして全身を脱力させた

彼は突き出した拳をゆっくりと引いて腰元に戻す


「……九十六」


彼は九十六回、その行為を繰り返していた

全身の筋肉を収縮させて解放する

それは呼吸による血液の流れを規則的に急激に上昇、下降を繰り返す訓練の一種である

空虚な部屋でただ一人、それを行っていた彼の体は水に浸かったようにぐっしょりと濡れていた


「……ッ」


九十七回目のそれを行った彼の全身は視覚できる程に膨張した

筋肉による膨張をクォンは息を吐いて解除する

彼の首筋を汗が伝って、皮膚上の汗を取り込んで大きさを増していく

やがて腰元に巻かれた上着に吸収される頃、彼は九十八回目の筋肉の膨張を行った


「やってるな」


クォンが息を吐いたと同時に、その軽快な声は空虚な部屋を通り抜けていく

その全身を暗闇に溶かすように男は立っていた


「鉄珠か」

「何の用だ?」


「お前に聞きたい事があってさ」


「何も知らんぞ」


「ちょっ!?せめて何の事か聞いてくれよ!!」


彼の言葉を無視するように、クォンは再び筋肉を膨張させて開放する

九十九回目の訓練だった


「聞くだけだからな」


「お!有り難いねぇ」


「余計な前置きは要らねぇ」

「用件だけを言え」


「神無」

「アイツのこと、何処まで知ってる」


「何処、か」

「何も……、何も知らねぇな」


「嘘つけ」

「お前、軍学校時代からの付き合いだろ」


「それだけだ」

「お前は昔の友の事を全て覚えてるのか?」


「いんや、覚えてないね」

「愛した女の事なら覚えてるけどね」


「黙れ女たらし」


「失礼なこと言うねー」

「俺は憧れてるだけさ」

「人間に」


「人間に憧れてる……、だと?」


「どう思う?」

「元から人間じゃない俺は人間に憧れてんのさ」


自嘲気味た笑みで鉄珠は白い歯を見せて頬を緩める

端目で彼を見たクォンは静かに息を吸い込み、拳を伸ばす


「お前は人間だろう」


口に溜まった、ほんの少しだけの空気でクォンは鉄珠に言葉を返す

その刹那、彼は拳を突き出して全身に力を込めて息んだ

筋肉を膨張させ、空気を吐き出した彼は百回目の訓練を終了させた


「人間の俺は俺になって三十年ぐらいで死んだよ」

「もう俺は体も中身も化け物さ」


「それで?」


「だろうなぁ、お前はそんな反応を返すと思ってたよ」

「有り難いけどさ」


「用件だけを言えと言ったはずだが」


「ま、そう言うなって」

「付き合ってくれよ……、俺の昔話にさ」



読んでいただきありがとうございました

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