親善大使使者
「えっと、ベルアさんですね?」
「はい?」
ベルアを呼び止めたのは受付嬢だった
彼女は少し困惑するベルアの元へと駆け寄って行き、小さな携帯電話を渡す
それにはベルアの見覚えある番号が移っていた
「受付に電話が入りまして」
「急ぎの用だったとの事でお届けに参りました」
受付嬢は一礼してその場を去って行った
さらに困惑の表情を深めたベルアは携帯電話を恐る恐る耳に当てる
「……もしもし?」
『ベルアか』
『近くにクロルとセントは居るな?』
「し、支部長!?」
『デカい声を出すな』
『軍本部を出ろ、今すぐだ』
『その後、地下街を出て暫くの場所にある蕎麦屋に迎え』
『その場所はセントが知っている』
「ど、どういう……?」
『お前が話している携帯は蕎麦屋に居る女将に渡せ』
『解ったな?』
「え、あの」
ベルアの質問など一切受け付けず、電話は切られる
呆然と耳からそれを離した彼女にはセントとクロルの戸惑いの眼差しが向けられていた
彼女達の眼差しと携帯電話の画面にベルアは視線を交差させ、さらに困惑する
「な、何があったの?」
「急ぎの用件だったみたいですけド……」
二人の困惑した声を聴いて、意を決したようにベルアは携帯電話を握りしめて懐にしまう
困惑を振り払って、彼女はクロルとセントの腕を掴む
「連いて来てくださいです」
「ど、何処に行くのですカ?」
「私達は親善大使使者として来たのですヨ?」
「勝手な行動はまずいのでハ……」
「ウェスタ支部長が急ぎで移動しろ、との電話でしタ」
「何か理由があると思いまス」
「い、良いの?ベルア」
「い、一斑お兄ちゃんとのお話は……」
「……それは、後です」
「支部長が電話で急がせるほどなら、何か理由があるはずです」
「で、でも、リンデルちゃんのこと……」
「……リンデルは生きてるです」
「僚艦が居なくなったのとリンデルが消えたのは同時期」
「必ず何かあるはずです」
「私は信じてるです」
「あの響さんがリンデルを殺すはずなんてない、って」
「そ、それを一斑お兄ちゃんに言いに来たんでしょ?」
「い、言う前に帰っちゃ意味が……」
「私は、ロンドン支部と軍本部の復縁の為に来たんです」
「私情は後に回すべきです」
「で、でも……」
「私情ってのは大事にするモンだぜ?」
「いつまでも後回しじゃ、いつしか自分を壊しちまうからなァ」
ベルア達の背後に立っていたのは、白い歯を見せて笑う一人の男だった
身長は優に彼女達を超えており、腕は常人よりも少し長い
その長い腕を彼女達三人を囲う様に伸ばし、セントとクロルの肩に掌を置く
「何処に行く?餓鬼共」
「No,3が部屋に行けと命令したんじゃねぇのかァ?」
「だ……、誰ですカ?」
「総督直属部隊、セクメト」
「テメェ等の監視役だ」
セクメトと名乗った男はさらに口元を裂いて笑みを歪める
彼のその表情にクロルは身を震わせていた
表情を強めたベルアとセントは彼の手を払いのけ、数歩前へ出る
叩かれた手を冷ますように振るうセクメトはさらに笑みを歪めていた
「総督直属部隊だか何だか知りませんが気安く触れないでくださいです!!」
「気の強ぇ女は嫌いじゃねぇぜ」
「ただ……、ちょっと調子に乗り過ぎじゃねぇのか?」
セクメトの表情が冷徹な物へと変わり、笑顔は苛つきの表情へと変わった
底の見えない海底のような声と目色からは殺気が放たれてベルア達を圧する
絶対零度に晒されたかのように彼女達の肩や膝が震え、クロルは立つ事すらままならなくなっていた
それを楽しむようにセクメトは両腕を広げて彼女達の前まで歩み出る
恐怖と殺気に気圧された彼女達はその塊に目を向けることなど出来ず、ただ俯いている
「この時期に親善大使?仲良くしましょう?」
「知ってんだぜ?テメェん所の守護神が裏切ったのは」
「ロンドン支部長のウェスタは裏切り者総督さんと裏切り者元No,3さんと親友だったらしいじゃねぇか」
「信用しろ、って方が無理だろ」
「アメリカ支部だってそうだぜ」
「元々は支部単位で裏切ったんだしな」
「結局、罰せられたのは首謀者であるシェンディ・ステラと極一部の幹部だけだ」
「裏切りに賛同したはずの支部員共はどうしたァ?」
「わ、私達は親善大使使者として……」
「スパイに来ました、ってか?」
「ち、違……」
「いいや、違わないね」
「コヨーテの審査を通り抜けたからって良い気になってんじゃねェぞ」
「アイツは爪が甘い所があるからなァ」
「何なら、どうだ?」
「ここで死ぬか?」
ベルア達は首に細糸を巻きつけられた様に呻き声をあげる
一切の呼吸を許される事無く彼女達の首に掛かる圧力は強さを増していく
クロルとベルアの膝が折れて地面に付き、必死に喉を抑えて目を見開いていた
セントは歯を食いしばり拳を震わせて猛然とセクメトの力に抗っていた
「ちょちょちょ!ちょっとぉ!!何してるんですかぁあああああーーーーーッッッッ!!!」
セクメトは脇腹に突進を受けて吹き飛ばされる
それと同時にベルア達にかかる能力は解け、彼女達の肺に一気に空気が送り込まれる
必死に呼吸を繰り返す彼女達の目に映ったのは青ざめた表情で突っ立つ一人の少年だった
「い、勢い付け過ぎた……」
「……テメェ、アヌビス」
「死ぬ覚悟は出来てんだろうなァアアアアアアアア!?」
怒号と共に飛び起きたセクメトにアヌビスは情けない声をあげて後退する
しかし、それでも強気に出るのか、震える足を前に出してセクメトに向かって指を突きつける
「か、神無様の命令を忘れたんですか!?」
「俺っち達は彼女達の監視をするだけで手出しは厳禁!!」
「監視以外の行動は許可されていないはずですよ!?」
「何だテメェ……、裏切り者の肩を持つのか?」
「親善大使使者でしょうが!」
「違うな、コイツ等は裏切り者だ」
「とっとと殺しちまえば良い」
「駄目ですよ!!」
「テメェが俺を抑える理由が有ンのか?クソガキがよォ」
呆れたようにアヌビスはため息をついてベルア達の元へと歩いて行く
彼の背後ではセクメトが殺気を放ち、獲物を狙う獣のような眼光を放っていた
「すいません、アメリカ支部とロンドン支部の親善大使使者さん」
「あの人はあぁなると、もう止まらないんですよ」
「あ、あの……」
「俺っちはあの人と同じ総督直属部隊のアヌビスです」
「もうホント、暴走すると止まらない人で……」
「本当にすいません……」
申し訳なさそうに声を弱め、ベルア達にアヌビスは深々しく頭を下げる
慌ててそれを止めるベルアとセントに、彼は再び申し訳ないです、と頭を下げる
「……でも、実はあの人の言う通り」
「アメリカ支部とロンドン支部は良い目で見られてないんですよ」
「ここに居るのは余りオススメできない……、と思います」
「わ、私達は今、支部長から移動指令を受けて……」
「丁度良いですね」
「あの人は俺っちがどうにかしますんで、さっさと逃げちゃってください」
「あ、ありがとうございます……」
ベルアとセントはクロルを支え、その場を急き足で去っていく
必死に逃げていく彼女達をセクメトとアヌビスは見えなくなるまでその背中を見ていた
「……これで良かったのか、コヨーテ」
セクメトは重々しい声で背中越し壁へと語りかける
丁度、ベルア達が先刻立っていた位置から視界となる角にその男は居た
「爪が甘いとは言ってくれるじゃないか、セクメト」
「何の為にお前達に下手な芝居を打たせたと思っている?」
「だから、だろうが」
「何処ぞのクソガキは俺の脇腹に全力で突っ込んで来るしよォ」
「故意か?普段の恨みか?」
「そんなの理由に二割ぐらいしか入ってないですよ」
「入ってんじゃねぇか」
「ぶっ殺すぞ」
「ま、まぁまぁ、落ち着きましょうよ」
「だけど、俺っちにはあの人達は悪い人達に見えなかったですよ?」
「ふつーの女の子、って感じで」
「悪いもクソもあるか」
「神無様に害成すものは敵だ」
「俺達の希望に害成すものは敵だ、皆殺しだ」
「それだけだろうがよ」
「その通りだ」
「さて、連中が移動した先で異行を起こせば即抹殺も許可されている」
「下手に手を回される前に……」
コヨーテは言葉を打ち切り、足を止める
それを怪訝そうに見るセクメトとアヌビスは彼の視線を追い、やがて一人の男に辿り着いた
「どういうつもりだ?No,3」
彼等の前に立ちはだかっていたのは一斑だった
白い布地に黒い液体を付着させ、皮膚には汗が滲んでいた
それだけならば、ただ立っているだけだと、扉を修理し終わっただけだろうとも思える
だが、彼には明確な殺意と戦闘意思があった
「その展開した護符の理由を聞こうか?」
「それとも、そんな物は不要か?」
「……理由なんざ解り切っとぅやろうが」
「お前等、どういうつもりや?」
「アイツ等はアメリカ支部とロンドン支部の親善大使使者やぞ」
「手ェ出したらタダ事ちゃうで」
牽制するように一斑は言葉の語尾を強めて眼光を鋭く唸らせる
それを嘲笑うかのようにセクメトは踏み出し、下卑た笑みを浮かべた
「何にも解ってねぇなァ、No,3様ァ?」
「奴等は裏切り者の可能性が高いんだよ」
「それだけで充分だろうが、理由なんざよォ」
「理由にもなっとらんやないか、阿呆が」
「二大支部を敵に回して何するつもりや」
「しかも独断やろ、これ」
「二大支部だろうが何だろうが、裏切り者なら殺すだけだ」
「独断だろうが何だろうが、神無様の為なら喜んで四肢でも捨てる」
「以上だ、何か質問は?」
淡々と述べるセクメトとコヨーテに、一斑の表情は複雑さを含んでいく
独りおどおどと怖気付いているアヌビスを無視して、さらに二人は一斑に言葉を投げつける
「そもそも、テメェが気に入らねェ」
「クォーターってだけでNo,3に入りやがってよォ」
「良い気分かァ?何の努力もせず手に入れた地位は!」
セクメトの挑発に一斑は目に見えて苛つきを露わにする
呆れ果てたようにため息をつくコヨーテの隣でセクメトはさらに醜い笑い声を上げる
「……ちと、調子乗り過ぎちゃうか?総督直属部隊」
「今、ここでお前等をぶっ殺しても良ぇねんぞ」
「ほォ?やってみろよ」
「No,3様?」
「上等じゃ……、クソが」
「後悔しぃなや……」
「やってやるぜ、クソガキ」
「血統だけのお坊ちゃまデブがよォ……」
一斑の周囲を護符が回転してその数を増し始めた
明らかな殺意を放ち、彼の眼光は紅く染まっていく
セクメトも殺意を明確にし両手の周囲に黒い物質を生成し始めた
双方が殺気を衝突させ合い、今にも衝突しそうな状態となる
「止めろ」
その二人を止めたのはコヨーテとアヌビスだった
アヌビスは一斑の周囲を黄褐色の液体で覆い尽くし、護符を溶解させていた
コヨーテもセクメトの手を抑えて黒い物質を霧散させていた
「No,3、止めるならば止めるが良い」
「だが、我々はそれに対して容赦しない」
「現状は三対一……、どちらが有利かは目に見えているだろう?」
「そ、そうですよ!無駄に戦うことないですって!」
「俺っちも無駄な戦いは好きじゃないし……」
「……見逃すのかよ、コイツを」
「コイツは明らかに俺達とは目指してるモンが違う」
「いつしか障害になるぞ」
「それまで捨て置くだけだ」
「No,3、それでも止めるか?」
「当然やろ」
その一言にアヌビスは驚き、コヨーテは肩を落とす
セクメトは二人に反して嬉しそうに再び拳を構える
「待て、セクメト」
「止めろ」
「止めてくれるなよ、コヨーテ」
「コイツは、この餓鬼は今!明らかに戦意を見せてやがる!!」
「殺られてぇなら殺ってやるだけだろうがよ!!」
「……No,3、先程、貴様は言ったな」
「「独断だろう」と」
「……言うたな」
「その通りだ」
「これは我々の独断、俺の独断だ」
「貴様が正論だな」
コヨーテは踵を返し、角を曲がってその場から去っていく
驚愕の余り呆然としていたアヌビスと、拍子抜けといった感じで呆れていたセクメトは彼の後を追う
丁寧な事にセクメトは去り際まで一斑を睨み付けていたが
「……はぁ、ほんま」
「面倒くさい連中やのぅ……」
「どういう事だ!?コヨーテ!!」
「どうして俺達が下がる!?」
「黙れセクメト」
「今、戦力を削ぐのは惜しいと判断しただけだ」
「そ、そうですよね」
「最終決戦も近いし……」
「だが!あの餓鬼に舐められっぱなしで……!!」
「諄い」
「そもそも、No,3を相手に俺達では分が悪すぎる」
「戦闘専門は貴様だけだろう」
「それで上等だろうが!」
「奴は防衛本能も使える」
「無事では済まないぞ」
「……チッ!!」
セクメトは近くに転がっていたゴミ箱を乱暴に蹴り飛ばした
散乱したゴミを踏みにじって、彼等は暗闇の中へと消えていく
彼に蹴り飛ばされたゴミ箱は、彼らの姿が見えなくなると同時に霧散した
灰と化したそれは排気口の中に吸い込まれていき、出て来ることは二度となかった
読んでいただきありがとうございました