盲信の目
「どうです?白月」
「クォンに稽古を付けてもらっては」
「……クォン、と言えば」
「神無様のご友人でしたか」
「えぇ、そうです」
「彼は武術のエキスパート……、無能力者の貴女でも充分に力を手に入れられる」
「それに私も最近は元老院に気に入られて研究、研究、研究尽くし」
「もう最近では人間心理学や人体摂理学などが多くて……」
「貴女の面倒もろくに見れませんから……」
「いえ、お気遣いなさらず」
「私は神無様に身も心も全て捧げることを決めていますから」
「しゅ、淑女がそんな言葉使いをしてはいけません!」
神無様に救われてから、もう何年が経っただろうか?
年数を数えるのも面倒になるほど、忠実した日々を私は送ってきた
あの日、野犬に襲われ死にかけていたあの日
私を救ってくれたのは神無様だった
彼は自分も過ごしたという孤児院に私を預けることを望んだが、私はそれを拒否した
少しでも、ほんの少しでも神無様の傍に居たかったから
「……では、お願いします」
「私は無能力者でも……、神無様のお役に立ちたいですから」
「……ありがとうございます、白月」
「では、クォンに連絡しておきましょう」
「暫くは修行も兼ねて彼の元で生活する事になるでしょうけれど、大丈夫ですか?」
「はい、神無様の為なら」
それから数日もしない内に私は中国に渡った
現地で神無様が手配してくださったガイドと合流
合流場所の空港から車で三時間、列車で六時間、さらに車で二時間の場所にその山はあった
ガイドの話によれば、私の目的地はその山頂にあるそうだ
生い茂る木々を押しのけて山頂まで徒歩で上った
ガイドは当初の契約通り山の前で別れた
所持物は荷の食料と水、そして野宿道具
頼れるのは懐に入れた銃と三十発の弾丸
目的地まで約1200m
例え何日かけてでも、神無様の為ならば上って見せる
いや、上らなければならない
「……ふぅ」
上り始めて二時間ほど
何十m上ったかは解らないが、空気が薄くなってきた
少しずつ水分を摂取し、寒くなってきた気温に備えて防寒具を身に着ける
徐々に積雪が目立ち始めてきた
恐らく、山頂に近づくにつれてもっと多くなるだろう
「雪は……、苦手ですね」
思い出すのは過去のこと
もう薄れてしまったが、泥水に近い雪解け水と牙をむき出した野犬
そして、手を差し伸べてくれたあの人を
それだけを覚えている
私は救われた、あの方に
だからこそ尽くすのだ
私はあの方の為に全てを尽くす
「危うい目だ」
「脆い、脆い目だ」
「己を殺す目だ」
突然の声
白月は懐から銃を抜き、その声の主に向ける
「身柄、全部置いて行け」
「そうしたら命までは取らねぇよ」
山賊と思われる男は手に銀色のナイフを持っていた
それは、いつの間にか降り出していた雪を切り裂いて銀の光を放っていた
フードを被っており顔こそ見えないが、声からして男と思われる
彼の眼光は深緑色で新緑のように深々しく、吸い込まれてしまいそうだった
「何方かは知りませんが」
「お断りします」
「そうか」
銀のナイフを腰へ携え、男は白月へと突進する
彼女はそれを簡単に回避し、男の頭部へ銃口を突きつける
「……お解りですか?」
「では、もう引いてください」
「腰を引き、相手の力をそのままの方向に流す」
「流した力を回転力に変換し一回転後に相手の頭に銃口を突きつける」
「基本だな」
「何をのうのうと……」
「第一試験クリア」
「第二試験開始」
太陽を反射した銀の刃
そこに男の手はなかった
降り来る雪を切り裂き、ナイフは一回転した
そして、それが地面に突き刺さる頃
形勢は完全に逆転していた
「……な」
「投げられたナイフに気を取られたか?」
「それとも、単に気づかなかったか?」
地面に四肢を付き、突っ伏した白月の頭部には男の掌が当てられていた
驚愕に見開かれた目で白月は頭を垂れて絶句していた
男は何も言わず、ただ掌を彼女の手に当てて無言のまま佇んでいた
「くっっ……!!」
「一秒だ」
「……何の時間かは知りませんが」
「銃と素手、言うまでもなく銃が強い!!」
白月は転がり回るように体を反転させ、男に銃を向ける
刹那、彼女の目に映ったのは深緑の眼光と雪を背負った拳だった
「三天・空撃」
全身に見えない衝撃を受けたかのように凄まじい強風が彼女を襲う
彼等の足元に広がっていた積雪が弾け飛び、岩や土が風撃に削り取られる
「がっ……!?」
「何の時間か、教えてやろうか」
「貴様を殺せる時間だよ」
「第二試験失格だ」
地面に伏した白月の頬を一筋の汗が流れ落ちる
余り強すぎる衝撃に息を耐えさせた彼女は目の前に圧倒的な力を持って君臨する男のみを視界に入れる
男は腕を降ろし、全身の力を抜くように深く息を吐いた
「先程、言ったな」
「銃と拳、強いのは言うまでもなく銃だと」
「良い事を教えてやる」
「そんなクソ下らねぇ常識捨てちまえ」
「これからテメェが踏み込む世界にはな」
フードを脱いだ男は、懐から煙草を取り出し火を点ける
一度、それを大きく深く吸い込んで数秒間の沈黙
その後、白月の鼓膜が破れるかと思うほど豪声をあげて咽込んだ
「ごぇっほ!げほっっっ!!」
「ぅえほっっっ!!」
「不味ッッッッッッッッッッッッッ!!!」
「じゃ、じゃぁ何で吸ったんですか……」
「煙草なんて体に悪いだけなのに……」
「こりゃ煙草じゃねぇよ」
「漢方薬を馬鹿みてぇに詰め込んだヤツだ」
「体温を上昇させる」
「……吸うか?」
「い、いえ……」
「白月 霙」
「路地裏で死にかけの所を神無に助けられた」
「そこから暫く神無の手で育てられ、基礎的な学術と戦闘術は学んだ様だが……」
「クソだな、アイツの教え方は」
「……ッ!!」
「神無様を侮辱することは許しません!!」
「知ってるか?今のテメェの状況をよ」
「[盲信]って言うんだよ」
「何をッッッ……!」
「着いてこい、白月 霙」
「テメェの目を少しはマシにしてやるよ」
男は白月に背を向け、再びフードを被る
地面に突き刺さったナイフを引き抜き、それを懐にし合って歩き出す
彼は雪地を踏みにじって斜面を登っていく
「まさか……、貴方が……」
「ロ・クォン」
「六天崩拳継承者」
「そして、これからお前の師匠になる」
その男との出会いは、余り良い物ではなかったのを覚えている
ただ、どんな人かも解らなかったから安易に判断は出来ない
それでも好きになれそうにはなかった
六天寺
門前
「……大きい」
「大きさだけだ」
「中には誰も居ない」
開け放たれた門を当然のように潜ってクォンは敷地内へと踏み込んで行った
彼の後からオドオドと怯えながら着いていく白月は周囲を警戒しながらも歩んでいく
「おい、早く来い」
「ま、まだ貴方を信じたわけではありません!!」
「偽物かも……」
「神無から俺の容姿とかを聞いてないのかよ」
「真面目で厳粛な方だと……」
「合ってんじゃねぇか」
「何も合ってませんよ!?」
「どう見たって不良か変質者じゃないですか!!」
「酷い言い様だな、クソガキめ」
「先程の行動からしてもそうです!」
「急に襲ってくるし……」
「アレはお前を試したんだよ」
「だが、見事に第二試験でアウト」
「クソだな」
「クソってなんですか!?」
「クソはクソだ」
「今から三年間、テメェを死ぬほど鍛え殺してやる」
「その目を変えてやる」
「だから!何を……」
白月の顔面をクォンの拳が貫いた
痛みと音が遅れて彼女の意識を刈り取り、視界を闇で覆う
白月は門の下を吹き飛んで敷地の外に落下する
その一連の光景を見ていたクォンは拳を振り払い、踵を返す
「俺の一撃を避けられるようになるまで門に入ることは許さん」
「まぁ、心配するな」
「死なない程度の食料と水は与えてやる」
「野宿は、そうだな」
「テメェの道具でも使え」
巨大な赤門が地鳴りのような音とともに閉じ始められ、やがて重々しい音と友に閉まりきる
門前に取り残された白月は意識を失っており、周囲には彼女とその荷物だけが残されていた
六天寺
「……えーっと、いち?」
「に……、こっちか」
「これを押して……、じゅわき……?」
「あぁ、始めに取っておくのか」
「やり直しだな……」
手元のメモと指先を何度も見直し、クォンはボタンを押していく
彼のメモには神無の文字で操作方法とボタンを押す順番が書かれていた
何度も間違えてボタンを押しては受話器を置き、間違えてはボタンを押しを繰り返す
それを二十回ほど繰り返して、漸く受話器を耳に当てる
「神無」
「テメェの言う通り……」
『お客様の御掛けになった電話番号は……』
「くっっっっそっっっっっ!!!」
受話器を叩き付け、クォンは息を荒げて怒りを露わにする
暫くの後、諦めたように彼は受話器を拾い上げる
再びボタンを押す作業に戻り、悪戦苦闘を繰り返す
「ろく……、なな……?」
「あ、違う……」
その作業を三十回ほど繰り返し漸く彼は耳に受話器を当てる
青筋を額に浮かべながらも、彼は静かに息を整えて応答を待つ
『もしもし』
「神無か」
『おや、クォンではないですか』
『機械を使えたのですね』
「何回もやり直したがな……」
「しかし、神無よ」
「お前の寄越したあのガキは何だ?」
「才能の欠片もねぇ」
「ただ、盲信の目をしてるだけだ」
『だからこそ、です』
『彼女は心が弱い』
『私はむしろ、肉体よりも心を鍛えて欲しくて貴方に依頼したのですよ』
「……それを、俺に任せるか」
「お前が来た方が良いんじゃねぇのか?」
『……どういう意味です?』
「……近頃は直接会ってねぇから解りゃしねぇよ」
「だが、お前の声は……」
『声?』
「……いや」
「俺の思い過ごしだと良いがな」
『え?き、気になるじゃないですか!』
『教えてくださいよ!クォ』
神無の言葉を遮断して、クォンは受話器を置く
髪を掻き揚げた彼は窓際に向かい、外を眺める
「……雪が、降り始めたか」
空から降り落ちる雪
真っ白なそれは曇天の色だった
クォンは目を曇らせて、静かに白月のことを思い出す
「あの目は危険だ……」
「いつしか……、自分を犠牲にして殺すぞ……」
彼はそれだけを呟くと、窓に背を向けて部屋から出て行った
誰も居なくなった部屋の窓から見える雪は真っ白で
門前で眠る少女の上に降り注いでいた
読んでいただきありがとうございました