絹の枷
高層ビル五階
扉が蹴破られガラス窓を突き破って扉だった鉄の板は曇天の中へ吹き飛んでいった
全てを威殺すような殺気が充満し、それと共に憎悪の塊が部屋に踏み込んでくる
部屋に居たバムトと鴉は入って来た物に相応の殺気を向け、拳を構える
「元No,1…………」
「鴉……!!」
怨念に塗れた声を祝福するように狂気の笑みを浮かべた鴉は拳を下げ、両手を大きく開ける
バムトは踏み言ってきた者の姿を見て再び両手を組んで壁にもたれ掛かった
「何の用だ?祭峰」
「随分と美しい物を放っているな」
「惚れ惚れするぞ、称賛する程に!」
「テメェ……、蒼空に言ったのか……」
「蒼空にッッッ……!!」
「いつかは知る事だ」
「それを遠回しにする理由が何処にある?」
「理由……?」
「ンな事を言わなきゃ解らねぇのか……!?」
「テメェはそこまでの能なしかッッ……!」
「能なしは貴様だ」
「女々しい事だな……、我が弟の為に自己犠牲を望むか」
「死ぬのを恐れたか……!?」
「恐れる?恐れる!?」
「クハハハッハハハハハッハハハハッハハハハハッハハハハハハ!!!」
「クッッックククククハハハッッッッハッハハッハハッハァ!!!」
狂い笑う少年は掌で顔を押さえつける
狂笑を抑制するように彼は顔を押さえ続けるが、それは意味を成さない
部屋に響き渡る狂笑は祭峰に怒りを、バムトの呆れを誘う
「クッックククッッ……!!!」
「貴様が!?貴様が言うか!!」
「貴様が言うか祭峰ェッッッ!!!」
「何ッ……!!」
「死を恐れているのは貴様だ!!」
「死を恐れているのは貴様なんだよ!!」
「知らないと思ったか!?」
「俺達が!知らないと思っていたのか!?」
「俺が死を恐れるだと!?」
「そうだろう!?」
「お前は恐れているッッ!!」
「仲間を持ったからこそ!お前は恐れているのだ!!」
「全く滑稽!!軽妙!!荒唐ッッッ!!」
「お前という人間はここまで愚かしかったかッッッッ!!」
鴉の言葉からは何処となく狂笑が染み出している
彼が一言一言を吐き捨てる度に祭峰の顔には憤怒が満ちていく
「愚かしい?」
「愚かしいだとクソガキがッッッ!!」
「愚かしいさ!!」
「仲間という枷を自らに架したか!?化け物ッッッッ!!」
「人間がそれほど羨ましいかッッッッッ!!!」
「人間!?」
「俺は化け物だ!!」
「自覚という仮面を被るなよ!愚者めッッ!!」
「貴様のは口上だけの戯れ言だッ!!」
「何枚の仮面を被った!?いいや、何千何万何億枚だ!?」
「一枚脱ごうと!百枚脱ごうと千枚脱ごうと!!」
「結局、貴様の素顔は隠れたままだ!!」
「死ぬまで現れることはないだろうなァ!!」
「くゥウウウウウウウウウウウろォオオオオオオオオオ!!!」
祭峰の雷撃を纏った拳が鴉の顔面に振り抜かれる
その衝撃波が豪風となってガラスの破片を砕き去って行く
祭峰の憤怒に染まった眼光が捕らえていたのは依然として狂笑みを崩さない鴉の姿だった
雷撃を纏った拳は闇の拳に掌握され、相殺されていた
「止めろ」
バムトから重々しく零された言葉
祭峰はそれに憤怒の眼光を向けるが、バムトは気圧されることなく冷淡な眼を向けている
「鴉の言う通りだ」
「祭峰、死を恐れているのはお前だよ」
「バムトッッ……!」
「テメェまで言うか……!!」
「仲間を持った」
「お前は俺と同じだ」
「失うのが怖いんだ」
「失った俺とは違う、失っていないからこそ怖いんだろう」
鴉と違い、バムトの冷悪な声は祭峰に向けられている
それでも祭峰の憤怒は収まることなく、彼の言葉とは対照的に怒りを高めていく
「失うだと……!?」
「仲間が」
「……お前の仲間は強い」
「だからこそ最前線に立つ」
「俺達と違い、脆い命で死に触れている」
「だからこそ……、恐れているんだろう?」
「恐れッッ……!?」
「解らないだろう」
「解っていないんじゃない、解らないんだ」
「解ってはいけない、と自らに枷を架したのだ」
「仲間の枷と、自制の枷を」
「枷ッッ……!?」
「俺は誰にも縛られない!!」
「常に自由に!常に解放され!常に不縛だ!!」
「俺は自由に生きている!!」
「それが好きだし、それが最高だと思っている!!」
「その俺が枷!?」
「そんな鎖を己に架したとでも言うのか!?」
「鎖じゃない」
「絹の枷だ」
「脆くて細くて縛れない」
「絹の枷だよ」
バムトは静かに、しかし確かにその言葉を漏らす
祭峰はは闇の拳から解放された腕を力無く項垂らせる
彼の四肢を、首をも縛られた男を縛っているのは絹
脆く、細い
人を縛ることなど出来るはずもない絹だった
「お前は縛られているんじゃない」
「縛っているんだ」
「自らを、自由でだ」
「俺が……、自分を縛る……?」
「何言って……」
「三日の猶予は」
「あの弾丸は」
「仲間の逃げ道は」
「果たして、誰の為に用意した?」
「……それ、は」
「自分の為だろう?」
鴉は嫌らしく、下卑た笑みを浮かべていた
彼は自由になった視界を楽しむように紅い眼を祭峰に向ける
「黙っていろ、鴉」
それを遮られ、鴉は口惜しそうに、しかし笑みを浮かべたままで口を閉ざす
彼は踵を返して黒色の、綿の飛び出たソファに腰掛ける
「……これも鴉の、言う通りだ」
「お前は絹の枷を断ち切ろうとしたんだ」
「自らの意思で、無意識に」
「……鎖を?」
「俺が?」
「お前は誰よりも自由で、誰よりも達観していた」
「だが、その達観性は何処から来る?」
「……答えは単純だ」
「お前が、お前の心を持っていないからだ」
「お前の仮面は分厚すぎたんだ」
「だから、いつしかお前は無くしてしまった」
「お前の心は無くなってしまったんだろう」
祭峰は自らの頬に手を這わせ、顔面を歪ませるようにそれを押しつける
歪んだ眼からは戸惑いと困惑の色が溢れ出す
「お前の、心は何だ?」
「お、俺の……、俺の?」
「心って……、何だ……?」
「心ってん何だよ……」
「俺、俺の」
「俺の心って何だよ……?」
歪み崩れゆく仮面
それを支えるものなど無い
ただ、あるのは崩れゆく破片を飲み込む黒渦だけ
「この三日間は」
「お前が枷を斬るか」
「それとも壊れるかの三日間だ」
「この三日間は」
「誰よりも、お前自身が」
「お前の為に用意した三日間だ」
「み……っか……」
「祭峰」
「俺達の中で、無型を取り入れた創世計画の犠牲者の中で」
「最も脆いのは……、お前だよ」
「ち、がう」
「違わない」
「祭峰、お前は……、脆い」
「違うッッッッ!!!」
「現実に目を向けろ」
「誰よりも脆いのは誰だ?」
「己を絹の枷で縛り」
「己を仮面で騙し」
「己を心の無き者にしたのは」
「誰だ?」
「違ぁあああああああああああああああああああああうッッッッッッッッ!!!」
祭峰の叫びに、バムトと鴉の鼓膜は震動する
絶叫に近いそれを哀れみの眼で見つめるバムトは静かに息を吐き、そして吸う
肩で息をし、気狂いに近い眼をした祭峰はやがて笑いを零し出す
「は、はは……」
「そうだ……、俺は自由だ……」
「もう、あんな地獄には居なくて良いんだ……」
「そうだ……、俺は……、自由だ……」
「もう誰にも縛られない……、俺は自由だ……」
膝を折り、祭峰は地面にへたり込む
糸の切れた人形のように力無く垂れた手足を曲げて
壊れたラジオの音漏れのように笑い声を零しながら
ただ、そこに崩れ座っていた
「もう駄目だな」
「コイツは使えない」
「そうだろう?バムト・ボルデクス」
「……鴉、お前は何か勘違いをしているな」
「確かに祭峰は俺達の中で最も脆い」
「小僧……、蒼空よりも脆いだろう」
「だがな、二人には共通する点がある」
「俺達には当てはまらない点だ」
「ほう?それは何だ」
「それはな」
崩れた祭峰の肩に手がかけられる
若い男の、少し細い手は彼を犬でも持ち上げるかのように軽く引き上げる
祭峰は困惑の眼で手の主に目を向ける
刹那、祭峰の顎が跳ね上がって足が宙に浮く
彼の目に一瞬だけ映ったのは橋唐だった
声を出す暇もなく、同じ連撃が祭峰の顎に打ち込まれる
再び跳ね上がった彼の顎と足
地面に付くことも許さず、再度、彼の顎には鋭い一撃が撃ち込まれた
それに追撃を掛けるかのように最も威力の高い一撃が祭峰の顎を跳ね上げる
「仲間だよ」
地面に頭から落ちた祭峰は困惑しながら周囲を見渡す
そんな彼の頬に鋭く強烈な一撃が入った
「堂々しろ」
「貴様は誰だ?」
「祭峰 悠拉だろうが」
「は、橋唐……?」
「お前は俺達のリーダーなんだゼ」
「それがこんなトコでヘラヘラ笑ってんじゃねぇんだゼ」
「そうッス!祭峰さんは頼りないし馬鹿だし変態だけど!!」
「俺達のリーダーッス!!」
「ホホホホ!貴方は自由奔放その物ぉ!」
「その貴方が枷如きに囚われてどうしますかぁ!?」
呆然とする祭峰に、バムトは静かに歩み寄っていく
驚きの余り絶句していた祭峰の眼には何処か物憂い気なバムトの表情が映った
「……祭峰、解るか」
「脆いのは決して悪いことじゃないんだ」
「お前を縛っている絹の枷は、外すべき物じゃない」
「俺達は脆くない」
「だけどな、仲間も居ない」
「……祭峰、お前や蒼空には」
「仲間が居るだろう?」
「……仲間、か」
「三日間、無駄じゃなかったな?」
冗談っぽく微笑んだバムトに祭峰は連られて頬を緩める
やがて高らかに笑い声を上げる二人に混じって、橋唐達も頬を緩めていた
「……はぁ」
「偽物の家族も捨てたモンじゃないね」
「全く、貴様は世話が焼けるな」
「そう言うなよ、橋唐」
「……絹の枷はまだ付けておくとしよう」
「脆いのも悪くねぇ」
「絹の枷を破壊せずに付けておくと決めたように」
「血を絶つのも……、もう少し別の考え方をするかな」
嘲笑めいた笑いで、祭峰は拳を握りしめる
決意の拳は歪むことなく崩れることなく揺らぐことなく
真っ直ぐと、ただ真っ直ぐと
「さーて、と」
「行くかね」
「何処にだ?」
扉に向かって歩き出した祭峰に、バムトは背越しに声を掛ける
拳を掲げた彼は白い歯を見せて笑い、ただ一言だけ決意の言葉を口にする
「決意の拳、ブチ込みに」
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