蕎麦屋の会談
町外れの山道
「……ぐ」
「起きたか」
寝かされた橋唐は苦しそうに目を開く
体を起こすことは出来ず、頭だけを少し上げる
そうして漸く目に入ったのは彼の隣で座っている雅堂と、寝かされているラグドだった
「……雅堂、か」
「ここは……、何処だ」
「徳島の山中だ」
「深い、深い……、な」
「……そうか」
「どうなっている……、今」
「現状はどうなっている」
「全員が散開した」
「こちらは俺と鉄珠、そして貴様とラグドだ」
「……隻眼は?」
「周囲を警戒して見回りだ」
「貴様等、随分と寝ていたな」
「……まだ、少し眩む」
「頭をやられたか」
「しっかりしろ」
「それと、これだ」
雅堂から橋唐へ手渡されたのは一枚の紙
中心に真っ青な十字架の描かれたそれを彼は確認して風で微塵ほどに切り裂く
「鳩が運んで来たんだが」
「……そうか」
「よくやってくれた、アロン」
「何だったんだ?」
「暗号か何かか」
「この一年、祭峰とて何もせずに過ごしていたというワケではない」
「今からの集合場所も、情報網も、人員も」
「いいや、一年ではない」
「奴は一生をかけて軍の計画を潰す気だった」
「だからこそ、だからこそ俺は奴に着いた」
「だからこそ、か」
「橋唐 兎氏よ」
「貴様は奴の本性を知っているか?」
「本性?」
「奴は曾ての恋人を軍より逃がすために身を捧げた」
「いいや……、捧げる結果になったという方が正しいか」
苦々しく言葉を吐いた雅堂は頭を掻き、深く息を吐く
足下に上ってきた小蜘蛛を払いのけて彼は言葉を続ける
「そうして、奴は実験台となった」
「実験台となった後も、奴は執念深く生きた」
「恐ろしいほどにな」
「仲間同士の殺し合いも平然と、己の為に全てを」
「奴は全てを己の為に消し去るだろう」
「それが本性か?」
「そうだ」
雅堂の言葉を聞き終わり、橋唐は落胆したように笑いを吐き捨てる
彼の目に映る木々が風に揺れ、葉を散らす
「そんなこと、解っている」
「解っていて付き従ってるのか?」
「奴はいつだって俺達を捨て駒扱いしている」
「だからこそ我々を見張りに置き、我々を囮とし、我々を戦場に行かせる」
「それが解っていながら、何故」
「何故、貴様等は奴に付き従う?」
「いつ捨てられるかも解らないのに」
「違うな」
「捨てるのは俺達だ」
「何?」
「どうして、俺達が奴に捨て駒扱いされているか解るか」
「どうして、俺達が今まで生き残っているか解るか」
「どうして、俺達がそこまでして奴に従うか解るか」
「……いや」
「奴は知っている、俺達が強いと」
「奴は知っている、俺達が信じていると」
「奴は知っている、俺達は家族だと」
吹き抜けた風が橋唐の髪を揺らす
真っ直ぐな彼の瞳は覚悟の色を帯びている
「捨てるのは俺達だ」
「いつしか奴に頼らなくなって、自立できるときに」
「俺達は奴を捨てるだろう」
彼の言葉を聞き終わり、雅堂は歯を見せて微笑む
橋唐に背を向けたまま彼は言葉を漏らし始める
「……祭峰は」
「良い、仲間を持ったみてぇだな」
「アイツはよ……、俺達の中で最も陰を持ってる人間だ」
「最も理不尽に巻き込まれ、最も邪悪に生き、最も孤独に生きる人間だ」
「だが、奴は理不尽を喰らい、邪悪を受け入れ、孤独を捨てた」
「奴は……、もう俺の知ってる奴じゃねぇのかもな」
橋唐の目に映る雅堂の背中は何処か寂しそうで
しかし、何処か嬉しそうで
「貴様は……、居ないのか」
「仲間は、家族は」
「居た、と言う方が正しいな」
「貴様等のお陰で滅んだが」
「[滅ぶ]の意味を辞書で調べるか?憤怒の雅堂よ」
橋唐の嘲笑を含んだ声に雅堂は同調する
立ち上がった雅堂を橋唐は視線だけで追い、暫くの後に瞼を閉じる
「祭峰は計算高いのか」
「それとも、単に偶然なのか」
「どちらとも違うな」
軽く目を開いた橋唐はハッキリと、確かにその言葉を口にする
「馬鹿なだけだ」
「……だな」
蕎麦屋
「相席、宜しいですか?」
「えぇ、どうぞ」
老婆の隣に腰掛ける蜂土
彼の手には少し大きめの蕎麦と麺汁が持たれている
「全席が埋まってしまいましてね」
「ここしか空いてなかったので」
「いえいえ、お気になさらないで」
「こんなお婆さんの隣に座ってくれるなんて嬉しいわ」
「おや、お婆さんなんて」
「まだまだお若いでしょう?」
「ホホホホホ!嬉しいですねぇ」
蜂土は笑顔のまま、老婆へと顔を近づける
老婆の耳元に口を持って行き、少しだけ目を開けて呟く
「素が出てますよ、アロンさん」
「おっと!失礼」
老婆は急いで口元をおしぼりで抑え、何かを隠すように笑いを零す
ため息を吐きながらも蜂土は老婆に向かって聞こえるか聞こえないかの声で言葉を向ける
「てっきり、死んだのかと思いましたよ」
「衛星砲は本当に危なかったのですがねぇ」
「私自身の能力に助けられたと言った所でしょうかぁ」
「そうですか」
「……他の皆さんは?」
「当初の計画りにぃ」
「結構」
パチン、と割り箸を割る音と共に蜂土の頬は少しだけ緩む
蕎麦を掴んだ箸は上に上げられて平行移動し、麺汁の中へと浸られる
「しかし、良かったのですかぁ?」
「私はてっきり貴方は軍に着く物と思っていましたがぁ」
「おや、心外ですね」
「私とて人の子ですよ?」
「それ以前に科学者でしょうぅ?」
「自分の研究が悪用されるのに怒っているんではぁ?」
「それは貴方とて同じでは?」
蕎麦を啜りながら、蜂土は言葉を漏らす
怪訝そうに眉を顰めた老婆は彼に問いを投げかける
「……どういう事ですぅ?」
「これを」
蜂土より差し出されたのは一枚の資料
彼の体で周囲からは死角となる様に慎重にそれを老婆へと手渡す
「……ほぅ」
「ほぅほぅほぅほぅほぅほぅ」
老婆の表情は鬼面のように歪み狂う
青筋を浮かべて歯を剥き出しにし、声の調子が上がり始める
「お怒りは尤も」
「しかし、落ち着いてください」
「何の為に貴方は変装したのですか?」
牽制の声に老婆は深く息を吸い込んで深呼吸を行う
震える手で資料を握りつぶし、目を強く閉じる
「……なるほどぉ」
「そういう事ですかぁ」
「四国の残骸ぃ……!あれをぉ……!!」
「一度、貴方達のアジトに攻め込まれた事があったでしょう」
「その時に奪われたのかと」
「あの時は島の半分を灼かれましたからぁ」
「しかしぃ……、妙ですねぇ……」
「あの時に確認できたのは2名ぃ」
「総督直属部隊のアテナとアウロラでしたぁ」
「とても資料を漁る暇も、素振りもぉ……」
「スキュラ」
「いえ……、ルメネス・スクレと言った方が良いかもしれませんね」
「彼の能力は体質変化」
「人相や体型は勿論、透化も可能だと聞きます」
「もし変化した状態で前に現れれば、私や貴方でも見抜けないでしょうね」
「……ルネクス?」
「その名、何処かでぇ」
「彼は5年前までギリシャの学会に所属していました」
「それから神無総督に抜粋され、元老院直属部隊となりましたが」
「……ギリシャの、学会ぃ」
「ギリシャの……!!!」
一度は収まった老婆の怒りは再び頂点へと上がり始める
彼の様子に注意を払いながらも、蜂土は言葉を紡ぎ続ける
「貴方の研究は人工生命体論理学」
「ルメネス・スクレことスキュラは元老院が元々、用意していたのに貴方の論理を組み合わせた」
「そうして完成したのが実験名[堕天使]」
「奴等は能力すらも操る」
「しかし、それは四国の残骸を研究していた貴方の物から派生された物だ」
「貴方の研究を元に作られたと言っても、過言ではないでしょう」
「……最早、怒りすらも通り越しますねぇ」
老婆は椅子に深く腰を沈め、机の上に置かれた湯飲みを取る
湯飲みの茶は水面を酷く揺らし、水滴が机へと零れる
「私の連絡事項は以上です」
「あくまで接触だけが目的でしょう?」
「……えぇ、そうですねぇ」
「私からは特にありませんしぃ」
「まぁ、死なないように……、とだけ言っておきましょうぅ」
「それは有り難い忠告ですね」
「では、失礼しますよ」
「……一つだけ、良いですかねぇ?」
「何です?」
「貴方が我々に着く理由をぉ」
「……理由、ですか」
「そうですね」
少し考えた後、蜂土は無言で席を立つ
伝票と空になった蕎麦のザルを持って彼は椅子を元に戻す
「私が人間であり研究者であり」
「……布瀬川 蜂木の弟だからでしょう」
「……そうですかぁ」
「さて、これは奢りますよ」
「お婆さんにお金を使わせるわけにもいきませんので」
「ホホホホホホホ!それはありがたいですねぇ!!」
陽気に笑う老婆
蜂土は唇に人差し指を当てて、彼女へと視線を向ける
「おっとぉ」
老婆は急いでおしぼりで口元を抑えて視線を背ける
微笑みながら蜂土は精算所へと向かっていった
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